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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第一部 居場所を建てる

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4/22

第四話 家は、小さく始めればいい

 家を建てるとき、最初に必要なのは木材ではない。


 釘でも、鋸でも、腕のいい職人でもない。


 何を、どこまで作れば家と呼べるのか。


 その条件を知ることだ。


「ミラ。昨日の男が持っていた紙、何が書いてあったか分かるか?」


 赤い印が描かれた石壁の前で尋ねる。


 ミラは首を横に振った。


「文字は少ししか読めない。おばあちゃんは?」


「目が悪くなってから、細かい字はねえ」


 仮の屋根の下で、エナが申し訳なさそうに目を伏せる。


 俺も読めない。


 この身体に残っている記憶を探ってみたが、文字らしきものはほとんど浮かんでこなかった。


 前世では図面も契約書も読めた。


 だが、今の俺は、立ち退きを告げる紙一枚の内容さえ確認できない。


 知らない規則の中で家を建てることは、地盤を調べずに柱を立てるようなものだ。


「ガルドさんに聞いてくる」


「また工房に行くの?」


「あの人なら、商会のことも知ってるはずだ」


「怒られるよ」


「もう慣れた」


 昨日もらった黒パンを取り出し、ミラとエナへ渡す。


 二人が食べ始めるのを確認してから、俺は工房へ向かった。


     ◇


「馬鹿か、お前は!」


 予想どおり、ガルドは怒った。


「勝手に土地の話を進めたのは、俺じゃない」


「そんなことは分かってる!」


 作業台を叩いた拍子に、道具が跳ねる。


「ドーレン商会に目をつけられた土地へ、三日で家を建てるだと? 昨日、鋸を持ったばかりのガキが何を寝ぼけてやがる!」


「だから、どうすればいいか聞きに来た」


「諦めろ」


「嫌だ」


「なら、町の外で雨に打たれて死ね!」


「それも嫌だ」


「何なら受け入れるんだ、お前は!」


「家を建てる方法」


 ガルドは額を押さえた。


 前世の現場でも、無理な工程を押しつけてくる人間はいた。


 今の俺は、間違いなくそちら側だ。


 だが、退くわけにはいかない。


「昨日の男は、建物が倒壊したから土地を回収すると言った。建物があれば、回収できないんじゃないか?」


「そんな簡単な話じゃない」


「じゃあ、何が必要なんだ?」


「……ドーレン商会へ行くぞ」


 ガルドが壁から外套を取った。


「え?」


「ここで説明しても、お前は納得しねえだろうが」


「仕事は?」


「誰のせいで止まったと思ってる」


 間違いなく俺だった。


     ◇


 ドーレン商会は、町の中央にあった。


 石畳の大通りに面した、三階建ての建物だ。


 町外れでは傾いた家ばかりを見てきたため、真っすぐ立っているだけで立派に感じる。


 正面の壁には白い漆喰が塗られ、窓には透明なガラスがはめ込まれていた。


 屋根から落ちた雨水を集める樋までついている。


「ここには樋があるんだな」


「そりゃあるだろ」


「町外れの家には、ほとんどなかった」


「銅板を使った樋だ。貧乏人が買えるものじゃねえ」


 材料の値段が、そのまま暮らしの差になっている。


 商会の中へ入ると、昨日の男が受付にいた。


 紺色の外套は脱いでいたが、泥ひとつついていない革靴で分かった。


「これはガルド親方。珍しいお客様ですね」


「誰が親方だ。俺は弟子なんぞ取らん」


 男が俺を見る。


「そちらの少年は、昨日の」


「土地の契約を見せろ」


「ご家族ではない方には――」


「エナ婆さんの代理だ。文句があるなら本人をここまで歩かせろ」


 男の笑顔が少しだけ引きつった。


「少々お待ちください」


 奥の棚から、丸められた紙が運ばれてくる。


 広げられた契約書には、見たことのない文字が細かく並んでいた。


「読んでくれ」


 俺が言うと、男は眉を上げた。


「文字も読めないのですか?」


「読めないから頼んでる」


「では、簡単に説明しましょう」


 男が紙の一か所を指でなぞる。


「二十六年前、エナ様のご主人は、家屋の修繕費としてドーレン商会から銀貨を借りました。返済が滞ったため、この区画の使用権は商会へ移りました。土地そのものは領主のものですが、契約期間中の管理権は商会にあります」


「家も商会のものなのか?」


「家屋はエナ様の所有物です。商会は、建物が存在する間に限り、この区画での居住を認める契約を結びました」


「それなら、建て直せばいい」


「そうはいきません」


 男が次の行を指す。


「家屋が倒壊し、居住に適さない状態となった場合、土地の使用契約は終了します。ただし、三日目の日没までに修繕または建て替えを完了し、町の建築組合から居住可能との認証を受けた場合は、契約を継続できます」


「今から修繕を始めればいいんじゃないのか?」


「現在の家屋については、すでに危険家屋として撤去が決定しています。その判断を、修繕によって取り消すことはできません」


 男は穏やかに言った。


「ただし、三日目の日没までに、この土地に雨風を防ぎ、住人が安全に暮らせる家屋が存在すれば、居住資格は失われません。組合に所属する職人の確認を受け、合格の印を得る必要があります」


 つまり、今ある家を直しただけでは、撤去の決定は覆らない。


 だが、期限までに安全な家を用意できれば、ここを追い出されずに済む。


 思っていたより厳しい。


「その家屋の大きさに、決まりはありますか?」


 男が一瞬、黙った。


「最低面積の規定はありません」


「部屋の数は?」


「規定されていません」


「壁は?」


「四方が壁で囲われ、外部と仕切ることのできる、開閉可能な出入口が必要です」


「窓は?」


「採光と換気を確保できれば、数や大きさまでは定められていません」


「水は?」


「共同井戸を使用できるため、家屋内に必要はありません」


「便所は?」


「町外れの共同設備を利用できます」


「炉は?」


「暖を取り、食事を作れる設備が必要です」


 条件を頭の中で整理する。


 家族三人が横になれる広さ。


 雨を防ぐ屋根。


 四方の壁。


 閉じられる扉。


 窓か排煙口。


 簡単な炉。


 そして、安全性を認める職人の印。


 以前と同じ大きさの家を建て直す必要はない。


「小さくてもいいんだな」


「規定上は」


 男は少し不愉快そうだった。


「ただし、子どもが廃材を積み重ねただけの小屋を、組合が家として認めるとは思えませんが」


「組合の職人なら、誰でも認証できるのか?」


「建築に関わる親方の資格を持つ者に限ります」


 俺は隣を見る。


 ガルドが腕を組んでいる。


「ガルドさんは?」


「木工組合の親方資格をお持ちです」


 男が答えた。


「なら――」


「俺は印を押さねえぞ」


 ガルドが遮った。


「まだ何も言ってない」


「顔に書いてある」


 男が薄く笑う。


「無理に認証すれば、事故が起きた際に親方の責任となります。ガルド親方も、その危険は理解されているでしょう」


「俺を巻き込む気か」


「最初から巻き込まれてる」


「お前が勝手に巻き込んだんだ!」


 少なくとも、道は見えた。


「確認は三日目の日没でいいんだな」


「ええ」


「その前に取り壊したり、材料を運び出したりはしない?」


「契約に従う限りは」


 男は紙を巻き直した。


「ただし、赤い印を消すことは禁止されています。商会が使用権を持つ区画であることを示すものですので」


「分かった」


「本当に建てるつもりですか?」


「そのために来た」


「何の得にもなりませんよ」


 男の声から、わずかに笑みが消えた。


「仮に家を建てても、土地の使用権があなたへ移るわけではありません。住み続けられるだけで、あなたのものにはならない」


「住み続けられるなら十分だ」


「貧民街の古い土地に、そこまでこだわる理由が分かりません」


 理由は簡単だった。


「そこが、ミラとエナさんの家だからだ」


 男は何も答えなかった。


     ◇


「駄目だ」


 工房へ戻る途中、ガルドは何度目か分からない言葉を繰り返した。


「まだ何も頼んでない」


「俺の印が必要なんだろ」


「必要だ」


「それを頼むと言うんだ」


「安全な家を作れたら、確認してほしい」


「作れねえ」


「どうして?」


「時間が足りない。材料がない。人手もない。何より、お前には腕がない」


 すべて事実だ。


「じゃあ、大きな家は作らない」


「何?」


「必要なものだけ入る、小さな家を作る」


 道端で足を止める。


 泥の上にしゃがみ、指で四角を描いた。


「三人が寝られる床があればいい。立って歩き回れる広さもいらない。調理は入口近くで行う。炉は石と粘土で最低限のものを作る」


「狭すぎる」


「今はそれでいい。あとで増築する」


「家を途中で大きくするだと?」


「最初から完成形を作ろうとするから、時間も材料も足りなくなる」


 小さな四角の隣に、もう一つ四角を描き足す。


「まず、この一部屋だけ作る。土地を使い続けられたら、次に寝室を足す。その次に作業場所を足す」


 前世でも、家族構成や予算に合わせて増築する考え方はあった。


 最初に必要な部分だけを作り、暮らしながら成長させる家。


 ここなら、最初から大きな完成品を目指すより現実的だ。


「基礎はどうする」


 ガルドが尋ねる。


「残っている石を使う。ただし、昨日の壁には屋根を預けない」


「なぜだ」


「上の石が崩れている。中も傷んでいるかもしれない。新しい家は独立して立てる」


「柱の数は?」


「四本」


「四本だけで壁と屋根を支える気か」


「筋交いを入れる」


「すじかい?」


 呼び方は通じないらしい。


 四角の中へ斜めの線を引く。


「柱と横材だけだと、横から押されたときに四角が潰れる。斜めの木を入れて、形が変わらないようにする」


 近くに落ちていた細い枝を四本並べ、四角を作る。


 指で押すと、簡単に平行四辺形へ変形した。


 次に、対角線上へもう一本の枝を置く。


 再び押す。


 今度は動きにくい。


 ガルドがしゃがみ込む。


「斜め材を入れる方法はある。だが、壁の下地に使う程度だ」


「柱としっかりつなげれば、横からの力に耐えられる」


「接合部が先に壊れる」


「だから、ガルドさんの技術が必要だ」


「結局それか!」


 怒鳴られたが、ガルドは泥の図から目を離さなかった。


「屋根は片流れ。高い方を風上に向ける」


「昨日と同じだな」


「ただし、今度は軒を深くする。雨を壁から離して、溝へ流す」


「屋根板はどうする」


「使えるものを拾う」


「拾うって、どこからだ」


 答えられない。


 昨日の家から回収できる屋根板だけでは足りない。


 柱に使える太い木材も、二本程度しか残っていなかった。


「工房の木をくれとは言わない」


「当たり前だ」


「町で捨てられる木はないのか?」


「木を捨てる馬鹿はいねえ。割れた板でも、炉へ入れれば燃料になる」


 釘一本にも値段がある世界だ。


 使える木が道端へ捨てられているはずがない。


「倒木は?」


「町の周囲の森は領主のものだ。勝手に切れば捕まる」


「流木」


「川までは遠い」


「壊れた荷車」


「持ち主がいる」


 どれも使えない。


 材料がなければ、どれだけ小さく設計しても建てられない。


「レオ」


 声をかけられた。


 振り返ると、籠を背負った女性が立っていた。


 年齢は三十歳くらいだろうか。


 茶色い髪を布でまとめ、腕には小麦粉の跡がついている。


 身体に残った記憶が、彼女の名前を教えた。


 パン屋のセナ。


 以前のレオが、店先の商品へ手を伸ばし、何度も追い払われた相手だ。


「朝から町の真ん中で、何をしてるの」


「家を建てる話をしてる」


「家?」


「三日目の日没までに家を用意できなければ、翌朝壊される」


 セナの表情が曇った。


「聞いたよ。ドーレン商会の人が、赤い印をつけたって」


「材料を探してる」


「だからって、うちの薪を盗らないでおくれよ」


「盗らない」


 反射的に答えたが、信用されていないのは当然だった。


 セナの視線が俺の右手へ向く。


 昨日の傷に巻いた布が残っている。


「ガルドのところで働いてるのかい?」


「借りを返してる」


「盗んだ釘の?」


「知ってるのか」


「この辺じゃ、みんな知ってるよ」


 恥ずかしさで顔が熱くなる。


 俺のしたことではない。


 そう言い訳するのは簡単だった。


 だが、この町でレオとして生きるなら、過去から逃げることはできない。


「残り七本分」


「数えてるんだね」


「全部返す」


 セナはしばらく俺を見つめ、それから籠を背負い直した。


「木なら、広場にあるよ」


「広場?」


「昨日の雨で、露店の屋根が二つ壊れた。持ち主は板を持って帰ったけど、骨組みの一部は濡れて使えないって置いたままだ」


「もらえるのか?」


「勝手に持っていけば、また泥棒だよ」


 もっともだった。


「持ち主は誰?」


「魚売りのボルツと、布売りのマーヤ」


「頼んでみる」


「ただじゃくれないと思うけどね」


「働いて返す」


 俺が答えると、セナはわずかに笑った。


「そればっかりだね」


「今は、それしか持ってないから」


     ◇


 広場には、朝の雨でできた水たまりが残っていた。


 石造りの噴水を囲むように、何軒もの露店が並んでいる。


 その端に、折れた木材が積まれていた。


 柱に使うには細い。


 だが、屋根の垂木や壁の下地には使えそうだ。


「駄目だ」


 魚売りのボルツは、俺の話を聞くなり断った。


 太い腕を組み、露骨に嫌そうな顔をする。


「濡れて使えないんじゃないのか?」


「乾かせば薪になる」


「代わりに仕事をする」


「お前に任せる仕事なんぞねえ」


「昨日の雨で、店の下に水がたまってる」


 露店の足元を見る。


 広場の端にある排水溝が、泥と魚の鱗で詰まっている。


 水は行き場を失い、店の荷物置き場まで広がっていた。


「溝を掃除すれば、水が引く」


「そんなことは分かってる」


「なら、どうしてやらない?」


「店を開けながら、泥さらいまでできるか」


「俺がやる」


 ボルツが目を細める。


「木を盗んで逃げる気じゃねえだろうな」


「ガルドさんに預けてもらえばいい。仕事が終わってから受け取る」


 隣に立つガルドを見る。


「どうして俺が保証人になる」


「駄目か?」


「……勝手にしろ」


 ガルドは不機嫌そうに答えた。


 否定しないということは、引き受けてくれたらしい。


「排水溝を全部掃除したら、そこの木をくれるか?」


「全部だと?」


 広場の外周を回る溝は、かなり長い。


 泥が詰まっているのは、ボルツの店の前だけではなかった。


「ボルツさんの前だけ掃除しても、先が詰まってたら水は流れない」


「一人でやる気か?」


「やる」


 ボルツは笑った。


「日が暮れるぞ」


「それでもやる」


「好きにしろ。終わったら、その折れた骨組みは持っていけ」


「約束だぞ」


「俺に二言はねえ」


 俺は近くにあった木箱を借り、排水溝の蓋を外した。


 強い臭いが上がってくる。


 泥。


 腐った野菜。


 魚の内臓。


 布切れ。


 水と一緒に流されたごみが、何層にも重なっていた。


「素手で触るな」


 ガルドが工房から持ってきていた火ばさみのような道具を投げる。


「手の傷が腐るぞ」


「手伝ってくれるのか?」


「俺は見てるだけだ」


 道具は貸してくれた。


 溝からごみを取り出し、種類ごとに分ける。


 腐ったものは捨てる。


 布や縄は洗えば使えるかもしれない。


 木片は乾かせば燃料になる。


 一か所の詰まりを取り除くと、濁った水が少し動いた。


 だが、数歩先で止まる。


 そこも開ける。


 さらに先も。


 腰をかがめたまま、少しずつ進んでいく。


「何してるの?」


 途中で、ミラがやってきた。


「家の材料を稼いでる」


「泥を拾って?」


「この先に木がある」


 ボルツの店の横を指差す。


 ミラは折れた骨組みを見て、それから排水溝を見た。


「私もやる」


「エナさんは?」


「セナさんが見てくれてる」


 止めるより早く、ミラは蓋を持ち上げ始めた。


 二人で作業を進める。


 昼が近づくころには、手も服も泥だらけになっていた。


 腕が痛い。


 腰も重い。


 それでも、水が動き始めると、周囲の人々がこちらを見るようになった。


「こっちも詰まってるよ」


 布売りのマーヤが声をかけてくる。


「全部つながってるから、順番にやる」


「うちの前まで掃除してくれたら、破れた天幕をあげるよ」


「本当か?」


「どうせ商品には使えないからね」


 壁の代わりになる。


 完全に雨を防ぐことはできなくても、板の内側へ張れば風を弱められる。


「やる」


「こっちの古い籠も持っていけ!」


「割れた樽の板ならあるぞ!」


 いつの間にか、周囲から声が飛ぶようになっていた。


 すべてが建材として使えるわけではない。


 それでも、何もない状態から比べれば大きな前進だ。


「レオ」


 ミラが、泥の中から何かを拾い上げた。


 短い鉄の棒。


 いや、頭が潰れているが、釘だった。


「曲がってる」


「持って帰ろう」


「使えるの?」


「直せば使える」


 昨日、ガルドに教わったばかりだ。


 たった一本。


 それでも、この世界では黒パン一つの価値がある。


 捨てられていたものを、もう一度使えるようにする。


 家造りも同じなのかもしれない。


 壊れたからといって、すべてを諦める必要はない。


 使える部分を見つけ、足りないものを補い、新しい形へ組み直せばいい。


     ◇


 排水溝の最後の詰まりを外した瞬間、大量の水が音を立てて流れ始めた。


 広場にたまっていた水が、ゆっくりと減っていく。


「流れた!」


 ミラが歓声を上げる。


 店の前に立っていたボルツが、足元を見下ろした。


「本当に全部やりやがった」


「木は?」


「分かってるよ」


 折れた骨組みを持ち上げ、こちらへ渡す。


「好きに使え」


「ありがとう」


「礼を言う前に、魚臭い身体を何とかしろ。客が逃げる」


 近くの商人たちが笑った。


 以前のレオなら、その笑いを馬鹿にされたと受け取ったかもしれない。


 今は違う。


 少なくとも、追い払われてはいない。


 布売りのマーヤから破れた天幕を受け取り、別の店から樽板と縄をもらう。


 材料は十分ではない。


 柱となる太い木が、あと二本必要だ。


 炉を作る石と粘土も集めなければならない。


 時間も、すでに半日近く失った。


 それでも、家の形が少しずつ見えてきた。


「戻るぞ」


 ガルドが骨組みの一部を担いだ。


「持ってくれるのか?」


「お前とミラだけじゃ、日が暮れても運び終わらん」


「手伝わないんじゃなかったのか?」


「これは工房へ持って帰るだけだ。使える材か確かめる」


「家を建てるのは?」


「まだやるとは言ってない」


 ガルドはそう言いながら、最も重い木材を選んでいた。


     ◇


 夕方。


 俺たちは材料を、赤い印のついた土地へ並べた。


 再利用できる梁が二本。


 露店の骨組みだった細い木材が七本。


 樽板が十二枚。


 破れた天幕。


 古い縄。


 曲がった釘が一本。


 平たい石がいくつか。


 少ない。


 だが、昨日まではなかったものだ。


 俺は縄を一本取り出した。


「何をするの?」


 ミラが尋ねる。


「家の大きさを決める」


 残った石壁から距離を取り、地面へ四本の杭を打つ。


 杭の間へ縄を張り、小さな長方形を作った。


 三人が並んで眠れる幅。


 入口近くに炉を置ける長さ。


 大人が両手を広げれば、壁に触れそうなほど狭い。


「これだけ?」


 ミラが不安そうに言う。


「最初は、これだけだ」


「前の家より、ずっと小さい」


「でも、三日で作れるかもしれない」


 縄で囲まれた中へ入り、ミラの隣に立つ。


「ここがおばあちゃんの寝る場所」


 奥を指す。


「その隣がミラ。俺は入口の近くで寝る」


「レオも住むの?」


「嫌なのか?」


「別に」


 ミラは足元の縄を見る。


「狭いけど」


「次は、こっちに部屋を足す」


 長方形の隣を指でなぞる。


「おばあちゃんが昼間に過ごす場所。その次は、食事をする場所。必要になったら、少しずつ増やしていく」


「家が大きくなるの?」


「ああ」


「木みたいに?」


「木ほど勝手には育たないけどな」


 ミラが初めて楽しそうに笑った。


 ガルドは少し離れた場所で、腕を組んで縄を見ている。


「小さすぎる」


「でも、条件は満たせる」


「柱が足りん」


「二本は、壊れた家から使える」


「残り二本はどうする」


「明日探す」


「屋根板も足りん」


「樽板と天幕を使う」


「三日目に雨が降れば終わりだ」


「樹皮を重ねる」


「乾いた樹皮が、どこにある」


 答えに詰まる。


 まだ足りない。


 設計図の上では成立しても、現物がなければ建物にはならない。


「それに」


 ガルドが、地面に張った縄の角を指す。


「四角が狂ってる」


「目で見た限りでは――」


「目で決めるな」


 工房から持ってきた一本の縄を取り出す。


 縄には、等間隔で結び目がついていた。


「三つ、四つ、五つに分ける」


 三つ分の辺と四つ分の辺を、家の角へ合わせる。


 残った五つ分の縄を斜めに張ると、三角形ができた。


「この形になれば、角は真っすぐだ」


 3:4:5。


 直角三角形。


 三平方の定理。


 前世では当たり前に知っていた方法だ。


 だが、ガルドは数式ではなく、結び目のついた縄として使っている。


「この世界にもあるんだな」


「何がだ」


「いや、何でもない」


 縄の位置を直す。


 四つの角を確認し、対角線の長さも比べる。


 ようやく、家の輪郭が正しく地面へ描かれた。


「家は、木を切る前から始まってるんだな」


 俺が呟くと、ガルドが鼻を鳴らした。


「地面に正しく線も引けん奴が、上だけ真っすぐ建てられるか」


 もっともだった。


 俺は縄で囲まれた小さな土地を見る。


 まだ柱は一本もない。


 屋根も壁もない。


 それでも、昨日までの空き地とは違って見えた。


 ここに家が建つ。


 頭の中だけにあった形が、初めて現実の地面へ移されたのだ。


「ガルドさん」


「何だ」


「安全な家を作れたら、印を押してくれる?」


 男はすぐには答えなかった。


 赤い印のついた古い石壁。


 地面に張られた新しい縄。


 集められた廃材。


 そして、俺とミラを順番に見る。


「俺が安全だと判断できたらな」


 それは、初めての肯定だった。


「ただし、一つでも危険な箇所があれば、そこは壊してやり直しだ。印も押さねえ」


「分かった」


「屋根から雨が漏れるようでも駄目だ」


「ああ」


「炉の煙が室内へ戻るようでも駄目だ」


「そうならないようにする」


「三日目の日没までに完成しなければ、俺は印を押さん」


「必ず間に合わせる」


「調子に乗るな」


 ガルドはそう言ったが、帰ろうとはしなかった。


 代わりに、地面へ置かれた二本の梁を調べ始める。


「この一本は柱に使える。もう一本は内部が腐ってる」


「表面は硬いけど」


「根元を見ろ」


 木材を裏返す。


 切り口の中央に、小さな空洞があった。


 細い棒を差し込むと、奥まで簡単に入ってしまう。


「これを柱に使えば、屋根を載せたときに折れる」


 使えると思っていた柱が一本、失われた。


 必要な柱は四本。


 手元にあるのは一本だけ。


 残り三本。


 期限まで、あと二日と少し。


「明日は日の出前に、寝床の前で待ってろ」


 ガルドが立ち上がる。


「どこかへ行くのか?」


「森の手前に、去年の嵐で倒れた木がある。領主の管理人に許可を取れれば、柱に使えるかもしれん」


「一緒に来てくれるのか?」


「木を見に行くだけだ」


 ガルドは背を向けた。


「家を建てるとは、まだ言ってねえ」


 その言葉を聞きながら、俺は地面の輪郭を見つめた。


 家は、小さく始めればいい。


 信用も同じだ。


 昨日まで、俺には何もなかった。


 けれど今は、一本の縄が地面に張られている。


 もらった廃材がある。


 わずかでも、俺を信じ始めてくれた人がいる。


 家の形は、まだ線にすぎない。


 それでも、線を一本ずつ正しく重ねていけば、いつか人を守る壁になる。


 残された時間は、あと二日。


 明日、柱にできる木を探す。

お読みいただきありがとうございます。


次回、家の骨組みに使う木材を求めて、レオたちは森へ向かいます。

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