ep2-2 涙の意味
レオニールが部屋を出ていったのを見送ったヴォルフは、再び椅子に深く腰掛け、深いため息をついた。
部下の前で迷いは見せまいとしても、その内心は穏やかではない。
(だけどこれしかない。あの魔女から何か情報さえ貰えたら。俺たちならできるはずだ)
まるで自分に、言い聞かせるように。
(俺が死に戻った原因も、彼女なら分かるのだろうか)
ヴォルフは、菫色の瞳を持った魔女を思い浮かべた。
春のひだまりのような日、彼女に出会った時のことを。
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ヴォルフが死に戻る前のこと。
魔女殺しの騎士が守り続けていたゼーンズフト公爵領は、未曾有の異変に直面していた。
草木は枯れ果て、作物は育たない。そこには魔物が蔓延り、無辜の民は悉く殺されてしまった。
大切な人が死んだ。愛した故郷が壊れてしまった。
それは、魔女の呪いだった。
それなのに、殺すべき魔女が見つからないのだ。
ヴォルフは生き残った仲間たちと共に、まだ生命の息吹がかろうじて残る森の中にいた。
枯れ始めた木々は弱々しく翳り、野花すら咲かない乾いた森だった。
その中で魔女の痕跡を血眼になって探していると、急に霧が現れ、そして気がつけば1人で霧の中を彷徨っていた。
そして不意に、視界が開いた。
野花が咲き、鳥が囀る。
そこには、1人の女性が横たわっていた。
あの時のヴォルフは、どうかしていたとしか思えない。森の中にいる女に、ふらふらと近づき声をかけたのだ。
『何をしている』
その女は、まるで眠っているかのようだった。
その薄い唇が小さく動いた。
『何もしてないわ』
ヴォルフが女のそばに立つ。
女には、警戒心も、敵意もない。
ただ静かに、春の陽だまりの中で目を閉じていた。
『ここにいては危険だ。森が枯れ始めた。いずれ魔獣が現れるぞ。魔女も、潜んでいるかもしれない』
『魔女に私は殺せない。魔女を殺せるのは、人だけなんだから』
女の言葉に、ヴォルフの眉間に皺が刻まれた。
『お前は、魔女か』
そう口にしながら、ヴォルフは腰に下げた剣を抜いた。そしてその喉元に剣を突きつける。
切先が触れるか触れないかの距離。
ヴォルフが力を込めると、その刃に真白の炎が宿った。
女がようやく瞼を開けると、薄い菫色の瞳が覗いた。
『初めて見たわ。こんなに、強い炎は』
その反応に、ヴォルフは内心で戸惑った。
人よりも強い聖力を持つヴォルフを、魔女は恐れていた。負の感情以外の反応は、ヴォルフにとって初めてだったのだ。
『最期にこの炎に焼かれるなら、とても幸せね』
女がゆっくりと瞬きをした。
その瞳は、ただじっと真白の炎を見つめていた。
『恐ろしいとは、思わないのか?』
『何故?美しい炎だわ』
『そんなことを言う魔女に、出会ったことがない』
ヴォルフが剣を下ろすと、真白の炎が収束した。
『君は本当に魔女か?』
『そうよ』
女が身を捩るようにして起き上がる。地面についた手が、黒く滲んでいた。よく見れば、服の裾から覗く足さえも無いことに気がついた。
『死にかけているんだな』
『そうね。生命を使い過ぎてしまったから』
ヴォルフは、どさりと音を立てて魔女の向かいに座った。疲れ切った身体に、暖かな日差しが心地よく染み渡る。
『殺してくれないの?』
『君のことはいつでも殺せる。放っておいても死ぬだろう』
ヴォルフの言葉に、魔女が息をついた。
『そのはずだけど、なかなか死ねないの。どこに行っても、花が咲いてるから』
『花?』
ヴォルフが眉をひそめた。
枯れ果てた大地には、野花すら咲かない。
そのはずなのに、この場所は青々とした木々に囲まれ、柔らかな草地には所々に小さな花が咲いていた。
『外で何が起きているか知っているか?』
『なんとなく、ね』
『君が原因なのか』
魔女はゆっくりと首を横に振った。
『花を枯らすことは、私にはできない。誰がこんなことをしているのかも、私には分からない』
飄々とした魔女の表情が、ようやく曇った。
『なら君はここで何をしている』
『何もしてないわ。死ぬのを待っているだけ』
そのあっけない答えに、ヴォルフの肩から力が抜けた。どさりと倒れ込むように仰向けになる。
疲れ切った身体に張り詰めていた緊張の糸が、春の陽気にあてられてほどけていく。
何かを引きずる音がして、ヴォルフが視線を向けると、魔女が近づいてくるのが見えた。
『……なんだ』
ヴォルフの顔に影がかかる。
隣に腰掛けた魔女の、菫色の瞳が、ヴォルフの顔を覗き込んでいた。
『あなたのような人、初めて見たの』
『どこにでもいるだろ。俺はただの人間だ』
『そうなの?あなたの炎は美しい。純白で、無垢な。あなた以外にも、あなたみたいな人がいるの?』
ヴォルフの頬に魔女の手が触れた。
柔らかく、あたたかな温もりに包まれる。
『聖力のことを言っているのか?』
魔女が首を傾げた。
『確かに俺は、人よりも聖力が強い』
『何故?』
まるで子供のような問いだった。
何も知らない魔女は、ただヴォルフを見つめていた。
『分からない。生まれた時からこうなんだ』
『そう、なの』
魔女の手が離れていく。そして緩慢な動きで、ヴォルフの隣で横になった。
『不思議ね。弱い生命、強い生命。同じ人なのに、全然違う』
ヴォルフと魔女は、ただ静かに青空を見上げていた。
『あなたのような人が、あの子のそばにもいたら良いのに』
『あの子?』
『私の妹。可愛らしくて、か弱い子』
ヴォルフが隣の魔女に視線を動かす。
魔女は変わらず、青空を眺めていた。
『君は、人が好きなのか』
『それは、どうかしら。私は、あの子以外の人をよく知らないわ』
魔女の瞳から、ふいに雫が溢れ落ちた。
その光景に、ヴォルフは目を奪われる。
『だけど私は魔女だから。もうあの子のそばにはいられないの』
魔女は人を厭い、命を奪う存在。
実際にそれを目の当たりにしてきたヴォルフの前に、人を想って涙を流す魔女が現れるなど、想像もしていなかった。
『君のようなことを言う魔女を、初めて見た。俺には君が魔女だとは、思えない』
魔女が小さく笑った。
『私は魔女よ。あの子を傷つけた、愚かな魔女』
ヴォルフと魔女の視線が交わる。
『それでもあなたのような人に出会えたのは、幸せなことなんでしょうね』
『君は、』
ヴォルフの目が霞んでいく。瞼が重くなり、意識が遠のいていく。
『あなたを助ければ、あの子はまた笑ってくれるかしら』
魔女の柔らかな声が、耳に残る。
『美しい人。もう魔女なんかに近づいてはダメよ……』
魔女の声が遠のいていく。
次にヴォルフが目覚めた時、心配そうな表情を浮かべる部下たちに囲まれていた。
ヴォルフが体を起こすと、その手元に小さな菫色の花が咲いていることに気がついた。あたりを見渡せば、枯れて死にかけた木々から、芽が芽吹いていた。
呆然とするヴォルフに、部下が突然倒れて意識を失ったのだと説明した。
慌てて屋敷に戻って手配書を開くと、陽だまりの中で出会った魔女は、すぐに見つかった。
――妹以外の一族を殺した魔女。
それが、彼女の罪だった。




