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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第一部 居場所を建てる

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12/22

第十二話 動かしたのは、誰だ

 翌朝、俺たちが北広場へ着いたとき、ドムは水路の中を睨んでいた。


 空はまだ薄暗い。


 市場の店も半分ほどしか開いていない。


 それでも、工事現場の周りにはすでに何人もの人が集まっていた。


「何があった?」


 柵の外から尋ねる。


「入るな」


 ドムは振り返らずに答えた。


「昨日も入ってない」


「今日は柵にも触るな」


 いつも以上に声が低い。


 俺は足を止め、水路の中を目で追った。


 昨日積んだ側石。


 一晩水を流し、動かないことを確認してから蓋石を載せる予定だった。


 だが、北側の石が一枚、明らかに傾いている。


 昨日は隣の石とそろっていた上端が、指二本分ほど内側へずれていた。


「石が動いた?」


 ミラが俺の隣から覗き込む。


「ああ」


「水で?」


「違う」


 ドムが即座に否定した。


「水で動いたなら、下の砂が流れる。石は下へ沈むか、水路の内側へ倒れる」


「今は?」


「横へずれている」


 石の根元は、昨日とほとんど同じ高さに見える。


 倒れたのではなく、誰かが押したように位置を変えていた。


「夜の見張りは?」


 ガルドが尋ねる。


「最初はボルツ。次がマーヤ。そのあとがお前だ」


「俺が来たときには、変わってなかった」


 ガルドが答える。


「ただ、鐘が鳴る少し前に、仮樋の下流を確かめるため広場の端まで離れた。戻ったときは、石の上端まで見直さなかった」


「その間かもしれない」


 俺が言うと、ガルドは否定しなかった。


「夜明け前に俺が交代した」


 ドムがようやく立ち上がった。


「その時点で、石は動いていた」


「じゃあ、ガルドさんが帰ったあと?」


「俺は帰ってねえ」


「交代してから、広場の端で寝ていた」


 ドムが言う。


「寝てたのか?」


「俺が来たから休ませた。何かあれば起きる距離だ」


「何かあったのに起きてない」


「だから機嫌が悪いんだろうが」


 ガルドの眉間にしわが寄る。


「水路へ近づいた奴を見なかったのか?」


「見ていない」


 ドムが水路の内側を指した。


「だが、人が入った」


 仮の作業床の端に、泥がついている。


 昨日の作業を終えたあと、板の表面は掃除してあった。


 そこへ新しくついた、細い足跡。


 大人のものではない。


「子ども?」


 ミラが言った。


「お前たちより少し大きいくらいだ」


 足跡は作業床を渡り、水路の中へ続いている。


 しかし、途中で泥が薄くなり、反対側には残っていなかった。


「入って、同じ場所から戻った」


「何のために?」


「それを調べる」


 俺が柵へ近づこうとすると、ドムが金属棒を向けた。


「入るなと言った」


「近くで見ないと分からない」


「近くで見たら、分からなくなるものもある」


「どういう意味?」


 ドムは泥についた足跡を指す。


「お前が歩けば、跡が重なる。石へ触れば、新しい傷か古い傷か分からなくなる」


 壊れた場所を調べる前に触ってしまえば、原因を見つけるための手がかりを消してしまう。


 前世の現場でも、事故が起きた場所はむやみに動かしてはいけなかった。


 だが、自分が調べる側になると、早く近づきたい気持ちが先に立っていた。


「見る前に、残す」


 俺は仕事板を取り出した。


「絵にする」


「柵の外から描け」


 足跡の位置。


 動いた石。


 仮の作業床。


 水路の中に残った道具。


 見えるものを板へ描き込む。


「昨日の状態も必要です」


 背後からリゼの声がした。


 振り返ると、革袋を抱えた彼女と、道路管理係長のハーレンが歩いてくる。


「石を積んだ直後の記録は?」


「紙に描いた」


 昨日の作業終了時、リゼが石の位置と数を記録していた。


 書類を広げ、現在の状態と比べる。


「北側の二枚目ですね」


「俺たちの印は?」


 石の側面には、炭でつけた印が残っているはずだった。


 だが、傾いた石の印だけ、半分消えている。


「水で消えた?」


 ミラが尋ねる。


「ほかの印は残ってる」


 俺は答えた。


 印の周囲だけ、何かでこすられたように黒く広がっている。


「石を動かすときに触った」


 ドムが言った。


「でも、なぜこの石を?」


 ハーレンが不機嫌そうに柵の中を見る。


「誰かが工事を邪魔しようとしたのか?」


「まだ決めるな」


 ドムが答える。


「道具を数えるぞ」


 石工たちが使っていた道具は、夜の間、鍵のついた木箱へ入れてあった。


 箱そのものに異常はない。


 鉄棒。


 石槌。


 木槌。


 縄。


 すべて残っている。


「何も盗られてない?」


 ミラが言う。


「待て」


 ロイが水路の近くへ置かれた、くさびの籠を見た。


「一本足りない」


「何のくさびだ」


「鉄の小さいやつ」


 ドムの表情が変わる。


 石を持ち上げるときに使う鉄のくさび。


 大きな道具箱には入れず、作業中にすぐ使えるよう、木の籠へまとめていたらしい。


「昨日、いくつあった」


「七本」


「今は?」


「六本」


「数え間違いでは?」


 リゼが尋ねる。


「終わる前に俺が研いだ」


 ロイが答える。


「七本全部」


 鉄のくさび。


 この世界で、鉄は高価だ。


 釘一本で黒パンが買える。


 くさびほどの鉄なら、何日分の食事になるのだろう。


「盗みに入った」


 ガルドが言った。


「くさびを取るとき、石を動かしたのか?」


「くさびは、石の下に入ってた?」


 俺が尋ねる。


 ロイが首を横に振る。


「籠に入れてた」


「なら、盗むだけなら水路へ下りる必要はない」


 籠は柵の近くに置かれている。


 足跡は、わざわざ作業床を渡り、積み直した水路まで続いていた。


「くさびを使ったんだ」


 俺は動いた石を見る。


「何に?」


「この石を動かすために」


 ドムが柵の中へ入り、足跡を踏まない位置から石を調べる。


 側面に細い傷があった。


 昨日、積んだときにはなかった傷。


「鉄を差し込んだ跡だ」


 石と石の隙間へくさびを入れ、無理に広げた。


「どうして石を動かした?」


 ミラが尋ねる。


「石の後ろに何かあった?」


 全員が動いた石を見る。


 石の背面は、土に接しているはずだ。


 だが、わずかに開いた隙間の奥には、黒い空間が見えていた。


「穴?」


「昨日はなかった」


 ドムが細い棒を差し込む。


 棒は簡単に奥へ入った。


「土じゃない」


「水路が、もう一本ある?」


 古い地下水路は、一本だけとは限らない。


 本流から枝分かれし、別の場所へ水を運んでいた可能性がある。


「先に、盗んだ者を探します」


 ハーレンが言った。


「町の警備隊へ連絡します。工事現場への侵入と、鉄材の窃盗です」


「待って」


 俺は足跡を見た。


「子どもの足だ」


「子どもでも盗みは盗みです」


「分かってる。でも、まだ遠くへ行ってないかもしれない」


「だから警備隊が探します」


「大勢で探したら逃げる」


 以前のレオなら、間違いなく逃げた。


 釘を盗んだあと、ガルドに謝ることもできず、町の隅へ隠れていた。


 追われれば追われるほど、捕まったら何をされるか怖くなり、戻れなくなる。


「くさびを売る場所は?」


 ガルドを見る。


「鍛冶屋か、道具を扱う店だ。だが、刻印がある」


「刻印?」


 ドムが残っているくさびを見せる。


 側面に、小さな円と三本線が刻まれていた。


「石工組合の印だ。まともな店なら買わん」


「まともじゃない店なら?」


「町外れに何軒かある」


「そこへ行く前に見つける」


 俺は足跡の大きさを仕事板へ写す。


 泥のついた靴。


 子ども。


 夜中に工事現場へ入れる場所にいた。


「柵の外にも足跡は?」


 ネッサが到着し、地面を確認する。


 昨夜は雨が降っていない。


 広場の石畳には跡が残りにくいが、仮の溝の近くには湿った土がある。


「こっちだ」


 小さな足跡が、井戸の裏側へ続いていた。


 途中から裸足になっている。


 泥のついた靴を脱ぎ、足跡を残さないつもりだったのかもしれない。


「賢い?」


 ミラが言う。


「途中で脱いだら、裸足の跡が残る」


「じゃあ、あんまり賢くない」


「俺たちと同じくらいだな」


「わたしは、もっと賢いよ」


「今は張り合うな」


 足跡は広場の裏路地へ続いていた。


「俺とネッサで探す」


「レオは残れ」


 ガルドが言う。


「どうして?」


「その手も治ってない。それに、相手が何を持ってるか分からん」


「鉄のくさび」


「それで殴られたらどうする」


「俺なら話せる」


「なぜだ」


 答えに迷う。


「釘を盗んだことがあるから」


 実際に盗んだ記憶はない。


 けれど、この身体がしたことだ。


 町の人にとって、俺は同じレオだ。


「追われる側が、どんな気持ちか少し分かる」


 ガルドは黙った。


 やがて、俺の肩をつかむ。


「俺から離れるな」


「分かった」


「今度の分かったは信用する」


     ◇


 足跡は、町外れの空き家へ続いていた。


 屋根の半分が落ち、扉もない。


 以前のレオなら、雨を避けるために使っていたかもしれない場所だ。


 ネッサが入口で足を止める。


「中にいる」


「分かるの?」


「息を殺してる音がする」


 尖った耳がわずかに動いた。


「出てこい」


 ガルドが呼びかける。


 返事はない。


「警備隊へ引き渡す前に、話を聞くだけだ」


 家の奥で何かが動く。


「嘘だ!」


 少年の声。


 年齢は十二歳くらい。


 俺より少し大きい。


「出たら捕まえる!」


「出なくても、警備隊が来れば捕まる」


「近づくな!」


 崩れた壁の陰から、少年が姿を見せた。


 汚れた灰色の髪。


 破れた服。


 裸足の片方には、血がにじんでいる。


 両手で鉄のくさびを握っていた。


 武器のように胸の前へ構えている。


「名前は?」


 俺が尋ねる。


「言わない」


「俺はレオ」


「知ってる」


「どこで?」


「釘を盗んだ奴だろ」


 ここでも知られていた。


「そうだ」


 ガルドが俺を見る。


 否定しなかったことが意外だったのだろう。


「くさびは返してもらう」


 少年の腕へ力が入る。


「でも、今すぐ地面へ置けとは言わない。先に話を聞く」


「同じじゃないか」


「それを持ってないと、怖い?」


 少年の手がわずかに震える。


 鉄のくさびは重い。


 長く構えていれば、腕が疲れる。


「売るつもりだった?」


「関係ない」


「パンを買う?」


「黙れ」


「誰かと食べる?」


 少年の視線が、空き家の奥へ動いた。


 そこに誰かいる。


「弟か、妹?」


「黙れって言ってるだろ!」


 くさびを振り上げる。


 ガルドが一歩前へ出ようとした。


「待って」


 俺は両手を見える位置へ上げる。


「俺は近づかない」


「当たり前だ!」


「くさびを売っても、組合の印があるから、まともな店では買ってくれない」


「知ってる」


「知ってるの?」


「削れば消せるって言われた」


「誰に?」


 少年は口を閉じた。


 誰かが、鉄を盗むよう教えた。


 子どもが一人で考えたとは限らない。


「その人は、くさびを持っていけば食べ物をくれる?」


「……銅貨をくれる」


「いくら?」


「五枚」


 ガルドが低く唸った。


「その鉄なら、もっとする」


「本当か?」


「お前は、安く使われてる」


 少年の顔が歪む。


 自分でも疑っていたのだろう。


「水路の石を動かしたのは?」


 俺が尋ねる。


「くさびを抜こうとしただけだ」


「抜く?」


「あの石の隙間に、鉄が見えた」


「昨日使った古いくさびが残ってた?」


 ロイか誰かが置き忘れたのかもしれない。


 だが、籠からも一本なくなっている。


「違う」


 少年は首を横に振った。


「石の後ろに、錆びた鉄が見えた。取ろうとして、籠のくさびを使った」


 最初から盗むために侵入したわけではない。


 水路の隙間に見えた古い鉄を取ろうとし、そのために新しいくさびを使った。


「取れた?」


 少年が服の内側から、錆びた金属片を出す。


 細長い鉄板。


 片端には穴が開いている。


 道具の一部にも見えるが、用途は分からない。


「これと、くさびを売るつもりだった」


 奥から、小さな咳が聞こえた。


 少年が振り返る。


 崩れた壁の陰に、幼い女の子が横たわっていた。


 五歳くらい。


 薄い布に包まれ、顔が赤い。


「病気?」


「昨日から熱がある」


「薬は?」


「金がない」


 鉄を盗んだ理由が分かった。


 分かったからといって、したことがなくなるわけではない。


 水路の石が倒れていれば、翌日の工事で誰かが怪我をしたかもしれない。


 仮樋が壊れれば、水が周囲の土を流した可能性もある。


「名前を教えて」


 少年はしばらく黙っていた。


「カイ」


「女の子は?」


「妹のルナ」


「家族は?」


「いない」


 俺と同じように、町のどこかで一人で生きていた子ども。


 いや、カイは妹まで守ろうとしている。


「くさびを返したら、妹を助ける?」


「信用できない」


「俺も最初は、誰にも信用されてなかった」


「今もだろ」


「少しはある」


 後ろでガルドが鼻を鳴らした。


「少しだけな」


「くさびを返しても、なかったことにはできない」


 俺は続ける。


「動かした石を戻す仕事が増えた。水路の確認もやり直さないといけない」


「金なんかない」


「俺も釘を盗んで、仕事で返してる」


 カイがガルドを見る。


「本当か?」


「まだ七本分残ってる」


「そこは言わなくていい」


「事実だ」


「じゃあ、俺も働けばいいのか?」


「それは、ドム親方と役場が決める」


「お前が決めるんじゃないのか」


「俺には、決める責任がない」


 昨日までなら、自分で引き受けると言っていたかもしれない。


 だが、道は皆が使う。


 工事には、責任者がいる。


 俺が勝手に許すことはできない。


「でも、話はする」


 俺は言った。


「どうして盗んだか。くさびを返すこと。働いて返したいこと」


「捕まったら?」


「分からない」


「分からないばっかりだな」


「ああ」


 嘘をついて安心させても、あとで裏切ることになる。


「でも、妹をこのままにはしない」


 ネッサがルナの額へ触れる。


「熱が高い。治療師へ連れていく」


「金がないって――」


「森番の詰め所に、薬草がある。代金の話は治してからだ」


 カイの腕がゆっくり下がる。


 最後まで握っていた鉄のくさびを、地面へ置いた。


「逃げない」


「そうしてくれ」


「でも、妹と一緒に行く」


「当然だ」


 ネッサがルナを抱き上げる。


 カイは錆びた金属片も差し出した。


「これも返す」


「これは、水路の中にあったものだ」


 俺は受け取らずに言った。


「持ち主が誰か、役場で調べる」


「ゴミじゃないのか?」


「水路を作ったときに使ったものかもしれない」


 古いものには、理由がある。


 勝手に捨てたり、持ち出したりする前に、何だったのか確かめなければならない。


     ◇


 広場へ戻ると、カイは多くの人に囲まれた。


「こいつが盗んだのか!」


「工事が遅れたら、どうする!」


「警備隊へ渡せ!」


 カイの身体が硬くなる。


 俺が前へ出ようとすると、ガルドに肩を止められた。


「お前が全部説明するな」


「でも――」


「責任者に話させろ」


 ドムが柵の前へ立つ。


「くさびは戻った。側石は、これから俺が確認する」


「盗人を許すのか?」


 ハーレンが尋ねる。


「許すとは言ってない」


 ドムはカイを見る。


「名前は」


「カイ」


「なぜ入った」


「鉄を売って、薬を買うため」


「誰に売るつもりだった」


 カイは答えない。


「言わなければ、また別の子どもが使われる」


「……西門の近くにいる、道具屋の男」


「店の名前は?」


「店じゃない。夜だけ来る」


 ハーレンとリゼが顔を見合わせる。


「警備隊へ、この件は報告します」


 リゼが言った。


「カイについては?」


「盗難と工事現場への侵入は、記録しなければなりません」


 カイが唇を噛む。


「ただし、被害を受けた組合と工事責任者が、弁済方法を提示することはできます」


 ドムが腕を組む。


「くさび一本と、やり直しの手間だ」


「働く」


 カイが言った。


「石工の仕事はできん」


「何でもする」


「危険な仕事はさせない」


 俺が口を挟む。


「お前が決めるな」


 ドムに睨まれる。


「でも、分からないまま水路へ入ったから、こうなった」


「だから?」


「危険じゃない仕事を教える。石を洗うとか、土を運ぶとか」


 ドムはすぐに答えなかった。


 ガルドが隣から言う。


「俺の釘を盗んだ馬鹿も、最初は掃除からだった」


「誰が馬鹿だ」


「お前だ」


 カイが俺を見る。


 初めて、少しだけ警戒が薄れたように見えた。


「三日間」


 ドムが言った。


「工事の間、石洗いと運搬をする。くさびの分は、それで返したことにする」


「石を動かした分は?」


「今日の作業がどれだけ増えるか見てからだ」


「分かった」


「お前の分かったは信用できるのか?」


 ガルドが俺に言うときと同じだった。


 カイは鉄のくさびを両手でドムへ返した。


「信用されるまで働く」


 その答えに、ドムはわずかに眉を上げた。


     ◇


 動いた側石を外す。


 その後ろに見えていた黒い空間を調べると、確かに別の細い水路があった。


 本流の半分ほどの幅。


 石で塞がれていたため、昨日は気づかなかった。


「古い枝水路だ」


 ドムが錆びた金属片を調べる。


「これは、水門の金具かもしれん」


「水門?」


「この枝へ流す水の量を変えるためのものだ」


 以前は、水路の途中に板か石の仕切りがあり、金具を使って開閉していたのだろう。


「どこへ続いてる?」


「今の図にはない」


 リゼが古い役場の記録を確認する。


「この水路が作られたころの図面は、保管されていない可能性があります」


「また枝を入れて調べる?」


「先に入口を安全にする」


 ドムが言う。


「水が流れ込めば、予定していた工事が変わる」


 枝水路の中は泥で詰まっている。


 完全に塞がっているように見えるが、奥からわずかな冷たい空気が流れてきた。


「向こう側に出口がある」


 ネッサが耳を近づける。


「水の音もする」


「町の別の場所へつながってる?」


「おそらくな」


 道に開いた一つの穴。


 その下にあった古い水路。


 さらに、そこから分かれる見えない道。


 俺たちが直そうとしていたものは、思っていたよりずっと大きな仕組みの一部だった。


「今日、枝水路まで直すの?」


 ミラが尋ねる。


「直さない」


 俺は答えた。


「どうして?」


「何につながってるか分からないから」


 分からないものへ手を加えれば、別の場所で水があふれるかもしれない。


 今は入口を仮に閉じ、位置と状態を記録する。


「今回の水路を直したあと、調べる」


「新しい仕事?」


「ああ」


 仕事板の空いている場所へ、細い枝水路を描く。


 板は、もうほとんど埋まっていた。


「また増えたね」


「増やしたのは俺たちじゃない」


「見つけたのはレオたちだよ」


 見つけなければ、存在しないのと同じだった。


 けれど、知らないままにしておけば、いつか別の場所で壊れる。


 俺は板へ描いた水路を見つめる。


 今日動いた石は、工事を邪魔するために動かされたのではなかった。


 一人の少年が、病気の妹を助けようとして鉄を探した結果だった。


 だが、その行動によって、町の下に隠れていた別の水路が見つかった。


 壊れたもの。


 盗まれたもの。


 動かされたもの。


 それらを元へ戻すだけでは、分からないことがある。


 なぜ動いたのか。


 誰が動かしたのか。


 その奥に何があったのか。


 すぐに直したいと思うほど、一度手を止めて見なければならない。


「始めるぞ」


 ドムが新しい側石を指した。


「枝水路の入口を残し、本流を積み直す」


 工事は予定より遅れている。


 それでも、昨日より多くのことが分かった。


 カイが洗い場へ向かい、汚れた石を一つ持ち上げる。


「これは、どこへ置く?」


「印を見て」


 俺は仕事板を見せた。


「三角が蓋石。丸が南側。線が北側」


「文字じゃないのか」


「俺も文字は一つしか書けない」


「何が書ける?」


「石」


「それだけ?」


「昨日覚えた」


 カイが初めて笑った。


「俺も書けない」


「じゃあ、一緒に覚えよう」


 道を直す仕事に、新しい手が一つ加わった。


 まだ信用されたわけではない。


 俺も同じだ。


 けれど、信用は最初から持っているものではない。


 釘一本。


 くさび一本。


 石一枚。


 返せるものから、少しずつ返していけばいい。


 町の下に隠れた枝水路と同じように、人の事情も外からは見えない。


 見えないからこそ、決めつける前に調べる。


 それが、今日俺が覚えた仕事だった。

お読みいただきありがとうございます。


鉄を盗んだ少年カイが作業へ加わり、レオたちは古い水路から分岐する新たな枝水路を発見しました。

次回は、本流の修繕を完成させ、人が歩ける道へ戻す作業に挑みます。

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