第十七話 床下の風
家の中へ入る雨を止めても、床の下に水が残っていれば、人は乾いた場所では眠れない。
「屋根を先に直すんじゃないのか?」
朝一番に空き家へ来たカイが、外された床板を見下ろして言った。
残った一部屋の北側。
昨日、ドムが外した床板の下には、まだ黒く湿った土が見えている。
「先に屋根の材料を運ぶ」
俺は答えた。
「でも、組む前に床下を乾かしておく」
「同時にやる?」
「ああ」
「順番は?」
「作業は分ける。でも、乾くのを待つ時間は使う」
全部の仕事を一つずつ終わらせてから次へ進む必要はない。
屋根の木を加工している間に、床下へ風を通す。
土を乾かしている間に、使える床板を選ぶ。
ただし、同じ場所で別の作業を重ねれば危険になる。
「屋根の下では木を切らない」
ガルドが荷車から木材を下ろしながら言った。
「床を外した部屋にも、勝手に入るな」
「俺、管理人なんだけど」
「落ちる管理人はいらん」
「昨日から、そればっかりだな」
「昨日から危ないことばかりしようとするからだ」
カイが言い返そうと口を開く。
だが、昨日切り離した太い梁を見て、何も言わなかった。
梁の内部は黒く腐り、中央の半分ほどが崩れている。
もし眠っている間に落ちていれば、管理人になる機会すらなかった。
◇
今日使う材料は、空き家の前に三つの山へ分けられていた。
役場の解体材置き場から運ばれた木材。
昨日、左側の屋根から外した再利用できる材。
町の人たちが持ち寄った板。
「これがセナさんの棚板」
ミラが、白い粉のついた板を指す。
表面には、小麦粉と油が長年染み込んでいた。
「削れば使えるって言ってた」
「床に?」
カイが板へ鼻を近づける。
「パンの匂いがする」
「魚よりいいだろ」
隣には、ボルツが持ってきた魚箱の板がある。
何度洗っても、薄い魚の匂いが残っていた。
「これは外で使う」
俺は言った。
「どこに?」
「左側の作業場に、小さな台を作れる」
「ルナが魚臭いって言う」
「家の外なら少しはましだ」
「少ししかましじゃないのか」
マーヤからは、厚い布が一枚届いていた。
破れた天幕の端を切り取ったものらしい。
屋根の下へ敷く防水の補助として使えるかもしれない。
「布を屋根に入れるの?」
ミラが尋ねる。
「屋根板の下全部じゃない」
ガルドが布を広げる。
「切り離した側の端だけだ」
昨日、左側の屋根と梁を外したため、右側の屋根には新しい端ができた。
そこは以前まで建物の中央だった場所だ。
本来なら雨風にさらされない。
「外側だった場所と、内側だった場所では作りが違う」
ガルドが言う。
「端には、雨を外へ落とす板と、風で屋根板がめくれない押さえが必要だ」
「壁を切ったら、内側が外側になった」
俺が仕事板へ屋根の断面を描く。
「だから、外側にするための仕上げを足す」
「ただ切るだけじゃ終わらないんだな」
カイが言った。
「家を半分にしたんだから、切った面を新しく閉じないといけない」
傷んだ場所を外しただけでは、残した場所まで新しい弱点になる。
◇
屋根へ使う木材を確認していると、ネッサが森番の詰め所から細長い包みを持ってきた。
「オルグの家に残っていた縄だ」
包みを開く。
太さの違う古い縄が、何本も並んでいた。
表面は埃で灰色になっている。
「使える?」
カイが尋ねる。
「すぐには使わん」
ガルドが一本を持ち上げ、曲げる。
表面から細かな繊維が落ちた。
「古すぎる」
「じゃあ捨てる?」
「見本にする」
昨日、古い屋根の接合部には、木の溝へ縄を巻き込む独特な固定方法が使われていた。
ガルドは解く前に、その巻き方を仕事板へ描いている。
「同じ結び方がある」
ミラが一本の見本縄を指す。
短い木片へ縄が巻かれている。
梁と垂木の模型のようなものだ。
縄はただ何周も巻かれているのではない。
最初の一周で木を押さえ、次の縄を交差させ、最後に巻いた縄同士の間へ別の部分を通して締めている。
「引けば、交差したところがさらに締まる」
俺は縄の端を引いた。
木片同士が強く引き寄せられる。
「でも、外すときは?」
カイが尋ねる。
「この端を抜けば緩む」
ミラが小さな輪を見つけた。
「早い」
「屋根を修理するとき、全部切らずに外せるようにしてある」
ガルドが古い見本を何度か動かす。
「縄職人が自分の家へ使った結び方だな」
「今も使う?」
「考え方は使える」
「同じ縄じゃ駄目なの?」
「古い縄は切れる」
「新しい縄で同じ形にする?」
「ああ」
ネッサが新しい縄を一本出した。
普通の麻縄より少し黒い。
「灰蔓の繊維だ」
「魔法の木?」
「蔓だ。森の湿った場所に生える」
「水に強い?」
「濡れると少し縮む」
俺は縄を見る。
「屋根が雨で濡れたら、締まる?」
「乾けば多少戻る。何度も繰り返せば伸びるが、麻よりは屋外向きだ」
「最初から強く締めすぎたら?」
「雨でさらに縮んで、木を割る」
ガルドが答えた。
材料の性質がよいからといって、強く使えばよいわけではない。
「どこまで締める?」
「乾いた状態で、木が動かない程度だ」
「数字は?」
「縄の太さも、木の硬さも違う」
また、手と目で覚える仕事だった。
「俺がやる」
カイが言った。
「見本をほどいて、元に戻せ」
ガルドが古い木片を渡す。
「屋根に使わせてくれないのか?」
「結び方も知らん奴が、いきなり屋根を押さえるのか」
「練習したら?」
「ほどいて、結んで、十回同じ形にできたら考える」
「十回?」
「嫌なら運搬へ戻れ」
「やる」
カイは地面へ座り、見本を見ながら縄をほどき始めた。
◇
屋根の修理は、残った板をすべて外すところから始まった。
「雨が降ったら、屋根がなくなる」
ミラが空を見る。
雲は少ない。
それでも、山の方角には白い雲が集まっている。
「今日中に戻す」
ガルドが答えた。
「終わらなかったら?」
「仮の布を掛ける」
「絶対に終わるとは言わないんだね」
「雨がいつ降るかは、俺が決めることじゃない」
屋根板を一枚ずつ外す。
以前の位置を忘れないよう、炭で印をつける。
使えるもの。
端だけ切れば使えるもの。
腐っているもの。
昨日より、カイは判断を急がなくなっていた。
「これは?」
「裏を見て」
俺が言う。
表面は硬い。
裏側には、白い斑点が広がっている。
「何だこれ」
「菌?」
ネッサが削る。
「表面だけだ。乾かしてから使える」
「すぐ戻さないの?」
「湿ったまま重ねれば、また広がる」
「板が足りなくなる」
「足りない分は解体材を使う」
再利用することにこだわって、傷んだ材料を無理に戻せば、修繕そのものが短く終わる。
「残すものを選ぶのって、捨てるより難しいな」
カイが言う。
「自分の家になると、何でも残したくなる?」
「ああ」
壊れた棚。
古い板。
縄。
どれも、今までカイたちが持てなかったものだ。
「でも、腐った屋根を残したら、ルナが濡れる」
「なら、残さない」
カイは白い斑点のある板を、乾燥用の場所へ運んだ。
◇
屋根板を外すと、残っていた垂木の状態が見えた。
右側の外壁へ近い部分は硬い。
だが、昨日切り離した中央側では、一本だけ端が黒くなっている。
「これも腐ってる?」
「端だけだ」
ガルドが刃物を入れる。
黒い部分を削ると、その奥から硬い木が出た。
「短くすれば使える?」
「短くした分、梁へ届かん」
「継ぎ足す?」
「屋根の途中で弱い継ぎ方はしない」
「替える?」
「ああ」
解体材から、太さの近い木を選ぶ。
少し曲がっている。
「真っすぐじゃない」
「曲がりを上にする」
ガルドが木材を横へ置く。
中央がわずかに盛り上がる向き。
「屋根の重さがかかれば、少し下がる」
「逆にしたら?」
「最初から沈んだ形になる」
同じ曲がりでも、向きによって使い方が変わる。
「木の癖を消すんじゃなく、使う」
「無理に削れば細くなるからな」
長さを測る。
古い垂木と並べる。
外壁側の欠き込み位置を写す。
「俺が鋸を使う」
カイが、縄を持ったまま立ち上がる。
「十回できたのか?」
「九回」
「あと一回だ」
「九回でも同じだろ」
「十回と言った」
カイは不満そうに座り直す。
縄をほどく。
結ぶ。
途中で交差の向きを間違える。
「今ので最初から?」
「自分で決めろ」
「最初からやる」
十回目は、これまでで一番ゆっくりだった。
一周。
交差。
締める。
端を輪へ通す。
木片を揺らす。
動かない。
「できた」
「外して、もう一度」
「十回って言った!」
「屋根へ使うなら、十一回目もできる必要がある」
「ずるい!」
「現場で、練習は十回までだから十一回目は失敗しましたと言うのか?」
カイは縄を握ったまま黙った。
「やる」
十一回目。
今度は見本をほとんど見なかった。
「使える」
ガルドが言う。
「屋根で?」
「地面に置いた垂木を結ぶ」
「屋根の上じゃないのか」
「最初から高い場所でやるな」
それでも、カイの顔は少し明るくなった。
◇
新しい垂木を加工する。
鋸は、ガルドが最初の切り込みを入れたあと、カイへ渡された。
「両手で持て」
「分かってる」
「力で押すな。刃を前後へ動かせ」
カイが鋸を引く。
最初は刃が木へ食い込み、動かなくなった。
「強く押しすぎだ」
「押さないと切れない」
「刃が切る。お前は動かす」
力を抜く。
ぎい。
ぎい。
少しずつ木粉が落ちる。
切断線から、わずかに外れ始めた。
「右へ逃げてる」
俺が言う。
「分かってる」
「なら戻して」
「途中で曲げたら刃が折れる」
ガルドが答える。
「一度抜け。反対側から線へ合わせろ」
鋸を抜く。
木材を回す。
反対側から切り込む。
最後に中央でつながる。
切断面は、少し段になった。
「失敗?」
カイが尋ねる。
「垂木の端なら削って直せる」
「使える?」
「ああ」
ガルドは平らな刃物で切断面を整える。
「最初から真っすぐ切れる奴はいない」
「レオは?」
「最初はもっと曲がった」
「余計なことを言うな」
「本当か?」
「木が悪かった」
「言い訳まで覚えなくていい」
ミラが笑った。
◇
垂木を屋根へ載せる。
外壁側は木の欠き込みへ入れる。
中央側は、昨日立てた新しい柱と梁へ固定する。
ここで、オルグの家に残っていた結び方を使う。
「カイ」
ガルドが呼ぶ。
「下で作った縄を渡せ」
「俺が結ばないの?」
「一つ目は見ろ」
灰蔓の縄を、垂木の溝へ沿わせる。
梁の下へ回す。
交差。
締める。
古い見本と同じ形だ。
「強さは?」
カイが尋ねる。
「ここで止める」
ガルドが縄を引いた状態で、カイに触らせる。
「まだ少し動く」
「手で強く揺らせばな。屋根板を載せれば、上からも押さえられる」
「雨で縄が縮む」
「そうだ」
乾いた今、完全に締めきらない。
「次は、カイ」
「屋根に上る?」
「足場から届く」
カイが足場へ上る前に、ネッサが腰へ縄を回した。
「何これ」
「落ち止めだ」
「落ちない」
「落ちるつもりで上る奴はいない」
縄の反対側は、地面の大きな石へ固定する。
「動きにくい」
「動ける範囲で作業しろ」
カイは足場へ上る。
顔が少し強張っていた。
「怖い?」
ミラが下から尋ねる。
「怖くない」
「足、震えてる」
「足場が揺れてるんだ」
「揺れてないよ」
「黙ってろ!」
垂木と梁へ縄を回す。
一周。
交差。
下で練習した形。
だが、屋根の高さでは木の向きが違う。
身体を自由に動かせない。
「縄が裏返ってる」
俺が下から言う。
「見えない」
「左手のところ」
「どっちが左だ」
「カイの左だよ!」
「分かってる!」
ガルドが足場の反対側へ回る。
「急ぐな。見えないなら、手を止めて身体の位置を変えろ」
「落ち止めが引っかかる」
「先に外すな。縄を緩めてもらえ」
ネッサが地上で少しだけ縄を送る。
カイが身体を移動する。
結び目が見える位置へ来た。
「今度は分かる」
縄の向きを直す。
締める。
端を輪へ通す。
「できた」
「揺らせ」
垂木を手で動かす。
わずかにずれた。
「緩い」
「もう少し締める」
「引くだけじゃなく、交差の位置を木の溝へ合わせろ」
縄の位置を整える。
もう一度締める。
今度は動かない。
「どう?」
「使える」
ガルドが答えた。
カイは足場の上で笑った。
すぐに表情を戻したが、下から見えていた。
◇
垂木をすべて取りつけたあと、横木を渡す。
その上へ屋根板を下から順に並べる。
「上からじゃないの?」
ミラが尋ねる。
「下の板へ、上の板を重ねる」
雨は屋根の上から下へ流れる。
上側の板の端を下側の板の上へ載せれば、水は継ぎ目へ入りにくい。
「逆にしたら?」
「上から来た水が、板の下へ入る」
「すぐ分かりそうなのに、間違える人いる?」
「上下を考えず、置きやすい方から始めたら間違える」
端の一枚。
次の一枚。
古い板と、解体材の板を混ぜて使う。
厚さが違うため、段差ができる。
「薄い板の下へ、小さい木を入れる?」
「水がたまらない形ならな」
ガルドが薄い板の下へ細い当て木を置く。
「板の上をそろえる」
「下はそろわなくていい?」
「屋根の中で水を止めないことが大事だ」
板の外側には、マーヤの布を細く折って入れる。
切り離した端の内側。
風で吹き込んだ雨が、室内へ回り込まないための補助だ。
「布だけで水を止める?」
「板が主だ」
俺は答える。
「布は、板を越えた少しの水を受ける」
一つの材料だけへ、全部を任せない。
屋根板。
布。
押さえ木。
それぞれが少しずつ役割を持つ。
最後に、切断面へ新しい縁板を取りつける。
元は内側だった梁の端を覆い、雨へ直接さらされないようにする。
「家が閉じた」
カイが下から見上げる。
昨日までは、切り取られた木材の断面が見えていた。
今は板で覆われ、屋根の端として形が整っている。
「まだ試す」
ガルドが水の入った桶を持ってくる。
「雨は降ってない」
「だから水をかける」
屋根の上へ、少量ずつ流す。
水は板の重なりを伝い、軒先へ落ちる。
切り離した側の縁板にもかける。
室内へ入り、裏側を見る。
「漏れてない」
カイが言う。
「一回では分からん」
同じ場所へ、もう一度。
今度は少し多く流す。
縁板の隙間から、布がわずかに湿った。
「入った?」
「板を越えた水を、布が受けてる」
布の下端は屋外へ出してある。
染みた水が室内ではなく、外へ流れる。
「布も屋根の一部なんだな」
「見えなくなるけどな」
完成すれば、布は縁板の内側へ隠れる。
見えない材料が、家を守る。
◇
屋根の試験をしている間に、床下の土は朝より乾いていた。
完全ではない。
だが、表面の黒い湿りは減っている。
「土を全部出す?」
カイが尋ねる。
「柔らかいところだけ」
床下の北側。
指で押すと沈む場所を取り除く。
その下から、少し硬い土が出る。
「もっと深く掘れば、もっと乾く?」
「掘りすぎたら、壁の下を弱くする」
ドムが石壁の根元を指した。
「この線より壁側へ入るな」
床を直すために、壁の土台を壊しては意味がない。
取り除いた場所へ、小石を入れる。
「水路と同じだ」
ミラが言う。
「水を含みにくく、空気が通る層を作る」
ただし、水路の埋め戻しのように強く締めすぎない。
「床の下は、少し隙間が必要?」
「ああ」
俺は答えた。
「床板を土へ直接置かない」
古い床は、何本かの細い木を地面へ置き、その上へ板を並べていた。
木の下に石台がなく、湿った土へ触れていた。
そのため、北側から順に腐っている。
「今度は、木を石の上へ置く」
ドムが、小さな平たい石を室内へ運ぶ。
左側の壁から外した石。
大きな壁石としては使いにくいが、床を支える石台には十分だ。
「何個いる?」
部屋の幅と、床を支える木の位置を考える。
「三列」
俺は仕事板へ線を引く。
「入口側、中央、北側」
「壁際へ置きすぎるな」
ドムが言う。
「壁と石台の間に、手が入るくらいの隙間を残せ」
「どうして?」
「あとで湿りを見られる。小石も足せる」
「床を閉じたら見えない」
「一枚だけ外せる板を作る」
俺はすぐに顔を上げた。
「点検口?」
「水路ほど大げさじゃない」
「でも、床下を見られる」
「北側の隅に、釘を打たない板を一枚残す」
持ち上げるための小さなくぼみを作る。
「また、直した場所を隠さない」
「全部に穴を残すなよ」
ガルドが言う。
「必要な場所だけだ」
床下の湿気。
石台の沈み。
虫。
あとから確認できる場所が一つあるだけで、床全部を外さずに済む。
◇
石台を置く。
高さをそろえるため、縄を張る。
入口側の石から、北側まで。
「床は水平?」
ミラが尋ねる。
「少しなら傾いてもいい?」
カイが言う。
「屋根みたいに、水を流す必要はない」
俺は答えた。
「でも、完全に同じ高さじゃなくても歩ける」
「何を基準にする?」
ドムが尋ねる。
入口の敷居。
壁の根元。
新しく立てた柱。
今の建物は、すべてが完全に水平ではない。
「入口でつまずかない高さ」
俺は敷居を見る。
「床板の上が、敷居より少し低いくらい」
「なぜ低くする」
「雨が入口から入っても、奥へ流れにくい?」
「それもある」
ドムが続ける。
「扉を内側へ開くなら、床板が高いと擦る」
まだ扉は作っていない。
それでも、あとで必要になる物の動きを考えて高さを決める。
「家は、今ないものも考えるのか」
カイが言う。
「あとから扉を入れられない家にはしたくない」
縄の高さを基準に、石台を調整する。
低い石の下へ小石を足す。
高すぎる石は、土を少し掘る。
すべてをそろえたあと、床を支える横木を載せる。
「古い横木は?」
カイが尋ねる。
「南側の一本だけ使える」
北側の二本は、土に触れていた下面が腐っていた。
「新しい木が足りない」
役場の解体材から一本。
昨日外した屋根の横木から、使える部分を切ったものが一本。
古い床の横木が一本。
三本とも太さが違う。
「上をそろえる」
石台と木の間に、薄い木片を入れて高さを調整する。
「下がばらばらでも、床板を受ける面がそろえばいい」
「柱と同じだ」
俺たちの家でも、柱の長さが違う分を石台で調整した。
同じ考え方が、床にも使える。
◇
床板を並べる前に、ガルドが板の裏へ細い溝を削り始めた。
「何の溝?」
カイが尋ねる。
「全部じゃない。北側の板だけだ」
「水を流す?」
「空気だ」
板の裏へ浅い溝を作る。
床を支える横木へ板が全面で触れるのではなく、わずかな空気の道を残す。
「そんな小さな溝で変わる?」
「何もないよりはな」
「床板の間を開ければ?」
「大きく開ければ、冷気と虫が上がる」
板と板の間には、髪の毛より少し広い程度の隙間を残す。
木は湿気を吸えば膨らむ。
「ぴったりつけた方が寒くない」
カイが言う。
「今ぴったりでも、雨の季節に膨らんだら押し合う」
「床が盛り上がる?」
「ああ」
乾いた状態で、少しの動く余地を残す。
布屋根と同じだった。
動かないよう固めすぎると、別の場所へ力が集まる。
セナの棚板は、表面を削るときれいな木が出た。
油の染みは完全には消えない。
だが、腐りはない。
「パンの匂い、なくなった」
カイが言う。
「少し残ってるよ」
ミラが鼻を近づける。
「ルナが喜ぶかも」
「床を食べないように言わないとな」
「食べない」
カイが真顔で答えた。
床板は、入口から奥へ順番に並べる。
すべてを釘で止めるのではない。
「釘は高いから?」
「それもある」
ガルドが木栓用の穴を開ける。
端の板と、人がよく歩く中央だけを木栓で固定する。
ほかは板同士を寄せ、外れないよう小さな受け材へはめる。
「全部止めないの?」
「腐った板だけ外せる」
「点検口じゃない場所も?」
「家は手入れするものだ」
壊れた一枚を替えるため、床全部を壊す必要はない。
最初から、直せるように作る。
「俺たちの家も、そうすればよかった」
俺が言う。
「今から変えられる」
ガルドが答える。
「今度点検するとき、床板の止め方を見ろ」
自分たちの家も、建てたら終わりではない。
◇
最後の一枚を残して、床がほとんど埋まった。
北側の隅。
床下を見るための板。
持ち上げるため、端に小さなくぼみを削る。
表面には、水路の蓋石とは違う印をつける。
「何の印?」
ミラが尋ねる。
「床下を見る板」
「絵は?」
俺は四角の中に、小さな目の形を描いた。
「変な顔」
「目だよ」
「床に目があるの?」
「下を見るための板だから」
「レオの印は、説明されないと分からない」
「記録にも描く」
リゼが管理記録へ同じ印を写す。
「将来、別の管理人が使う場合にも説明できます」
カイが板の印を見る。
「別の管理人」
いつか、自分たちが出たあと。
カイは何も言わず、最後の板をはめた。
釘は打たない。
それでも、周囲の板に支えられ、上を歩いても動かない。
「入っていい?」
「まだ」
ガルドが答える。
「今度は何?」
「床を試す」
最初は、俺とカイ。
軽い二人で入口から奥まで歩く。
「沈む?」
「少し鳴る」
中央の板が、きい、と音を立てた。
「そこを踏め」
何度か体重をかける。
板そのものではなく、下の横木が少し動いている。
点検板を外し、床下へ灯りを入れる。
「中央の石台が沈んでる」
「少しだけだ」
ドムが細い棒を入れ、石台の下へ小石を追加する。
板を戻す。
もう一度歩く。
音はしない。
「次は大人」
ガルド。
ドム。
ネッサ。
一人ずつ歩く。
最後に、二人同時。
床は沈まない。
「これでいい?」
「今日はな」
「また点検?」
「数日住んで、音が出たら見る」
使い始めてから分かることもある。
◇
屋根と床は直った。
だが、まだ家の中には扉がない。
炉もない。
「今日、住めない?」
カイが尋ねる。
「雨と床は大丈夫」
俺は室内を見る。
屋根の隙間から光は入らない。
床は乾いている。
昨日より、はっきり部屋らしくなった。
「夜は寒い」
ネッサが言う。
「扉がないから?」
「それもある。床下の土も、まだ湿っている」
「でも、ルナを連れてきたい」
「見るだけなら」
夕方、ネッサがルナを連れてきた。
熱はほとんど下がっている。
まだ顔色は白いが、自分で歩けるようになっていた。
「ここ?」
ルナが小さな声で尋ねる。
「ああ」
カイが先に家へ入る。
「床、変わったんだぞ」
ルナは入口で立ち止まり、新しい床を見つめた。
「前と違う」
「腐ってたから替えた」
「わたしの藁は?」
「外に干してる。乾いたら戻す」
「壁の線は?」
ルナが、背丈の線が残っていた壁を探す。
「まだある」
右側の壁板は外さずに残している。
古い線の一番下。
ルナの胸ほどの高さに、最近つけたらしい小さな線があった。
「これ、ルナ?」
ミラが尋ねる。
「カイがつけた」
ルナが答える。
「前の人と同じことをしたの?」
俺が言うと、カイは少し気まずそうにした。
「線があったから」
「名前は?」
「書けない」
「今度、リゼさんに書いてもらう?」
「自分で書く」
カイは契約書へ描いた石の印を思い出したのか、壁へ指を当てた。
「名前を覚えてから書く」
「わたしも?」
ルナが尋ねる。
「ああ」
「いつ?」
「家ができたら」
「まだ、できてないの?」
ルナには、屋根も床も直っているように見えるのだろう。
「扉と炉がない」
「前もなかった」
「今度は作る」
「どうして?」
「冬でも、ここにいるから」
カイの言葉に、ルナは少し考えた。
「ずっと?」
「しばらく」
ずっととは言わなかった。
契約の内容を覚えている。
それでも、以前より先の話をしている。
◇
ルナが部屋の中を歩く。
一歩。
二歩。
セナの棚板を削った場所で止まり、しゃがむ。
「パンの匂い」
「まだする?」
カイが驚く。
「する」
ルナが少し笑った。
「お腹すいた」
「床は食べられないよ」
ミラが言う。
「分かってる」
外からセナの声がした。
「食べる物なら持ってきたよ」
籠には、黒パンと温かいスープ。
「今夜はここで食べてもいい?」
カイがネッサへ尋ねる。
「暗くなる前に詰め所へ戻るなら」
「炉ができたら、ここで作れる?」
「火を使える状態になればな」
全員で、屋根の直った部屋に座る。
まだ家具はない。
椅子もない。
新しい床へ、布を敷く。
「家の中で食べるの、久しぶり」
ルナが言った。
以前も、この場所で食べていたはずだ。
だが、屋根が落ちる音を聞きながら、濡れた床の上で過ごす場所を家の中と呼べるのかは分からない。
「まだ住めないけど」
カイが言う。
「明日?」
「炉と扉を作ってから」
「明後日?」
「たぶん」
「絶対?」
カイが俺を見る。
答えを押しつけられた。
「問題がなければ」
「レオみたいな言い方になった」
ミラが笑う。
「絶対って言うなって、みんな言うから」
カイがパンをちぎる。
「でも、帰れるようにはする」
ルナは頷き、パンを口へ入れた。
◇
食事のあと、屋根へ再び少量の水を流した。
床下の点検板を開け、石台が動いていないか確認する。
屋根に漏れはない。
床にも異常はない。
灰蔓の縄は、水を吸って少しだけ締まっていた。
「強くなった?」
カイが結び目へ触れる。
「締まりすぎてないか見る」
木へ縄が深く食い込んではいない。
垂木にも割れはない。
「俺が結んだところ、大丈夫?」
「ああ」
ガルドが短く答える。
カイはそれだけで満足したようだった。
「明日も使える?」
「屋根は終わりだ」
「別のところ」
「扉の木枠を組む」
「縄は?」
「使わん」
「じゃあ何をする?」
「まず、今日使った鋸を手入れしろ」
「家ができるまで、ずっと片づけばっかりだ」
「片づけない奴の家には、道具がなくなる」
以前くさびを盗んだカイには、少し効く言葉だった。
「ちゃんと戻す」
「数も数えろ」
「分かってる」
「信用されるまで?」
「働く」
二人のやり取りは、もう決まった挨拶のようになっていた。
◇
夕方、ルナたちが詰め所へ戻ったあと、俺は一人で部屋の中へ立った。
屋根。
壁。
床。
人が暮らす場所は、その三つに囲まれている。
屋根は、上から来る雨を防ぐ。
壁は、横から来る風を弱める。
床は、下にある冷たさと湿気から人を離す。
床板だけを見れば、ただの木だ。
だが、その下には石台がある。
小石がある。
空気の通る隙間がある。
外には、水を逃がす溝がある。
目に見える床の下に、いくつもの仕事が隠れている。
「何してるの?」
ミラが入口から顔を出した。
「床を見てる」
「ずっと見てたよ」
「完成したあと」
「同じじゃない?」
「人が歩いて、食事をした」
作る前の床。
作っている途中の床。
使われ始めた床。
同じ板でも、意味が変わる。
「ルナ、笑ってたね」
「ああ」
「パンの匂いがする床って、いいね」
「虫が来なければな」
「すぐ現実の話をする」
「床下の点検は必要だ」
「それ、ルナに言わなくていいよ」
俺たちは家の外へ出る。
空き家だった建物には、新しい屋根の端ができていた。
古い灰色の板の中に、色の違う解体材が混じっている。
完全にそろった屋根ではない。
床板も、パン屋の棚板と古い家の板が並んでいる。
けれど、水は落ちるべき場所へ流れた。
人が歩いても、床は沈まなかった。
残された縄職人の結び方は、新しい縄で屋根を支えている。
前の家を消して、新しい家へ入れ替えたわけではない。
古い仕事の上へ、今必要な仕事を重ねた。
「明日は、扉と炉?」
ミラが尋ねる。
「ああ」
「それができたら住める?」
「親方たちが確認してから」
「レオは?」
「俺も見る」
「レオが大丈夫って言っても、駄目なことある?」
「ある」
「じゃあ、何のために見るの?」
少し考える。
「俺が見つけられる問題もあるから」
一人ですべてを判断することはできない。
それでも、自分の目を使わない理由にはならない。
木を見る人。
石を見る人。
使う人。
暮らす人。
それぞれが違う場所を見て、初めて家ができる。
「帰ろう」
ガルドが道具を載せた荷車を引く。
「明日は朝から扉の枠だ」
「俺も鋸を使える?」
カイが遠くから尋ねる。
「まず、今日の刃を磨け」
「もう磨いた!」
「なら、油を塗れ」
「塗った!」
「数を確認しろ」
「鋸は一本!」
「やっと覚えたか」
家の前に残ったカイの声が、夕方の道へ響く。
明日、扉ができれば、室内と外を分けられる。
炉ができれば、寒い夜にも火を使える。
そして、親方たちの認証を得られれば、ここは記録上も二人が住める家になる。
けれど、今日も家は一つ完成していた。
ルナが床へ座り、パンを食べた。
カイが、冬もここにいると言った。
まだ扉のない部屋の中で、二人は明日の話をした。
家は、人が住み始める前から家になるのかもしれない。
帰ろうと思う人がいて、その人のために屋根と床が作られたときから。
床は地面へ置かない。
湿った土と、人が眠る場所の間に、石と木と空気を入れる。
人が地面の冷たさへ直接触れずに済むように。
そして、明日へ続く暮らしを、少しだけ高い場所へ持ち上げるために。
お読みいただきありがとうございます。
古い縄職人の技術を受け継ぎながら、屋根と床の修繕が完了しました。
次回は扉と炉を整え、カイとルナが正式に住める家かどうか、最後の確認を行います。




