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ep1-6 花の魔女

 ヴォルフが眠りについてしばらく。

 ベッドで横になっていたリナリアの瞳がパチリと開いた。ゆったりと起き上がり、ヴォルフの身体を揺らす。


「ヴォルフ。起きて」


「う、ん。どうした、まだ夜だぞ」


 ヴォルフが目をこすりながら顔を上げる。


「ちょっと出かけてくる」


 虚空を見つめる菫色の瞳には、仄かな光が灯っていた。

 ヴォルフは、只事でない何かが起きていることを理解した。


「待て、俺も行く」


 そう答えながら、慌てて服を着替える。その最中で壁を数回叩いた。隣で待機する騎士たちへの合図だった。

 リナリアは寝着のまま部屋の中央に立った。


「ちょっと待ってくれリナリア。副官たちも連れていく」


 ヴォルフが慌てて上着のボタンを閉める中、騎士たちが部屋に飛び込んできた。

 リナリアが手のひらを握り込む。途端に手の隙間から薄い菫色の光が溢れ出した。そしてヴォルフの方へ視線を向けた。


「移動するから、もっと近づいて」


 ヴォルフと騎士達がリナリアのそばに駆け寄る。

 リナリアの手から種子が落ち、部屋に眩い光が溢れたかと思うと、光が花弁を形どった。そして花が閉じるように、ヴォルフたちを飲みこんだのだ。


⭐︎


 眩しいほどの月明かりの夜。

 鬱蒼と生い茂る木々の中、小さな野花が咲く草地があった。

 木々の揺れる音だけが響くその場所で、突如薄紫の小さな光が灯った。

 その光がゆらりと膨らみ、花の蕾になった。そして螺旋を描くように花が開いた。

 薄紫の花は、光の流砂となって消えていく。

 そこには銀の髪を靡かせる女が1人と、腰に剣を携えた4人の男たちがいた。

 周りを一瞥したヴォルフは、そこが昼間散々過ごした雑木林の中だと気づいた。

 騎士の1人が声を漏らす。


「どうなってんだこりゃあ」


 騎士たちが戸惑いながら周りを見渡す中、ヴォルフは、月明かりの届かない雑木林の暗がりに目を奪われた。


――何かがいる。


 得体の知れない気配に、ヴォルフの全身の毛が逆立つ。腰にぶら下げた剣を握り込むと、刃と鞘が擦れ合い、澄んだ金属音が鳴る。

 足音が近づいてくる。そしてその不気味な正体が月明かりに晒された。


「あらぁ。誰かと思えば」


 張り詰めた空気に、緊張感のない女の声が響いた。

 くすんだ灰色の髪を無造作に伸ばした女。その髪の間から、不気味な赤色の瞳が覗いていた。

 ヴォルフの本能が、それを魔女だと告げる。

 ヴォルフが剣を抜くと、騎士たちも剣を抜いてその切先を魔女に向けた。


「物騒ねぇ。さすが、魔女殺しの英雄だわ」


 魔女が歪に口角を上げた。

 ヴォルフがその顔を凝視する。

 しかし、見覚えがない。


「何者だ」


 ヴォルフの問いに、女が肩をすくめた。


「いやねぇ。分かってるくせに」


 魔女の赤い瞳がゆらりと蠢いた。


「ああ、嫌いだわ。邪魔だわ。ああ、お願いだから……」


 そして魔女の声が、低く落ちた。


「消えてちょうだい」


 その刹那、魔女の足元がボコボコと膨れあがる。泥々とした黒いものが一つに集まって、猛々しい狼の姿となった。黒い流砂を纏うその狼が、唸り声を上げた。

 狼が、風を斬るようにヴォルフに飛びかかる。

 後方に控えていた騎士がヴォルフの前に出て、その狼を切り裂いた。

 2つに割かれた狼の体がぐにゃりと歪み、ヴォルフはその違和感に目を見開いた。


「下がれ!」


 ヴォルフが鋭く叫ぶ。

 歪んだ狼の体がどろりと混ざり合い、元の姿に戻ったのだ。

 そしてその巨躯の身体で、狼を切り裂いた騎士を吹き飛ばした。


「ぐうっ」


 騎士が低くうめき、転がっていく。

 ヴォルフの横で、別の騎士が顔を引きつらせた。


「隊長、あれは……」


「魔女だ。油断するなよ」


 ヴォルフの剣に、白い光が炎のように燃え広がる。

 目の前の魔女が、忌々しそうに顔を歪めた。


「汚いわ。気持ち悪いわ。その光、本当に嫌い」


 そして魔女の足元から、次々と黒い泥が湧き立ち、狼をかたどっていく。

 それらが一斉にヴォルフたちに襲いかかった。

 その時、沈黙を守っていた菫色の瞳を持つ女が、静かに口を開いた。


「駄目よ」


 狼を見据えていたヴォルフの前に、菫色の花びらがはらりと舞った。すると草地から植物がしなやかに伸びて巨躯の狼たちを絡め取った。

 たおやかに花々が咲き乱れる度、巨躯の狼はしわがれ、塵となって霧散した。


「まさか本当に、こんなことをする魔女がいるなんて」


 ヴォルフの隣に、リナリアが並び立った。月の光を浴びて、銀の髪が煌めいていた。 


「源から直接奪うなんて。あなた、死にたいの?」


 目の前の魔女の顔がぐしゃりと歪む。

 そして忌々しそうに口を開いた。


「ああ。この場所に変なシルシをつけたのはお前?」


「そうよ」


「へぇ。魔女殺しの肩を持つわけぇ」


 魔女の赤い目がぎらりと光った。

 肩が大きく揺れ、獣のように喉を鳴らす。 


「正気じゃないわぁ。死にたいのは、お前でしょう」


「私にとっては必要なことなのよ」


 リナリアは飄々と答えた。

 そしてその菫色の瞳で、隣に立つヴォルフを見た。


「あなたは私に何を望むの?」


 ヴォルフには、魔女殺しの横に立つ美しい魔女が何を考えているのか分からない。

 ただ、剣を握る手に力を込め、真っ直ぐと獣のように唸る魔女を見据えた。


「何も。魔女を殺すのは、俺の仕事だ」


 その瞬間、強い風が吹き上がった。草地から数多の菫色の花びらが、月に向かって舞い上がっていく。

 魔女がその花びらを目で追った。

 その刹那、ヴォルフは地を蹴って駆け出した。

 魔女が思わず後ろに下がろうとすると、足元に植物のツルが巻き付いていることに気がついた。

 顔を上げた時には、すでに魔女の目の前でヴォルフが剣を振りかぶっていた。

 横薙ぎに一閃、真っ直ぐに魔女の首を狙う。


「やめ……」


 魔女が首を守ろうと腕を振り上げた。

 ヴォルフの剣が腕に食い込んだ時、魔女の影から1匹の巨躯の狼が飛び出してきた。

 そのままヴォルフに飛びかかり、ヴォルフの体が宙を舞う。


「隊長!!」 


 騎士の声が響く。

 草地を転がるヴォルフが、すぐに体勢を立て直し魔女を一瞥すると、魔女の肩口が黒く染まっていた。

 力なく垂れ下がった魔女の腕が、ぼとりと落ちる。

 魔女が顔を苦痛に歪め、肩を押さえた。そしてその赤い目が、ギロリとヴォルフを睨みつけた。


「殺してやるわぁ。絶対に」 


 ねっとりとした魔女の声が響く。魔女を捉えていたリナリアのツルは、すでに枯れ果てていた。

 ヴォルフを吹き飛ばした巨躯の狼が魔女を庇うように咥え、そして闇の中へ消えていった。

 木々の葉擦れの音が響き、再び静寂が訪れた。

 騎士たちがヴォルフに駆け寄る中、ヴォルフは黒く汚れた剣を払い、それを鞘の中に納めた。


「隊長!無事ですか」


「ああ。お前こそ」


 屈強な騎士に視線を向けると、騎士は逞しく笑った。


「どうってことないですよ」


 その時、菫色の花びらが騎士たちの間にはらりと落ちた。若い騎士がおもむろに空を見上げる。

 眩い月明かりが照らす中、空から菫色の花びらが風に揺蕩い、舞っていた。


「これが、花の、魔女……」


 ぽつりと若い騎士がこぼす。

 ヴォルフもつられるように空を見上げ、その幻想的な光景を眺めた。しかしすぐにその視線を元に戻し、騎士たちに告げた。


「あの魔女は俺を知っていたな」


 長髪の騎士が眉間に皺を寄せた。


「ですが見覚えがありません。あの魔女は一体」


 ヴォルフたちが考え込む中、リナリアが飄々と答えた。


「仕方ないんじゃないかしら。だってあなた、有名なんでしょう」


 リナリアとヴォルフの視線が交わる。


「魔女殺しの英雄。それってつまり、魔女の天敵だものね」


 ヴォルフの瞳が揺れた。

 魔女殺しの英雄のそばにいる魔女が、何を思うのか。ヴォルフには想像できなかったからだ。


「助かったよ、ありがとう」


 ヴォルフの言葉に、リナリアは微笑み返した。


「私は、貴方の魔女だもの」


 月明かりの眩しい夜。

 魔女と魔女殺し、相反する二人がそこにいた。

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