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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第一部 居場所を建てる

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15/22

第十五話 空き家は、空っぽではない

 カイとルナが暮らしていた空き家には、持ち主がいた。


「亡くなった人?」


 森番の詰め所へ来たリゼの説明を聞き、ミラが尋ねた。


「記録上の所有者は、オルグという縄職人です」


 リゼは革袋から古い紙を取り出す。


 何度も折りたたまれた紙は黄色く変色し、端が欠けていた。


「六年前に亡くなっています」


「じゃあ、もう持ち主はいないんじゃないの?」


「亡くなったからといって、所有権がなくなるわけではありません。家族や親族が受け継ぐことがあります」


「オルグさんの家族は?」


「町の記録には残っていません」


「なら、誰の家?」


 ミラが首を傾げる。


「それを簡単に決められないので、今まで空き家になっていたんです」


 亡くなった持ち主。


 見つからない相続人。


 払われていない土地使用料。


 誰も管理していない建物。


 それでも、勝手に使ってよい家にはならない。


 道や水路の工事で何度も聞いた話と同じだった。


 使っている人がいなくても、持ち主や管理者が存在する。


「俺たち、追い出されるの?」


 寝台の横に立っていたカイが尋ねた。


 奥では、ルナが毛布に包まれて眠っている。


 熱は昨日より下がったらしい。


 頬の赤みも少し薄くなっていた。


「現在は森番の詰め所に滞在することを認められています」


 リゼが答える。


「ここじゃなく、あの家から」


「許可なく住んでいたことは事実です」


「知らなかった」


「知らなければ、何をしてもよいわけではありません」


 カイが唇を噛む。


「ただし」


 リゼは別の紙を取り出した。


「役場が一時的に管理している建物には、管理人を置ける制度があります」


「管理人?」


「建物がこれ以上傷まないよう手入れをし、周囲へ危険を与えないよう見張る人です」


「住んでもいいの?」


「条件を満たせば、仮に住むことはできます」


 カイの顔が上がる。


「どんな条件?」


「建物が安全に使用できること。必要な修繕計画を提出すること。勝手に増築や売却をしないこと。そして、オルグさんの相続人が見つかった場合は、役場の判断に従うことです」


「出ていけと言われるかもしれない?」


「可能性はあります」


 カイの顔が再び硬くなる。


「それじゃ、家じゃない」


 その言葉が、胸に刺さった。


 俺たちの家も、土地を所有しているわけではない。


 契約を守っている間だけ、使うことを認められている。


 商会や土地の持ち主の判断によっては、また問題が起きるかもしれない。


 いつまでも住める保証がない場所を、帰る家と呼べるのか。


「今すぐ出ていく場所よりはいい」


 俺は言った。


「いつか追い出されるかもしれないんだぞ」


「その前に、別の場所を探せる」


「見つからなかったら?」


「そのとき考える」


「また分からないって言うのか」


「ああ」


 カイは不満そうに俺を睨む。


 安心させるため、ずっと住めると言うことはできない。


「でも、今日からしばらく住める場所は作れる」


「直せるのか?」


「まだ見てない」


「俺たちがいたじゃないか」


「雨を避けられることと、安全に住めることは違う」


 屋根が残っている。


 壁がある。


 それだけで家として使えるとは限らない。


「今日、ガルド親方とドム親方が確認します」


 リゼが言った。


「ドム親方も?」


「石壁の状態がありますから」


「二人とも来るの?」


 ミラが尋ねる。


「役場から依頼しました」


「また喧嘩するね」


「しないよう、私も同行します」


 リゼが真顔で答えた。


 喧嘩を止められる自信があるらしい。


     ◇


 空き家は、町の西端にあった。


 俺たちの家より、さらに外側。


 建物の向こうには、低い草地と森へ続く道が見える。


 石造りの平屋。


 正面から見ると、左半分の屋根が完全に落ちていた。


 残っている右側も、軒先が大きく下がっている。


「前より崩れてる」


 カイが言った。


「いつと比べて?」


「三日前」


「三日で?」


「雨が降ったから」


 水路を直した日の夜、かなり強い雨が降っている。


 傷んでいた屋根が、水の重さに耐えられなかったのかもしれない。


「中へ入るなよ」


 ガルドが言った。


「俺たちは、ずっと中にいた」


「今まで無事だったから、次も無事とは限らん」


「荷物が残ってる」


「先に外から見る」


 ガルドは建物へ近づかず、正面から屋根全体を見る。


 ドムは石壁の周囲を歩き始めた。


「どこへ寝ていた」


「右の奥」


 カイが指差す。


「左は、屋根が落ちる前から使ってない」


「屋根が落ちたとき、中にいたのか?」


「音がしたから、ルナを連れて外へ出た」


「そのあと戻った?」


「雨が止んでから」


 ドムが振り返る。


「崩れた直後の建物へ入ったのか」


「ほかに行く場所がなかった」


 怒鳴られると思ったのか、カイの肩に力が入る。


 だが、ドムはそれ以上責めなかった。


「壁を見るぞ」


 建物の角には、大きさの不ぞろいな石が積まれている。


 石と石の間には、古い粘土と石灰のような材料が詰められていた。


 ところどころ剥がれ、草が生えている。


「北側が濡れてる」


 ミラが指差す。


 日の当たりにくい壁は、地面に近い部分が黒く変色していた。


 触らなくても、湿っているのが分かる。


「屋根から落ちた水が、壁の下へ集まってる」


 俺は地面を見る。


 建物の周囲に排水溝はない。


 北側の地面は、壁へ向かってわずかに高くなっている。


「地面の水も、家へ流れてる」


「どっちが先?」


 ミラが尋ねる。


「屋根と地面?」


「屋根が壊れて壁が濡れたのか、壁が弱って屋根が壊れたのか」


「両方かもしれない」


 水が壁を傷める。


 壁が動き、屋根を支える梁がずれる。


 ずれた屋根から、さらに水が入る。


 一つの傷みが、別の傷みを増やしていく。


「下げ振りを貸せ」


 ドムが手を出した。


 ボルツからもらった金属の重りを渡す。


 壁の上から縄を垂らすことはできないため、長い棒の先へ縄を結ぶ。


 壁の角に沿わせ、重りを静かにする。


「外へ膨らんでる」


 正面左側の壁。


 下はほぼ真っすぐだが、上へ行くほど外側へ出ている。


「どれくらい?」


「指四本分」


「危ない?」


「今すぐ倒れるとは言わん」


 ドムが石の継ぎ目を確認する。


「だが、屋根を支えられる状態ではない」


「左側は使わない」


 カイが言う。


「使わなくても、倒れれば右側も壊す」


 建物は一つにつながっている。


 危険な部屋の扉を閉じれば、それで終わりではない。


「左を全部壊す?」


 俺が尋ねる。


「すぐ壊すな」


 ドムが答える。


「右側を支えている石まで一緒に動く可能性がある」


「残しても危ない。壊しても危ない」


「だから順番を決める」


 家の建築では、地面から上へ作ればよかった。


 修理では、どこを残し、どこから外すかを考えなければならない。


     ◇


 右側の壁は、左より傾きが小さかった。


 しかし、屋根の中央を支える梁が沈んでいる。


「中の柱が弱ってる」


 ガルドが隙間から覗く。


 扉は外れ、開口部がそのまま残っている。


 中は薄暗い。


 床には藁や布、カイたちが使っていた器が見えた。


「入らないと柱を見られない」


 俺が言う。


「先に屋根を支える」


 ガルドは建物の外へ長い木材を二本並べた。


「支えてから入る?」


「外から仮の支えを入れる」


 入口の上には、太い梁が渡っている。


 その梁の下へ、斜めに木材を差し込む。


 地面側には平たい石を置き、木が沈まないようにする。


「一本じゃ駄目?」


「片側が滑ったとき、もう一本が残る」


 二本の仮支え。


 それぞれ違う角度から梁を受ける。


「強く押し上げるの?」


「今は持ち上げない」


「沈んでるのに?」


「急に戻せば、上の屋根が動く」


 今ある形を一度支える。


 直すのは、そのあとだ。


 ガルドが木のくさびを少しずつ打ち込み、仮支えを梁へ密着させる。


 一打ごとに、建物から細かな埃が落ちた。


「音を聞け」


 ガルドが言う。


 木槌の音。


 梁へ伝わる低い響き。


 屋根のどこかで、乾いた木が軋む。


「これ以上は押すな」


 仮支えが梁を受けたところで止める。


「次に、入口の周り」


 石壁へ取りつけられた古い木枠を確認する。


 上の横木には深い割れがある。


「これは替える?」


「替える前に、屋根の重さを別へ逃がす」


「また支え?」


「修理は支えてばかりだな」


 カイが呟く。


「壊れたものを外したら、代わりに何が重さを持つ」


 ガルドが尋ねる。


 カイが屋根を見る。


「何もない」


「なら、落ちる」


「先に支える」


「やっと覚えたか」


 カイは返事をせず、仮支えを見つめた。


 水路でも、石を外す前に蓋石を支えた。


 この家でも同じだ。


     ◇


 外から支えを入れたあと、最初にガルドとドムが中へ入った。


「俺も行く」


「待て」


 ガルドに止められる。


「二人が大丈夫なら――」


「中の状態を確認してからだ」


 入口で待つ。


 中から、床を踏む音。


 石を叩く音。


 木を削る音が聞こえる。


「右へ寄るな」


 ドムの声。


「床が沈んでる」


「どこ?」


「北側の壁際だ」


「俺たち、そこへ荷物を置いてた」


 カイの顔が青くなる。


 床板の下が腐っていたのかもしれない。


 しばらくして、ガルドが出てくる。


「レオとカイだけ入れ。ミラは外だ」


「どうしてわたしだけ?」


「足元が悪い」


「二人も子どもだよ」


「二人は、どこを使っていたか説明する必要がある」


「わたしも聞ける」


「外から屋根を見ろ。動いたら呼べ」


 役割を与えられ、ミラは不満そうながらも頷いた。


「動いてなくても、変な音がしたら呼ぶ」


「それでいい」


 俺とカイは、ガルドの歩いた跡だけを踏んで中へ入る。


 内部は、外から見たより狭かった。


 左側の部屋との間には、石と木を組み合わせた壁がある。


 その一部が崩れ、向こう側から光が差していた。


 右奥には、カイとルナが寝ていた藁。


 ひびの入った椀。


 小さな布袋。


 壁へ掛けられた古い縄。


「これ、オルグさんのもの?」


 俺が尋ねる。


「最初からあった」


 太い縄。


 細い縄。


 編み方の違う見本のようなもの。


 古くなっているが、まだ形を保っている。


「縄職人の家だったから」


 壁際には、縄をよるために使ったと思われる木の道具も残っていた。


 誰も住んでいない家。


 けれど、中は空ではなかった。


 以前暮らしていた人の道具。


 仕事の跡。


 使い込まれた棚。


 壁には、炭で何本もの横線が引かれている。


「これ、何だろう」


 俺が近づく。


 低い位置から、高い位置へ。


 線の横には、読めない文字が書かれていた。


「子どもの背を測った跡だ」


 リゼが入口から覗き込む。


「文字は名前と年齢でしょう」


「オルグさんに子どもがいた?」


「町の記録にはありません」


 家族の記録が失われているだけかもしれない。


 あるいは、近所の子どもを測ったのかもしれない。


「一番高いところは?」


 ミラが外から尋ねる。


「俺より少し高い」


「見たい」


「まだ入るな」


「後で残ってたら見る」


 残っていたら。


 修理するとき、この壁を壊す可能性がある。


 古い線も消える。


「この壁は残せる?」


 俺が尋ねる。


「安全ならな」


 ガルドが答えた。


「危険なら?」


「記録してから外す」


 直した場所を記録するだけではない。


 なくなるものも、残す方法がある。


「仕事板に描く」


「新しい板があるだろ」


 マーヤからもらった板を取り出す。


 壁の位置。


 背丈の線。


 残っている縄の道具。


 簡単な絵にする。


「そんなものまで描くのか?」


 カイが尋ねる。


「この家に何があったか、分からなくなるから」


「俺たちには関係ない」


「住むなら、少しは関係ある」


 前の人の暮らしをすべて残すことはできない。


 けれど、何も知らずに壊すのとも違う。


     ◇


「床の北側へ来るな」


 ドムが石壁の根元を示す。


 床板の一枚が外されている。


 下には黒い土と、小さな空洞。


「また水路?」


 カイが身を乗り出す。


「近づくな」


 外した床板の下からは、水の音はしない。


 だが、土が湿っている。


「外の地面から水が入ってる」


 俺は北壁を見る。


 外側の地面が、室内の床より少し高い。


 雨が降れば、水が壁へ押し寄せる。


 石の継ぎ目を通った水が、床下へ入っていた。


「床を直す前に、外の水を離す」


「溝を掘る?」


「ああ」


 家から少し離した位置に浅い溝を作り、雨水を低い草地へ逃がす。


 ただし、土地の境界を越えないよう、役場の記録を確認する必要がある。


「また許可?」


 カイが言う。


「水を隣の土地へ流したら、そっちが困る」


「草しかない」


「誰の草地?」


「知らない」


「なら、勝手に流せない」


 少し前まで、俺も同じことを考えず溝を掘っていた。


 自分たちの家の周りなら、それでよかった。


 だが、隣の土地へ水を送るなら話は違う。


「土地の境界は、家の北壁から十二歩先です」


 リゼが記録を確認する。


「その内側で水を西へ流せば、町の外周排水へつながります」


「外周排水?」


「町の外側を回っている古い溝です」


「今も使える?」


「分かりません」


「先に見る」


 外へ出て、家の西側へ回る。


 草に隠れた浅い窪みがあった。


 枝や落ち葉で埋まっている。


「これが溝?」


「おそらく」


 俺は枝を少しだけ取り除く。


 石で囲われた底が見えた。


「水路工事より、ずっと浅い」


 ミラが言う。


「地面の上だからな」


「どこまで続いてる?」


 西へたどる。


 溝は森へ向かう道の手前で、さらに大きな排水路へ合流していた。


「ここを掃除して、家の北側からつなげばいい」


「簡単?」


「距離は短い。でも、勾配を確かめる」


 水は、見た目だけでは流れない。


 ガルドの縄と、少量の水を使って方向を確かめる必要がある。


「屋根より先に溝?」


 カイが尋ねる。


「屋根へ手をつける前に、壁と床を濡らす水を減らす」


「屋根からも水が入る」


「だから、屋根には布を掛けておく」


 全部を同時には直せない。


 今できる応急処置と、本格的な修理を分ける。


     ◇


 建物の調査を終え、全員が外へ集まった。


 リゼが新しい紙を広げる。


「居住に使用できるか、親方たちの判断をお願いします」


「今は無理だ」


 ガルドが答えた。


 カイの顔が沈む。


「屋根を支える梁が傷んでる。入口の横木も交換が必要だ」


「石壁も、左半分は危険だ」


 ドムが続ける。


「少なくとも、左側の屋根と壁を右側から切り離す必要がある」


「全部直すなら、どれくらい?」


 俺が尋ねる。


「全部?」


 ドムが建物を見る。


「左の石壁を積み直し、屋根を作り、床も替えるなら、銀貨が何枚あっても足りん」


 カイが拳を握る。


「そんな金はない」


「全部を直す必要はない」


 俺は新しい仕事板へ、家の形を描く。


 左側。


 右側。


 二つの部屋。


「右側の一部屋だけ、安全にする」


「左を捨てるのか?」


「今は使わない」


「倒れたら、右も壊すって言っただろ」


「だから、切り離す」


 左側の傷んだ屋根を撤去する。


 共有している梁を支えたうえで、安全な位置で切る。


 左の壁は、崩れない高さまで下げるか、外側から支える。


 右側は独立した小さな家として残す。


「お前たちの家と同じ考えか」


 ガルドが図を見る。


「小さく始める」


「ああ」


 全部を完成させる金も時間もない。


 なら、今必要な場所だけを作る。


「右側に、二人で寝られる?」


 ミラが尋ねる。


「今まで二人で使ってた」


 カイが答える。


「ルナの寝台と、小さな炉を置く。入口も必要」


「炉はなかったの?」


「火は外で使ってた」


「冬は?」


 カイは答えなかった。


 冬になる前に、火を使える場所が必要だ。


「炉と煙の出口も作る」


 俺は図へ石を積んだ炉を加える。


「勝手に増やすな」


 ガルドに言われる。


「必要だろ」


「必要だが、屋根と壁を安全にしてからだ」


「順番は分かってる」


「なら先に描くな」


「忘れる」


 リゼが図の横へ、修繕項目を書き始める。


「北側排水の復旧。屋根の仮防水。内部梁の支持。左側構造の切り離し。右側屋根の修繕。床の交換。入口と炉の整備」


「多いね」


 ミラが言った。


「一日じゃ終わらない」


 俺は答える。


「何日?」


「材料と人次第」


「住めるまで、ルナはどうする?」


 カイが尋ねる。


「森番の詰め所で預かる」


 ネッサが答えた。


「お前も夜は来い」


「工事を見たい」


「夜の話だ」


「なら行く」


 カイの声から、少しだけ力が抜けた。


     ◇


「管理人契約の条件をまとめます」


 リゼが紙を読み上げる。


「修繕期間中、カイとルナは森番詰め所へ一時滞在。建物が居住可能と認証されたあと、仮管理人として使用を認める」


「ただし、カイは未成年です。契約上の連絡責任は役場が持ち、日常の見回りは森番へ依頼します。建物の売却、又貸し、大きな改築は、カイ一人では決められません」


「見回りなら、森際の巡回と一緒にできる」


 ネッサが答えた。


「誰が認証する?」


「木部はガルド親方、石部はドム親方です」


 二人が同時に不満そうな顔をした。


「役場が依頼するなら、仕事だ」


 ドムが言う。


「工賃は?」


「調査費は役場の空き家管理費から出ます。施工費は別です」


 また金の問題だ。


「材料は、家の中に残ってるものを使える?」


 俺が尋ねる。


「建物に付属するものは、修繕のためなら使用できます」


「縄職人の道具は?」


「勝手に売却や処分はできません」


「使うのも駄目?」


「本来の用途が分からないものは、いったん保管します」


 以前の住人の道具。


 家を直すためだからといって、勝手に材料へ変えてよいわけではない。


「屋根材は?」


「落ちた屋根の木材は、親方が再利用可能と判断したものに限ります」


「新しい木は?」


 ガルドが答える。


「工房の端材だけじゃ足りん」


「森から取る?」


「勝手に取るな」


 ネッサが俺を見る。


「分かってる。許可を取る」


「今回は倒木を探す時間がない。役場の解体材置き場を調べろ」


 以前の工事で出た古い木材が、保管されているらしい。


「石は、左の壁を下げた分を使える」


 ドムが言う。


「炉と石台には足りる」


「床板は?」


「マーヤの店からは出ないよ」


 なぜかマーヤまで見に来ていた。


「聞いてない」


「顔が板を探してた」


 以前のレオなら、使えそうな物を見るだけで手に入れようとしていたのだろう。


「パン屋に、古い棚板がある」


 セナが言った。


「油と粉が染みてるけど、削れば床の一部には使えるかもしれない」


「魚箱の板もあるぞ」


 ボルツが続ける。


「魚の匂いが取れればな」


「家の中が魚臭くなる」


 カイが嫌そうな顔をする。


「屋根から魚の匂いは落ちてこねえ」


「使う場所は、状態を見て決める」


 俺が言う。


「勝手に決めるな」


 ガルドとドムから同時に言われた。


「分かってる!」


 周囲から笑いが起きる。


 少し前まで、カイへ向けられていた視線は冷たかった。


 今も、すべての人が信用しているわけではない。


 それでも、二人が住む家を直すため、使えるものを考えてくれている。


「お金は?」


 カイが尋ねる。


 笑い声が止まる。


「俺が働く」


「工事費を全部返すには、かなりかかるぞ」


 ドムが言う。


「それでも返す」


「誰も全部お前に払えとは言ってない」


 セナが腰へ手を当てる。


「井戸の工事では、皆が使う道だから皆で出した。今回は、お前たちの家だ」


「なら、俺が出すべきだ」


「子ども二人が雨の中で暮らして、病気になったら、町にも迷惑なんだよ」


「迷惑?」


「倒れた家が道へ崩れたら危ない。火を使う場所がなくて、空き地で火事を出されても困る」


 優しい言葉ではない。


 だが、助ける理由をカイが受け取りやすい形にしている。


「家を直すのは、二人のためだけじゃない」


 俺は言った。


「町の危ない場所を一つ減らす仕事でもある」


「でも、俺も返す」


「ああ」


 それは止めない。


「働ける分は働く。直ったあとも、家を手入れする」


「それが管理人の仕事です」


 リゼが言った。


「家を使用する代わりに、壊れた場所を報告し、周囲を清掃し、勝手に他人へ貸さない。それがあなたの支払うものの一部になります」


「金だけが代金じゃない?」


「契約としては、そうです」


 カイは紙を見つめた。


「文字が読めない」


「内容は、私がすべて読み上げます」


「読めないのに、印をつけていいの?」


「理解してからです」


 リゼは急がせなかった。


 契約書の内容を、一つずつ説明する。


 住める期間。


 してよいこと。


 してはいけないこと。


 建物が危険になったときの連絡先。


 相続人が見つかった場合。


 カイは分からない言葉が出るたびに質問した。


「追い出されるときは、急に?」


「役場から事前に知らせます」


「何日前?」


「原則として三十日前です」


「次の家は探してくれる?」


「必ず用意できるとは約束できません。ただし、相談は受けます」


「ルナと別々にされる?」


 リゼの表情が少し変わった。


「二人が一緒に暮らせる方法を優先します」


「絶対?」


「絶対とは言えません」


 カイが俺を見る。


「役場の人も、分からないって言うんだな」


「言えるようになるまで、聞けばいい」


「お前は聞きすぎる」


「最近言われた」


     ◇


 最後に、カイは契約書へ印をつけた。


 文字で名前を書くことはできない。


 そのため、リゼが書いた名前の横へ、本人を示す印を描く。


「何を描く?」


 ミラが尋ねる。


「魚は駄目だぞ」


 ボルツが言う。


「カイの印だよ」


「石」


 カイが答えた。


「どうして?」


「最初に洗った石」


 水路工事で、カイが働いて返し始めた最初の仕事。


 リゼが小さな四角い石の形を描き、その中へ一本の線を入れる。


「同じものを、自分で描いてください」


 カイが炭を握る。


 一度目は、線が曲がった。


 二度目。


 四角の中に一本線。


「これでいい?」


「あなたの印として記録します」


 ネッサも立会人の欄へ、森番の葉の印を押した。


 カイはしばらく、自分の印を見ていた。


「名前の文字も、いつか書く」


「そのときは、新しい契約書へ書けます」


 仮管理人契約。


 まだ家には住めない。


 屋根も直っていない。


 床も壁も危険なまま。


 それでも、カイとルナがそこへ戻るための約束ができた。


「明日から直す?」


 カイが尋ねる。


「今日、最初の仕事をする」


 俺は北側の壁を見る。


「排水溝?」


「ああ」


 屋根や壁へ手をつける前に、水を家から離す。


 まず、外周排水までの古い溝を掃除する。


「俺もやる」


「ルナのところへ戻らなくていい?」


「夕方までに戻る」


「無理はするな」


「それ、俺に言うのか?」


「俺もよく言われる」


「なら、お前も守れ」


 言い返されてしまった。


     ◇


 古い溝には、何年分もの落ち葉と土がたまっていた。


 表面だけをさらう。


 底の石を傷つけないよう、木の板を使う。


 カイ。


 俺。


 ミラ。


 三人で少しずつ進む。


 ガルドとドムは、明日からの解体と支え方を相談している。


 リゼは役場へ戻り、材料置き場の記録を確認するらしい。


「家を直す前なのに、家から離れてるね」


 ミラが溝の泥を籠へ入れながら言う。


「水の行き先を作ってるから、家の仕事だ」


「ここは家じゃない」


「つながってる」


 屋根から落ちた水。


 地面を流れる水。


 壁へ染み込む水。


 床下へたまる水。


 建物の外にある溝も、家を守る一部になる。


「どこまでが家なんだ?」


 カイが尋ねた。


「壁の中までじゃないの?」


「屋根の水を流す場所まで必要だ」


「じゃあ、溝も家?」


「町の水路まで家にしたら、町全部になるよ」


 ミラが笑う。


 でも、完全に間違いではない。


 一軒の家は、周囲から切り離されて存在しているわけではない。


 道。


 水路。


 隣の家。


 風。


 森。


 そのすべてと関わりながら立っている。


「ここから水を流す」


 古い溝と外周排水がつながった。


 井戸から持ってきた水を少し流す。


 最初は泥に吸われる。


 もう一度。


 今度は細い水の筋が、家の北側から西へ向かって進んだ。


 途中で止まりそうになりながらも、外周排水へ流れ込む。


「行った!」


 ミラが水を追う。


 家の壁は、まだ濡れている。


 すぐに乾くわけではない。


 それでも、次に雨が降ったとき、以前より水は離れて流れる。


「これが最初?」


 カイが尋ねる。


「ああ」


「家の中は、何も変わってない」


「外の水が変わった」


「見えにくいな」


「大事な仕事は、見えにくいことが多い」


 地面の下の水路。


 屋根を持ち上げる風。


 壁の中へ入る水。


 土地の所有者。


 住むための契約。


 家を支えているものの多くは、外から見ただけでは分からない。


     ◇


 夕方。


 仮の布を、残っている右側の屋根へ掛ける。


 風で飛ばされないよう、屋根へ上らず外側から縄で引く。


 布の端は、地面へ置いた石へ固定した。


「これで雨は入らない?」


 カイが尋ねる。


「全部は無理だ」


「明日まで?」


「本格的に屋根を直すまで」


「また仮か」


「仮でも、必要な間もてばいい」


「俺たちの家も、仮なの?」


 カイは契約書の入った布袋を持っている。


 相続人が見つかれば、出なければならないかもしれない家。


「住み始めたら、家だ」


「いつか出るのに?」


「どの家だって、いつかは出る」


 前の世界の家。


 今の世界の家。


 永遠に同じ場所へ住み続ける人ばかりではない。


「出る日まで、安全に帰れるなら家だと思う」


「それだけ?」


「それだけじゃない」


 自分の物を置ける。


 眠っている家族を守れる。


 朝、起きたときに帰る場所だと思える。


「これから作る」


 俺は空き家を見る。


「屋根や壁だけじゃなく、カイとルナの家にする」


「前の人の物が残ってる」


「全部捨てなくていい」


「俺たちの物じゃない」


「だから、勝手には使えない。でも、家にあったことは残せる」


 縄職人の道具。


 壁に刻まれた子どもの背丈。


 誰かが暮らした跡。


 空き家は、空っぽではない。


 以前の人の時間が残っている。


 そして、これから暮らす人の時間が重なっていく。


「明日は何をする?」


「左の屋根を外す前に、右を支える」


「また支えるところから?」


「ああ」


 壊す前に支える。


 直す前に調べる。


 住む前に約束をする。


 どれも、見た目には完成から遠ざかっているように見える。


 けれど、その順番を飛ばせば、家は人を守れない。


 夕方の光が、崩れた屋根の隙間から室内へ入っている。


 明日から、傷んだ部分を一つずつ外していく。


 すべてを新しくするのではない。


 残せるものを残しながら、カイとルナが安全に眠れる一部屋を作る。


 俺たちの家と同じように。


 小さくても、帰る場所と呼べる家を。

お読みいただきありがとうございます。


カイは空き家の仮管理人となり、ルナと暮らすための約束を結びました。

次回は、崩れた半分を切り離し、安全な一部屋を残す修繕工事が始まります。

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