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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第二部 町をつなぐ

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35/45

第三十五話 空白には、先に値段がつく

 伝令のレム・ハースが再び話せるようになったのは、石灰窯から助け出して三日後だった。


 治療所の窓は、半分だけ開けられている。


 風が直接寝台へ当たらないよう、薄い布が窓枠から斜めに張られていた。


「これ、誰がやったの?」


 ミラが尋ねた。


「治療師さん」


 俺は答える。


「風を入れたいけど、身体は冷やしたくないから」


「レオがやったんじゃないんだ」


「何でも俺がやるわけじゃない」


「ちょっと残念そう」


「勉強にはなった」


「やっぱり」


 レムの寝台のそばには、治療師が立っていた。


 話を聞く者は、六人に絞られている。


 イルザ。


 ハーレン。


 リゼ。


 ヴァルク。


 帰り火からはサラ。


 そして、記録板を持つ俺とミラ。


「話せる時間は、砂がここまで落ちる間だけです」


 治療師が小さな砂時計を示した。


「止めるのは、私が決めます」


「本人が話せると言っても?」


 イルザが尋ねる。


「私が止めます」


 迷いのない声だった。


「分かりました」


 監査役であるイルザも従う。


 誰が責任を持って止めるのか。


 それが先に決められていた。


     ◇


 レムは寝台の上で、身体を少し起こしていた。


 右足は布と板で固定されている。


 顔色はまだ悪い。


 だが、石灰窯で見つけたときより、目には力が戻っている。


「名前と仕事を確認します」


 リゼが言った。


「レム・ハース。ドーレン商会の伝令です」


「ヴァルクさんの報告書を受け取ったのは、いつですか」


「火事の翌朝……朝鐘の一つ前」


「内容を読みましたか」


「読みません。封がしてありました」


「封の印は?」


「ヴァルク管理官の印と、緊急報告の封印」


 ヴァルクが頷く。


「私が渡したものです」


「どの道を使いましたか」


「本部への南道です。ただ……西門の外で、止められました」


「誰に?」


「ドーレン商会の臨時便だと名乗る男です」


「馬車には商会の印が?」


「あった」


「本物に見えましたか」


「俺が使う伝令馬車と、同じ形だった」


「御者を知っていましたか」


「知らない顔でした」


「それでも近づいた?」


 レムが唇を噛む。


「臨時の人間は、珍しくありません」


「何と言われましたか」


「本部へ向かう道で、橋が傷んだ。報告物をまとめて別の道へ運ぶ、と」


「橋が傷んだ話は?」


 ハーレンがリゼを見る。


「その日の道路記録にはありません」


「レムさんは確認しなかった?」


 ミラが尋ねる。


「商会の印があった」


 レムの声に、悔しさが混じる。


「緊急便の札も」


「札も偽物?」


「本物だと思った」


「思っただけ?」


 ミラの問いに、レムが目を伏せる。


「そうだ」


 正式な印。


 正式な札。


 見慣れた馬車。


 そこまでそろえば、疑わない。


 ヴァルクが、抜かれた契約書を信じたときと同じだった。


     ◇


「報告書を渡したのですか」


 イルザが尋ねる。


「渡してはいない」


「では、どうやって奪われた?」


「馬車の中で、受取簿へ記録すると言われた」


「乗った?」


「入口に立っただけだ」


「そのあと?」


「後ろから、口を塞がれた」


 レムの呼吸が少し速くなる。


 治療師が砂時計を見る。


「急がせないでください」


 イルザが一度、質問を止める。


「水を」


 レムが少量の水を口へ含む。


「気づいたときは?」


「暗い場所だった」


「地下共同蔵?」


「たぶん」


「一人でしたか」


「最初は」


「途中から誰か来た?」


「二人」


 部屋の空気が変わった。


「顔は?」


「目を布で覆われていた」


「声は?」


「男が二人。片方は若くない」


「何を話していましたか」


 レムは目を閉じ、思い出そうとする。


「火が……大きすぎた、と」


 ミラの手が、記録板の上で止まる。


「誰が言った?」


「低い声の方」


「もう一人は?」


「見つかったから、意味があると言った」


 見せるための火。


 木場を焼き尽くすのではなく。


 帰り火の住人が放火したと、思わせるための火。


「ほかには?」


「木場も仮宿も止まればいい、と」


「仮宿と言ったのですか」


 イルザが身を乗り出す。


「帰り火ではなく?」


「仮宿と言った」


 西外仮宿。


 四十一年前の名前を知っている者。


「西の道が告げられる前に、空ける……とも」


「西の道?」


 ハーレンとリゼが顔を見合わせる。


「それ以上は?」


「分からない」


「男たちは、互いを名前で呼びましたか」


「一度だけ……片方が、もう片方を」


 レムが眉を寄せる。


「先生、と」


「先生?」


「そう聞こえた」


「名前は?」


「聞いてない」


     ◇


 砂が半分ほど落ちている。


「レムさん」


 俺は尋ねた。


「地下に、パンと水があった?」


「あった」


「置いた人は?」


「二人のうち、若い声の方」


「助けようとしてた?」


「違う」


 レムが首をわずかに振る。


「死なない程度に置いた」


「何のため?」


「分からない」


「すぐ殺さなかった理由は?」


 サラが口を開く。


「聞きたいことがあったんじゃないか」


「何を聞かれた?」


「ヴァルク管理官が、本部へほかの報告を出したか」


 ヴァルクの顔が強張る。


「ほかの報告?」


「契約書の抜けた頁について……誰へ知らせたか」


「私は、イルザ監査役へ直接照会を出しました」


「いつ?」


「火事の前です」


「どの便で?」


「通常便です」


「届いています」


 イルザが答えた。


「その照会があったため、監査部は原本を持ってきました」


 誰かは、ヴァルクが契約の不備へ気づいたことを知った。


 そして、どこまで本部へ伝わっているかを確認しようとした。


「レムさんは知ってた?」


 ミラが尋ねる。


「知らなかった」


「だから、答えられなかった」


「ああ」


「それで、通路に置かれた?」


「二日目に……外で何かあった」


「何が?」


「地下にいた男が、急に戻ってきた」


「一人?」


「低い声の方だけ」


「様子は?」


「息が荒かった。誰かに見られた、と」


 ゲイルが石灰窯へ呼び出された時間。


「その男が、ゲイルさんを襲った?」


「分からない」


「靴の音は?」


 レムが、俺を見る。


「底が硬かった。歩くたび、踵で短い音がした」


 踵に細い横線の入った町売りの靴。


「その人は、通路の出口から出た?」


「たぶん」


「戻ってきた?」


「戻らなかった」


「もう一人は?」


「夜になって来た」


「何をした?」


「俺を奥へ動かした」


「なぜ?」


「入口が見つかるかもしれない、と」


 共同蔵側。


 木場の長材の下から、境界標と入口が見つかる可能性を知っていた。


「その途中で、石が落ちた?」


「手を縛られたまま歩かされて……転んだ」


 レムが自分の右足を見る。


「壁へ肩が当たった。石が落ちた」


「相手は助けなかった?」


「逃げた」


「どちらへ?」


「共同蔵の方」


 箱に残された青い布。


 パン。


 商会伝令の鞄の金具。


 相手は、慌てて荷物を置いたまま逃げたのかもしれない。


     ◇


「最後に一つ」


 イルザが言った。


「男たちから、特徴的なにおいはしましたか」


「におい?」


「仕事によって、服へ残るものがあります」


 油。


 染料。


 石灰。


 木屑。


 馬。


「低い声の男は……甘いような、焦げたような」


「樹脂?」


 ネッサが尋ねる。


「分からない。もう一人は、紙と革」


「紙と革?」


「書庫や帳場に長くいる者は、似たにおいがつくことがあります」


 イルザが言う。


「それだけでは絞れません」


 治療師が砂時計を横へ倒した。


「ここまでです」


「まだ」


 レムが言う。


「続きは、明日以降」


「伝えないと」


「生きていなければ、続きを伝えられません」


 治療師の言葉に、レムは抵抗をやめた。


     ◇


 治療所の外へ出る。


 リゼは、ずっと黙っていた。


「西の道って、何?」


 ミラが尋ねる。


「役場へ戻ります」


「知ってるの?」


「名前だけ」


「何で今まで言わなかった」


 ベルンが、待っていたように声を上げた。


 治療所の外には、帰り火の住人が数人集まっている。


「町の西側へ、新しい荷道を通す構想があります」


「構想?」


「決定していません」


「いつから?」


「最初の調査は、昨年です」


「帰り火ができる前?」


「正式な居住区になる前です」


「人は住んでた」


 ベルンの声が低くなる。


「小屋もあった」


「調査図では、未利用地と」


「未利用?」


 ベルンが一歩、前へ出た。


「誰も使ってない土地って書いたのか」


「私は、その調査を担当していません」


「役場の紙だろ!」


「ベルン」


 サラが止める。


「放せ」


「ここでリゼを怒鳴って、道が消えるのか」


「道に家を取られたことがない奴は黙ってろ!」


 周囲が静かになる。


 ベルンが、自分から過去を口にしたのは初めてだった。


     ◇


「俺の前の家は」


 ベルンが拳を握ったまま言う。


「北門の外にあった」


 町の荷運びをしていた頃。


 妻と二人で、小さな借家に住んでいた。


「新しい道を通すって言われた」


「立ち退いたの?」


 ミラが尋ねる。


「役場の印がある紙を持ってきた」


「お金は?」


「少し出た」


「新しい家を借りられた?」


「三月分だけだ」


 道ができれば、荷運びの仕事も増える。


 そう説明された。


 ベルンは反対しなかった。


「道はできた?」


 カイが尋ねる。


「できなかった」


 計画は途中で変わった。


 別の場所へ道が通った。


 ベルンたちが退いた土地には、しばらく何も作られなかった。


「二年後、商人の荷置き場になった」


「家を壊す必要、なかった?」


「今になればな」


 妻は、狭く湿った部屋へ移ったあと、病気になった。


 その病気が家のせいだったかは分からない。


 だがベルンは、道の話を信じて家を出たことを、ずっと悔やんでいた。


「道を作るって言えば、何でもどかせるのか」


「違う」


 リゼが答える。


「なら、今度は止めろ」


「調べます」


「またそれか!」


「計画図を確認しなければ、どこを通るか説明できません」


「紙を見るまで、人がいるか分からないのか」


 リゼの顔が歪む。


「違います」


「同じだ」


「だから、今度は」


 声が止まる。


 簡単な約束はできない。


「今度は、住んでいる人を図面の外へ置いたまま進めません」


 リゼが言った。


「私の権限だけでは止められません。でも、計画の記録を出させます」


「今日中に?」


「今日中に、保管場所と閲覧権限を確認します」


「また期限を書け」


「書きます」


     ◇


 役場の計画記録室は、普段使っている道路管理の部屋より奥にあった。


 窓が少ない。


 湿気を避けるため、棚は床から浮かせてある。


 図面は丸めず、木の板に挟まれた状態で保管されていた。


「こういう部屋、好きそう」


 ミラが俺へ言う。


「今は図面を見る」


「否定しないんだ」


 リゼは、保管係へ閲覧札を見せる。


「西外荷道構想。初期比較図と測量記録」


 保管係の手が止まった。


「公開前です」


「道路管理監督ハーレンの照会。商会監査部の立会いがあります」


「住人も?」


「関係土地の使用者代表です」


「正式な所有者では」


「使用者です」


 リゼが言い直す。


「その人々の土地を通る可能性があります」


 保管係は納得していない顔をしたが、棚の鍵を開けた。


     ◇


 出てきたのは、三枚の大きな地図だった。


 町の西側。


 西門。


 古い石灰窯。


 木場。


 帰り火。


 その先の丘陵地。


「道はどこ?」


 カイが尋ねる。


 リゼが、赤い線を指す。


 西門から。


 帰り火と木場の間を通り。


 さらに西へ伸びている。


「家の上に線がある」


 ルナが言った。


 細い一本の赤線。


 だが、実際の道幅は線の何倍もある。


「この線だけじゃない」


 俺は地図の縮尺を確認する。


「荷車がすれ違う幅と、脇の溝が必要」


「どれくらい?」


 ミラが尋ねる。


 紙の端に、標準断面が描かれている。


 中央に車道。


 両側に路肩。


 排水溝。


 ところどころに荷待ちの広がり。


「帰り火の道より、ずっと広い」


「家、何軒なくなる?」


 カイが尋ねる。


 線だけでは分からない。


 現在の共同地図と重ねる必要がある。


「少なくとも、サラさんの仮作業場。共同炊事場。木場の南半分」


「家は?」


「道だけなら避けてる」


 俺は答える。


「でも、工事中に使う場所が必要」


 土を置く。


 石を置く。


 荷車を回す。


 仮の水路を作る。


 完成した線の内側だけで工事ができるわけではない。


「図面には、工事用地がない」


 ハーレンが眉を寄せる。


「初期構想だからでしょう」


 リゼが言う。


「初期でも、家があるなら書く」


「調査時には、正式な居住区ではありませんでした」


「正式じゃなければ、家は消えるのか」


 ベルンが低く言った。


     ◇


 三つの案があった。


 南案。


 中央案。


 北案。


 南案は、湿地を横切る。


 橋と盛土が必要。


 中央案は、帰り火と木場を通る。


 北案は、丘を切り開く。


「中央案が一番安い」


 ミラが、金額の欄を指す。


「読めるの?」


「数字は分かる」


 中央案は、南案のおよそ半分。


 北案よりもかなり安い。


「なぜ?」


 カイが尋ねる。


「地面が平らだから」


 帰り火の土地は、昔から仮宿に使われた。


 家を建てやすい。


 水を逃がしやすい。


 町から遠すぎない。


 多くの人が住む場所として選ばれた土地は。


 荷道を作るにも都合がよかった。


「平らだから、家を建てた」


 ミラが言う。


「平らだから、道も通したい」


「ああ」


「どっちが先?」


「昔の家」


「じゃあ、家を避けるべきじゃない?」


「普通は、今あるものを調べる」


 道を通す必要。


 避ける場合の費用。


 移る人の暮らし。


 安全。


 土地の権利。


 全部を比べる。


「でも、この図には」


 帰り火の位置に、薄い文字がある。


 リゼが読む。


「西側未利用地」


「未利用じゃない」


 カイが言った。


「今だけじゃなく、昔も」


 西外仮宿。


 四十一年前から、誰かが暮らした土地。


「境界標の記録が消えていたから」


 俺は呟く。


「道の計画では、空き地に見えた」


「誰かが、そう見えるようにした?」


 ミラが尋ねる。


「五年前に石を埋めたことと、去年の道路計画がつながってるかは分からない」


「でも、契約書の一枚も抜かれた」


「誰かが利用した可能性はある」


     ◇


「道は、どこへ続くのですか」


 イルザが尋ねた。


 リゼが地図の西端を指す。


「西の丘陵を越え、新しい採石場候補地と、川沿いの荷揚げ場を結ぶ構想です」


「採石場は、もう使ってる?」


 ドムが尋ねる。


「試掘段階です」


「石の質は?」


「建築用に適すると報告されています」


「大きな石が取れるなら、町は広がる」


 ドムが図面を見る。


 石材。


 木材。


 川から運ばれる穀物。


 西道が完成すれば、町の西側に倉庫や工房が集まる。


「この土地の値段が上がる」


 ヴァルクが言った。


「道が決まる前に借りれば、安い」


「それが、地下の紙にあった金額?」


 ミラが尋ねる。


 イルザが、共同蔵で見つかった試算表を広げる。


 地図に書かれた面積。


 土地利用料。


 ほぼ同じだった。


「一致します」


「誰かは、公開前の道を知ってた」


 サラが言う。


「そして、先に土地を空けようとした」


 ベルンが続ける。


「帰り火と木場を争わせて」


 まだ証明ではない。


 だが、理由が見え始めた。


     ◇


「この計画を知る者は?」


 イルザが尋ねる。


「町議会の一部。道路計画担当。測量担当。採石場の調査者」


「商会は?」


「資材運送の候補として、複数の商会へ概略だけ説明されています」


「ドーレン商会にも?」


 ヴァルクが首を振る。


「私は聞いていません」


「本部の地域事業部には伝わっている可能性があります」


 イルザが答えた。


「この図を作った測量者は?」


 リゼが右下の欄を見る。


 小さな署名。


 丸い方位印の一部が欠けたような記号。


「主測量者、オルセ・バラン」


 室内が静かになる。


 五年前。


 木場の設置時に、ゲイルへ境界標を削らせた測量役。


 三年前にドーレン商会を辞め。


 土地仲介業を始めた男。


「同じ人?」


 カイが尋ねる。


「名前だけなら同じです」


 リゼが答える。


「署名も照合します」


 イルザは、木場設置時の測量図を取り出した。


 二つの署名。


 欠けた方位印。


 文字の傾き。


「一致します」


 今度は、イルザも可能性とは言わなかった。


     ◇


「オルセが全部やった?」


 ミラが尋ねる。


「まだ決められない」


 俺は答えた。


「境界標を埋める指示をした」


「それはゲイルさんの証言」


「道の測量もした」


「図面に名前がある」


「土地の値段が上がることも知ってた」


「測量者なら知るかもしれない」


「地下道も?」


「五年前に木場を測ったなら、見つけた可能性がある」


「商会の印は?」


「元商会員なら、印の扱いを知っていたかもしれない」


「全部つながる」


「つながるように見える」


 ミラが不満そうに眉を寄せる。


「また決めないの?」


「オルセさん一人で、偽の封印や馬車まで用意できたか分からない」


「仲間がいる?」


「レムさんは二人の声を聞いた」


「先生って呼ばれた方が、オルセ?」


「それも分からない」


 疑う理由は増えた。


 だが、疑う理由が多いことと、犯人であることは同じではない。


「まず、どこにいるか調べる」


 ハーレンが言った。


「逃げる前に?」


「公開前の道路情報を不正に使った疑いで、役場から出頭を求めます」


「来ると思う?」


 ベルンが言う。


「来なければ、そのことも記録する」


     ◇


 俺は中央案の図面をもう一度見る。


「この道、危ないかもしれない」


「何が?」


 リゼが尋ねる。


「地下共同蔵と排水路」


 計画線は、その上を通っている。


「地面の下が空いてる」


「通路は小さい」


「大きな荷車が繰り返し通れば、上の土が沈む可能性がある」


 木場の長材の下。


 土が柔らかかった。


 古い石組み。


 途中で崩れた通路。


「調査図には地下構造が載っていません」


 ハーレンが言う。


「知らなかった?」


「あるいは、載せなかった」


 ベルンが吐き捨てる。


「どちらにせよ、このままでは道路案に使えません」


 リゼは中央案へ△をつけた。


「地盤再調査が必要です」


「道が止まる?」


「調査が終わるまでは、中央案を進めるべきではありません」


「べき、じゃなくて」


 サラが言う。


「止めるって書いて」


 リゼが息を吸う。


 そして、記録板へ書いた。


 ――西外荷道中央案。地下構造および現在の居住状況を確認するまで、計画手続きを停止。


「あなたが止められる?」


 俺が尋ねる。


「道路管理部署の調査手続きは止められます」


「町議会が進めろと言ったら?」


「この記録を提出します」


「無視されたら?」


「住人側にも同じ記録を渡します」


 商会。


 役場。


 帰り火。


 また三つ残す。


     ◇


 帰り火へ戻ると、住人たちが共同地図の前へ集まった。


 新しい道路計画を説明する。


 赤い線。


 道幅。


 排水溝。


 工事用地。


 荷待ち場。


 単なる一本の線ではない。


「じゃあ、家は壊されるの?」


 ルナが尋ねる。


「まだ決まってない」


「壊されない?」


「それも、まだ約束できない」


 ルナの顔が曇る。


 分からないという言葉は、正直だ。


 けれど、子どもの不安を消してはくれない。


「でも」


 俺は地面へ共同地図を広げる。


「今度は、家がないことにはさせない」


「紙に描く?」


「ああ」


「ルナの家も?」


「ルナの寝る場所も」


「寝る場所まで?」


「道の線が、どこを通るか分かるように」


     ◇


 帰り火の地図へ、家だけではなく、暮らしを描くことになった。


 サラが布を縫う仮作業場。


 セナのパンを受け取る場所。


 子どもが水を運ぶ道。


 ルナが遊ぶ土の広場。


 エナが昼に座る壁際。


 木場で働くオーデンが、朝に通る門。


 火事のときに集まる点呼場所。


 洗濯物を干す縄。


 冬に薪を積む場所。


「こんなのも道の計画にいる?」


 オーデンが尋ねる。


「道路を通したあと、暮らせるか考えるため」


「道を避ければいいだけじゃない?」


「道が家に当たらなくても、仕事場がなくなったら困る」


 サラが答える。


「水場まで荷車を横切ることになっても困る」


 ミラが言う。


「子どもが遊ぶ場所に荷車が入っても」


 カイが続ける。


「木場の入口が塞がれたら、俺も困る」


 オーデンが地図へ、自分の印を置く。


 車輪。


 以前は、木場を残すための意見として使った印。


 今度は、自分が毎朝どこを通っているかを示す。


     ◇


 ベルンは、しばらく地図へ近づかなかった。


「前の家も、こんなふうに描いてたら残った?」


 俺には答えられない。


「分からない」


「またか」


「でも、家だけじゃなく、そこで暮らしてたことが残る」


「残ったから何だ」


「道を通す人が、何を消すのか分かる」


「分かってても消すかもしれない」


「ああ」


「なら意味がない」


「消したことを、なかったことにはできない」


 ベルンの前の家は。


 道のために必要だったと説明された。


 だが道はできず、土地は別の用途へ変わった。


 記録に残っていたのは、立ち退きが完了したという事実だけだった。


 そこで誰が暮らしていたか。


 何を失ったか。


 その後どうなったか。


 残っていない。


「俺は、家の形を描けない」


 ベルンが言った。


「印でいい」


「俺の印は、担ぎ棒だ」


「家の場所へ置く」


 ベルンは、地図の端へ小さな担ぎ棒を置いた。


 今の住まい。


 その横へ、もう一つ置く。


「こっちは?」


 ミラが尋ねる。


「前の家だ」


「今の地図にはないよ」


「町の北だ」


「別の紙に描こう」


 帰り火だけではなく。


 失われた場所の地図。


 ベルンが住んでいた家。


 エナが暮らした西外仮宿。


 消されたからこそ、今の土地へつながっている場所。


     ◇


「道路を止めたいだけの地図にするな」


 ガルドが言った。


「どういう意味?」


「道が必要な理由も書け」


「帰り火を壊すかもしれないのに?」


 カイが反発する。


「石を運ぶ道ができれば、家も建つ」


「でも」


「道を悪者にしたら、また正しい側を一つにするだけだ」


 ガルドは赤い線を見る。


「問題は、道を作ることじゃない。人がいないことにして、安く通そうとしたことだ」


 採石場から石が運べる。


 町の建物を直しやすくなる。


 仕事が増える。


 荷車が住宅街へ入らずに済む可能性もある。


「じゃあ、道を作る?」


 ミラが尋ねる。


「どこへ、どう作るかだ」


 中央案。


 南案。


 北案。


 別の道も考えられるかもしれない。


「レオなら、新しい案を作れる?」


 カイが尋ねる。


 図面。


 高低差。


 湿地。


 丘。


 家。


 地下通路。


「今は作れない」


「何で?」


「測った場所が少なすぎる」


「前の世界の知識で」


「知識があっても、地面の高さは分からない」


 現代の道を知っているからといって。


 この土地に線を引けるわけではない。


「それに」


 俺は地図へ置かれた人々の印を見る。


「どこを通ってほしくないかだけじゃなく、どんな道なら使いたいかも聞かないと」


     ◇


 夜になるまでに。


 帰り火の暮らしの地図には、多くの印が増えた。


 家だけを描いた地図より、見づらい。


 水。


 火。


 仕事。


 遊び。


 見張り。


 休む場所。


 人が通る道。


「ごちゃごちゃしてる」


 ルナが言った。


「暮らしてるからな」


 カイが答える。


 役場の計画図では。


 帰り火は、西側未利用地と書かれていた。


 何もない場所。


 誰も使っていない土地。


 だから、道を通す費用が安い。


 立ち退かせる人も少ない。


 補償も小さい。


 土地を借りる値段も低い。


 空白には。


 誰かが名前を書く前に、値段がつけられる。


 けれど。


 本当に、何もなかったわけではない。


 書いた者が見なかっただけだ。


 あるいは。


 見えないよう、境界標と契約書を消した者がいた。


 俺は、役場の道路計画図の写しを、帰り火の地図の隣へ置いた。


 一方には、赤い一本の線。


 もう一方には、人の印が重なっている。


 同じ土地。


 同じ広さ。


 けれど、まるで違って見える。


 道を作る人は。


 赤い線だけを見てはいけない。


 家を守りたい人も。


 赤い線の先にある町を、見ないふりはできない。


 どちらかを消して、簡単な図面にはしない。


 線を引く前に。


 そこに何があるのかを書く。


 四十一年前。


 西外仮宿の名前は、記録から消された。


 五年前。


 境界標の印は削られた。


 昨年。


 その土地は、未利用地と書かれた。


 そして今。


 公開される前の道を知る者が。


 空白へ先に値段をつけようとしている。


 地図の右下。


 西外荷道の測量者欄には。


 オルセ・バランの名前が残っていた。


 消されずに。


 正式な文字で。

お読みいただきありがとうございます。


救出されたレムの証言から、放火が帰り火と木場の双方を止めるために計画されていた可能性が高まりました。


さらに、帰り火を横切る未公開の「西外荷道構想」が発見されます。その測量を担当していたのは、五年前に西外仮宿の境界標を埋めるよう指示した元商会測量役、オルセ・バランでした。


次回はオルセへの出頭要請と並行して、帰り火の住人たちが道路計画へ提出する「暮らしの地図」を完成させます。しかし、オルセの事務所を訪れた者たちは、彼がすでに町を離れたという知らせを受けることになります。


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