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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第一部 居場所を建てる

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第十八話 火には、入口もいる

 扉を作るなら、入口の大きさを測ればいい。


 そう思っていた。


「上と下で、幅が違う」


 俺は縄を持ったまま、入口を見上げた。


 石壁へ取りつけられた古い木枠。


 昨日まで扉のなかった開口部は、上より下の方が指二本分ほど広かった。


「左右の柱が真っすぐじゃないからね」


 ミラが、下げ振りの重りを見つめる。


 左側の枠は、上へ行くほど少し内側へ傾いている。


 右側はほぼ真っすぐだが、中央だけ外へ膨らんでいた。


「四角じゃない」


 カイが言った。


「扉は四角だろ?」


「普通は」


「なら、枠を削って四角にする?」


「削りすぎれば、枠が細くなる」


 ガルドが入口の横木を木槌で叩く。


 古い木枠には、虫に食われた小さな穴がある。


 だが、内部はまだ硬い。


「枠を全部替えるほどじゃない。扉の方を合わせる」


「曲がった扉を作るの?」


 カイが尋ねる。


「見た目は四角に近くする」


「近く?」


「完全な四角を入れれば、開かないか、隙間が大きくなる」


 新しい家なら、柱と横木をそろえてから扉を作れる。


 だが、古い家の修繕では、今ある形に合わせなければならない。


 俺は入口の幅を三か所で測った。


 上。


 中央。


 下。


 次に高さも、左と右で測る。


「右の方が低い」


 ミラが縄へ印をつける。


「床は昨日そろえたのに?」


「入口の横木が傾いてる」


 床を水平に近づけたことで、今まで分かりにくかった枠の傾きが、逆にはっきり見えるようになっていた。


「扉の上を斜めにする?」


 カイが言う。


「少しだけ」


「そんな扉、変じゃないか?」


「開かなければ、もっと変だ」


 家は、絵の中のように整った線だけでできてはいない。


 歪んだ壁。


 沈んだ梁。


 違う高さの床。


 その間で動く扉は、理想の四角ではなく、実際の入口に合わせて作る必要がある。


     ◇


 扉に使う板は、三枚だった。


 一枚目は、役場の解体材置き場から来た厚い板。


 二枚目は、空き家に残っていた古い棚の背板。


 三枚目は、昨日外した屋根板のうち、腐っていなかった部分を切り取ったもの。


「全部、色が違う」


 ルナが言った。


 今日は熱も下がり、朝から家を見に来ている。


 まだ作業中のため、ネッサと一緒に柵の外へ座っていた。


「塗れば同じになる」


 カイが答える。


「何を塗るの?」


「……知らない」


「木を守る油か、灰を混ぜた塗り材だな」


 ガルドが板を並べる。


「ただし、今日は塗らん。木が湿ってる」


「このままでも使える?」


「ああ」


 三枚の板は、厚さも少しずつ違う。


 表側をそろえ、裏側の段差は横木で調整する。


「隙間ができる」


 板同士を並べると、中央に指先ほどの隙間ができた。


 棚板が少し反っている。


「削って真っすぐにする?」


「削る前に、向きを変えろ」


 ガルドが棚板を裏返す。


 反りの向きが、隣の板と近くなった。


 隙間が半分ほどに減る。


「それでも残る」


「細い木を入れる?」


「雨が直接当たる扉なら、継ぎ目へ水が入りにくい形にする」


 細長い当て木を、室外側から隙間へ重ねる。


 継ぎ目そのものへ詰め込むのではなく、上から覆う形だ。


「板が動いても、隙間が見えにくい」


 俺が言う。


「木は湿れば膨らみ、乾けば縮む」


 最初から隙間を完全に消しても、季節が変われば板同士が押し合うかもしれない。


「屋根と同じだね」


 ミラが言った。


「水は上から下。扉にも重なりを作る」


「横から風も来る」


「だから、当て木を風上側へ少し広くする」


 この家の入口は南東を向いている。


 広場ほどではないが、西から来た風が壁へ当たり、入口の方へ回り込むことがある。


 見えない風が、扉の隙間へ水を押し込むかもしれない。


     ◇


 板を仮に並べたあと、裏側へ二本の横木を渡す。


 上と下。


 さらに、その二本を斜めにつなぐ木を一本。


「横木だけじゃ駄目?」


 カイが尋ねる。


「扉が下がる」


 ガルドが三枚の板を持ち上げる。


 蝶番をつける側を左。


 開く側を右として立てる。


「扉の重さは、蝶番側で支える。右下は、時間がたつと下へ落ちようとする」


「斜めの木で持ち上げる?」


「蝶番側の下から、反対側の上へ渡す」


 左下から右上。


 扉が下がろうとする向きへ、斜め材が突っ張る。


「逆向きにつけたら?」


「押さえるより、引っ張る形になる。木の接合が緩めば効きにくい」


 俺は仕事板へ、扉と斜め材を描く。


 見た目には一本の木。


 だが、向きには理由がある。


「俺が切る」


 カイが鋸へ手を伸ばした。


「先に長さを測れ」


 ガルドが鋸を遠ざける。


「見れば分かる」


「切ったあとで短ければ、伸ばせるのか?」


「……縄で引けば」


「扉の中へ縄を張るつもりか」


「冗談だよ」


「顔が本気だった」


 カイは横木の間へ、斜め材を当てる。


 片方へ印。


 反対側にも印。


「その線で切ると、短い」


 俺が言った。


「何で?」


「横木の内側へ入る分がない」


 斜め材の端を、横木へ少し欠き込んで取りつける。


 表面同士を触れさせるだけでは、ずれやすい。


「長めに切って、あとで合わせる」


「材料が余る」


「短く切って使えなくなるよりいい」


 カイは少し外側へ線を引き直した。


「今度は?」


「使える」


 ガルドが答える。


 カイが鋸を引く。


 昨日より刃の動きは滑らかだった。


 切断線からも、大きく外れない。


「真っすぐ?」


 切り終えた木を見せる。


「前よりは」


「使える?」


「削ればな」


「そればっかりだな」


「最初から削らずに済むと思うな」


 カイは不満そうだったが、口元は少し笑っていた。


     ◇


 扉を動かす蝶番には、空き家の中から見つかった古い金具を使う。


 長い鉄板の先に輪がついたものが二本。


 壁側へ固定される金具も残っていた。


「錆びてる」


 ミラが言う。


「折れない?」


 鉄の表面は赤茶色に変わっている。


 だが、錆を削ると中から黒い鉄が見えた。


「表面だけだ」


 ガルドが金具を木槌で軽く叩く。


 高い音がする。


「深い割れもない」


「油を塗る?」


「ああ」


 汚れを落とし、薄く油を塗る。


 輪の中へ通す鉄の棒も一本だけ残っていた。


「もう一つは?」


「見つからない」


 カイが家の中を探したが、二本目はなかった。


「新しく鉄を使う?」


 釘より太い棒が必要になる。


 金はかかる。


「木で作れない?」


 俺は鉄の輪を見る。


「木の軸を入れる」


「すぐ削れる」


 ガルドが答える。


「でも、上の蝶番だけ鉄。下は木なら?」


「重さは上だけにかからない」


「仮なら?」


「扉は毎日動かす。仮のまま使われるものほど、壊れ方を考えろ」


 ガルドは道具袋から、曲がった太い釘を一本出した。


「これを伸ばす」


「釘を使うの?」


「工房で曲がって使えなくなったものだ」


「俺の借りの釘?」


「違う」


「少し期待した」


「借りは減らん」


 ガルドが持ち込んだ小さな炭炉で鉄の釘を熱し、道具袋から出した金床の上で叩く。


 カイが炉用に集めた炭を少しだけ使う。


 曲がった釘が、徐々に真っすぐな棒へ変わる。


「鍛冶屋じゃなくてもできる?」


「小さな直しだけだ」


 ガルドは無理に細くせず、輪へ通る部分だけを整えた。


「鉄も再利用するんだな」


「木より高いからな」


 新しい材料を買う前に、使えなくなった形を別の形へ直す。


     ◇


 扉へ金具を取りつける。


 釘は必要な本数だけ。


 金具の穴すべてへ打つのではなく、力のかかる端と中央を選ぶ。


「穴があるなら、全部使った方が強い」


 カイが言う。


「板の端へ釘を並べすぎれば、割れる」


 ガルドが穴の位置を指す。


「ここは以前の扉で使った穴だ。今の板の幅とは合わない」


「使わない穴が残る?」


「ああ」


「格好悪い」


「折れた扉よりはいい」


 先に細い穴を開けてから、釘を打つ。


 板が割れないようにするためだ。


 金具を取りつけた扉を、全員で入口へ運ぶ。


「重い」


 カイが下側を持ちながら言う。


「板三枚だけなのに」


「横木と鉄がある」


「毎日これを動かすの?」


「蝶番が支える」


 壁側の金具へ、上から軸を通す。


 一つ目。


 二つ目。


「手を離すぞ」


 扉が入口へ下がる。


 地面には触れない。


 右側の枠との隙間も、上では指一本。


 中央で少し狭くなり、下で再び広がっている。


「閉めてみろ」


 カイが扉を押す。


 途中までは動いた。


 だが、最後の少しで止まる。


「当たってる」


 右上。


 斜めになった横木へ、扉の角が触れていた。


「削る?」


「どちらを」


 ガルドが尋ねる。


「扉」


「なぜ」


「枠を削ると、家の方が弱くなる」


「それだけか?」


 扉の上端には、まだ削れる厚さがある。


 枠は虫穴があり、できるだけ残したい。


「扉なら外して直せる」


「そうだ」


 炭を扉の上端へ薄く塗る。


 もう一度閉める。


 当たっている場所だけ、枠へ炭が移る。


「印がついた」


 ミラが言う。


「そこだけ削る」


 全部を斜めに削るのではなく、当たる部分を少しずつ。


 一度削る。


 扉を戻す。


 まだ当たる。


 もう一度。


 三度目で、扉は枠の中へ収まった。


「閉まった!」


 ルナが柵の外で手を叩く。


「開けて」


 カイが内側から押す。


 扉は動かない。


「閉じ込められた?」


「引く扉だろ」


「取っ手がない!」


 外側には仮の縄をつけていたが、内側には何もない。


 全員が一瞬黙った。


「先に取っ手をつけるべきだった」


 俺が言う。


「見るだけで分かっただろ」


 ガルドが外から扉を開ける。


「入る前に、出る方法を作れ」


 扉は、外を遮るためだけにあるのではない。


 中から外へ出るためにも使う。


     ◇


 取っ手は、鉄ではなく木で作る。


 内側と外側へ小さな横木をつけ、縄で連動する簡単な掛け金も設ける。


「鍵は?」


 カイが尋ねる。


「内側から閉じる木の棒を作る」


「外からは?」


「掛け金だけ」


「盗まれる」


「何を?」


「家の物」


 今は、棚と縄の道具くらいしかない。


 だが、カイはこれから物が増えると思っている。


「外からも鍵をかけるなら、鉄がいる」


 ガルドが言う。


「木の棒を抜けないようにする方法は?」


「外から縄を引いて動かせるようにする?」


「それなら、誰でも開けられる」


 完全な錠を作るには、鍛冶屋へ頼む必要がある。


「今すぐ必要?」


 俺が尋ねる。


「ルナを一人で残すとき」


「最初は一人にしない」


 ネッサが答えた。


「詰め所と行き来しながら暮らせ。鍵はその間に考える」


 全部を今日完成させる必要はない。


 ただし、必要なものを忘れてもいけない。


 仕事板へ、鍵の印を加える。


「また仕事が残った」


 ミラが言う。


「住めることと、全部そろうことは別だ」


     ◇


 扉が閉まると、部屋の中は急に暗くなった。


 屋根の隙間は塞がれている。


 窓は、小さな開口が一つだけ。


 そこにはまだ板の雨戸しかなく、明かりを取り入れる薄布や、透けるほど薄く削った角板もない。


「昼なのに暗い」


 ルナが入口から覗く。


「扉を開ければ明るい」


 カイが答える。


「冬は閉めるんでしょ?」


「炉が明るい」


「煙くない?」


「煙を外へ出すために、今から炉を作る」


 屋根と床。


 扉。


 最後に、火を使う場所。


 炉は北側の石壁へ寄せる。


 ただし、壁へ直接火をつけるわけではない。


「床板を外す」


「せっかく作ったのに?」


 カイが驚く。


「炉の下に木は置けない」


 北側の床板は、昨日から外せるよう木栓を少なくしてある。


 数枚を外し、石台と横木も炉の範囲だけ避ける。


 土の上へ小石を敷き、その上に平たい石を並べる。


「床より低くする?」


「同じくらい」


 ドムが石を調整する。


「低すぎれば、床板の端へ火が近づく。高すぎれば、鍋を置きにくい」


 炉の左右と後ろは、床板から手のひら二つ分以上離して石を置く。正面は火の粉や薪が落ちるため、腕一本分まで石を伸ばす。


「もっと広くした方が安全」


 俺が言う。


「広げれば、部屋が狭くなる」


「二人しか住まない」


「寝る場所と、棚もいる」


 限られた一部屋。


 安全のための距離を確保しながら、暮らす場所も残す。


「前だけ広い」


 ミラが石の形を見る。


「薪を入れる場所だからな。火を使う向きに合わせて、石を前へ伸ばす」


「形が真ん丸じゃない」


 ミラが言う。


「使い方に合わせてる」


     ◇


 炉の石は、昨日下げた左側の壁から選んだ。


 熱を受けても割れにくい石。


 水を多く含んでいない石。


「濡れた石を火に入れたら?」


 カイが尋ねる。


「急に割れることがある」


 ドムが答える。


「中の水が熱で広がる」


「水をかけて洗った石は?」


「表面が乾いただけでは使わん。昨日から屋根の下へ置いていた」


 一見乾いていても、内部に水が残っているかもしれない。


 軽く叩き、音を聞く。


 割れや層がないか見る。


「この石は?」


 カイが平たい石を持ってくる。


 ドムが手に取り、側面を見る。


「使わん」


「ひびはない」


「川石だ」


「丸いから?」


「水を含んでる可能性が高い。それに、積みにくい」


 家の壁に使われていた角のある石を選ぶ。


 炉の底。


 左右。


 奥。


 低い石壁のように積む。


 隙間には、粘土と細かい砂を混ぜたものを詰める。


「石灰じゃないの?」


「強い火を受ける場所には、この土の方が持つ」


 ドムが粘土を手で押し込む。


「乾く前に大きな火を入れるな」


「今日、試せない?」


「小さな火だけだ」


 炉の上から、煙を壁の外へ導く。


 この家には、以前使われていた煙の出口が残っていた。


 北壁の上部。


 石を一枚外したような、小さな穴。


「これ、ずっと開いてた?」


 俺が尋ねる。


「布を詰めてた」


 カイが答える。


「寒かったから」


「火を使うときは?」


「外で使ってた」


 古い炉は、左側の作業場にあったのかもしれない。


 右側の部屋の穴は、以前は空気や煙を抜くためのものだった可能性がある。


「穴の外側を見る」


 外へ回る。


 開口の上には、平たい石が斜めに出ていた。


 雨が直接入らない小さな庇だ。


 下には黒い煤の跡。


「前にも煙を出してた」


「なら使える?」


「中を調べる」


 長い棒へ布を巻き、穴へ入れる。


 奥から乾いた煤と、小さな鳥の巣が出てきた。


「鳥が住んでた!」


 ルナが言う。


「今はいない」


 ネッサが巣を確認する。


「古い巣だ」


「壊していいの?」


「使われていない。だが、森の端へ戻しておく」


 穴の中を掃除する。


 外へ続いていることを確認する。


「ここへ煙道をつなぐ」


 炉の上へ石と粘土で細い通り道を作る。


 完全な煙突ではない。


 壁の穴へ向かって上がる、短い煙道。


「真っすぐ上じゃない」


 ミラが言う。


「穴の位置へ向ける」


「横へ曲がったら、煙が止まらない?」


「急に曲げない」


 なだらかに上がる形にする。


 煙は熱で上へ進む。


 途中で下がる場所を作れば、流れにくい。


「水と同じ?」


「似てるけど、煙は熱で上へ行く」


「風が逆から来たら?」


 ミラの質問に、全員が穴の外を見る。


 北壁。


 この町では、西風が多い。


 煙の出口は北を向いているため、正面から強く押し込まれることは少ない。


 だが、建物の周りを回った風が入る可能性はある。


「まず試す」


     ◇


 粘土が形を保つ程度まで乾くのを待つ間、扉の細かな隙間を直す。


 右側。


 上側。


 下側。


「下の隙間が広い」


 カイが言う。


 扉と敷居の間には、指一本ほどの隙間があった。


「寒い」


「木が湿って膨らんでも、床へ当たらないようにするためだ」


「布を詰める?」


「開け閉めできなくなる」


「内側へ垂らす布なら?」


 マーヤから余った細長い布をもらっていた。


 扉の内側へ固定し、床の近くまで垂らせば、風を少し弱められる。


「でも、全部塞がない」


 俺は言った。


「煙を出すなら、空気も入る」


「煙は穴から出る」


「出た分の空気は、どこから来る?」


「……外?」


「扉や窓の隙間」


 部屋から煙と空気が外へ出れば、その分だけ別の空気が中へ入らなければならない。


「寒くなるから、隙間は全部塞ぎたい」


「塞いだ方が暖かい」


 俺も、そうしたくなる。


 だが、火は空気を使う。


 煙を外へ押し出す流れも必要だ。


「扉の下は、少し残す」


「虫が入る」


「細い木の格子をつける?」


 ミラが言った。


「空気は通って、大きい虫は入りにくい」


 敷居の横。


 扉の開閉を邪魔しない場所へ、小さな空気穴を作ることもできる。


「穴を増やすの?」


 カイが嫌そうな顔をする。


「まず、火を試してから決める」


     ◇


 炉の粘土が乾くまで、大きな火は使えない。


 細い木片を少しだけ入れる。


 火をつける前に、煙道の流れを見る。


「何を燃やす?」


 俺は乾いた草を少量、炉の中で燻らせる。


 炎ではなく、白い煙だけを出す。


 扉は開けたまま。


 煙はゆっくり上がり、煙道へ吸い込まれた。


「外へ出た!」


 ルナが壁の外を指差す。


 細い白煙が、穴から上へ流れている。


「成功?」


「扉を閉める」


 カイが室内に残り、扉を閉じた。


 俺とガルドも中にいる。


 光が減る。


 最初の数瞬、煙は同じように煙道へ入った。


 だが、次第に流れが遅くなる。


 炉の上で煙が揺れる。


「止まった?」


 煙が部屋の方へ広がり始めた。


「扉を開けろ」


 カイがすぐに扉を開く。


 外から空気が入り、煙は再び煙道へ引かれていった。


「煙道が詰まった?」


「扉を閉めたときだけだ」


 俺は敷居の隙間へ手を当てる。


 わずかに冷たい空気が入っている。


 だが、火と煙道が必要とする量には足りない。


「家を閉じすぎた」


 カイが言う。


「寒くしないために扉を作ったのに?」


「火を使うなら、空気の入口も必要だ」


「穴を開けたら寒い」


「火を使ってないときは閉じられるようにする」


 扉の下に大きな隙間を残すのではなく、壁の低い位置へ小さな通気口を作る。


 炉の近くではない。


 反対側の入口近く。


「火のそばに穴を開けた方が、すぐ空気が行く」


 ミラが言う。


「冷たい風が火へ直接当たると、灰が舞う」


「じゃあ、床の近くを通って、ゆっくり行く?」


「ああ」


 入口側から入った空気が、床の上を通り、炉へ向かう。


 その間に少し暖められる。


「空気の道を作る」


 扉の横にある木枠の下。


 石壁との間に、以前の釘穴より少し大きな隙間があった。


「ここを広げる」


「枠を削る?」


「傷んでる部分だけ」


 虫穴の周囲を取り除く。


 細長い通気口を作る。


 外側には雨が入りにくいよう、斜めの小さな庇をつける。


 内側には、上下へ動かす木の板。


「これで閉じられる?」


 カイが板を上げ下げする。


「火を使うときは開ける」


「忘れたら?」


「煙が入ってくる」


「ルナが一人のときは?」


「一人で火を使わせない」


 ネッサが即座に答えた。


「それと、板に印をつける」


 俺は通気板の表面へ、火と矢印の絵を描いた。


「火を使うとき、上へ開ける」


「また変な絵」


 ミラが言う。


「分かればいい」


「ルナ、分かる?」


 ミラが尋ねる。


「火のとき、上」


 ルナが板を持ち上げた。


「分かってる」


     ◇


 もう一度、乾いた草を燻らせる。


 通気口を開ける。


 扉を閉める。


 入口の近くから、冷たい空気が静かに入る。


 床を通り、炉へ向かう。


 煙は煙道へ上がった。


 今度は止まらない。


「外へ出てる!」


 壁の外で見ていたミラの声。


「少し火を大きくする」


 細い薪を二本。


 小さな炎が上がる。


 煙は部屋へ戻らない。


 通気口へ手を当てると、空気が確かに入っている。


「寒い?」


 カイが尋ねる。


 通気口の近くは冷たい。


 だが、部屋の中央では炉の熱を感じる。


「板を半分閉めたら?」


 通気口を少し狭くする。


 炎が弱くなった。


 煙の流れも遅くなる。


「火の大きさに合わせる」


「大きな火なら全開?」


「ああ。ただし、今日は大きな火を使わない」


 炉の粘土が乾くまで、何日か必要だ。


「待つことばっかりだな」


 カイが言う。


「乾く前に火を強くしたら、ひびが入る」


「住み始めてから乾かせる?」


「小さい火だけなら」


 火を使いながら、少しずつ乾燥させる。


 急に熱を入れない。


     ◇


「扉を閉めて、火を使える」


 ミラが指を折る。


「床も沈まない。屋根も漏れない」


「壁は?」


 ドムが右側の石壁を確認する。


 昨日下げた左側の壁。


 新しく作った端部。


 残した右側。


 一つずつ叩き、目地を見る。


「動いてない」


「新しい柱と梁は?」


 ガルドが下げ振りを使う。


 昨日と位置は変わっていない。


 灰蔓の縄も、雨の試験後に少し締まった状態で安定している。


「床下」


 点検板を外す。


 石台に沈みはない。


 土の湿りも、昨日より減っていた。


「北側の排水」


 外へ回る。


 家から離れた場所に掘った溝。


 外周排水まで、泥で塞がっていない。


「炉」


 煙が外へ抜ける。


 周囲の木へ、熱が直接当たらない。


 正面には石の床。


 通気口も動く。


「扉」


 開閉。


 内側の掛け金。


 外側の簡単な留め具。


 扉は枠へ当たらず動いた。


「完全な錠前は、あとでつける」


 俺が言う。


「記録に残します」


 リゼが紙へ書く。


「窓の板も、今は仮のものです」


「冬までに、明かりを入れられる形にする」


「それも記録します」


 まだ終わっていないものはある。


 それでも、人が暮らすために必要な安全は確保された。


 ガルドとドムが、家の前へ並ぶ。


「木部は、居住に使える」


 ガルドが言った。


「七日後に、柱と床を再点検する」


「石部も問題ない」


 ドムが続ける。


「炉は三日間、小さな火だけだ。目地にひびが出たら使うな」


 リゼが最後の文字を書く。


「役場として、仮管理人による居住を認めます」


 カイはすぐには返事をしなかった。


「今日から住んでいい?」


「今夜からです」


「ルナも?」


「もちろんです」


 カイがルナを見る。


 ルナは意味を理解するまで少し時間がかかった。


「帰っていいの?」


「ああ」


 カイが答えた。


「ここに」


     ◇


 森番の詰め所に置いていた二人の荷物は、驚くほど少なかった。


 毛布が二枚。


 器が三つ。


 服。


 カイの契約書。


 ルナが薬草を入れてもらった小さな袋。


 それだけだった。


「全部、棚に入る」


 ミラが言う。


 脚を直した古い棚。


 左側の作業場に残っていたものだ。


 折れた脚は、短い木を継ぎ足して修理してある。


「余った場所は?」


 ルナが尋ねる。


「これから増える物を置く」


 カイは以前と同じことを答えた。


 床へ乾いた藁を敷く。


 その上に毛布。


 炉の近くには、薪を少量だけ置く。


 壁へは、縄職人オルグの道具を掛け直した。


「これ、使っていいの?」


 カイが確認する。


「管理のため、家の中へ保管することはできます」


 リゼが答える。


「使い方を習うまでは、傷めないようにしてください」


「誰に習う?」


「町の縄職人組合へ、オルグさんを知る人がいないか確認しています」


「見つかる?」


「分かりません」


 カイは俺を見る。


「また、分からない」


「分からないから調べる」


「知ってる」


     ◇


 最後に、壁の背丈の線へ新しい文字を加える。


 古い線の横には、以前暮らしていた子どもたちの名前らしき文字が残っていた。


 その一番下。


 カイが以前つけたルナの線。


「今日は、名前を書く約束でしたね」


 リゼが炭を持つ。


 別の薄い板へ、まず二人の名前を書く。


「これが、カイ」


 短い線と、曲がった線。


 以前覚えた「石」の文字とは違う。


「難しい」


「一度で覚える必要はありません」


「壁に書くなら、間違えたくない」


「練習してからにしましょう」


 カイが板へ何度も書く。


 一度目は、最後の線が逆。


 二度目は、形が大きすぎた。


 三度目。


「読める?」


「カイと読めます」


「本当に?」


「ええ」


「レオには?」


 板を見せられる。


「分からない」


「俺の名前だ」


「形は覚えた」


「先に覚えたな」


「次は俺も書く」


 ルナは、リゼに手を添えてもらいながら、自分の名前を書く。


「ルナ」


「これが?」


「そうです」


「丸がある」


「月を表す古い形が入っています」


「わたし、月なの?」


「名前の由来までは分かりません」


 それでも、ルナは丸い部分を気に入ったらしい。


 何度も指でなぞる。


 カイが壁へ、自分の名前を書く。


 少し曲がっている。


 その下に、ルナが書く。


 最後の線だけ、リゼに直してもらった。


 二つの名前が、古い背丈の線の隣へ加わった。


「前の人の名前と、一緒になった」


 ミラが言う。


「消した方がいい?」


 カイが尋ねる。


「残しておけばいい」


 俺は答えた。


「この家にいた人が、増えた」


 オルグの家。


 名前の分からない子どもたち。


 カイ。


 ルナ。


 空き家だった建物へ、時間がもう一度つながっていく。


     ◇


 夜になる前に、全員が家の外へ出た。


 今夜からは、カイとルナの二人だけが中へ残る。


 ただし、最初の夜だけは、ネッサが鐘一つごとに外から煙と火の様子を確かめることになっていた。


「本当に大丈夫?」


 ミラが何度も尋ねる。


「炉は小さい火だけ」


 カイが答える。


「通気口を開ける」


「扉の掛け金も」


「閉める」


「変な音がしたら?」


「外へ出て、森番の詰め所へ行く」


「床が鳴ったら?」


「点検板は勝手に開けない。明日レオたちを呼ぶ」


「煙が戻ったら?」


「火を消して、扉を開ける」


 カイは全部覚えていた。


「話が長い」


 最後に付け足す。


「それ、わたしの言葉」


 ミラが不満そうにする。


「何かあったら呼べ」


 ネッサが家から詰め所までの道を確認する。


 途中に灯りを置く。


「分かった」


「信用できる分かったか?」


 ガルドが尋ねる。


 カイは、いつもの言葉を返そうとして少し止まった。


「信用されるまで、手入れする」


「それでいい」


 全員が帰り始める。


 俺は道の途中で振り返った。


 扉が閉まる。


 内側から掛け金の動く音がする。


 通気口の板が上がる。


 しばらくして、壁の上の小さな煙穴から、白い煙が出た。


 細く。


 途切れず。


 風に流され、夜の空へ上がっていく。


 火がついた証拠。


 中で人が暮らしている証拠。


「煙が出てるね」


 ミラが言う。


「ああ」


「家になった?」


「なった」


 今度は迷わず答えられた。


     ◇


 俺たちの家へ戻ると、エナが入口で待っていた。


「カイたちは?」


「今日から住める」


「そう」


 エナは安心したように笑う。


「ミラ。明日、毛布を一枚持っていってあげなさい」


「うちに余ってる?」


「古いものがあります。繕えば使えます」


「寒くない?」


「三人で一枚より、二人へ一枚渡す方がいいでしょう」


「でも、おばあちゃんが」


「私は炉の近くで眠れます」


 ミラは少し迷ったあと、頷いた。


「マーヤさんに、直し方を教えてもらう」


「それがいいですね」


 家の炉からも煙が上がっている。


 カイたちの家の煙。


 俺たちの家の煙。


 町の端に、二本の細い煙が並んでいた。


 家の中へ火を入れるためには、火を囲う石が必要だった。


 煙が出る道が必要だった。


 そして、外から新しい空気が入る道も必要だった。


 寒さを防ぐため、すべての隙間を閉じればいいわけではない。


 外を拒むだけでは、火も人も息ができない。


 扉は、閉じるためだけにあるのではない。


 出入りするためにある。


 通気口は、寒さを入れるだけの穴ではない。


 火を燃やし、煙を外へ出すための入口になる。


 家は人を外から守る。


 けれど、外のものを何も入れずに暮らすことはできない。


 空気。


 水。


 光。


 人。


 必要なものを入れ、危険なものを避け、いらなくなったものを外へ出す。


 家は閉じた箱ではない。


 内と外を分けながら、つなぐための場所なのだ。


「レオ」


 エナが声をかける。


「明日の朝、リゼさんが来るそうですよ」


「点検?」


「役場へ来てほしいとのことです」


「何の話?」


「町外れの家について、と言っていました」


 俺たちの家。


 カイとルナの家。


 町の端に建ち始めた、いくつかの居場所。


「悪い話?」


 ミラが不安そうに尋ねる。


「分からない」


「やっぱり、それ」


「でも、行けば分かる」


 俺は二本の煙を見上げた。


 家を一軒建てれば、その場所だけで話が終わると思っていた。


 けれど、一軒の家の周りには道がいる。


 水を流す場所がいる。


 火を使う決まりがいる。


 そして、人が住んでよいと認める約束がいる。


 家が増えれば、町の形も変わる。


 明日、役場で何を言われるのかは分からない。


 それでも、今夜だけは二本の煙が消えずに上がっていた。


 一つは、俺たちが帰る家から。


 もう一つは、今日初めて、カイとルナが帰る家になった場所から。

お読みいただきありがとうございます。


扉と炉が完成し、カイとルナは新しい家での暮らしを始めました。

次回、レオは役場へ呼ばれ、町外れに建ち始めた家々と土地の扱いについて話し合うことになります。


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