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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第一部 居場所を建てる

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16/24

第十六話 壊すためにも、順番がいる

 家を直すために、最初にする仕事は家を壊すことだった。


「本当に、こっちを全部なくすの?」


 カイが、左半分の崩れた屋根を見上げる。


「全部じゃない」


 俺は新しい仕事板を地面へ置いた。


 板には、空き家を上から見た形が描かれている。


 右側に、カイとルナが住む一部屋。


 左側に、屋根の落ちた古い作業場。


 二つの間には石と木を組み合わせた壁があり、上には一本の太い梁が渡っていた。


「危ない屋根を外して、壁を低くする」


「低く?」


「人の背より少し高いくらいまで残す」


「全部壊さないのか?」


「全部取った方が早い」


 石工親方のドムが、左側の壁を金属棒で叩きながら言った。


「だが、隣の壁と石が組み合わさってる。境目を考えずに外せば、右側まで緩む」


「なら全部残せば?」


「上が外へ膨らんでる。風を受ければ倒れる」


 カイの表情が曇る。


「残しても駄目。壊しても駄目」


「だから、残す高さを決める」


 ドムは壁の中ほどへ白い線を引いた。


「この下は動いていない。上だけを外す」


「どうして、そこだと分かる?」


「石の継ぎ目を見ろ」


 言われた場所へ近づく。


 上の石は、目地が開き、外側へずれている。


 白い線より下は、隙間が小さい。


「上は雨で粘土が流れてる」


「それだけじゃない」


 ドムが壁の根元を指した。


「下の石は、地面へ半分近く入ってる。上より重く、幅も広い」


「下が土台になってる?」


「ああ」


 大きな石を下へ置き、その上へ少しずつ小さな石を積んでいる。


 全部が同じ強さではない。


「壊す場所も、石を見て決めるんだな」


「絵の線だけで建物が切れると思うなよ」


 仕事板には、右と左を分ける一本の線を描いている。


 だが、実際の建物では、木も石も互いにつながっている。


 壊す側へ赤い布、残す側へ白い布を結び、誰が見ても境界を取り違えないようにした。線は図だけでなく、現場にも必要だった。


 線の位置で切れば、それで二つに分かれるわけではない。


「木の方も、簡単にはいかんぞ」


 家の中からガルドが出てきた。


 肩には埃がつき、手には細長い木片を持っている。


「中央の梁を調べた」


「右側と左側で、別々じゃないの?」


「一本だ」


 ガルドが仕事板の上へ木片を置く。


 建物の中央を横切るように。


「左の屋根を支えてる梁が、そのまま右の部屋まで伸びてる」


「傷んでる場所は?」


「左側だけだと思っていたが、境目の中まで腐りが入ってる」


「切ったら、右の屋根も落ちる?」


「支えずに切ればな」


 昨日、入口の梁へ仮支えを入れた。


 だが、それだけでは足りない。


 左側の傷んだ梁を切り離す前に、右側の屋根を別の木で支えなければならない。


「新しい柱がいる」


「柱と梁だ」


「材料は?」


「役場の解体材置き場から、使えそうなものを持ってきた」


 道の向こうに、荷車が止まっていた。


 ガルドの工房で働く男が、古い木材を何本も下ろしている。


 表面は灰色に変色し、釘穴も残っていた。


「これ、どこから出た木?」


 ミラが一番太い木へ触れる。


「北門近くの倉庫を直したときに外した梁だ」


 リゼが書類を確認しながら答えた。


「役場の記録では、倉庫は四十七年間使用されていました」


「四十七年?」


 カイが驚く。


「そんな古い木を使うのか?」


「古いから悪いとは限らん」


 ガルドが木槌で梁を叩く。


 乾いた音がする。


「水を吸って腐った部分はない。虫穴も表面だけだ」


「新しい木より強い?」


「同じ木なら、よく乾いている分、動きは少ない」


「前の倉庫で使われてた木が、今度は家を支えるんだね」


 ミラが言う。


「梁として使えればな」


 ガルドは、木材の端を見た。


 以前の建物で使った仕口の穴が残っている。


「この欠き込みが、新しく切る場所と重ならないか確認する」


「穴がある場所は弱い?」


「必ず弱いとは言わん。だが、力のかかる位置へ大きな穴を残したくない」


 再利用する材料は、最初から好きな形にできるわけではない。


 傷。


 穴。


 曲がり。


 以前使われていた形を受け入れながら、新しい場所へ合わせなければならない。


     ◇


 作業を始める前に、ドムが全員を家の前へ集めた。


「今日、左側を解体する」


 集まったのは、ドムと弟子のベン、ロイ。


 ガルド。


 俺とミラ。


 カイ。


 森番のネッサ。


 それから、役場のリゼ。


 ルナはまだ体力が戻っていないため、エナの家で預かってもらっている。


「誰でも壊していいわけじゃない」


 ドムが続ける。


「屋根へ触るのはガルドと俺たちだけ。石を外すのは俺とベン。ロイは運搬と道具管理」


「また運ぶだけ?」


 ロイが不満そうに言う。


「昨日、石の下へ手を入れかけた奴に、壁を壊させると思うか」


「もうしない」


「しないことを、仕事で見せろ」


 ロイは口を閉じた。


「レオとカイは?」


「外した木と石に印をつける。再利用できるものと、できないものを勝手に分けるな」


「俺も壊せる」


 カイが言った。


「壊すだけならな」


 ドムの返事は厳しい。


「どこへ力をかければ、何が落ちるか分からん奴に道具は持たせない」


「見てるだけ?」


「見て、運べ」


「俺、家の管理人なんだぞ」


「だからこそ、壊すな」


 カイが納得できない様子で拳を握る。


 自分の家になる場所だ。


 自分の手で直したい気持ちは分かる。


「印をつけるのも必要だ」


 俺は言った。


「壊した木が、どこにあったか残す」


「それが何になる」


「家のどこが傷んでいたか分かる」


「もう外すのに?」


「同じ場所が、どうして傷んだか考えられる」


 屋根の水が集まっていたのか。


 壁から湿気が上がっていたのか。


 煙や熱で乾燥しすぎていたのか。


 壊れた材料は、ごみではない。


 家がどのように傷んだかを残している。


「分かった」


 カイが小さく答える。


「今度の分かったは?」


「信用されるまで働く」


 ドムがわずかに頷いた。


     ◇


 最初に、家の中に残っていたものを外へ運び出した。


 縄職人オルグの道具。


 古い棚。


 背丈の線が残る壁板。


 カイとルナが使っていた藁と器。


「この棚は捨てる?」


 ミラが尋ねる。


 棚は片方の脚が折れ、斜めになっている。


「捨てない」


 カイが先に答えた。


「直して使う」


「誰の棚か分からない」


「家に置いてあった」


「管理人として使うことはできます」


 リゼが言った。


「ただし、家の外へ持ち出したり売ったりはできません」


「直すのは?」


「建物を管理するための修繕に含められます」


 カイは棚を慎重に外へ運んだ。


「これ、ルナの服を置く」


「服、持ってるの?」


 ミラが尋ねる。


「今は一枚だけ」


「じゃあ、棚が余るね」


「これから増える」


 カイは当たり前のように答えた。


 今まで、今日食べる物や、今夜眠る場所だけを考えていた少年が、これから増える物の話をしている。


 家を持つというのは、明日のことを考えられるようになることなのかもしれない。


 すべてを運び出したあと、ガルドが室内の床へ白い線を引いた。


「ここより右へ入るな」


 右側の部屋の中央。


 新しい柱を立てる位置だ。


「仮支えがあるのに?」


 俺が尋ねる。


「仮支えは、今の屋根を落とさないためだ。解体中に梁が動けば、十分とは限らん」


「新しい柱を先に立てる?」


「ああ」


「屋根を直す前に?」


「今ある屋根を残すためだ」


 修理は、完成した形から作る順番を逆に考えることがある。


 壊れた部分を外す前に、残す部分を新しい構造で支える。


「柱の下は?」


 床板を数枚外す。


 その下には湿った土。


 北側ほどではないが、直接柱を置ける状態ではない。


「石台を作る」


 ドムが、左側の壁から外す予定の平たい石を一枚選ぶ。


「まだ壁にあるものを使うの?」


「外すまで柱を立てられないだろ」


「なら、別の石が必要」


 役場の解体材の中に、小さな礎石が一つあった。


 以前は倉庫の床束を支えていたらしい。


 底が平らで、上部に浅いくぼみがある。


「これなら使える」


 ドムが石を床下へ置く。


 周囲の土を少し掘り、小石を敷く。


 高さを確かめる。


「柱は、梁へ届く?」


 ガルドが解体材の柱を立て、隣へ当てる。


 少し長い。


「切る」


「どれくらい?」


「梁を持ち上げない長さ」


 現在の梁は、長年の重みで少し沈んでいる。


 真っすぐな高さまで押し戻せば、屋根板や壁へ新しい力がかかる。


「沈んでるなら、元に戻した方がいいんじゃない?」


 ミラが言う。


「急に戻すと、ほかが壊れる」


 ガルドが答える。


「今回は、今の位置を支える」


「曲がったまま?」


「屋根を直すときに、少しずつ調整する。今日は落とさないことが先だ」


 一度ですべてを正しい形へ戻すのではない。


 今の建物が耐えられる範囲で、順番に直す。


 柱を測る。


 炭で線を引く。


 鋸を入れるのはガルド。


 俺は横から切断線を見る。


「少し斜め」


「どちらへ」


「俺から見て、右が下」


「目だけで言うな」


 小さな角材を切断線へ当てる。


 隙間を見る。


 確かに右が低い。


「よく見た」


 鋸の向きを直し、切り進める。


 柱が必要な長さになった。


 礎石の上へ載せる。


 柱の上部と梁の間には、薄い木のくさびを入れた。


「打ち込むぞ」


 一打。


 柱が梁へ触れる。


 二打。


 わずかに木が軋む。


「止めろ」


 ガルドが手を止める。


 屋根を見る。


 埃は落ちない。


 梁も動いていない。


「支えた?」


 カイが尋ねる。


「ああ。ただし、まだ柱一本だ」


 柱の左右へ斜め材を入れ、横へ倒れないよう固定する。


「これで右側の屋根は、新しい柱でも支えられる」


「古い梁を切っていい?」


「その前に、左の屋根を軽くする」


     ◇


 崩れた左側の屋根には、割れた板や土が積もっていた。


 雨を吸った土は乾き始めている。


 それでも、屋根全体にはかなりの重さが残っていた。


「下から全部落とせば早い」


 カイが言う。


「早く死にたいならな」


 ガルドが梯子を確認する。


「崩れた屋根の下へ入って、支えを外す奴はいない」


「上へ乗るのも危ない」


「ああ。だから外から取る」


 屋根へ直接乗らず、建物の外に足場を組む。


 役場から借りた長い梁を二本立て、横へ板を渡す。


「こんなに大きい足場が必要?」


 ミラが尋ねる。


「屋根へ乗れないなら、別の場所に立つ場所を作る」


 水路工事でも、空洞の上へ直接立たず、梁を渡して作業床を作った。


 同じ考え方だ。


 足場の下。


 木の接合部。


 地面の沈み。


 一つずつ確認する。


「最初に誰が乗る?」


「俺だ」


 ガルドが上る。


 足場を揺らす。


 問題がないことを確かめたあと、ドムも反対側へ上った。


「石工も屋根を外すの?」


「土と石を落とさないためだ」


 屋根には、雨押さえとして平たい石が何枚か載せられていた。


 木材だけ見ていれば、その石が滑り落ちる可能性がある。


「上から、小さいものを先に外す」


 屋根へ積もった枝。


 割れた小さな板。


 土。


 平たい石。


 縄で下ろせるものは、籠に入れて少しずつ降ろす。


「一気に落とさないの?」


「下に人がいなくても、地面へ落ちた石が跳ねる」


「壁に当たるかもしれない」


 カイが答えた。


「分かってきたな」


 ドムが言う。


 石は再利用できるものと、割れているものに分ける。


 屋根板にも印をつける。


 北側。


 南側。


 腐り。


 割れ。


「これは使える?」


 ミラが下ろされた板を指す。


 表面は黒いが、割れてはいない。


「端を押してみて」


 俺が言う。


 ミラが指で押す。


 簡単に木がへこんだ。


「柔らかい」


「中まで腐ってる」


「乾かしたら戻る?」


「腐った木は、元には戻らない」


 使えない材料。


 燃やすことはできるかもしれない。


 ただし、炉の近くで保管すれば虫や菌を持ち込む可能性がある。


「家から離して置く」


「捨てる?」


「ネッサさんに聞く」


 森では、傷んだ木の扱いにも決まりがあるかもしれない。


「腐りが魔食い虫のせいなら、燃やした方がいい」


 ネッサが板を削って中を見る。


「これは雨と菌だ。虫の跡はない」


「薪にできる?」


「乾かせばな。ただし煙が多い」


 使えない屋根板も、すぐにごみにはならない。


     ◇


 屋根が軽くなるにつれ、残っていた木組みがはっきり見えてきた。


 傾いた垂木。


 割れた横木。


 中央の太い梁。


「縄が巻いてある」


 カイが指差す。


 梁と垂木の接合部。


 古い縄が何重にも巻かれている。


 表面は灰色だが、形は残っていた。


「釘じゃない?」


「縄職人の家だからかな」


 ミラが言う。


 ガルドが縄を指で押す。


「ただ結んであるんじゃない」


 梁の周囲に浅い溝が彫られ、縄がそこへ収まっている。


 滑らないよう、木の小さなくさびも入っていた。


「屋根の修理?」


 カイが尋ねる。


「建てたときからだろ」


「縄だけで支えてた?」


「縄だけじゃない。木の欠き込みと組み合わせてる」


 木を削り、互いに引っかける。


 その上から縄で締め、外れにくくする。


「この縄、使える?」


「切らずに外して調べる」


 ガルドは、結び目をすぐには解かなかった。


 仕事板へ、巻き方を描く。


「前の人のやり方を残す?」


「ああ」


「壁の背丈と同じ?」


「同じだ」


 以前の職人が、どのように木を組んだのか。


 現物を外せば、分からなくなる。


「この結び方、マーヤさんなら分かるかな」


「布と縄は違う」


「オルグさんの道具が残ってる」


 カイが言う。


「縄の見本も」


 家の中に残されていた、太さや編み方の異なる縄。


 そこに、同じ結び方の見本があるかもしれない。


「あとで比べる」


「今じゃない?」


「今は屋根を安全に外す」


 興味を持つと、すぐ別のことを始めたくなる。


 だが、作業中に順番を変えれば、危険が増える。


     ◇


 屋根材をほとんど外し、木の骨組みだけになった。


「次に梁を切る」


 ガルドが言う。


 左側で腐った梁。


 その先は、右側の屋根まで続いている。


「どこで切る?」


「新しい柱の左側」


 柱より左を切り離す。


 右側に残る梁は、新しい柱へ載る。


「切った瞬間、左が落ちる?」


「落とさないために、左側へも仮支えを入れる」


「残さない部分なのに?」


「落とすのと、落ちるのは違う」


 ガルドの言葉に、全員が黙る。


「自分たちで順番を決めて下ろす。勝手に落ちれば、何を巻き込むか分からん」


 壊す部分も支える。


 最後まで安全に下ろすために。


 左側の梁へ二本の仮柱を当てる。


 その下へ板と石を置く。


 梁へ縄を回し、建物の外側からも引く。


「切ったあと、縄で下ろす?」


「ああ」


「誰が鋸を引く?」


「俺だ」


 ガルドが足場へ上る。


 ドムとベンが縄を持つ。


 俺たちは柵の外へ下がった。


「全員、声が聞こえる場所にいろ」


 ガルドが言う。


「何か落ちたら?」


「走るな。どちらへ逃げるか決めておけ」


 家から離れる方向。


 足場の下には入らない。


 石の置き場にも近づかない。


「始めるぞ」


 鋸が梁へ入る。


 ぎい。


 ぎい。


 乾いた木を切る音。


 途中から、音が変わった。


 ざらついた、軽い音。


「中が腐ってる」


 俺が言う。


 梁の外側は硬かった。


 だが、切断面の中央は黒く変色している。


「予想より深い」


 ガルドの声が低くなる。


「切る場所を変える?」


「もう半分入ってる」


「右側まで腐ってたら?」


「今、確かめる」


 鋸を止める。


 細い錐を、右側に残す梁へ差し込む。


 表面。


 中央。


 下側。


「新しい柱の右は硬い」


「なら、そこまでは残せる?」


「ああ」


 作業を再開する。


 鋸がさらに進む。


 突然、梁の中から乾いた割れる音がした。


「止めろ!」


 ガルドが叫ぶ。


 全員が動きを止める。


 梁の左側が、わずかに沈んだ。


 仮支えの一本が軋む。


「落ちる?」


 ミラが息を呑む。


「縄を引け!」


 ドムとベンが縄を張る。


 左側の梁が、それ以上下がらなくなる。


「仮柱の下が沈んでる!」


 俺は地面を見た。


 左側へ入れた仮柱。


 その下の板が、柔らかい土へ食い込んでいる。


 屋根から離れた場所だと思い、地面の確認が足りなかった。


「石を入れる!」


 カイが動こうとする。


「近づくな!」


 ガルドの怒声で止まる。


 梁はまだ切断途中。


 仮支えには大きな力がかかっている。


 今、その下へ石を差し込むのは危険だ。


「別の支えを外から入れる!」


 ドムが指示を出す。


「長い木を持ってこい! 梁の端を押す!」


 ロイとカイが、離れた木材置き場から長い柱を運ぶ。


「ここへ置け!」


 ドムが安全な位置を指す。


 地面へ平たい石を置く。


 長い柱を斜めにし、梁の端へ当てる。


「押せ!」


 大人三人が、柱の下側を押す。


 沈みかけた梁が、わずかに戻る。


 仮支えの下へ、別の板を横から差し込む。


「手を入れるな! 棒で押せ!」


 ロイが長い棒を使い、板を仮柱の下まで送る。


 沈みが止まった。


「離れろ!」


 全員が再び下がる。


 しばらく、誰も動かなかった。


 家からは、木の軋む音だけが聞こえる。


「持ってる」


 ドムが言った。


 ガルドが足場の上で、梁と新しい柱を確認する。


「右側は動いてない」


「続ける?」


 俺が尋ねる。


「支えを増やしてからだ」


 誰も、早く終わらせようとは言わなかった。


     ◇


 新しい仮支えを二本追加した。


 今度は地面を先に掘り、平たい石を置く。


 周囲の土を締める。


 柱の上へくさびを入れる。


 一本ずつ力を受けさせる。


「最初の支え、どうして沈んだ?」


 カイが尋ねた。


「地面が柔らかかった」


「水は流してたのに?」


「溝を直したのは昨日だ。土がすぐ乾くわけじゃない」


「板も置いた」


「板が小さかった」


 仮柱の下に置いた板は、柱よりは広い。


 だが、柔らかい土へ力を分けるには足りなかった。


「俺が決めた」


 ガルドが言った。


「現場を見て、これで持つと思った」


「ガルドさんでも間違える?」


 ミラが尋ねる。


「ああ」


 迷いのない返事だった。


「だから、落ちなかった理由を俺の腕だけにするな。縄を張ってた。全員が離れてた。別の支えを入れる木もあった」


 一つの判断が外れても、すぐ事故にならないよう、何重にも備える。


「失敗しないようにするだけじゃない」


 俺は呟いた。


「失敗しても、人が傷つかないようにする」


 ガルドがこちらを見る。


「覚えておけ」


 新しい支えが安定したあと、梁の切断を再開する。


 最後の部分を切る前に、縄をさらに張る。


「切れるぞ!」


 鋸が最後の繊維を断つ。


 左側の梁が、仮支えへ重さを預けた。


「ゆっくり下ろせ!」


 縄を少しずつ緩める。


 仮支えを一本外す。


 次にもう一本。


 梁が斜めになる。


 誰も、その下へ入らない。


 最後は地面に置いた丸太の上へ降ろされた。


 大きな音はしなかった。


「終わった……」


 カイが息を吐く。


「まだ屋根の骨組みが残ってる」


 ロイが言う。


「今くらいは終わった気分にさせろよ」


 二人の声に、少しだけ笑いが起きた。


     ◇


 中央梁を切り離したことで、左側と右側の屋根は別々になった。


 残った垂木を、上から一本ずつ外す。


 縄で下ろす。


 腐ったもの。


 使えるもの。


 短く切れば使えるもの。


 すべてへ印をつける。


「これ、屋根板を支える横木に使えそう」


 カイが一本を持ち上げる。


「端が腐ってる」


「切れば短くなる」


「右の屋根に必要な長さは?」


 カイは仕事板を見る。


 屋根の幅を縄で測る。


 木材の長さと比べる。


「足りない」


「じゃあ、どこに使う?」


「炉の棚?」


「火の近くは駄目だ」


「入口の庇」


「それなら、長さは?」


 もう一度測る。


「足りる」


「ガルドさんに聞く」


 以前なら、使えると思った時点で加工していたかもしれない。


 今は、状態と必要な長さを見てから、職人に確認する。


「庇の横木なら使える」


 ガルドが木の端を削る。


「ただし、腐った部分を指二本分多く落とせ」


「見た目より奥まで傷んでる?」


「ああ」


 カイが炭で切断位置へ線を引く。


「俺が切る」


「鋸を真っすぐ引けるのか?」


「教えて」


 ガルドはすぐに答えなかった。


「今日は印だけだ」


「いつなら?」


「解体が終わって、作業場所を片づけてから」


「絶対?」


「道具を盗まなければな」


「もう盗まない」


「言葉じゃなく、手で覚えろ」


 ガルドが俺に言い続けてきた言葉だった。


     ◇


 屋根を外したあと、左側の石壁を下げる作業へ移る。


「上から一枚ずつだ」


 ドムが壁の前へ足場を組む。


「押して倒した方が早い」


 カイが言う。


「何度同じことを言わせる」


「下に誰もいなければいいだろ」


「倒れた石が地面を割る。使える石まで割れる。隣の壁へ当たる」


「土埃も出る」


 ミラが追加する。


「それから、どこへ飛ぶか分からない」


 俺も言う。


「分かったよ」


 カイが両手を上げた。


「壊すのも面倒だ」


「住める場所に戻すより、誰でも壊せる方が困る」


 石と石の間の古い目地を削る。


 上の一枚を縄で固定する。


 鉄棒で少しずつ動かす。


「引け!」


 石を内側ではなく、建物の外へ下ろす。


 荷台へ載せる。


 状態を見る。


「この石は使える」


 ドムが側面へ印をつける。


「炉に?」


「炉には大きすぎる。石台か、外の壁」


「こっちは?」


「ひびがある。割って排水溝の底にする」


 一枚ずつ外す。


 壁が低くなるにつれ、空き家の向こうに広がる草地が見えるようになった。


 以前は閉ざされた部屋だった場所へ、風と光が入る。


「ここ、庭にできる?」


 ミラが言った。


「元は作業場だ」


 カイが答える。


「屋根を直さないなら、外でしょ?」


「石壁は残る」


「屋根がなければ、空が見える」


 完全に元の家へ戻すのではなく、崩れた半分を別の場所として使う。


 庭。


 作業場。


 物干し場。


「縄を作る場所にできるかもしれない」


 俺が言う。


「俺、縄なんか作れない」


「家に道具と見本が残ってる」


「前の人の仕事だ」


「覚えるなら、勝手に使わず調べてから」


「誰に聞くんだ?」


 オルグは亡くなっている。


 家族も見つかっていない。


「町の縄職人を探す」


 リゼが言った。


「組合の記録を調べます」


「また仕事が増えた」


 ミラが新しい仕事板を覗く。


「板に描く?」


「まだ描かない」


 俺は答えた。


「先に家を直す」


 少しだけ、順番を守れるようになってきた。


     ◇


 日が傾くころ、左側の屋根はなくなっていた。


 石壁も、人の胸ほどの高さまで下がっている。


 境目には、ドムが石を組み直した新しい端部ができた。


 その上へ雨が溜まらないよう、平たい石を斜めに載せる。


「壁の上にも屋根が必要?」


 ミラが尋ねる。


「小さな屋根みたいなものだ」


 壁の内部へ水が入れば、石の間の材料が流れる。


「水を左右へ落とす」


「煙道の雨押さえと同じだね」


「ああ」


 一つの場所で覚えたことが、別の場所でも使われる。


 右側の一部屋だけになった家は、昨日より小さく見えた。


 だが、危険な屋根はない。


 外へ膨らんでいた壁も、倒れる高さではない。


「家が半分になった」


 カイが呟く。


「小さくなった?」


「最初から右しか使ってなかった」


「なら、使える場所は減ってない」


「でも、見た目が……」


 以前は、壊れていても大きな家だった。


 今は、小さな一部屋と、腰壁に囲まれた空の場所。


「壊す前の方が、家らしかった?」


 俺が尋ねる。


「分からない」


「屋根が落ちそうでも?」


「外から見れば、大きかった」


 大きく見えることと、安全に使えることは違う。


「俺たちの家も小さい」


「知ってる」


「三人で住んでる」


「狭そうだった」


「狭い」


「なら、こっちの方が広い」


「二人だからな」


 カイが残った一部屋を見る。


「ルナが帰ってきても、怖くない?」


「まだ入れない」


「また?」


「右側の屋根を直して、床を替える」


「いつ住める?」


「順番に進めば、数日」


「早くして」


「急ぐ。でも、飛ばさない」


 カイは何か言い返そうとした。


 だが、地面へ下ろされた腐った梁の割れ目を見て、残す側の白い布を握り直した。


 もし、あれが眠っている間に落ちていたら。


 そう考えたのかもしれない。


     ◇


 作業の最後に、ガルドが切り離した梁の断面を見せた。


 外側は硬い。


 中央は黒く、指で押すと崩れる。


「外から見ても分からなかった」


 俺が言う。


「錐を入れれば、ある程度は分かる」


「でも、最初に調べたときは左側だけだと思ってた」


「ああ」


 ガルドは隠さなかった。


「見落とした?」


「腐りが、境目の仕口から中へ入っていた。表面の音だけでは判断できなかった」


「次から、どうする?」


「梁の途中だけでなく、接合部の近くも調べる。反対側からも錐を入れる」


 失敗したことを、失敗したままにしない。


 何を見落としたのか。


 次に、どこを見るのか。


「仕事板に描く」


 梁の形。


 外から見える傷み。


 内部まで広がった腐り。


 接合部。


 新しい板の端へ記録する。


「ガルドさんの失敗も残すの?」


 ミラが尋ねる。


「残せ」


 本人が答えた。


「恥ずかしくない?」


「同じ失敗で屋根を落とす方が恥だ」


 自分が間違えた場所を隠さない。


 直した場所を隠さないのと同じだった。


「俺が沈む地面を見落としたことも描く」


「それは俺の判断だ」


「でも、俺も見てた」


「なら二人分だ」


 仮支えの板が小さかったこと。


 地面が乾いていなかったこと。


 縄と別の支えがあったため、梁を落とさずに済んだこと。


 すべてを描く。


「壊れなかったのに?」


 カイが言う。


「壊れそうになったから」


「誰も怪我してない」


「だから残せる」


 怪我が起きてから学ぶのでは遅い。


 何も起きなかった危険を忘れれば、いつか同じことが起きる。


     ◇


 帰る前、カイは家の前に立ったまま動かなかった。


「森番の詰め所へ戻らないの?」


 ミラが尋ねる。


「戻る」


「じゃあ、どうしたの?」


「家が、変な形になった」


 右側には屋根。


 左側には低い石壁だけ。


 中央で切られた梁の端には、新しく板が当てられている。


 確かに、完成した家には見えない。


「途中だから」


 俺は言った。


「ずっと、この形だったら?」


「左側を庭か作業場にするなら、これも完成になる」


「前と違う」


「直すって、元に戻すことだけじゃない」


 前と同じ屋根を作り、同じ壁を積み直すには、金も材料も足りない。


 それに、二人が暮らすために大きな作業場は必要ない。


「今のカイとルナに必要な家に変える」


「オルグって人の家じゃなくなる?」


 以前の家をすべて消してしまうわけではない。


 縄の道具。


 背丈の線。


 残した石壁。


 古い梁の組み方。


「前の人の家の上に、二人の家が重なる」


「勝手に?」


「管理人として使っていいって、役場と約束した」


「でも、いつか家族が来るかもしれない」


「そのときは、直した場所を見せる」


「怒られる?」


「分からない」


「また、それか」


「壊れたままにした方がよかったとは思わない」


 カイが低い石壁へ触れる。


 屋根のなくなった左側には、夕方の光が差している。


「ここでルナと何か作れるかな」


「縄?」


「まだ作れない」


「まず、家を直す」


「ああ」


 今度は、カイからそう言った。


 俺たちは家を離れる。


 振り返ると、右側の屋根へ掛けた仮の布が風でわずかに動いた。


 危険な半分を失った家。


 けれど、残った半分は、新しい柱で支えられている。


 壊す作業は、なくすためだけにあるのではない。


 残したいものを守るために、危険な部分を順番に外す。


 落ちるものを支える。


 切る前に、重さの行き先を作る。


 間違えても、人が傷つかない備えを重ねる。


 家を建てるとき、俺は材料を足して形を作った。


 今日は材料を減らしながら、家の形を作った。


 作ることと壊すことは、反対ではないのかもしれない。


 どちらも、何を残すかを決める仕事なのだ。


 明日は、残した一部屋の屋根を直す。


 今度は壊すためではない。


 カイとルナが帰ってこられる場所を、もう一度覆うために。

お読みいただきありがとうございます。


危険な家の半分を安全に切り離し、カイとルナの家には一部屋が残りました。

次回は、残った屋根と床を修繕し、二人が帰れる場所へ仕上げていきます。


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