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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第二部 町をつなぐ

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30/40

第三十話 消えた人を、犯人にするな

 ゲイルを捜す者たちが町へ向かったあとも、木場には焦げた匂いが残っていた。


 火は消えている。


 煙も、ほとんど上がっていない。


 それでも、焼けた樹皮の中へ棒を差し込むと、先端がわずかに温かくなった。


「まだ熱がある」


 カイが言った。


「土を追加する?」


「先に広げる」


 熱を持った樹皮を、鉤で一枚ずつ離す。


 重なったまま土をかければ、内側へ熱が残る。


「見えない火って、面倒だね」


 ミラが記録板へ△をつけた。


 煙はない。


 炎もない。


 だが、完全に冷えたかは分からない。


「人の疑いと同じだな」


 ベルンが呟いた。


「消えたと思っても、中に残る」


 誰も返事をしなかった。


 ベルン自身が、火をつけたのではないかと疑われた。


 トルンも。


 商会の作業員も。


 そして今は、姿を消したゲイルへ疑いが集まっている。


「ゲイルが犯人なら、話は早い」


 木場の作業員が言った。


「鍵を持って逃げた。仕事を外された恨みで火をつけた」


「まだ鍵を持ってると決まってない」


 俺は答えた。


「箱にないんだぞ」


「ゲイルさんが返したあと、誰かが取ったかもしれない」


「何で、あいつをかばう」


「かばってない」


 割れた楔。


 落ちた丸太。


 サラの家。


 ミラの傷。


 ゲイルが責任の一部を負うことは変わらない。


「違う罪まで、まとめて背負わせないだけ」


「罪を一つ犯した奴は、次も犯す」


「そうとは限らない」


「お前は、あいつに家を壊されてない」


 作業員の言葉に、サラの家が頭へ浮かぶ。


「壊された人が捜しに行ってる」


 俺は答えた。


「サラさんが、見つけるまで決めないって言った」


     ◇


 ミラが、焦げた場所の周囲を歩く。


「何を見てる?」


「火が、どこまで行ったか」


 黒くなった樹皮。


 焦げた草。


 水をかけた泥。


「丸太の山は、あっちだよね」


「ああ」


 火元から積み場までは、大人十歩以上ある。


 間には、燃えにくい湿った地面。


「木場を焼きたいなら、もっと近くにつける?」


 ミラが尋ねた。


「普通は」


「普通じゃない方法もある?」


「丸太の下へ火を入れたら、見つかりにくい」


「じゃあ、そっちの方が燃える」


「たぶん」


 今回の火元は、柵際。


 住居区の見張りから見える位置。


 樹皮と細い端材が積まれ、炎と煙が上がりやすい。


「見つけてほしかった?」


 ミラが言った。


 俺は、もう一度周囲を見る。


「燃やしたいものが、丸太じゃなかったのかもしれない」


「何を燃やしたかったの?」


「分からない」


「また?」


「木じゃなくて、木場と帰り火の関係」


 小さな火でも、放火が起きれば木場は止まる。


 商会は住人を疑う。


 住人は商会を疑う。


 エナが話した昔の火事と、現在の木場が重なる。


「怖くさせるため?」


「争わせるためかもしれない」


「本当に木場を焼いたら、住人の家にも火が来る」


「だから、すぐ見つかる場所にした」


 火をつけた者が、どこまで計算していたかは分からない。


 風向きが変われば、炎は広がる。


 消火が遅れれば、本当に丸太へ燃え移る。


「見せるためでも、危ないのは同じ」


 ミラが言った。


「ああ」


「火は、考えた通りに動かない」


「昨日と同じだ」


 理由が何であっても、火は誰の命令も聞かない。


     ◇


「火元へ置かれていた油の量を見たい」


 俺はヴァルクへ言った。


「ほとんど燃えています」


「残った染み」


 土の上。


 焦げた布の下。


 黒い染みが広がっている。


「木場で使う車軸油と比べる」


 商会の倉庫から、少量の油を出す。


 におい。


 粘り。


 水へ垂らしたときの広がり方。


「同じ?」


 カイが尋ねる。


 ネッサが二つの布を離して確認する。


「似ていますが、火元の方には樹脂が混じっています」


「染物工房の油?」


「まだ分かりません」


 トルンの顔が曇る。


「また工房へ行くのか」


「ああ」


「俺も行く」


「今日は木場の見張りじゃない?」


「工房の布なら、俺が説明する」


「疑われないため?」


「それもある」


 トルンは隠さなかった。


「俺は一度間違えた。次は、他人に勝手に話を作られたくない」


     ◇


 焦げた布の結び目も、もう一度確認する。


 二回巻き。


 端を内側へ入れる。


 商会の荷札に使われる結び方。


「これ、荷札だけ?」


 ミラが尋ねる。


「薬草の袋でも似た結びをする」


 ネッサが自分の袋を見せる。


 ただし、最後の端の入れ方が少し違う。


「結び方は、家の印みたいに一人だけのものじゃない」


「ああ」


「商会の人しかできないって決めたら駄目」


「記録を直す」


 昨日の板には、


 ――商会の荷札に使われる結び方。


 と書いていた。


 その下へ、


 ――ほかの仕事でも似た結び方が使われる可能性あり。


 と加える。


「書いたことが、あとから変わる」


 カイが言う。


「新しく分かったから」


「前の間違いは消す?」


「消さない」


 最初にどう考えたかも残す。


 ただし、訂正されたことが分かるよう線を引く。


「文字を読めない人は?」


「矢印と△」


 確定ではない印を増やす。


「板が複雑になる」


「複雑なものを、簡単なふりはできない」


     ◇


 昼前。


 役場から、一人の伝令が戻ってきた。


「ゲイルらしき人物の足取りが見つかりました」


 全員が集まる。


「どこ?」


「南の酒場ではなく、西門近くの水売りが目撃しています」


「町を出た?」


「西門は通っていません」


「じゃあ、どこへ?」


「古い石灰焼き窯へ向かう道です」


 町の西。


 今は使われていない窯。


 石灰を焼く煙が住宅へ流れるため、かなり前に閉鎖された場所だという。


「一人で?」


「外套を着た人物と歩いていたそうです」


「顔は?」


「連れの顔は、頭巾で見えなかった」


「ゲイルは嫌がってた?」


「争っているようには見えなかったそうです」


 呼び出された可能性。


 知っている相手。


 あるいは、商会の用事だと思った。


「サラさんたちは?」


「すでに窯へ向かっています」


「俺たちも行く」


 カイが立ち上がる。


「駄目だ」


 俺は答えた。


「何で」


「木場を空にできない」


「商会の人がいる」


「住人側の記録と見張りが必要」


「ゲイルを見つけたい」


「俺も」


「じゃあ行けばいい」


 カイの言葉に、足が動きそうになる。


 古い石灰窯。


 頭巾の人物。


 消えた鍵。


 見たい。


 調べたい。


「レオ」


 ミラが俺を見ている。


「また、気になる方へ行く?」


 サラの仮作業場を先に作った朝。


 同じことを聞かれた。


「行かない」


「本当?」


「ここで火元を調べる」


 カイは不満そうに地面を蹴った。


「俺が行ってもいい?」


「役場が人数を増やすなって」


「子どもだから?」


「危険かもしれないから」


「いつもそれだ」


「じゃあ、ここで一緒に調べて」


「ゲイルより、焦げた木?」


「次の火を止めるため」


 カイは黙った。


「ゲイルさんを見つける人はいる。ここを見る人も必要なんだ」


「俺たちじゃないと駄目?」


「帰り火の人が、商会と一緒に調べることに意味がある」


 カイはしばらく考えたあと、記録板を持ち上げた。


「じゃあ、木場の人だけで決めてないか見る」


「頼む」


     ◇


 火元の樹皮を、燃える前の置き方へ近づけて並べ直す。


 完全には戻せない。


 だが、作業員の記憶と焦げ跡から、おおよその高さを再現する。


「火種は、この辺」


 布の塊が見つかった位置。


 地面に近い。


「上じゃないの?」


 ミラが尋ねる。


「下なら、樹皮へ火が移る」


「でも空気が少ない」


「隙間があった」


 樹皮は平らな板ではない。


 曲がり、重なり、隙間ができる。


「煙が先に出る」


 ガルドが言った。


「火種が小さいうちは、白い煙だ」


「見張りが気づく?」


「夜なら、においか」


「見張り小屋から、風はどっち?」


 昨夜の風向きを思い出す。


 住居区側から木場側。


 煙は見張り小屋とは反対へ流れた。


「発見したのは、炎が上がってから」


「すぐ見つけてほしかったなら、見張り側へ置く」


 ミラが言った。


「でも、完全に隠すなら積み場の裏」


「中間?」


「少し燃えてから見つかる場所」


 木場を焼き尽くすには遠い。


 すぐ消されるには隠れている。


 炎が上がり、住人が集まり、柵の印に気づく程度の時間。


「誰かが、見つける時刻を考えた?」


「見張り交代の隙間を知ってた」


 サラが娘へ食事を届ける。


 商会側の見張りが木場の奥を確認する。


 五十息ほど、入口が無人になる。


 その時間だけでは、火が大きくなるまで待てない。


「先に置いてあった」


 カイが言った。


「見張りが離れる前に?」


「もっと前」


「昼間?」


「作業停止で人が少なかった」


「誰が木場に入れた?」


 商会の作業員。


 住人の見張り。


 安全確認に入った役場。


 記録具をつけた人。


 多くはない。


 しかし、一人ではない。


「火種を置いたあと、時間がたって燃え始めた」


 具体的な仕組みは板へ書かない。


 ただ、


 ――火をつけた者が、発見時刻に現場へいなかった可能性。


 と残す。


「なら、ゲイルさんが姿を消したあとでも置ける?」


 ミラが尋ねる。


「置いた時刻が分からない」


「火事のとき町にいなかったから、犯人じゃないとは言えない」


「逆に、いなかったから犯人とも言えない」


     ◇


 樹皮の山の下から、焦げていない小さな木片が見つかった。


 表面に、白い粉。


「石灰?」


 ドムが指先で触れず、刃の先で少し取る。


「石灰に似てる」


「古い石灰窯と関係ある?」


 カイがすぐに言った。


「木場でも石灰は使う?」


「印をつけるときに少量」


 作業員が答える。


「材木の端へ番号を書く」


「白い粉なら全部同じに見える」


「水へ入れてみる」


 ドムが別の器へ少量を落とす。


 熱を持つほどではない。


 古く、湿気を吸っている。


「石灰窯の物とは限らん」


「でも、何かを包んでた木片?」


 木片には、細い溝。


 何かを巻いた跡。


 火種に使われた可能性。


「これも残す」


「証拠?」


「まだ物」


 物から勝手に物語を作らない。


     ◇


 午後を過ぎても、捜索隊は戻らなかった。


 木場の作業員たちは落ち着かない。


「見つからないんじゃないか」


「逃げたんだ」


「石灰窯に行ったのも、別人かもしれない」


 ヴァルクは何度も町側の道を見る。


「ゲイルさんと、長い付き合い?」


 ミラが尋ねた。


「五年ほどです」


「仲良かった?」


「私は帳簿と土地管理。ゲイルは現場です」


「仲良くなかった?」


「仕事仲間です」


「嫌い?」


 ヴァルクが少し困った顔をする。


「必要な技術を持った人物だとは評価していました」


「それ、好きじゃない言い方」


「仕事に好き嫌いを持ち込む必要がありますか」


「心配してる?」


 ヴァルクは答えなかった。


 代わりに、管理小屋の鍵箱を見る。


「ゲイルが楔材を変更したのは、初めてではありません」


「前にも?」


「納期を優先し、記録をあとに回すことがありました」


「知ってた?」


「注意はしていました」


「止めなかった?」


「事故は起きていませんでした」


「今回は起きた」


「はい」


 ヴァルクの声が低くなる。


「私も、ゲイルだけへ責任を負わせられる立場ではありません」


 管理する者が、現場の慣習を知りながら認めていた。


 記録に残っていないだけで。


「だから、火事の犯人にもしたくない?」


「私がゲイルへ楔の責任を負わせた直後です」


「みんな、信じる」


「だからこそ、証拠が必要です」


     ◇


 日が傾き始めたころ。


 西の道から人影が現れた。


 最初に役場の捜索員。


 次にハーレン。


 サラ。


 その後ろに、戸板のような物を四人で担いでいる。


「見つかった!」


 カイが走り出す。


「近づくな!」


 ハーレンが声を上げる。


 戸板の上には、ゲイルが横たわっていた。


 頭に布。


 左足を板で固定されている。


 顔色は悪い。


 だが、胸は動いていた。


「生きてる?」


 ミラが尋ねる。


「生きています」


 サラが答えた。


 服と手に、白い粉がついている。


 石灰窯で見つかったのだろう。


「何があった?」


 ヴァルクが近づく。


「窯の裏の斜面に落ちていた」


 ハーレンが答える。


「頭を打ち、足を傷めています」


「一人で落ちた?」


「分かりません」


「話せる?」


「途中で一度だけ目を覚ましました」


 サラは、ゲイルの顔を見ない。


「何て?」


「水をくれって」


「ほかは?」


「鍵を返した、と」


 周囲がざわめく。


「本人が言っただけだ」


 ベルンが言う。


「そうだよ」


 サラが答えた。


「だから、それだけで信じるな。でも、嘘と決めるな」


「サラさんが言う?」


「私だって、最初は逃げたと思った」


 石灰窯へ向かう途中。


 サラは、ゲイルが火をつけて逃げたと思っていた。


「でも、逃げる人間が金も食料も持たずに、使われてない窯の裏で倒れてるか?」


「追っ手から隠れた」


「頭を割って足まで折って?」


「自分で落ちたかもしれない」


「そうかもしれない」


 サラは否定しない。


「だから調べるんだろ」


     ◇


 ゲイルを、帰り火の空いた小屋へ運ぶことになった。


「町の治療所じゃないの?」


 俺が尋ねる。


「今は動かさない方がいい」


 捜索に同行した治療師が答えた。


「足を固定し、頭の腫れを見ます」


「商会の宿舎は?」


「階段があります」


 帰り火の小屋は一階。


 入口も広い。


「帰り火の家に入れるのか」


 ベルンが言った。


「こいつがサラの家を壊した」


「家を壊した原因の一つを作った」


 サラが訂正する。


「同じだろ」


「同じじゃない」


「お前がかばうのか」


「かばってない!」


 サラの声が震えた。


「あいつがしたことは、起きて話せるようになったら聞く。楔のことも、私の家のことも」


「なら町の道へ寝かせておけ」


「怪我人を捨てたら、昔の連中と何が違う!」


 ベルンが黙る。


 西外仮宿。


 病を恐れられ、町から追い出された人々。


「助けることと、許すことは別だ」


 サラが言った。


「あいつを助けても、家のことは忘れない」


     ◇


 治療師がゲイルの服を確認する。


 刃物による大きな傷はない。


 後頭部の打撲。


 左足の腫れ。


 腕に擦り傷。


「斜面を転げた傷に見える」


「押されたか、自分で落ちたかは?」


「傷だけでは分かりません」


 外套の内側から、折り畳まれた紙が出た。


「触る前に記録」


 リゼが紙の位置を描く。


 胸元の内袋。


 濡れているが、文字は残っている。


「読める?」


「商会の連絡書式です」


 ヴァルクが答えた。


「何て?」


「返却鍵に相違あり。旧石灰窯にて確認」


「誰の署名?」


「署名はありません」


「商会の印は?」


 紙の隅。


 二本の斜線。


 その間に一点。


「この印は?」


「ドーレン商会の荷役管理符号です」


「誰が知ってる?」


「木場の管理担当。荷受け責任者。商会本部の輸送係」


「ヴァルクさんも?」


「知っています」


 住人たちの視線がヴァルクへ向く。


「私が書いたものではありません」


「証明できる?」


 ベルンが尋ねる。


「筆跡を比較できます」


「誰かがまねしたら?」


「符号自体は、商会内部なら知る者がいます」


 ヴァルクだけの秘密ではない。


 だが、帰り火の一般住人が簡単に知るものでもない。


「紙はどこから?」


「商会で使う荷受け紙です」


「商会の中の人?」


 カイが言う。


「商会の紙を手に入れた人」


 俺は答えた。


「まだ、内部の人とは決めない」


 紙の端には、濃い青色の繊維が付着していた。


「火元の布と同じ色」


 ミラが言った。


「同じ布?」


「調べる」


 青い布。


 染料。


 呼び出しの紙。


 木場の火元。


 一つずつ、線がつながり始める。


 けれど、つながったように見える線ほど慎重に見なければならない。


     ◇


「鍵は?」


 ヴァルクが尋ねた。


 ゲイルの服。


 外套。


 腰袋。


 靴。


 どこにもない。


「窯の周囲も探した」


 ハーレンが答える。


「見つかったのは、これです」


 革の小さな袋。


 鍵を入れられる大きさ。


 紐が切れている。


「ゲイルの物?」


 ヴァルクが確認する。


「商会から管理責任者へ渡す鍵袋です」


「中身はない」


「はい」


 袋の外側に、白い粉。


 内側には、薄い油。


「鍵が入ってた跡?」


「金属が擦れた跡はあります」


「火事の鍵?」


「形を比べる物がない」


 管理小屋の町側門。


 予備鍵は一本。


 現物がなくなっている。


「袋だけ持って窯へ行った?」


「呼び出しには、返却鍵の相違と書いてある」


 ミラが言った。


「誰かに、鍵を確認するって呼ばれた」


「ゲイルさんは、鍵を持っていった?」


「返したって言った」


「じゃあ、袋の中は空だった?」


「もう一度話を聞かないと分からない」


     ◇


 夜に近づくころ、ゲイルが目を覚ました。


 全員は入れない。


 治療師。


 ハーレン。


 ヴァルク。


 住人代表としてサラ。


 記録役のリゼ。


 俺とミラは、入口の外で待った。


「何でレオは入らないの?」


 カイが尋ねる。


「人が多いと、ゲイルさんが混乱する」


「話を聞きたくない?」


「聞きたい」


「なら」


「あとで記録を読む」


 文字は読めない。


 リゼに読んでもらう。


「自分で見ないと、顔は分からない」


「今は治療師が見る」


 全部を自分で確かめなければ気が済まなかった。


 けれど、俺がいることで悪くなる場面もある。


     ◇


 小屋の中から、低い声が聞こえた。


「ここは……」


「帰り火です」


 サラの声。


「何で、あんたが」


「捜しに行ったからだよ」


「俺を?」


「勘違いするな。あんたへ聞くことがある」


「家のことか」


「それもだ」


 少し間。


「火は」


 ゲイルの声が変わった。


「木場で火が出た」


「誰が」


「こっちが聞きたい」


「俺じゃない」


「それは、これから確かめる」


 サラは、嘘だとも本当だとも言わなかった。


「鍵を返したって?」


「ああ」


「いつ」


「責任を外されたあとだ。管理小屋の箱へ戻した」


「見た人は?」


「いない」


「そのあと、呼び出しの紙を受け取った?」


「宿の扉に挟まってた」


「誰から?」


「管理符号があった。ヴァルクだと思った」


 小屋の中で、ヴァルクが息を吸う音がした。


「私は出していない」


「だったら、誰だ」


「窯で会った相手は?」


 ハーレンが尋ねる。


「誰もいなかった」


「一人で落ちた?」


「窯の裏で、音がした」


「何の音」


「石が崩れたような」


「振り返った?」


「何かが当たった」


「何が?」


「分からない」


 ゲイルの声が苦しそうになる。


 治療師が休ませようとする。


「もう一つだけ」


 サラが言った。


「鍵袋は持ってた?」


「箱へ返した鍵が違うと書いてあった」


「だから?」


「空の袋だけ持っていった。鍵は箱にあると思ってた」


「窯で鍵を受け取るつもりだった?」


「違う鍵を返したなら、確認すると」


「箱に入れた鍵は、本物だった?」


「俺が使ってた鍵だ」


「間違いない?」


「町側門を開けてた鍵だ。間違えるか」


 その言葉のあと、ゲイルは目を閉じた。


 話はそこで終わった。


     ◇


 リゼが外へ出て、証言を読み上げた。


 ゲイルは鍵を返した。


 呼び出しの紙を受け取った。


 空の鍵袋を持って石灰窯へ行った。


 相手には会っていない。


 背後で音がし、何かが当たった。


 その後の記憶はない。


「自分で頭を打って、都合よく忘れた」


 ベルンが言った。


「そうかもしれない」


 ハーレンが答える。


「誰かに襲われたのかもしれない」


「証拠は?」


「窯の上部に、ゲイル以外の足跡が一つ残っていました」


 皆が静かになる。


「靴は?」


「底の一部が滑らかで、踵に細い横線」


「帰り火の人?」


「同じ靴を持つ者は、まだ確認していません」


「商会?」


「商会の標準作業靴とは違います」


「町の人?」


「町で売られている形です」


 特別な靴ではない。


「ゲイルを落とした人が、火をつけた?」


 カイが尋ねる。


「分からない」


 今度は、カイも怒らなかった。


「でも、同じ紙に青い布がついてた」


「つながってるかもしれない」


「誰かが、ゲイルを犯人にしたかった?」


 ミラが言った。


 仕事を外された直後。


 鍵を持つ。


 住人と対立。


 姿を消す。


 火事。


 疑われる条件が、きれいにそろっている。


「そろいすぎてる」


 俺は呟いた。


「どういう意味?」


「犯人に見えるよう、置かれたみたいだ」


     ◇


 ヴァルクは管理符号の写しを見つめている。


「この符号を使う者を、商会内で確認します」


「何人?」


「現在、この町で七人」


「多い」


「本部まで含めれば、さらに増えます」


「木場の計画を知ってる人は?」


「七人のうち四人」


「ゲイルさんが外されたことは?」


「昨日の夕方、本部へ報告しました」


「どうやって?」


「伝令です」


「紙?」


「封書です」


「誰が運んだ?」


 ヴァルクの顔が止まる。


「商会の使いです」


「今どこ?」


「本部へ戻っているはずです」


「確認する」


 ハーレンが言った。


「本部にも?」


「役場から照会します」


「商会内部を疑うのですか」


「帰り火の住人だけを疑うより公平でしょう」


 ヴァルクは反論しなかった。


     ◇


 夜。


 共同地図の横へ、新しい記録を加える。


 ――ゲイルを負傷した状態で発見。


 ――鍵は未発見。


 ――商会内部の符号を使った呼び出し紙。


 ――紙に青い繊維。


 ――石灰窯に別の足跡。


 そして、分からないこと。


 ――火をつけた者。


 ――ゲイルを呼び出した者。


 ――ゲイルを傷つけた者。


 ――三つが同一人物かどうか。


「同じ人じゃない可能性もある?」


 ミラが尋ねる。


「一人がゲイルを呼び出し、別の人が火をつけたかもしれない」


「協力した?」


「偶然かもしれない」


「偶然が多すぎる」


「だから調べる」


 板には、事実より「不明」が多い。


「前なら、嫌だった」


 俺は言った。


「分からないままなのが?」


「ああ」


「今は?」


「嫌だけど、埋めない」


 分からない場所を、都合のいい答えで埋めない。


     ◇


「ゲイルさん、ここで寝るの?」


 ルナが小屋の方を見る。


「しばらく」


「帰り火の人?」


「違う」


「でも、帰り火の家にいる」


「怪我が治るまで」


「治ったら?」


 誰も答えられなかった。


 商会へ戻るのか。


 責任を問われるのか。


 火事の疑いが晴れるのか。


「家を壊した人も、家に入れるんだね」


 ルナが言った。


「サラさんが決めた」


「優しい?」


「怒ってる」


「怒ってても助ける?」


「ああ」


「変なの」


「人は、一つだけじゃないから」


 怒っている。


 許していない。


 それでも助ける。


 正しいか間違いか。


 味方か敵か。


 どちらか一つに分けられない。


     ◇


 小屋の中。


 ゲイルは眠っている。


 サラが入口の外へ椅子を置き、見張っていた。


「休まないの?」


 俺が尋ねる。


「逃げられたら困る」


「足を動かせない」


「火をつけた仲間が来るかもしれない」


「ゲイルさんが犯人だと思ってる?」


「分からない」


 サラが、その言葉を使った。


「でも、あいつが楔を替えたことは変わらない」


「ああ」


「私の家が使えなくなったことも」


「ああ」


「助けたから、許したと思うなよ」


「思わない」


「ゲイルにも言っておいて」


「自分で言うんじゃない?」


「起きたらね」


 サラは小屋の壁へ背を預ける。


「見つけたとき、どう思った?」


「最初は、ざまあみろって」


 隠さなかった。


「倒れてたのを見て?」


「そのまま置いて帰ろうとも思った」


「でも運んだ」


「娘たちに、何て言えばいい」


「何を?」


「家を壊した男だから、怪我してても見捨てたって」


 サラは暗い道を見る。


「許せなくても、したくないことはある」


     ◇


 木場の火は、人を傷つけなかった。


 少なくとも、大きな怪我は出なかった。


 けれど、火をつけた者は、木材だけを狙ったのではないのかもしれない。


 住人と商会。


 サラとゲイル。


 ヴァルクと現場。


 役場と帰り火。


 それぞれの間へ、疑いを置いた。


 消えた人間は、都合がいい。


 反論しない。


 自分の行動を説明できない。


 残された者が、好きな理由をつけられる。


 四十一年前。


 西外仮宿の人々も、記録から消された。


 石鳴村へ移ったことにされ。


 仮宿で何が起きても、そこには誰もいなかったことにされた。


 今回も同じだ。


 ゲイルがいないからと、火事の罪を全部置けば。


 記録の上では、事件は終わる。


 木場の管理責任者が、解任を恨んで放火した。


 鍵を持って逃亡。


 それだけで、分かりやすい話になる。


 だが、ゲイルは逃げていなかった。


 古い石灰窯の斜面で、怪我をして倒れていた。


 鍵も持っていない。


 呼び出した者も分からない。


 消えた者を犯人にすれば、事件は簡単になる。


 けれど、簡単な答えで塞いだ下に、本当の火種が残っていれば。


 また別の場所が燃える。


 俺は、共同地図の横へ掛けられた釘の印を見る。


 人の名前。


 人の言葉。


 分からないこと。


 どれも消さない。


 ゲイルの名前も、まだ犯人の欄には書かなかった。


 その代わり。


 呼び出し紙に使われていた商会の符号を、事実の板へ写した。


 二本の斜線。


 その間の一点。


 ヴァルクを含む、限られた者しか使わない印。


 火事の疑いは、帰り火の住人から姿を消したゲイルへ移り、今度はドーレン商会の内側へ向かい始めていた。


 疑う相手が変わるたび、最初の根拠まで正しかったことにしてはいけない。

お読みいただきありがとうございます。


負傷して発見されたゲイルは、木場の鍵を返したと証言しました。

さらに、彼を呼び出した書き置きには、ドーレン商会内部で使われる符号が残されています。


次回は商会本部から調査役が訪れ、帰り火の土地をめぐる契約そのものに、ヴァルクも知らなかった条件が存在したことが明らかになります。


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