第三十話 消えた人を、犯人にするな
ゲイルを捜す者たちが町へ向かったあとも、木場には焦げた匂いが残っていた。
火は消えている。
煙も、ほとんど上がっていない。
それでも、焼けた樹皮の中へ棒を差し込むと、先端がわずかに温かくなった。
「まだ熱がある」
カイが言った。
「土を追加する?」
「先に広げる」
熱を持った樹皮を、鉤で一枚ずつ離す。
重なったまま土をかければ、内側へ熱が残る。
「見えない火って、面倒だね」
ミラが記録板へ△をつけた。
煙はない。
炎もない。
だが、完全に冷えたかは分からない。
「人の疑いと同じだな」
ベルンが呟いた。
「消えたと思っても、中に残る」
誰も返事をしなかった。
ベルン自身が、火をつけたのではないかと疑われた。
トルンも。
商会の作業員も。
そして今は、姿を消したゲイルへ疑いが集まっている。
「ゲイルが犯人なら、話は早い」
木場の作業員が言った。
「鍵を持って逃げた。仕事を外された恨みで火をつけた」
「まだ鍵を持ってると決まってない」
俺は答えた。
「箱にないんだぞ」
「ゲイルさんが返したあと、誰かが取ったかもしれない」
「何で、あいつをかばう」
「かばってない」
割れた楔。
落ちた丸太。
サラの家。
ミラの傷。
ゲイルが責任の一部を負うことは変わらない。
「違う罪まで、まとめて背負わせないだけ」
「罪を一つ犯した奴は、次も犯す」
「そうとは限らない」
「お前は、あいつに家を壊されてない」
作業員の言葉に、サラの家が頭へ浮かぶ。
「壊された人が捜しに行ってる」
俺は答えた。
「サラさんが、見つけるまで決めないって言った」
◇
ミラが、焦げた場所の周囲を歩く。
「何を見てる?」
「火が、どこまで行ったか」
黒くなった樹皮。
焦げた草。
水をかけた泥。
「丸太の山は、あっちだよね」
「ああ」
火元から積み場までは、大人十歩以上ある。
間には、燃えにくい湿った地面。
「木場を焼きたいなら、もっと近くにつける?」
ミラが尋ねた。
「普通は」
「普通じゃない方法もある?」
「丸太の下へ火を入れたら、見つかりにくい」
「じゃあ、そっちの方が燃える」
「たぶん」
今回の火元は、柵際。
住居区の見張りから見える位置。
樹皮と細い端材が積まれ、炎と煙が上がりやすい。
「見つけてほしかった?」
ミラが言った。
俺は、もう一度周囲を見る。
「燃やしたいものが、丸太じゃなかったのかもしれない」
「何を燃やしたかったの?」
「分からない」
「また?」
「木じゃなくて、木場と帰り火の関係」
小さな火でも、放火が起きれば木場は止まる。
商会は住人を疑う。
住人は商会を疑う。
エナが話した昔の火事と、現在の木場が重なる。
「怖くさせるため?」
「争わせるためかもしれない」
「本当に木場を焼いたら、住人の家にも火が来る」
「だから、すぐ見つかる場所にした」
火をつけた者が、どこまで計算していたかは分からない。
風向きが変われば、炎は広がる。
消火が遅れれば、本当に丸太へ燃え移る。
「見せるためでも、危ないのは同じ」
ミラが言った。
「ああ」
「火は、考えた通りに動かない」
「昨日と同じだ」
理由が何であっても、火は誰の命令も聞かない。
◇
「火元へ置かれていた油の量を見たい」
俺はヴァルクへ言った。
「ほとんど燃えています」
「残った染み」
土の上。
焦げた布の下。
黒い染みが広がっている。
「木場で使う車軸油と比べる」
商会の倉庫から、少量の油を出す。
におい。
粘り。
水へ垂らしたときの広がり方。
「同じ?」
カイが尋ねる。
ネッサが二つの布を離して確認する。
「似ていますが、火元の方には樹脂が混じっています」
「染物工房の油?」
「まだ分かりません」
トルンの顔が曇る。
「また工房へ行くのか」
「ああ」
「俺も行く」
「今日は木場の見張りじゃない?」
「工房の布なら、俺が説明する」
「疑われないため?」
「それもある」
トルンは隠さなかった。
「俺は一度間違えた。次は、他人に勝手に話を作られたくない」
◇
焦げた布の結び目も、もう一度確認する。
二回巻き。
端を内側へ入れる。
商会の荷札に使われる結び方。
「これ、荷札だけ?」
ミラが尋ねる。
「薬草の袋でも似た結びをする」
ネッサが自分の袋を見せる。
ただし、最後の端の入れ方が少し違う。
「結び方は、家の印みたいに一人だけのものじゃない」
「ああ」
「商会の人しかできないって決めたら駄目」
「記録を直す」
昨日の板には、
――商会の荷札に使われる結び方。
と書いていた。
その下へ、
――ほかの仕事でも似た結び方が使われる可能性あり。
と加える。
「書いたことが、あとから変わる」
カイが言う。
「新しく分かったから」
「前の間違いは消す?」
「消さない」
最初にどう考えたかも残す。
ただし、訂正されたことが分かるよう線を引く。
「文字を読めない人は?」
「矢印と△」
確定ではない印を増やす。
「板が複雑になる」
「複雑なものを、簡単なふりはできない」
◇
昼前。
役場から、一人の伝令が戻ってきた。
「ゲイルらしき人物の足取りが見つかりました」
全員が集まる。
「どこ?」
「南の酒場ではなく、西門近くの水売りが目撃しています」
「町を出た?」
「西門は通っていません」
「じゃあ、どこへ?」
「古い石灰焼き窯へ向かう道です」
町の西。
今は使われていない窯。
石灰を焼く煙が住宅へ流れるため、かなり前に閉鎖された場所だという。
「一人で?」
「外套を着た人物と歩いていたそうです」
「顔は?」
「連れの顔は、頭巾で見えなかった」
「ゲイルは嫌がってた?」
「争っているようには見えなかったそうです」
呼び出された可能性。
知っている相手。
あるいは、商会の用事だと思った。
「サラさんたちは?」
「すでに窯へ向かっています」
「俺たちも行く」
カイが立ち上がる。
「駄目だ」
俺は答えた。
「何で」
「木場を空にできない」
「商会の人がいる」
「住人側の記録と見張りが必要」
「ゲイルを見つけたい」
「俺も」
「じゃあ行けばいい」
カイの言葉に、足が動きそうになる。
古い石灰窯。
頭巾の人物。
消えた鍵。
見たい。
調べたい。
「レオ」
ミラが俺を見ている。
「また、気になる方へ行く?」
サラの仮作業場を先に作った朝。
同じことを聞かれた。
「行かない」
「本当?」
「ここで火元を調べる」
カイは不満そうに地面を蹴った。
「俺が行ってもいい?」
「役場が人数を増やすなって」
「子どもだから?」
「危険かもしれないから」
「いつもそれだ」
「じゃあ、ここで一緒に調べて」
「ゲイルより、焦げた木?」
「次の火を止めるため」
カイは黙った。
「ゲイルさんを見つける人はいる。ここを見る人も必要なんだ」
「俺たちじゃないと駄目?」
「帰り火の人が、商会と一緒に調べることに意味がある」
カイはしばらく考えたあと、記録板を持ち上げた。
「じゃあ、木場の人だけで決めてないか見る」
「頼む」
◇
火元の樹皮を、燃える前の置き方へ近づけて並べ直す。
完全には戻せない。
だが、作業員の記憶と焦げ跡から、おおよその高さを再現する。
「火種は、この辺」
布の塊が見つかった位置。
地面に近い。
「上じゃないの?」
ミラが尋ねる。
「下なら、樹皮へ火が移る」
「でも空気が少ない」
「隙間があった」
樹皮は平らな板ではない。
曲がり、重なり、隙間ができる。
「煙が先に出る」
ガルドが言った。
「火種が小さいうちは、白い煙だ」
「見張りが気づく?」
「夜なら、においか」
「見張り小屋から、風はどっち?」
昨夜の風向きを思い出す。
住居区側から木場側。
煙は見張り小屋とは反対へ流れた。
「発見したのは、炎が上がってから」
「すぐ見つけてほしかったなら、見張り側へ置く」
ミラが言った。
「でも、完全に隠すなら積み場の裏」
「中間?」
「少し燃えてから見つかる場所」
木場を焼き尽くすには遠い。
すぐ消されるには隠れている。
炎が上がり、住人が集まり、柵の印に気づく程度の時間。
「誰かが、見つける時刻を考えた?」
「見張り交代の隙間を知ってた」
サラが娘へ食事を届ける。
商会側の見張りが木場の奥を確認する。
五十息ほど、入口が無人になる。
その時間だけでは、火が大きくなるまで待てない。
「先に置いてあった」
カイが言った。
「見張りが離れる前に?」
「もっと前」
「昼間?」
「作業停止で人が少なかった」
「誰が木場に入れた?」
商会の作業員。
住人の見張り。
安全確認に入った役場。
記録具をつけた人。
多くはない。
しかし、一人ではない。
「火種を置いたあと、時間がたって燃え始めた」
具体的な仕組みは板へ書かない。
ただ、
――火をつけた者が、発見時刻に現場へいなかった可能性。
と残す。
「なら、ゲイルさんが姿を消したあとでも置ける?」
ミラが尋ねる。
「置いた時刻が分からない」
「火事のとき町にいなかったから、犯人じゃないとは言えない」
「逆に、いなかったから犯人とも言えない」
◇
樹皮の山の下から、焦げていない小さな木片が見つかった。
表面に、白い粉。
「石灰?」
ドムが指先で触れず、刃の先で少し取る。
「石灰に似てる」
「古い石灰窯と関係ある?」
カイがすぐに言った。
「木場でも石灰は使う?」
「印をつけるときに少量」
作業員が答える。
「材木の端へ番号を書く」
「白い粉なら全部同じに見える」
「水へ入れてみる」
ドムが別の器へ少量を落とす。
熱を持つほどではない。
古く、湿気を吸っている。
「石灰窯の物とは限らん」
「でも、何かを包んでた木片?」
木片には、細い溝。
何かを巻いた跡。
火種に使われた可能性。
「これも残す」
「証拠?」
「まだ物」
物から勝手に物語を作らない。
◇
午後を過ぎても、捜索隊は戻らなかった。
木場の作業員たちは落ち着かない。
「見つからないんじゃないか」
「逃げたんだ」
「石灰窯に行ったのも、別人かもしれない」
ヴァルクは何度も町側の道を見る。
「ゲイルさんと、長い付き合い?」
ミラが尋ねた。
「五年ほどです」
「仲良かった?」
「私は帳簿と土地管理。ゲイルは現場です」
「仲良くなかった?」
「仕事仲間です」
「嫌い?」
ヴァルクが少し困った顔をする。
「必要な技術を持った人物だとは評価していました」
「それ、好きじゃない言い方」
「仕事に好き嫌いを持ち込む必要がありますか」
「心配してる?」
ヴァルクは答えなかった。
代わりに、管理小屋の鍵箱を見る。
「ゲイルが楔材を変更したのは、初めてではありません」
「前にも?」
「納期を優先し、記録をあとに回すことがありました」
「知ってた?」
「注意はしていました」
「止めなかった?」
「事故は起きていませんでした」
「今回は起きた」
「はい」
ヴァルクの声が低くなる。
「私も、ゲイルだけへ責任を負わせられる立場ではありません」
管理する者が、現場の慣習を知りながら認めていた。
記録に残っていないだけで。
「だから、火事の犯人にもしたくない?」
「私がゲイルへ楔の責任を負わせた直後です」
「みんな、信じる」
「だからこそ、証拠が必要です」
◇
日が傾き始めたころ。
西の道から人影が現れた。
最初に役場の捜索員。
次にハーレン。
サラ。
その後ろに、戸板のような物を四人で担いでいる。
「見つかった!」
カイが走り出す。
「近づくな!」
ハーレンが声を上げる。
戸板の上には、ゲイルが横たわっていた。
頭に布。
左足を板で固定されている。
顔色は悪い。
だが、胸は動いていた。
「生きてる?」
ミラが尋ねる。
「生きています」
サラが答えた。
服と手に、白い粉がついている。
石灰窯で見つかったのだろう。
「何があった?」
ヴァルクが近づく。
「窯の裏の斜面に落ちていた」
ハーレンが答える。
「頭を打ち、足を傷めています」
「一人で落ちた?」
「分かりません」
「話せる?」
「途中で一度だけ目を覚ましました」
サラは、ゲイルの顔を見ない。
「何て?」
「水をくれって」
「ほかは?」
「鍵を返した、と」
周囲がざわめく。
「本人が言っただけだ」
ベルンが言う。
「そうだよ」
サラが答えた。
「だから、それだけで信じるな。でも、嘘と決めるな」
「サラさんが言う?」
「私だって、最初は逃げたと思った」
石灰窯へ向かう途中。
サラは、ゲイルが火をつけて逃げたと思っていた。
「でも、逃げる人間が金も食料も持たずに、使われてない窯の裏で倒れてるか?」
「追っ手から隠れた」
「頭を割って足まで折って?」
「自分で落ちたかもしれない」
「そうかもしれない」
サラは否定しない。
「だから調べるんだろ」
◇
ゲイルを、帰り火の空いた小屋へ運ぶことになった。
「町の治療所じゃないの?」
俺が尋ねる。
「今は動かさない方がいい」
捜索に同行した治療師が答えた。
「足を固定し、頭の腫れを見ます」
「商会の宿舎は?」
「階段があります」
帰り火の小屋は一階。
入口も広い。
「帰り火の家に入れるのか」
ベルンが言った。
「こいつがサラの家を壊した」
「家を壊した原因の一つを作った」
サラが訂正する。
「同じだろ」
「同じじゃない」
「お前がかばうのか」
「かばってない!」
サラの声が震えた。
「あいつがしたことは、起きて話せるようになったら聞く。楔のことも、私の家のことも」
「なら町の道へ寝かせておけ」
「怪我人を捨てたら、昔の連中と何が違う!」
ベルンが黙る。
西外仮宿。
病を恐れられ、町から追い出された人々。
「助けることと、許すことは別だ」
サラが言った。
「あいつを助けても、家のことは忘れない」
◇
治療師がゲイルの服を確認する。
刃物による大きな傷はない。
後頭部の打撲。
左足の腫れ。
腕に擦り傷。
「斜面を転げた傷に見える」
「押されたか、自分で落ちたかは?」
「傷だけでは分かりません」
外套の内側から、折り畳まれた紙が出た。
「触る前に記録」
リゼが紙の位置を描く。
胸元の内袋。
濡れているが、文字は残っている。
「読める?」
「商会の連絡書式です」
ヴァルクが答えた。
「何て?」
「返却鍵に相違あり。旧石灰窯にて確認」
「誰の署名?」
「署名はありません」
「商会の印は?」
紙の隅。
二本の斜線。
その間に一点。
「この印は?」
「ドーレン商会の荷役管理符号です」
「誰が知ってる?」
「木場の管理担当。荷受け責任者。商会本部の輸送係」
「ヴァルクさんも?」
「知っています」
住人たちの視線がヴァルクへ向く。
「私が書いたものではありません」
「証明できる?」
ベルンが尋ねる。
「筆跡を比較できます」
「誰かがまねしたら?」
「符号自体は、商会内部なら知る者がいます」
ヴァルクだけの秘密ではない。
だが、帰り火の一般住人が簡単に知るものでもない。
「紙はどこから?」
「商会で使う荷受け紙です」
「商会の中の人?」
カイが言う。
「商会の紙を手に入れた人」
俺は答えた。
「まだ、内部の人とは決めない」
紙の端には、濃い青色の繊維が付着していた。
「火元の布と同じ色」
ミラが言った。
「同じ布?」
「調べる」
青い布。
染料。
呼び出しの紙。
木場の火元。
一つずつ、線がつながり始める。
けれど、つながったように見える線ほど慎重に見なければならない。
◇
「鍵は?」
ヴァルクが尋ねた。
ゲイルの服。
外套。
腰袋。
靴。
どこにもない。
「窯の周囲も探した」
ハーレンが答える。
「見つかったのは、これです」
革の小さな袋。
鍵を入れられる大きさ。
紐が切れている。
「ゲイルの物?」
ヴァルクが確認する。
「商会から管理責任者へ渡す鍵袋です」
「中身はない」
「はい」
袋の外側に、白い粉。
内側には、薄い油。
「鍵が入ってた跡?」
「金属が擦れた跡はあります」
「火事の鍵?」
「形を比べる物がない」
管理小屋の町側門。
予備鍵は一本。
現物がなくなっている。
「袋だけ持って窯へ行った?」
「呼び出しには、返却鍵の相違と書いてある」
ミラが言った。
「誰かに、鍵を確認するって呼ばれた」
「ゲイルさんは、鍵を持っていった?」
「返したって言った」
「じゃあ、袋の中は空だった?」
「もう一度話を聞かないと分からない」
◇
夜に近づくころ、ゲイルが目を覚ました。
全員は入れない。
治療師。
ハーレン。
ヴァルク。
住人代表としてサラ。
記録役のリゼ。
俺とミラは、入口の外で待った。
「何でレオは入らないの?」
カイが尋ねる。
「人が多いと、ゲイルさんが混乱する」
「話を聞きたくない?」
「聞きたい」
「なら」
「あとで記録を読む」
文字は読めない。
リゼに読んでもらう。
「自分で見ないと、顔は分からない」
「今は治療師が見る」
全部を自分で確かめなければ気が済まなかった。
けれど、俺がいることで悪くなる場面もある。
◇
小屋の中から、低い声が聞こえた。
「ここは……」
「帰り火です」
サラの声。
「何で、あんたが」
「捜しに行ったからだよ」
「俺を?」
「勘違いするな。あんたへ聞くことがある」
「家のことか」
「それもだ」
少し間。
「火は」
ゲイルの声が変わった。
「木場で火が出た」
「誰が」
「こっちが聞きたい」
「俺じゃない」
「それは、これから確かめる」
サラは、嘘だとも本当だとも言わなかった。
「鍵を返したって?」
「ああ」
「いつ」
「責任を外されたあとだ。管理小屋の箱へ戻した」
「見た人は?」
「いない」
「そのあと、呼び出しの紙を受け取った?」
「宿の扉に挟まってた」
「誰から?」
「管理符号があった。ヴァルクだと思った」
小屋の中で、ヴァルクが息を吸う音がした。
「私は出していない」
「だったら、誰だ」
「窯で会った相手は?」
ハーレンが尋ねる。
「誰もいなかった」
「一人で落ちた?」
「窯の裏で、音がした」
「何の音」
「石が崩れたような」
「振り返った?」
「何かが当たった」
「何が?」
「分からない」
ゲイルの声が苦しそうになる。
治療師が休ませようとする。
「もう一つだけ」
サラが言った。
「鍵袋は持ってた?」
「箱へ返した鍵が違うと書いてあった」
「だから?」
「空の袋だけ持っていった。鍵は箱にあると思ってた」
「窯で鍵を受け取るつもりだった?」
「違う鍵を返したなら、確認すると」
「箱に入れた鍵は、本物だった?」
「俺が使ってた鍵だ」
「間違いない?」
「町側門を開けてた鍵だ。間違えるか」
その言葉のあと、ゲイルは目を閉じた。
話はそこで終わった。
◇
リゼが外へ出て、証言を読み上げた。
ゲイルは鍵を返した。
呼び出しの紙を受け取った。
空の鍵袋を持って石灰窯へ行った。
相手には会っていない。
背後で音がし、何かが当たった。
その後の記憶はない。
「自分で頭を打って、都合よく忘れた」
ベルンが言った。
「そうかもしれない」
ハーレンが答える。
「誰かに襲われたのかもしれない」
「証拠は?」
「窯の上部に、ゲイル以外の足跡が一つ残っていました」
皆が静かになる。
「靴は?」
「底の一部が滑らかで、踵に細い横線」
「帰り火の人?」
「同じ靴を持つ者は、まだ確認していません」
「商会?」
「商会の標準作業靴とは違います」
「町の人?」
「町で売られている形です」
特別な靴ではない。
「ゲイルを落とした人が、火をつけた?」
カイが尋ねる。
「分からない」
今度は、カイも怒らなかった。
「でも、同じ紙に青い布がついてた」
「つながってるかもしれない」
「誰かが、ゲイルを犯人にしたかった?」
ミラが言った。
仕事を外された直後。
鍵を持つ。
住人と対立。
姿を消す。
火事。
疑われる条件が、きれいにそろっている。
「そろいすぎてる」
俺は呟いた。
「どういう意味?」
「犯人に見えるよう、置かれたみたいだ」
◇
ヴァルクは管理符号の写しを見つめている。
「この符号を使う者を、商会内で確認します」
「何人?」
「現在、この町で七人」
「多い」
「本部まで含めれば、さらに増えます」
「木場の計画を知ってる人は?」
「七人のうち四人」
「ゲイルさんが外されたことは?」
「昨日の夕方、本部へ報告しました」
「どうやって?」
「伝令です」
「紙?」
「封書です」
「誰が運んだ?」
ヴァルクの顔が止まる。
「商会の使いです」
「今どこ?」
「本部へ戻っているはずです」
「確認する」
ハーレンが言った。
「本部にも?」
「役場から照会します」
「商会内部を疑うのですか」
「帰り火の住人だけを疑うより公平でしょう」
ヴァルクは反論しなかった。
◇
夜。
共同地図の横へ、新しい記録を加える。
――ゲイルを負傷した状態で発見。
――鍵は未発見。
――商会内部の符号を使った呼び出し紙。
――紙に青い繊維。
――石灰窯に別の足跡。
そして、分からないこと。
――火をつけた者。
――ゲイルを呼び出した者。
――ゲイルを傷つけた者。
――三つが同一人物かどうか。
「同じ人じゃない可能性もある?」
ミラが尋ねる。
「一人がゲイルを呼び出し、別の人が火をつけたかもしれない」
「協力した?」
「偶然かもしれない」
「偶然が多すぎる」
「だから調べる」
板には、事実より「不明」が多い。
「前なら、嫌だった」
俺は言った。
「分からないままなのが?」
「ああ」
「今は?」
「嫌だけど、埋めない」
分からない場所を、都合のいい答えで埋めない。
◇
「ゲイルさん、ここで寝るの?」
ルナが小屋の方を見る。
「しばらく」
「帰り火の人?」
「違う」
「でも、帰り火の家にいる」
「怪我が治るまで」
「治ったら?」
誰も答えられなかった。
商会へ戻るのか。
責任を問われるのか。
火事の疑いが晴れるのか。
「家を壊した人も、家に入れるんだね」
ルナが言った。
「サラさんが決めた」
「優しい?」
「怒ってる」
「怒ってても助ける?」
「ああ」
「変なの」
「人は、一つだけじゃないから」
怒っている。
許していない。
それでも助ける。
正しいか間違いか。
味方か敵か。
どちらか一つに分けられない。
◇
小屋の中。
ゲイルは眠っている。
サラが入口の外へ椅子を置き、見張っていた。
「休まないの?」
俺が尋ねる。
「逃げられたら困る」
「足を動かせない」
「火をつけた仲間が来るかもしれない」
「ゲイルさんが犯人だと思ってる?」
「分からない」
サラが、その言葉を使った。
「でも、あいつが楔を替えたことは変わらない」
「ああ」
「私の家が使えなくなったことも」
「ああ」
「助けたから、許したと思うなよ」
「思わない」
「ゲイルにも言っておいて」
「自分で言うんじゃない?」
「起きたらね」
サラは小屋の壁へ背を預ける。
「見つけたとき、どう思った?」
「最初は、ざまあみろって」
隠さなかった。
「倒れてたのを見て?」
「そのまま置いて帰ろうとも思った」
「でも運んだ」
「娘たちに、何て言えばいい」
「何を?」
「家を壊した男だから、怪我してても見捨てたって」
サラは暗い道を見る。
「許せなくても、したくないことはある」
◇
木場の火は、人を傷つけなかった。
少なくとも、大きな怪我は出なかった。
けれど、火をつけた者は、木材だけを狙ったのではないのかもしれない。
住人と商会。
サラとゲイル。
ヴァルクと現場。
役場と帰り火。
それぞれの間へ、疑いを置いた。
消えた人間は、都合がいい。
反論しない。
自分の行動を説明できない。
残された者が、好きな理由をつけられる。
四十一年前。
西外仮宿の人々も、記録から消された。
石鳴村へ移ったことにされ。
仮宿で何が起きても、そこには誰もいなかったことにされた。
今回も同じだ。
ゲイルがいないからと、火事の罪を全部置けば。
記録の上では、事件は終わる。
木場の管理責任者が、解任を恨んで放火した。
鍵を持って逃亡。
それだけで、分かりやすい話になる。
だが、ゲイルは逃げていなかった。
古い石灰窯の斜面で、怪我をして倒れていた。
鍵も持っていない。
呼び出した者も分からない。
消えた者を犯人にすれば、事件は簡単になる。
けれど、簡単な答えで塞いだ下に、本当の火種が残っていれば。
また別の場所が燃える。
俺は、共同地図の横へ掛けられた釘の印を見る。
人の名前。
人の言葉。
分からないこと。
どれも消さない。
ゲイルの名前も、まだ犯人の欄には書かなかった。
その代わり。
呼び出し紙に使われていた商会の符号を、事実の板へ写した。
二本の斜線。
その間の一点。
ヴァルクを含む、限られた者しか使わない印。
火事の疑いは、帰り火の住人から姿を消したゲイルへ移り、今度はドーレン商会の内側へ向かい始めていた。
疑う相手が変わるたび、最初の根拠まで正しかったことにしてはいけない。
お読みいただきありがとうございます。
負傷して発見されたゲイルは、木場の鍵を返したと証言しました。
さらに、彼を呼び出した書き置きには、ドーレン商会内部で使われる符号が残されています。
次回は商会本部から調査役が訪れ、帰り火の土地をめぐる契約そのものに、ヴァルクも知らなかった条件が存在したことが明らかになります。




