第三十四話 出口は、逃げるためだけにない
古い石灰窯は、町の西にある低い丘の裏へ残されていた。
町の鐘は聞こえるが、丘が視界を遮り、道から窯口は見えない。人を隠すには近く、助けを呼ぶには遠い場所だった。
煉瓦を積んだ円筒形の窯。
上半分は崩れ、黒ずんだ壁へ草の根が入り込んでいる。
かつては白い煙を吐いていたはずだが、今は鳥の巣と蔓草しか見えない。
「ゲイルさんが倒れていたのは、あそこです」
ハーレンが斜面の途中を示した。
土が露出し、折れた枝の残る場所。
捜索の際につけた白い杭が二本、斜面へ立っている。
「窯へ向かう道から外れてる」
ミラが言った。
「足を滑らせたなら、この辺りから落ちた?」
カイが斜面の上を指す。
「その可能性が高い」
ハーレンが答えた。
「ただし、昨日の捜索では、上に二種類の足跡がありました」
「ゲイルさんと、もう一人」
「そうです」
片方は、木場で使われる厚い作業靴。
もう片方は、踵に細い横線が入った町売りの靴。
特別な靴ではない。
同じ型を履いている者は、町の中に何人もいる。
「足跡は、どこから来てたの?」
ミラが尋ねた。
ハーレンが斜面の上へ案内する。
「ここで途切れています」
「途切れる?」
土の柔らかい場所には、ゲイルの靴跡が続いていた。
窯へ向かう道から斜面の上へ。
だが、もう一人の足跡は違う。
道から来た跡がない。
斜面の中ほどに、突然現れている。
「飛んできた?」
カイが言った。
「空から降りたなら、もっと深い跡が残る」
俺はしゃがんだ。
踵の横線。
つま先。
右足。
左足。
二歩目からは斜面を上がっている。
「ここから出てきた?」
ミラが周囲を見る。
草。
低木。
崩れた石。
人が隠れられる穴は見えない。
「足跡が消えたんじゃない」
俺は言った。
「ここから始まってる」
◇
地下共同蔵から延びていた古い排水路。
床は石灰窯のある西側へ下っていた。
水は、高い方から低い方へ流れる。
なら、出口は共同蔵より低い場所にある。
「でも、四十一年前から地面は変わってる」
ドムが言った。
「土が積もり、斜面も崩れてる。昔と同じ高さに口があるとは限らん」
「排水路なのに、出口が埋まってたら水がたまる」
カイが言う。
「途中で壊れ、別の場所へ抜けているかもしれん」
「地面の下に水が逃げてる?」
「石の隙間へな」
見える穴だけを探しても見つからない。
俺たちは斜面を、上からではなく下から見ることにした。
水が通っていた痕跡。
石積みの切れ目。
土の色。
生えている草。
「草で分かるの?」
ミラが尋ねる。
「湿ってる場所は、種類が変わることがある」
「水が出てなくても?」
「地面の下に水があれば」
ネッサが先へ歩く。
長い草を手で分け、葉の色と根元を確かめる。
「こちらは乾いています」
窯の南側。
低い草と硬い土。
「北側は苔が多い」
窯の裏へ回ると、崩れた石壁の根元へ濃い緑色の苔が広がっていた。
「出口?」
「苔だけでは分かりません」
ネッサは即座に否定した。
「窯の影で、日が当たりにくいだけかもしれません」
印が一つあっても、答えにはならない。
◇
壁の前に、細い糸を垂らす。
ミラが糸の先へ小さな羽毛を結んだ。
「動かない」
「少し右」
崩れた石の隙間を一つずつ確かめる。
風が通っていれば、羽毛が揺れる。
「火を近づけた方が早くない?」
ロイが言った。
「中に何がたまってるか分からない」
俺は答えた。
「燃えるものがなくても、古い空気で火が消えることがあります」
ドムが付け足す。
「人が入れば、同じように息ができなくなる」
「じゃあ、糸だけ?」
「先に安全な方法から」
火を使えば早いかもしれない。
だが、早く分かることと、安全に分かることは同じではない。
◇
壁の北端。
羽毛が、わずかに揺れた。
「今、動いた」
ミラが息を止める。
風ではないかと、全員が離れる。
もう一度。
羽毛が壁の方へ引かれた。
「中へ空気が吸われてる?」
「共同蔵側の蓋を開けたままにしているから、通り道ができている可能性があります」
リゼが言った。
「ここが出口?」
「入口として使われていれば、どちらとも呼べます」
表面は、石と土で塞がれている。
だが、よく見ると周囲の石と積み方が違った。
古い壁は、平たい石を横へ重ねている。
風が出る場所だけ、小さな石を無理に詰めてあった。
「最近動かした跡がある」
ドムが指す。
石の角。
苔が剥がれている。
土も、周囲より乾いていない。
「昨日の雨が入った?」
「塞いだのが最近なら、土が締まっていない」
石の間から、青い繊維が一本出ていた。
「箱にあった布と似てる」
ミラが言う。
「触る前に記録」
リゼが位置を描く。
イルザが挟み具で繊維を取った。
「商会の包み布と同じとは、まだ決まりません」
「でも、誰かが布を詰めた?」
「石が動かないよう挟んだ可能性があります」
◇
すぐには石を外さない。
上の壁が、塞いだ石へ支えられているかもしれない。
先に周囲を調べる。
石の上へ木枠を組み、崩れた壁を仮に支える。
「出口を開けるだけなのに、ずいぶん大きいね」
カイが言った。
「穴より上の石の方が重い」
ガルドが答える。
「口を開けた瞬間、全部落ちたら人が埋まる」
縦の柱。
横の梁。
斜めの支え。
「斜めの木、必要?」
「横から押されたときに倒れないようにする」
「壁は下へ落ちるんじゃないの?」
「崩れた石は、真下だけに落ちない」
どちらへ動くか分からないものは、一方向だけ支えても足りない。
◇
枠を組み終えたあと。
最も小さな石から外す。
一つ。
二つ。
奥に暗い隙間が現れた。
冷たい空気が流れ出す。
「共同蔵では、空気が中へ入ってた」
ミラが言う。
「こっちは出てくる?」
「高さと温度の違いで流れができているのかもしれない」
通路は完全に塞がっていない。
「においは?」
ネッサが離れた場所から確かめる。
「湿った土。蝋。少し、人の汗に似たにおいがあります」
「人?」
カイが穴へ近づこうとする。
「縄の外」
俺が止めた。
「中に誰かいるかもしれないんだぞ」
「だからこそ、崩さない」
「呼べばいい」
カイが穴へ向かって声を上げた。
「誰かいるか!」
返事はない。
鳥の声。
遠くの町の鐘。
穴の奥からは、何も聞こえなかった。
◇
「灯りを下ろします」
箱灯りを細い縄へつける。
炎ではなく、淡く光る小さな照明石を入れた箱。
この地方では高価だが、イルザが監査用に持ってきていた。
「それ、ずっと光るの?」
ミラが尋ねる。
「半日ほどです」
「高い?」
「黒パン二十個ほど」
カイが箱へ触れかけ、すぐ手を引いた。
「落とすなよ」
「落とさないために縄を二本つけます」
主縄と、抜け止め。
箱を穴へ入れる。
石組みの天井。
泥の床。
人一人が屈んで通れる程度の幅。
共同蔵側で見た通路と同じだ。
「奥は?」
「曲がってる」
光が届くのは、六、七歩ほど。
その先で通路は右へ曲がっていた。
「入らないと見えない」
カイが言った。
「先に長い棒」
ドムが継ぎ足した棒を差し込む。
床。
壁。
天井。
軽く触れ、崩れがないか確かめる。
途中で、棒の先が何かへ当たった。
「石?」
引く。
もう一度。
今度は、わずかに動いた。
「柔らかい」
ドムの顔が変わる。
「布かもしれん」
◇
「もう一度、呼びかける」
ハーレンが穴へ向く。
「中にいる者! 聞こえたら返事をしろ!」
返事はない。
「石を叩けるなら、三回叩け!」
ハーレンが入口の石を三回叩いた。
コン。
コン。
コン。
通路へ音が響く。
しばらく待つ。
「何も」
ミラが言いかけたとき。
奥から。
小さな音がした。
コン。
一度。
「今の、石が落ちた音?」
ロイが尋ねる。
「もう一回」
ハーレンが二回叩く。
コン。
コン。
奥から。
コン。
コン。
弱いが。
同じ数だった。
「人がいる」
カイが叫んだ。
◇
「俺が入る」
カイが言う。
「駄目だ」
「俺なら小さい」
「だから駄目だ」
「大人より通りやすい!」
「崩れたとき、助けに行けない」
「中の人は、今も埋まってるかもしれない」
「分かってる」
「じゃあ!」
「カイ」
ミラが赤い板を彼の前へ出した。
「止まって」
「何でお前まで」
「急いで、もう一人埋まったら遅くなる」
カイは歯を食いしばる。
「待ってる間に死んだら?」
誰も、絶対に大丈夫とは言えない。
「だから、待つんじゃない」
俺は答えた。
「入れるようにする」
◇
入口を少し広げる。
ただし、上ではなく横へ。
上の石を外せば、荷重が変わる。
横の土を削り、木枠を延長する。
通路の入口へ、短い支柱を一本ずつ入れる。
「こんな細い木で持つ?」
ミラが尋ねる。
「一本で全部を持たせない」
左右。
上。
短い間隔で枠を繰り返す。
「多く使うんだ」
「長く太い一本が入らない場所だから」
大きな材料が使えなければ、小さなものを組み合わせる。
ガルドが枠を確認する。
「これより奥は、触るまで分からん」
「誰が入る?」
ベンが前へ出た。
「俺が行く」
ドムと同じ石工だが、身体は少し細い。
「腰縄を二本」
ハーレンが言う。
「一つは引き戻す縄。もう一つは合図」
「合図は?」
「一回、進む。二回、止める。三回、引け」
「声が聞こえなくなったら?」
「合図縄を使う」
「縄が動かなくなったら?」
「入った距離を測り、外側から掘る」
最悪の場合まで決める。
決めたからといって、起きなくなるわけではない。
だが、起きてから相談する時間を減らせる。
◇
「ミラ」
俺は呼んだ。
「何?」
「合図縄を見ていて」
「レオがやれば?」
「俺は入口の枠を見る」
「また別々?」
「同じ人を助ける」
ミラが俺を見る。
以前なら。
俺は構造だけを見て、自分の近くへ人を置かなかった。
「縄が一回なら、進む。二回なら止める。三回なら引く」
「分かってる」
「少しでも変なら止めて」
「私が決めていい?」
「ああ」
「大人が進めって言っても?」
「ああ」
ミラは合図縄を両手で握った。
「じゃあ、私が見てる」
◇
ベンが通路へ入る。
箱灯りを前へ押す。
膝。
肘。
腰縄。
入口から、身体が少しずつ見えなくなる。
「一歩」
リゼが距離を記録する。
「二歩」
合図縄が一度動く。
進む。
「三歩」
通路の曲がり角。
ベンの足も見えなくなった。
声が石へ反響する。
「布がある!」
「人か!」
「待て!」
縄が二回動いた。
「止める!」
ミラが声を上げる。
「何があった!」
「天井の石がずれてる!」
誰も縄を引かない。
止める合図は、戻せという意味ではない。
その場で動かない。
「状態を言え!」
「石一枚! 下へ落ちかけてる! 人が、その先にいる!」
「触るな!」
ガルドが怒鳴る。
「横を見ろ! 支えを入れられる隙間は!」
少し間。
「右にある!」
「短い板を送る!」
入口から、薄い板と短い支柱を押し込む。
長い棒で奥へ送る。
「届いた!」
「先に板を天井へ当てろ! 支柱は真下じゃなく、少し手前!」
「入った!」
「揺れは?」
「ない!」
合図縄が一度動く。
進む。
「まだ」
ミラが縄を押さえた。
「何だ?」
ハーレンが尋ねる。
「一回だけど、強さが違った」
「ベンさん!」
「今のは、板を引いた!」
「合図じゃない!」
声で確認してから進める。
縄は、意図せず動くこともある。
合図だと思い込めば、間違える。
◇
再び一回。
今度は、短く二度確かめるように引かれたあと、一回。
「進む」
ミラが言った。
ベンが曲がり角の先へ進む。
しばらくして。
「いた!」
声が響いた。
「男だ!」
「生きてるか!」
「息がある! 意識も少し!」
「動かせる?」
「足が石の下だ!」
カイが穴へ向かって身を乗り出す。
「誰!?」
ベンの声。
「肩掛け鞄の残りがある! 商会の伝令服だ!」
イルザの顔が変わった。
「レムです!」
彼女が穴へ叫ぶ。
「レム! 聞こえますか!」
奥から、かすれた声が返る。
「……監査……」
「レム!」
「みず……」
◇
すぐに水を渡すことはしなかった。
「何で!」
カイが怒鳴る。
「一気に飲ませるな」
治療師が答えた。
捜索に備えて同行していた、町の治療師。
「長く水を飲んでいない者へ急に多く与えると、吐くことがあります」
「少しだけ?」
「布を湿らせ、口を濡らす」
小さな水袋。
湿らせた布。
棒の先へ括り、ベンへ送る。
「意識を保たせてください」
治療師が言う。
「名前を聞いて」
「レム!」
ベンの声。
「名前を言えるか!」
「レム……ハース」
「何日いる!」
「分から……ない」
「足以外に痛い場所!」
「肩……頭……」
「眠らせるな!」
質問を続ける。
話せる。
息もある。
だが、声は弱い。
◇
足を押さえている石を、すぐに持ち上げてはいけない。
どこへ荷重が流れているか分からない。
外すことで、上の石が落ちる可能性もある。
「石の形を説明して!」
ドムが叫ぶ。
「平たい! 膝より下! 壁から落ちてる!」
「上の壁は?」
「一段抜けてる!」
「抜けた穴へ支えを入れる!」
板。
小さな楔。
短い柱。
狭い通路の中で組む。
「レムの足と石の間へ、布を入れろ」
「何のため?」
ミラが尋ねる。
「動かすとき、石の角が直接当たらないようにする」
助けるための動きが、別の傷を作らないようにする。
◇
外では、時間を記録した。
ベンが入ってから。
レムを見つけてから。
水を与えてから。
「時間なんて書いてる場合?」
カイが言う。
「中の人が、どれくらい作業しているか分かる」
疲れれば、判断が遅れる。
狭い場所では、姿勢を変えられない。
「ベンさんを交代させる?」
「石を動かす前に、一度戻す」
ハーレンが決めた。
「レムを置いて?」
「ベンが力を使い切った状態で石を動かす方が危ない」
ベンへ説明する。
本人は残ると言った。
「命令だ」
ハーレンが答える。
「一度戻れ。次の者へ、直接状況を伝えろ」
助けたい者ほど、残ろうとする。
だから外から止める者がいる。
◇
ベンが戻った。
顔と腕は泥だらけ。
息が荒い。
「奥の石組みは、一部崩れてる」
地面へ簡単な図を描く。
「レムは横向き。右足首の上に板石。通路の奥から来たように見える」
「共同蔵側から?」
「頭が出口側。足が共同蔵側だ」
「出口へ向かってた?」
「たぶん」
「逃げてきた?」
「分からん」
また、その言葉。
「近くにほかの人は?」
「見えない」
「足跡は?」
「泥が荒れてる。レム以外の跡もある」
「何人?」
「少なくとも、一人」
斜面に突然現れた足跡。
通路の出口から出て。
ゲイルの背後へ近づいた人物。
「ゲイルさんが来たとき、誰もいなかった」
ミラが言う。
「通路の中にいたなら、見えない」
俺は答えた。
「ゲイルさんが一人で待ってるところへ、後ろから出た」
「音がして振り返った」
「それから何かが当たった」
証言と足跡が、初めて同じ形になる。
◇
交代したドムとベンが、石を動かすための手順を決めた。
中へ入るのは、今度も一人。
外から梃子を送る。
石を高く持ち上げない。
足が抜けるだけの隙間を作り、受け木を入れる。
「石を完全に退けないの?」
カイが尋ねる。
「大きく動かすほど、周りも動く」
「少しでいい?」
「人の足が抜ければいい」
直すことより。
まず、逃げられる隙間を作る。
◇
二人目の作業員が入り。
レムへ腰縄をつけた。
石へ梃子をかける。
「上げる!」
合図縄が一度。
「少し!」
外から支え縄を引く。
石が動く音。
「隙間!」
「受けを入れろ!」
「入った!」
「足を抜く!」
レムの声が、通路の中で漏れる。
痛みをこらえる声。
カイが拳を握った。
ミラも合図縄を離さない。
「抜けた!」
「石を戻す!」
完全には下ろさず、受け木へ荷重を戻す。
「レムを出口へ!」
◇
頭が見えた。
泥で固まった髪。
青い伝令服。
片方の肩から、鞄の切れた紐がぶら下がっている。
顔は青白い。
唇も乾いていた。
腰縄を引きすぎず、本人の身体を板へ載せる。
「首を動かすな」
治療師が言う。
「板ごと」
入口から出た瞬間。
カイが水袋を持って近づいた。
「少しだけだよな」
「口を濡らすだけ」
治療師の指示どおり、布へ水を含ませる。
カイがレムの唇へ当てた。
「もうちょっと」
レムが呟く。
「あとで」
「水……」
「生きて出たら、ちゃんと飲める」
カイの声が震えている。
「だから、今は少しだけ」
◇
レムの右足は腫れていた。
骨が外へ出るような傷はない。
頭には、小さな打撲。
両手首へ、赤黒い擦れ跡があった。
「縛られていた?」
イルザが言う。
「今は質問しない」
治療師が止めた。
「命に関わることだけ」
名前。
呼吸。
痛む場所。
最後に水を飲んだ時期。
「二日……」
レムが答える。
「食べ物は?」
「パンを……少し」
地下共同蔵の箱にあったパン。
「誰かが与えた?」
治療師が尋ねる。
「置いて……あった」
「歩けますか」
「無理……」
「誰かに襲われましたか」
これは、治療だけの質問ではない。
だが、レムが自分から首を動かそうとした。
「報告……」
イルザが膝をつく。
「報告書のことですか」
「俺は……本部に、届けてない」
周囲の者が静かになる。
「途中で、止められた?」
レムの喉が動く。
「馬車……商会の、臨時便だと」
「誰が乗っていましたか」
「知らない……男」
「顔は?」
「布……」
呼吸が速くなる。
「もう話させないで」
治療師がイルザを下がらせる。
だがレムは、彼女の袖を弱くつかんだ。
「報告……読まれた」
「ヴァルクの報告書を?」
「違う紙を……入れられた」
「誰に」
レムの指から力が抜ける。
「商会の印を……持ってた。でも……」
「でも?」
「商会の人じゃ、ない」
それ以上は続かなかった。
気を失ったのではない。
疲れ切って目を閉じただけだと、治療師が確認する。
◇
レムを町の治療所へ運ぶ。
石灰窯の斜面を、戸板で下ろす。
急な道では、頭側を上にする。
四人で持つ。
前後に一人ずつ、足元を確認する。
「ゲイルさんと同じ場所で見つかった」
ミラが言った。
「ゲイルさんは外。レムさんは中」
「あの人は、二人を犯人にするつもりだった?」
「レムさんが消えれば、偽の報告を運んだことにできる」
「ゲイルさんが消えれば、火をつけて逃げたことにできる」
「どっちも、話せなくなる」
姿を消した人間へ。
残った者は、好きな理由をつけられる。
「でも、二人とも見つかった」
カイが言った。
「ああ」
「出口を探したから?」
「足跡が、そこから始まってたから」
逃げた者の足跡ではない。
隠れていた者が外へ出た跡。
そして。
閉じ込められた者を助け出す道でもあった。
◇
石灰窯の出口は、再び完全には塞がなかった。
仮の扉をつける。
鍵は、役場、商会監査、帰り火の三者で管理する。
入口の周囲には、木枠を残す。
「通路は、これから全部調べる?」
ミラが尋ねる。
「レムさんの状態と、奥の崩れを確認してから」
「共同蔵から入らない?」
「両方から少しずつ」
「一気に通らない?」
「途中に、まだ崩れた場所がある」
道がつながっていると分かっても。
すぐ通れるわけではない。
出口が見つかったからといって。
中にある危険が消えるわけでもない。
◇
帰り火へ戻る前。
斜面に残る足跡を、もう一度確認した。
踵に細い横線。
出口から始まり。
斜面を上がり。
ゲイルが倒れていた場所へ続く。
そこから先は、硬い地面で消えている。
「この人、通路へ戻らなかった」
ミラが言った。
「外へ逃げた」
「どっちへ?」
「町か、街道」
「靴だけじゃ分からない?」
「分からない」
ただし。
ゲイルの証言は、足跡と食い違っていなかった。
ゲイルが窯へ着いたとき、そこには誰もいなかった。
相手は、見える場所にはいなかった。
地下で待っていた。
「ゲイルさん、嘘をついてなかった」
カイが言う。
「このことについては」
俺は答えた。
「全部、本当だったってことじゃない?」
「境界標を埋めたことは本当」
「丸太の楔も」
「一つが正しかったから、全部を信じない」
「一つ嘘をついたから、全部を嘘にもできない」
ミラが言った。
「ああ」
人を一つに決めない。
証言も、一つずつ確かめる。
◇
帰り道。
カイは赤い停止板を持ったまま歩いていた。
「今日は使わなかったね」
ルナが言った。
「使った」
「いつ?」
「俺が穴に入りそうになったとき、ミラが止めた」
「カイが止められたの?」
「ああ」
「嫌だった?」
「嫌だった」
「じゃあ、悪い停止?」
カイは少し考える。
「たぶん、よかった」
「嫌なのに?」
「中へ入ってたら、レムさんと一緒に埋まってたかもしれない」
「かもしれないだけ?」
「止めたから分からない」
以前、カイが縄の傷を見つけたときと同じだった。
何も起きなかったから。
止めなければ何が起きたかは、証明できない。
「でも、俺じゃなくて大人が入ったから、レムさんを助けられた」
赤い板は。
仕事を遅らせるためではない。
誰かを仲間外れにするためでもない。
全員が戻るためにある。
◇
夜。
町の治療所から、レムは今夜を越えられそうだと連絡が届いた。
足はひどく傷んでいるが。
命に関わる状態ではない。
ゲイルにも、レムが見つかったことが伝えられた。
彼は長い間、何も言わなかったという。
共同地図の横には、新しい事実が加えられた。
――古い排水路の出口を発見。
――出口から、ゲイル以外の足跡が続いていた。
――通路内でレムを発見。
――レムはヴァルクの報告を本部へ届けていない。
――何者かが報告書を差し替えた。
――差し替えた者は、商会の印を所持していた。
そして。
――レムは、その者を商会の人間ではないと証言。
「商会の印を持ってるのに、商会の人じゃないって、どういうこと?」
ミラが板を見る。
「盗んだ」
カイが言う。
「借りた」
サラが言う。
「昔、商会にいた」
イルザが言う。
いくつも可能性がある。
どれも、まだ答えではない。
ただ。
木場と帰り火を争わせ。
両方を土地から消そうとしていた者は。
商会の中だけにいるとは限らなくなった。
古い契約を知り。
商会の印を使い。
木場の見張りを調べ。
西外仮宿の地下通路を知っている者。
四十一年前の土地と。
五年前の木場と。
現在の帰り火。
三つの時間をつなぐ誰かがいる。
地下の道には。
入口と出口があった。
事件にも、出口があるはずだった。
だが。
外へ出るためには。
まず、誰が入口を塞いだのかを知らなければならない。
お読みいただきありがとうございます。
古い排水路の出口は、ゲイルが倒れていた石灰窯の斜面につながっていました。
通路内からは、行方不明だった商会伝令レムが生存した状態で発見されます。彼は、ヴァルクの報告書を本部へ届けておらず、何者かによって内容を差し替えられたと証言しました。
次回は回復したレムから詳しい事情を聞く一方、帰り火と木場の双方を立ち退かせたあと、この土地で何を始める予定だったのかを調べます。




