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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第一部 居場所を建てる

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13/22

第十三話 直した場所を、隠さない

 騒ぎが収まり、水路工事の二日目は、昨日より一人多い人数で再開した。


「それ、北側の石」


 俺が言うと、カイは抱えていた平たい石の側面を確認した。


 炭で引かれた一本線。


 昨日、俺とミラがつけた印だ。


「こっちで合ってる?」


「ああ。でも、まだ積まない。洗い場の北側に置いて」


「分かった」


「割れが見つかったら、別にして」


「細いひびでも?」


「自分で決めず、ドム親方に見せる」


 カイは少し不満そうな顔をした。


「それくらい、自分で分かる」


「俺もそう思って、何度も止められた」


「お前と一緒にするな」


「昨日、くさびを使って石を動かしただろ」


「……一緒にするな」


 声が小さくなった。


 カイは石を運び、指定した場所へ置いた。


 まだ完全に信用されたわけではない。


 広場の人たちも、カイが近くを通るたびに目で追っている。


 道具の籠は、昨日より水路から離れた場所へ移された。


 使わない道具は、ドムの弟子であるベンが管理している。


 それでも、カイは逃げずに来た。


 妹のルナは、森番の詰め所で寝かされている。


 ネッサによれば、熱は少し下がったらしい。


「レオ」


 ミラが仕事板を抱えてやって来る。


「北側の石、八枚で合ってる?」


「昨日までで七枚じゃなかった?」


「カイが持ってきたので八枚」


 板に描いた線を一本増やす。


 石を運ぶ者。


 洗う者。


 状態を確認する者。


 記録する者。


 昨日より作業の流れは滑らかになっていた。


「そっちは終わったか」


 水路の中から、ドムが声を上げる。


「使えそうな側石は八枚!」


「蓋石は」


「大きいのが三枚。欠けてるのが一枚!」


「欠けてる方は持ってくるな」


「舗装には使える?」


「あとで見る」


 俺が答える前に、ドムが判断した。


 工事の責任者は、あくまでドムだ。


 俺たちは情報を集め、指示された作業をする。


 その違いを、昨日より少し受け入れられるようになっていた。


「朝から素直だな」


 ガルドが仮樋の縄を締めながら言う。


「何が?」


「ドムの指示に言い返してない」


「必要なら言う」


「やっぱり素直じゃなかったか」


 仮樋の中を水が流れている。


 本来の水路を迂回し、上流から下流へ通すために作った木製の樋だ。


 昨日より継ぎ目から漏れる量が減っていた。


 夜の間にガルドが樹皮の位置を直したらしい。


「ずっと使えそう」


 俺が言う。


「使わん」


「どうして?」


「木だ。毎日水を流せば腐る」


「壊れる前に取り替えればいい」


「石の水路を直してるのに、なぜ仮の樋を残す」


「別の工事で使えるかもしれない」


 ガルドが仮樋を見る。


「乾かして、工房へ持ち帰る」


「使うんじゃないか」


「材料を無駄にしないだけだ」


 この町の職人は、何かを再利用するとき、素直に使うとは言わないらしい。


     ◇


 昨日積み直した側石は、一晩水を流しても動いていなかった。


 ドムは石を一枚ずつ叩き、音を聞く。


 手で揺らす。


 接合部へ細い金属棒を差し込み、下の砂が流れていないか確認する。


「北の二枚目」


 カイが動かした石だけは、もう一度外されていた。


 根元の砂を整え、新しい小石を薄く敷く。


「俺のせい?」


 カイが柵の外から尋ねる。


「そうだ」


 ドムは迷わず答えた。


 カイの肩が縮む。


「だが、やり直せるうちに分かってよかった」


「怒らないの?」


「怒ってる」


「怒ってる顔に見えない」


「俺が怒鳴るのは、危ないときだけだ」


 普段もかなり怒鳴っている気がする。


 だが、今は言わないでおいた。


「石を持ってこい」


 ドムがカイへ言う。


「北の二枚目だ。お前が運べ」


 カイは一瞬、動かなかった。


「いいの?」


「運ぶだけだ。積むとは言ってない」


「分かった」


 洗い終えた石を、カイとロイが二人で持ち上げる。


 昨日までなら、カイは一人で運ぼうとしたかもしれない。


 今日はロイが反対側へ回るのを待った。


「せえので上げるぞ」


 ロイが言う。


「俺が言おうと思った」


「なら先に言え」


「それ、昨日レオに言われた」


「お前たち、似てるな」


「似てない!」


 二人の声が重なった。


 ドムが大きく息を吐く。


「石を落としたら、二人とも水路へ埋めるぞ」


 今度は黙って運び始めた。


 石を水路へ下ろす。


 底の小石と砂を少しずつ調整し、隣の側石と高さを合わせる。


 ドムが木槌で叩く。


 一度。


 二度。


 三度。


「カイ。揺らせ」


「俺が?」


「お前が動かした石だ。今度は動かないか確かめろ」


 カイが側石へ両手を当てる。


 力を込める。


 石は動かない。


「もう一度」


 今度は身体全体で押す。


 それでも動かなかった。


「これで終わり?」


「水を流してからだ」


「まだ?」


「積んだ直後に動かないのは当たり前だ」


 家の柱と同じだ。


 作業を終えた瞬間だけを見ても、その後どうなるかは分からない。


 雨。


 風。


 重さ。


 水。


 実際の力を受けて、初めて分かることがある。


「水は、石が置かれた事情なんか気にしない」


 ドムが言った。


「盗人が動かした石でも、親方が積んだ石でも、弱ければ崩す」


「水って性格悪いな」


 カイが呟く。


「相手によって態度を変えないなら、公平じゃない?」


 ミラが言った。


 誰もすぐには答えなかった。


     ◇


 本流の側石を積み終えると、問題は枝水路の入口へ移った。


 動かされた石の後ろから見つかった、細い水路。


 中は泥で詰まっている。


 どこへ続いているのか、まだ分からない。


「ここを塞ぐ」


 道路管理係長のハーレンが言った。


「当初の修繕計画にはない水路だ。開けたままでは、本流の強度が落ちる」


「完全に?」


 俺が尋ねる。


「石を積み、土を戻す」


「そうしたら、次に調べるときはまた道を壊す」


「調査する予定は決まっていない」


「でも、水の音がする」


「今すぐ危険だという証拠はない」


「危険じゃない証拠もない」


 ハーレンの眉間にしわが寄る。


「また話が長くなりますよ」


 リゼが俺へ小声で言った。


「短くする」


 枝水路の中へ、昨日入れた細い棒を差し込む。


 途中で泥に当たり、止まる。


 だが、奥から冷たい空気が流れている。


「この水路は、どこかへつながってる」


「だから何だ」


「塞いだあと、向こう側で水が増えたら、ここから確認できない」


「入口を開けたままにすれば、土が流れ込む」


「蓋をする」


「蓋をした上へ道を戻すのか?」


「外せる蓋」


 地面へ絵を描く。


 本流から枝分かれする水路。


 その入口の前へ、小さな空間を作る。


 上から一枚だけ石を外せば、中を確認できる形。


「点検口を残す」


 ハーレンは地面の絵を見る。


「道の下に穴を残すつもりか」


「穴じゃない。石で囲って支える」


「言い方を変えても空間は空間だ」


「今の水路も空間だ」


「水を流すために必要だからだ」


「枝水路を確認するためにも必要になる」


「必要になるかもしれない、だろう」


 言い争いになりかける。


「両方、黙れ」


 ドムが割って入った。


 枝水路の入口を叩き、周囲の石を確認する。


「点検口を残すこと自体はできる」


「ドム親方」


 ハーレンが不満そうな声を出す。


「ただし、この位置では駄目だ」


 ドムは地面の上を指した。


「ここは荷車の車輪が通る」


 広場の道には、長年荷車が通った跡がある。


 石畳の表面が二本の線のように少し削れていた。


 枝水路の入口は、ちょうど片側の車輪が通る位置の下にある。


「蓋石へ荷重が集中する」


「厚い石を使えば?」


「外せるほど小さく、荷車へ耐えるほど厚い石があるか」


 どちらかを優先すれば、もう一方が難しくなる。


 外せること。


 壊れないこと。


「点検口の位置をずらす」


 俺は言った。


「どうやって水路の入口を動かす」


「入口はそのまま。横に短い通路を作る」


 枝水路の前に、小さな石の箱を作る。


 その箱から、道路の端へ向かって人の腕ほどの短い横穴を延ばす。


 道の中央ではなく、荷車の車輪が通らない端に蓋を置く。


「余計に掘る範囲が増えるぞ」


 ガルドが言う。


「今日中に終わらなくなる?」


「作り方による」


 ドムが地面へしゃがむ。


 俺の描いた線へ、太い指で石を加えた。


「人が入る大きさはいらん。棒と灯りを入れられればいい」


「泥を取るには?」


「点検口から細い道具を入れる。全部さらう必要が出たら、そのとき道を開く」


「普段は状態を見るだけ」


「ああ」


 ドムは枝水路から道の端までの距離を測る。


「側石を二枚。上へ細い蓋石を三枚。端の一枚だけ外せるようにする」


「外せる石だって、どうやって分かる?」


 ミラが尋ねる。


「印をつける」


 俺は仕事板を見る。


 これまで、石の位置を記録するため炭で印をつけてきた。


 だが、炭は雨や人の足で消える。


「石を削って印を残す」


 ドムが金属棒を手に取る。


「どんな印?」


「役場の水路を示す印がある」


 ハーレンが答えた。


 リゼが書類の端へ、四角の中に波線を引いた記号を描く。


「古い水路の蓋石にも使われています。最近は、ほとんど残っていませんが」


「それをつける」


「待ってください」


 リゼが言った。


「この点検口を役場の設備として記録するなら、工事図も変更しなければなりません」


「駄目?」


「駄目ではありません」


 リゼは革袋から新しい紙を取り出した。


「ただし、位置と構造を正確に残します。次に修繕する人が、何の蓋か分からなければ意味がありません」


 作るだけでは足りない。


 記録しなければ、また土の下へ忘れられる。


「俺も描く」


「まず、作業を見てください」


「あとで忘れる」


「そのために私が記録します」


「俺は文字を読めない」


「だから、絵も一緒に残します」


 リゼが少し笑う。


「昨日から、あなたの方法を借りているんです」


     ◇


 点検口を作ることが決まると、工事の役割が再び分けられた。


 ドムとベンが、枝水路の入口を囲う石を加工する。


 ガルドは短い通路の上へ載せる仮の木型を作る。


 石を組み終えるまで、上の土が落ちてこないよう支えるためだ。


 ロイとカイは、使える大きさの石を探す。


「これは?」


 ロイが細長い石を持ってくる。


 ドムが底を見る。


「使えん」


「長さは合ってる」


「ひびがある」


「表面だけだろ」


「水で広がる」


「削れば消える」


「削ったら厚さが足りん」


 ロイが悔しそうに石を戻す。


 次にカイが、少し短い石を持ってきた。


「これは底が平ら」


「長さが足りない」


「二枚並べる」


「継ぎ目が増える」


「上から大きい石を重ねる」


 ドムがカイを見る。


「誰に教わった」


「レオの家の屋根。下の隙間と、上の隙間を同じ場所にしないって」


 俺が教えたというより、ミラへ話していた内容を聞いていたらしい。


「考え方は同じだ」


 ドムが石を受け取る。


「だが、屋根板と水路の側石では受ける力が違う。今回は一枚で足りる石を探せ」


「これも使えない?」


「端の調整には使える。別に置け」


 カイは捨てずに、加工用の場所へ運んだ。


 少しずつ、言われる前に石を分けられるようになっている。


「盗むより大変だ」


 戻ってきたカイが呟く。


「盗んだ方が早い?」


「逃げる方が疲れる」


「俺もそうだったのかな」


「覚えてないのか?」


「盗んだころのことは、よく覚えてない」


「変な奴」


 カイには、転生のことを話していない。


 今の俺が、以前のレオと同じ人間ではないことも。


「でも、返す方が時間はかかる」


 俺は言った。


「釘七本分、まだ残ってる」


「俺のくさびは、三日だろ?」


「いいな」


「よくない。ルナと一緒に暮らす場所も探さないといけない」


「今の空き家には戻れない?」


「屋根が落ちてる」


「……屋根だけなら、直せるかもしれない」


「勝手に仕事を増やすな」


 ガルドが遠くから怒鳴った。


 聞こえていたらしい。


「でも、子ども二人で住む場所がない」


「土地と家の持ち主を調べるのが先だ」


 リゼが書類から顔を上げる。


「役場の記録を確認します」


「また許可?」


 カイが尋ねる。


「他人の家へ勝手に住むことはできません」


「誰も住んでない」


「住んでいないことと、持ち主がいないことは別です」


 自分たちの家を守るために、契約を調べたときと同じだ。


 建物だけを見ても、誰が使えるかは決められない。


「調べてくれるの?」


「水路工事が終わってからです」


「仕事が増えたね」


 ミラが俺の仕事板を見る。


 もう描く場所はほとんど残っていない。


「新しい板が本当に必要だ」


     ◇


 点検口の石組みは、想像していたより小さかった。


 枝水路の入口へ、左右から平たい石を立てる。


 その前に、人の頭ほどの空間を作る。


 そこから道の端へ向け、細い石の通路を延ばす。


「これで中を見られる?」


 ミラが屈んで覗く。


「まだ上が開いてるからな」


「蓋をしたら暗い」


「灯りを入れる」


「火を入れたら危なくない?」


「燃えるものは少ない。だが、空気が悪い可能性があるから、顔は入れるな」


 ドムが言った。


「空気が悪い?」


「長く閉じた穴には、火が消える空気が溜まることがある」


 前世でいう酸欠のようなものだろう。


 水路の中へ入らなくても、顔を近づけすぎれば危険になる。


「どうやって確かめる?」


「長い棒の先へ、小さな火をつけた灯りを下ろす。すぐ消えるなら近づくな」


「火がついていれば安全?」


「それだけで全部分かるわけではない」


 また一つ、安全を確かめる方法を覚える。


「だから人が入れる大きさにしない」


 ドムが続けた。


「入れる穴があると、入っていいと思う馬鹿が出る」


 俺とカイとロイを見る。


「どうしてこっちを見るんだ」


 ロイが不満そうに言う。


「三人とも入りそうだからだ」


「ミラは?」


「わたしは、レオが入って大丈夫だったら入る」


「一番危ない考え方だ!」


 全員から同時に止められた。


 点検通路へ蓋石を載せる。


 途中の石は、その上に土と舗装が戻されるため、簡単には外せない。


 道の端にある最後の一枚だけ、持ち上げられる形にする。


 ただし、子どもの力では動かせない重さだ。


「持ち手はつけないの?」


 俺が尋ねる。


「鉄は高い」


「縄を通す穴を開ける?」


「穴へ水が入る」


「端へ棒を差し込む隙間を残す」


「それならできる」


 蓋石の左右に、小さなくぼみを削る。


 専用の鉄棒を差し込めば持ち上げられる。


 普段歩く人の足は入らない大きさだ。


「印をつけるぞ」


 ドムが石の表面へ金属棒を当てる。


 四角。


 その中へ、波を表す二本の線。


 石槌が振り下ろされる。


 小さな欠片が飛ぶ。


 一打ずつ、印が深くなっていく。


「俺もやってみたい」


「今日は見るだけだ」


「いつなら?」


「石槌を正確に振れるようになってからだ」


「どうやって練習する?」


「工房へ来るなら、割れてもいい石をやる」


「行っていいの?」


 ドムが俺を見る。


「ガルドの借りを返してからだ」


「釘七本分……」


「俺の工房は、掃除からじゃ済まんぞ」


「掃除より下がある?」


「石くず運び」


「掃除と同じじゃないか」


「石は木くずより重い」


 先は長そうだった。


     ◇


 点検口が完成すると、本流へ蓋石を載せる作業が始まった。


 側石の上へ、厚い石を横に渡す。


 一枚目。


 隣の石との接合面を確かめる。


 上から押す。


 揺れを見る。


 二枚目。


 少し高さが合わない。


「下へ砂を入れる?」


 俺が尋ねる。


「蓋石と側石の間へ砂は入れん」


「流れるから?」


「それもある。力を受けたとき、砂だけ動けば石が傾く」


 高い方の側石を削るのではなく、蓋石の当たっている部分だけを少し削る。


 面全体が触れるよう調整する。


「全部ぴったりじゃないと駄目?」


「完全には無理だ」


 ドムが言う。


「大事なのは、一点だけへ重さを集めないことだ」


 石の上へ板を置き、数人で順番に体重をかける。


 ベン。


 ロイ。


 ガルド。


 最後にドム。


 蓋石は動かない。


「荷車はもっと重い」


 カイが言う。


「だから土を戻し、舗装石で重さを広げる」


 蓋石が直接、車輪の重さをすべて受けるわけではない。


 上の土。


 小石。


 舗装石。


 それぞれが力を分ける。


「薄いものが重なって、全体で支える」


「家の屋根と同じ?」


 ミラが尋ねる。


「少し違う。でも、一つだけに全部任せないところは同じだ」


 屋根板。


 押さえ木。


 布。


 垂木。


 梁。


 柱。


 石台。


 家の重さも、雨も風も、一つの部材だけで支えているわけではない。


 水路も同じだった。


     ◇


 すべての蓋石を載せたあと、仮樋を外す。


 本流へ、少しずつ水を戻す。


「一度に流すな」


 ドムの指示で、上流側を塞いでいた板を少しだけ開ける。


 細い水が、新しく積んだ水路へ入った。


 石の間を流れる。


 崩れた場所を越える。


 下流へ抜ける。


「漏れてる」


 ロイが側石の外側を指す。


 継ぎ目から、わずかに水がにじんでいる。


「止める?」


「この程度なら、まず周囲へ小石を入れろ」


 ドムが周囲の土を見る。


「細かい土を水と一緒に吸い出さないためだ。そのうえで、水量が増えるか見張る。最初から粘土だけで塞げば、水圧を受ける場所が偏る」


「水が少しにじむのは?」


「増えず、周りの土を運んでいないなら記録して様子を見る。濁る、水量が増える、土が沈む。そのどれかが出たら止める」


 少しのにじみを、見なかったことにはしない。


 塞ぐか放置するかを先に決めず、何が一緒に流れ出ているかを確かめる。


 水量を増やす。


 流れが強くなる。


 蓋石の下から低い音が響く。


 水は止まらない。


 側石も動かない。


 枝水路の点検口へ棒を入れる。


 本流から、水が入り込んでいる様子はない。


「水門の跡が閉じたままだからだ」


 ドムが言う。


「いつか調べるなら、向こう側からも見つける必要がある」


「どこへ続いてるか、どうやって探す?」


「町の古い記録。地面の沈み。水音。雨のあとに乾きにくい場所」


「全部、すぐには分からない」


「だから位置を残した」


 足元の蓋石には、水路の印がある。


 役場には、リゼが描いた図が残る。


 俺の仕事板にも、枝水路の位置が描かれている。


「これで、忘れない」


「人は忘れる」


 リゼが言った。


「でも、記録があれば、忘れたあとでも思い出せます」


     ◇


 水路の確認が終わると、埋め戻しが始まった。


 最初に、水を含みにくい小石を蓋石の周囲へ入れる。


 隙間へ長い棒を差し込み、偏らないようならす。


 その上へ、乾かしておいた土を薄く広げる。


「もっと一度に入れた方が早い」


 ボルツが土の入った籠を持ちながら言う。


「薄く入れて、締める」


 俺は答えた。


「昨日から何度も聞いた」


「なら、入れすぎないで」


「子どもに指示されると腹が立つな」


「ドム親方に言われたと思って」


「もっと腹が立つ」


 それでも、ボルツは籠の土を半分だけ入れた。


 太い木の棒で突き固める。


 一か所だけを強く叩くのではなく、端から順番に。


 ミラやカイでも持てる小さな棒を使い、壁際の狭い部分を締める。


「これくらい?」


 ミラが尋ねる。


 棒の跡が深く残らなくなっている。


「ドム親方!」


 俺が呼ぶ。


「自分で見ろ」


「沈まなくなった」


「足で踏んだ感触は」


 俺は土の上へ乗ろうとする。


「お前じゃ軽い」


 ドムが代わりに片足を載せた。


 ゆっくり体重をかける。


 わずかに沈む。


「もう一度締めろ」


「十分に見えた」


「見た目で決めるな」


 さらに棒で締める。


 もう一度ドムが乗る。


 今度は沈まなかった。


「次の層だ」


 薄い土。


 小石。


 締め固め。


 同じ作業を何度も繰り返す。


 工事の中で、一番地味な作業だった。


 石を積むような大きな変化もない。


 水が流れる瞬間のような分かりやすさもない。


 だが、ここを急げば、地面は再び沈む。


「見えなくなる場所ほど、丁寧にするんだな」


 カイが土をならしながら言った。


「見えなくなったあとに直す方が大変だから」


「俺のせいで、石を一回外したみたいに?」


「あれより大変になる」


「じゃあ丁寧にやる」


 カイは棒を持ち直した。


     ◇


 最後に、舗装石を戻す。


 外した位置へ同じ石を戻せるものは戻す。


 割れた石は、小さく加工して端へ使う。


 足りない場所には、役場の石材置き場から運ばれた古い舗装石を入れた。


「色が違う」


 ミラが言う。


 新しく入れた石だけ、少し青い。


「役場と同じ石?」


「役場で使った残りだろ」


 ガルドが答える。


「ここだけ目立つね」


「修理した場所が分かる」


 俺は言った。


「同じ色にそろえないの?」


「そろえた方がきれいだけど、このままでもいいと思う」


「どうして?」


 この下には、積み直した水路がある。


 枝水路へ続く点検口もある。


 いつかまた、ここを調べる日が来るかもしれない。


「直した場所を、隠さなくていい」


 古い道と、新しい石。


 色は違う。


 だが、継ぎ目があるからこそ、どこへ手を入れたか分かる。


「失敗した場所に見えない?」


 カイが尋ねる。


「壊れたままなら失敗だけど、直したなら記録だ」


 ドムが青い舗装石を木槌で叩く。


「石が沈んでいなければ、色なんぞどうでもいい」


「職人としては、見た目も大事じゃない?」


「金があるならそろえる。ないなら強さを優先する」


 最後の一枚が収まった。


 石畳の高さを、長い板で確認する。


 周囲より少し高い場所がある。


「ここ、削る?」


「下を直す」


 一度石を外し、下の小石を減らす。


 再び載せる。


 今度は板との隙間がなくなった。


 井戸の方から、水を少量流す。


 水は石畳の上へたまらず、仮の溝へ進んだ。


 修繕した部分にも、大きな沈みはない。


「荷車を通すぞ」


 ドムが言った。


「もう?」


 俺が尋ねる。


「試すためだ」


「壊れたら?」


「直す」


 広場に置いてあった空の荷車を使う。


 最初は荷物を載せず、一人がゆっくり引く。


 車輪が青い石の上へ乗る。


 音が変わる。


 だが、石は動かない。


 往復する。


 次に、小石を入れた袋を二つ載せる。


 もう一度。


 三度目は、袋を四つ。


「最初から全部載せないんだ」


 ミラが言う。


「少しずつ重くして、変化を見る」


 家の屋根へ水を流したとき。


 煙道の周りへ水をかけたとき。


 仮樋の傾きを確かめたとき。


 すべて同じだった。


 一度に最大の力をかけるのではなく、少しずつ試す。


「最後は、昨日落ちた荷車だ」


 穀物商の男が、自分の荷車を連れてきた。


 今日は袋を半分だけ積んでいる。


「本当に大丈夫なんだろうな」


「絶対とは言わん」


 ドムが答える。


「おい!」


「絶対と言う職人を信用するな」


「じゃあ、何を信用しろっていうんだ」


「調べたことと、作ったものだ」


 荷車が進む。


 全員が車輪を見る。


 片輪が、以前穴の開いていた場所を通る。


 石は沈まない。


 地面から異音もない。


 荷車が修繕区間を抜けた。


 周囲から、小さな歓声が上がる。


「もう一度だ」


 ドムが言った。


「まだやるのか?」


「一度通れたことと、道として使えることは違う」


 荷車を戻す。


 今度は反対側の車輪を、修繕した場所へ通す。


 問題はない。


「道を開けていい」


 ドムがようやく言った。


 ネッサたちが柵を外す。


 広場の北側と井戸をつなぐ道が、二日ぶりに開いた。


 人々が歩き始める。


 最初は青い石を避けるように。


 だが、一人が通り、二人が通ると、次第に普通の道へ戻っていく。


     ◇


「工事完了を確認しました」


 リゼが書類へ文字を書き込む。


「ただし、七日後と、次の大雨のあとに再点検を行います」


「終わったんじゃないの?」


 ミラが尋ねる。


「完成したあとに問題が出ないか、確認するためです」


「家と同じだ」


 俺が答える。


「作ったら終わりじゃない」


「またそれ」


 ミラが笑う。


「点検口についても、役場の水路記録へ追加します」


 リゼが図を見せる。


 上から見た広場。


 井戸。


 修繕した本流。


 そこから分かれる枝水路。


 道の端に設けた点検口。


「これが文字で書いてある場所?」


「修繕日、担当した職人、使った材料、点検口の位置です」


「俺たちの名前も?」


「工事責任者はドム親方。木工担当はガルド親方」


「俺は?」


「住民協力者として、レオ、ミラ、カイ。それから広場の皆さんを記録します」


「名前が残る」


 カイが紙を見つめた。


 盗んだ者としてではない。


 水路を直した者の一人として。


「でも、俺は文字が読めない」


「ここです」


 リゼが指で示す。


「これがカイ」


「本当に?」


「読めるようになれば、自分で確認できます」


「俺にも教えて」


「先に仕事を終えてください」


 カイは残り二日、石洗いと運搬をする約束だ。


「水路工事は終わった」


「石材置き場の片づけと、使った道具の手入れが残っています」


 ドムが言った。


「それも仕事?」


「仕事は、道が開いたら消えるのか?」


「……やる」


「明日の朝、工房へ来い」


 カイが驚いたようにドムを見る。


「工房?」


「石を洗う場所がある」


「くさびを盗んだ場所へ入れていいの?」


「道具は数える」


「信用してない」


「当たり前だ」


 ドムは残った石材を荷車へ積む。


「だが、働くと言った言葉まで疑っていたら、返しようがない」


 信用しているわけではない。


 だから見張る。


 道具を数える。


 仕事を分ける。


 それでも、働く場所は渡す。


 何も任せないことと、すべてを信じることの間にも、いくつもの段階があるのだ。


     ◇


 工事が終わり、人々が広場へ戻っていく。


 セナの鍋は空になっていた。


 ボルツは魚を並べ直し、マーヤは店の布を広げる。


 何日も閉ざされていたわけではない。


 それでも、道が開いた広場は以前より広く感じた。


「これで、仕事板の穴に印をつけられるね」


 ミラが言う。


 俺は焦げた板を受け取る。


 井戸と穴の絵。


 その上へ、終わったことを示す線を引こうとする。


 だが、手が止まった。


「どうしたの?」


「終わってない」


「道は直ったよ」


「枝水路が残ってる」


「今日は調べないんでしょ?」


「ああ。でも、忘れたら駄目だ」


 穴の絵には完了の線を引く。


 その横に描いた細い枝水路は、そのまま残した。


「半分終わり?」


「今の仕事は終わり。次の仕事が見つかった」


「じゃあ、ずっと全部終わらないね」


 ミラが言った。


 町には、壊れた家がある。


 傾いた扉がある。


 水のたまる道がある。


 行き先の分からない古い水路がある。


 一つ直せば、その奥に別の問題が見える。


「それでいいのかもしれない」


「終わらなくても?」


「全部を一度に直せない。でも、次に見る場所を残せる」


 点検口。


 石に刻んだ印。


 役場の記録。


 仕事板の絵。


 今日、枝水路そのものは直せなかった。


 それでも、存在を隠さず、次へつなげる形にはできた。


 直すことは、何もかも新しくして、きれいに覆い隠すことではない。


 傷んだ場所。


 手を入れた場所。


 まだ分からない場所。


 それらを残し、次に触れる人が迷わないようにすることも、仕事なのだ。


「次は、マーヤさんの屋根?」


 ミラが仕事板の布の絵を指す。


「約束したからな」


「道より簡単?」


「まだ見てないから分からない」


「分からないって言うの、上手になったね」


「褒めてる?」


「昨日のレオと比べたら」


「みんな同じことを言うな」


 広場の端で、マーヤがこちらへ手を振っている。


「終わったなら、次はうちだよ!」


「今日すぐに?」


「まず見ておくれ。風が吹くたび、屋根が歌うんだ」


「歌う?」


「夜中に、ひゅうひゅう、ばたばたってね」


 布の屋根が、風で浮いているのだろうか。


 破れているのか。


 固定の仕方が悪いのか。


 原因は、まだ分からない。


「見るだけなら」


「その言葉で、本当に見るだけだったことがあるのかい?」


 マーヤが笑う。


 否定できなかった。


 俺は仕事板を抱え、開いたばかりの道を歩く。


 足元には、色の違う青い石。


 道の端には、水路を示す印が刻まれた蓋石。


 その下には、町の誰も行き先を知らない枝水路が続いている。


 見えなくなっても、なくなったわけではない。


 だから、直した場所を隠さない。


 次に誰かが困ったとき、ここからもう一度始められるように。


 俺たちが直した最初の道は、古い石と新しい石の境目を残したまま、町の人々の足元を支え始めた。

お読みいただきありがとうございます。


崩れた本流は修繕され、道は無事に開通しました。

次回は、風が吹くたびに音を立てるマーヤの布屋根を調べます。


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