ep5-3.白炎
一面に広がる砂漠の中に、リナリアは立っていた。
そこは本来、色とりどりの花が咲き広がる場所だった。
リナリアの心の内から、リナリアが大切にしているものが消えている。
それはつまり、何者かにリナリアの内が侵されているということだった。
降り注ぐ熱射に目を細める。手で影を覆いながら空を見上げると、そこには異様に大きな太陽があった。
「はじめまして。やっと会えて嬉しいわ」
女の声がして、リナリアが視線を下げる。
そこには、夕陽のように赤い髪に、黄金の瞳を持つ女が立っていた。
「そんなに嫌そうな顔をしないで」
女がくすりと笑った。
リナリアは、不快感を隠すことなく眉を顰めた。
「なぜ私の中に?」
「親切心よ。魔女殺しに、次はあなたが殺されちゃうと思ったの」
リナリアの指先がぴくりと動く。
最も万能であるはずの自分の内でさえ、力を使うことができない。
「必要ないわ。今すぐ出ていって」
「冷たいのね。私たち、同じ魔女じゃない」
女がわざとらしく肩をすくめた。
リナリアは、感情のない声で女に問いかけた。
「獣の魔女に、力を貸したのはなぜ?」
「獣の娘が可哀想だったのよ。せっかく自分を残したのに、1人じゃ形になれなかった」
女の笑みが深くなる。
「だから、力を貸してあげたの。同じ魔女だもの。手を取り合わなきゃ」
そこにあるのは真の善意か。
リナリアは、若い狼がリナリアに見せた幻想を思い返した。
何かの前に立ち塞がった獣の魔女。
その背には、傷ついた獣たちがいた
「獣の魔女は、獣たちを守って死んだ。なのにあなたは、獣の魔女に獣を殺させたわ」
「あの子の意思よ。あの子が望んだことを否定するなんて、ひどいこと言わないで」
女の眉尻がさがり、まるで悲しみを堪えるようにして肩をすくめた。
リナリアは、目を細めながら口を開いた。
「……あなたの炎は、見覚えがあるわ」
その言葉に、女がパッと顔を上げた。
「あら。私たち、もうどこかで会ってたかしら」
「人の子に、その炎を与えたでしょう」
女が首を傾げる。
「そうだったかしら。そうだったかもしれない。分からないわ」
適当で、曖昧な返事だった。
しかしリナリアを見て女が不思議そうに目を丸めた。
「あら?あなた怒ってるの?」
か弱い人間の中に混ぜ込まれた黄金の炎。
幼な子の生命は、危うく燃え尽きるところだったのだ。
静かに女を見据えるリナリアの姿に、今度こそ女が真剣な様子で考え込んだ。
「……そうね。あのことかしら、違うかしら。私、あの炎が大嫌いなの。私の炎よりも目立とうとするあの傲慢、あの強欲」
目の前の魔女の瞳の奥が、暗く光った。
「だから燃やしたの。でも人の群れを探すのは大変だわ。だからね、私、考えたの。全部燃やさずに、シルシをつければいいんだって」
金の瞳が弧を描く。
「そうしたら、その人間が、次の群れの場所を教えてくれるでしょう?」
リナリアの瞳が揺れた。
人を殺すことが正しいことだと、目の前の魔女は信じているのだと分かったから。
それは、リナリアの胸の中に鉛を落としたかのような気分にさせた。
「だけどすぐ消えてしまうの。なるべく若くて強そうな人間を選んでるつもりだけど。怪我なんかさせてないのに、なぜ消えてしまうのかしら」
女は本気で理解できない様子だった。
リナリアが小さく息をつく。
「人の生命が、か弱くて、脆いものだと。あなたは分からないのね」
「ああ、死んでたの。ただシルシをつけただけなのに、何故かしら」
リナリアは顔を顰めることしかできない。
この存在を早く追い出してしまいたいのに、その方法がない。
リナリアが、静かに口を開いた。
「私は人を殺さない。あなたが何をしたいのか知らないけど、早く消えて」
「それはできないわ。同胞が困っているんだから、助けてあげなきゃ。私が殺してあげるから、身体を少しだけ貸してちょうだい?」
女がリナリアに笑いかけた。
「嫌よ」
「なぜ?私たち魔女にとって、あれほど危険な生き物はいないわ。あの炎は、大きすぎる」
太陽の熱が、リナリアの身体を蝕む。
気を抜けば意識を失いそうなほどの力が、リナリアの内で燃え広がっていた。
それでもリナリアは、目の前の魔女を真っ直ぐ見据えていた。
「確かに。大きくて、力強い。彼の炎は、いつも高く燃え上がってる」
「可哀想な娘。あの炎にすくんでいるのね」
女が憐れむように目を細めた。
その時、2人の間に柔らかな風が吹き抜けた。太陽の熱射からリナリアを守るように、風がリナリアの身体を撫でる。
リナリアが目を閉じ、大きく息を吸い込む。
身を焼くほどの熱は、もう感じなかった。
何もできないと諦めていた身体の中に、じわりと何かが流れ込んできた。
瑞々しい花の生命。
そして、リナリアを守ろうとする真白の炎。
リナリアは、女に向かって薄く笑った。
「私は、すくんでなんかいないわ」
リナリアがその胸に両手を当てる。
指の隙間から光が漏れ出して、黄金の炎が現れた。
「何を……」
元凶たる女が、怪訝そうな顔を浮かべた。
リナリアが両手をかざすと、手の上に黄金の炎が浮かび上がった。その炎に息を吹きかけると、炎が消えて、赤い結晶が残った。
リナリアは、赤い結晶を見つめながら口を開いた。
「あなたには、理解できないかもしれないけれど」
リナリアの言葉を追うように、赤い結晶に真白の炎が宿った。
それは、人の生命の証。
純白で無垢の輝きを持つ、聖なる炎だった。
「私は、初めてこの炎を見た時」
リナリアの菫色の瞳には、鼓動のように燃え上がり、揺れる炎が映っていた。
「見惚れてしまったの。彼の炎は、誰の守りも必要としていない。ひとりで燃え続ける。美しい無垢の炎」
女が顔を歪め、後ずさる。
「やめた方がいいわ。あなた、焼け死ぬわよ」
「私には守りたいものがある。この炎が私を焼く時が来るならば、その時は……」
リナリアの言葉が止まる。
真白の炎を見つめながら、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
「それでも。今は、もう少し見ていたいの。魔女が人のそばにいるべきじゃないと、分かっているわ。それでも私は、この炎から目が離せない」
聖なる炎に包まれた結晶が、脆い砂のように崩れていく。それに呼応するように、女の身体も崩れ始めていた。
「可哀想な子。あなたは魔女として欠けているわ。でも、生まれたてだからしょうがないのかしら」
女の身体が消えかける前、女はリナリアに告げた。
「助けが必要になったらいつでも呼んで。私たちは、同じ、魔女なんだから」
⭐︎
寝室の中は、甘い花の香りで満たされていた。
ノラが持ってきた花は、ベッドから溢れるほどの量だった。
花の焦げつきが完全に止まった頃。
リナリアの浅い呼吸はやがて穏やかなものになり、熱が下がり始めた。
それでもリナリアは目覚めない。
陽が落ちて、そして朝になる。
部屋が白い朝陽で満たされる頃、ヴォルフはただリナリアの手を握りしめていた。
「リナリア……」
何度その名を呼んだだろうか。
ヴォルフが俯きかけた時、リナリアの指先が不意に動いた。
そしてようやく、ゆっくりと瞼が開く。
ヴォルフが待ち焦がれた、菫色の瞳がのぞいた。
「リナリア!」
ヴォルフに気がついたリナリアは、何度か瞬きを繰り返した。
そしてリナリアが身体を起こそうとするのを、ヴォルフが咄嗟に支えた。
「身体は大丈夫か?」
「ええ、平気よ。それよりあなた、酷い顔だわ」
心配そうにヴォルフを見つめるリナリアに、ヴォルフの胸から熱いものが込み上がった。
気がつけば、ヴォルフはベッドに身を乗り出しリナリアを抱きしめていた。
「よかった。君がこのまま目覚めなかったらと思うと......」
リナリアの手がヴォルフの背にまわり、子をあやすように優しく撫でた。
「大丈夫よ。魔女に、魔女は殺せないんだから」
ヴォルフがリナリアの頭に頬を寄せた。
まるでその存在を確かめるように。
「君は分かってない。君が傷ついたことに変わりないんだから」
「魔女だもの、すぐに治るわ。それよりも、あなたは自分の方を心配するべきよ」
ヴォルフがリナリアから身体を離す。そしてヴォルフを見上げるリナリアの頬に、そっと手を添えた。
「どうしたら、伝わるかな」
リナリアが首を傾げる。
「人の傷も、時間が経てば癒えるだろう。でも俺たち人は、大切な人が傷ついた時に、不安になったり、苦しくなる。その人の痛みを想像するから。守れなかったことが、悔しいから」
まるで、言い聞かせるように。
ヴォルフは、キョトンとした表情を浮かべるリナリアに、優しく言い聞かせた。
「君が俺を心配してくれるように。俺も、君が心配だったんだよ」
そして最後に、ヴォルフは、わずかな苦笑いを浮かべた。
「君が俺と同じ気持ちかは、分からないけどな」
ヴォルフの手が、リナリアから離れていく。
リナリアの薄い菫色の瞳が、揺れていた。
「同じ、気持ち......」
リナリアが胸に手を当てた。
そして静かに、戸惑いの滲む声で続けた。
「確かに、あなたの傷だらけの姿を見た時、とても嫌な気持ちになった。あなたの言葉通りのことを、私は、感じたんだわ」
その言葉にヴォルフが目を丸め、そして小さく唇を震わせた。
リナリアは、自分の気持ちを確かめるように、ゆっくりと呟いた。
「私は魔女で、あなたは人なのに。同じ気持ちになるなんて、それはとても。とても......」
「とても、なんだい?」
言葉に詰まるリナリアに、ヴォルフが問いかける。
リナリアは、ふるふると首を横に動かした。
「何と言えばいいのか、分からない。私はあなたほど言葉にするのが上手じゃないから」
ヴォルフは、目を閉じた。
リナリアが何を思うのか、ヴォルフには分からない。
それでも、同じ気持ちであればいいと願いながら。
「リナリア」
「何?」
ヴォルフが、躊躇いを滲ませながら両手を広げた。
「抱きしめても、いいかい」
リナリアは、瞬きを繰り返した。
そして薄い微笑みを浮かべたあと、ヴォルフの背に腕を回した。
柔らかな朝陽が差し込む部屋の中。
互いの温もりを感じながら、2人は目を閉じたのだった。




