ep5-2.それぞれの
ノラは屋敷中に倒れていた人形たちを集め、一階に並べていた。
持ち上げるとずっしりと重いその人形たち一体ずつを抱えては、床に座らせる。
打ちどころの悪かった人形は、体の一部にヒビが入ったり、四肢の一部が折れていた。
ようやく最後の一体を床に置くと、ノラの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
「痛いよね。足も運んでくるから、待っててね」
ノラが見つめる人形は、片足のふとももから先がない。折れた場所からは、幾多の枯れた植物の蔓がのぞいていた。
こぼれ落ちる涙を拭いながら、ノラが立ち上がった。
「旦那様。早く戻ってきて……」
か弱い声が、屋敷の静寂の中に溶けていく。
ヴォルフを待つ時間は、とても長く、終わりがないような恐怖があった。
陽が傾き、空が赤く染まった頃。
ノラが人形たちのそばで膝を抱えていると、玄関に何かがぶつかる音がして、待ち焦がれていた声が聞こえた。
「おい!開けてくれ!」
「だ、旦那様……!」
慌てて立ち上がったノラが、玄関に駆けて行く。
重たいドアを引くと、リナリアを抱きかかえたヴォルフが立っていた。
「奥様!?」
ノラが思わず悲鳴のような声を上げる。
ヴォルフは、屋敷の中に入って足を止めた。
玄関を閉じたノラが振り向いた時、ヴォルフは呆然とした表情で、動かなくなった人形たちを見下ろしていた。
「ああ、奥様!どうされたのですか?」
ノラがヴォルフに駆け寄る。
ぐったりとした様子のリナリアの腕に、しがみつくように触れ、さらに顔を青くした。
「すごい熱です。旦那様。あの、旦那様?」
ヴォルフがハッと我に返りノラを見下ろした。
「ああ。リナリアを寝室に運ぶ。水桶を持ってきてくれ」
「はい。あの、お医者様は」
「......何を言ってるんだ、ノラ」
ノラが不安そうにヴォルフを見上げる。ノラの瞳に映るヴォルフは、目を赤く染め、自嘲気味に笑った。
「魔女を診ることができる医者など、いるはずないだろう」
⭐︎
ヴォルフとリナリアが寝室に入るのを見送った後、ノラはまた人形のそばで膝を丸めていた。
ノラは溢れる涙を止めることができず、ぐずぐずと鼻水を啜っていた。
何が起きたのか、分からない。
リナリアは、どうなってしまうのか。
不安と恐怖が、ノラの小さな心を押し潰していく。
その時、大きな音を立てて玄関が開いた。
びくりと身体を揺らしてノラが顔を上げると、肩で息をするフィンが入ってきた。
「フィンくん!」
「ノラ。隊長と、奥様は?」
いつもの間延びした声とは違う。疲労が滲む様子で、フィンがノラに歩み寄った。
「お部屋に上がられたよ」
「あー。もう部屋か。奥様はどうだった?」
「ひどい熱で、眠ってた。ねぇ、奥様に何があったの?」
フィンが息をつきながら、ノラの隣に座り込んだ。
「俺にも、よく分かんねぇ」
「……奥様、死んじゃうの?」
震える声で問いかければ、フィンはただ静かに視線を落とした。
「分かんねぇなぁ」
その言葉に、またノラは顔を歪めた。
嗚咽混じりに顔を伏せる。その瞳から、ぼろぼろと熱い雫が落ちていく。
絶対崩れるはずがないと信じていた足場が、音を立てて崩落していくような。不安と焦燥がないまぜになって、ノラとフィンに襲いかかっていた。
「フィンくん。奥様は魔女なんでしょう?魔女は、強いんじゃないの?」
「奥様は、強いよ。だから、俺にも分かんないんだよ」
ノラにとって、魔女は、恐ろしい存在だった。
それでもリナリアの穏やかな菫色の瞳に見つめられれば、その感情は溶けて消えていく。
たとえ魔女であっても、リナリアの前では、ノラはもう震えることはないのだ。
ノラは、どうしてリナリアが怖くないのか、屋敷に来てからずっと考えていた。
その思いが、胸から溢れ出していく。
「……あのね。奥様は、心を操れるんだと思ってた」
フィンの視線が、ゆっくりとノラに向いた。
「だから、この屋敷の人は、気づかないんだって。ここには春の花も、夏の花も、季節に関係なく咲いてるのに。変だなって、思わないんだって」
屋敷の中に、ノラの啜り泣く音が響く。
フィンは、ただその言葉を黙って聞いていた。
「でもね。奥様が大変なことになっちゃって。お人形たちも動かなくなっちゃって。それって、奥様が今、魔女の力が使えないってことなんだよね?だから、だから......」
ノラは、フィンの太ももに手を置き、小さな手を強く握り込んだ。
「私が今、奥様のことが心配なのは、私の本当の気持ちってことだよね。死んでほしくないって、元気になってって、思うのは......」
泣きじゃくるノラに、フィンが力無く笑った。
「なんだよ。そんなこと気にしてたのか?」
フィンが長い息をつき、ノラの頭を無遠慮に撫で回した。
「奥様が心を操れるわけないだろ。だってそういうのは心をよく知らないとできないじゃん。奥様に、俺たちの気持ちはわかんねぇよ」
「ぅぅ。なんでそんなひどいこというの!」
ノラがポカポカとフィンの足を叩くのを、ただ受け入れる。
「だってよぉ……」
フィンの視線が遠くなった。
そしてノラはようやく気がついた。普段は余裕に満ちた笑顔を見せるフィンの表情に、暗い影が宿っていることを。
「だってよ。奥様は、俺に奥様を切れって言ったんだぜ?俺にそんなことできるはずないのに」
「切れって……」
言い淀むノラに、フィンは苦笑いを浮かべ答えた。
「殺せってこと。それで俺、奥様のこと刺しちゃったんだ」
予期せぬ言葉に、ノラは音にならない悲鳴と共に口元を押さえた。
「俺、吐きそうだったよ。隊長が大事にしてる奥様を、俺も大事にしたかった。奥様のこと、すげー人だって分かってたし、お前のこと助けてくれたし。今はもう、隊長とか関係なく尊敬してたんだよ。でもさ……」
フィンが言葉に詰まる。そして無理矢理浮かべた笑顔が強張り、目元が赤く染まる。
「あの人多分、本気だった。本気で自分が死ねばいいと思ってた。奥様が死んだら、隊長が、俺たちがどんな気持ちになるか、これっぽっちも分かんねえんだ」
フィンの後悔が、悲しみが、ノラの心に突き刺さる。
何が起きたか分からないノラでさえ、フィンが抱いた感情を思い浮かべることができるのだ。
「奥様が、起きないのって……」
その先を、ノラは口にすることができない。
それを言ってしまえば、目の前の騎士の心が崩れてしまうような気がして。
「奥様がああなっちまった理由は本当に分からない。奥様は、怪我なんかしてないって、そうやって言ってたけど。でもさ、俺が剣を抜いた時、奥様の身体からブワーって花びらが吹き上がったんだよ」
フィンの脳裏には、あの時の情景がありありと思い浮かんでいた。
それは、フィンにとって鮮烈で、残酷な光景だった。
「あれはきっと、奥様の血なんだ。たくさん血を流してた。だから、俺のせいで、こんな。こんなことに……」
フィンが顔を覆う横で、ノラの身体が止まった。
「お花が、奥様の中から……」
ぽろり、ぽろりと。ノラの涙は止まらない。
ノラが強いと信じていた者たちが、無力にあえぎ、苦しんでいた。
その感情を、何もできない絶望を、ノラは知っている。
魔女だから、騎士だから強いのではない。
皆弱さを抱えたまま戦っているのだと。そう気がついたノラの中に、静かな炎が起こる。
ノラは、乱暴に袖で顔を拭い、立ち上がった。
「ノラ?」
フィンがキョトンとした顔でノラを見上げていた。
「私も、頑張る。私ができることを、やらなきゃ。もう、泣いてばかりじゃ、ダメ」
まるで自分に言い聞かせるように、幼い少女は動き出したのだった。
心優しい魔女を救いたい、その一心で。
⭐︎
燃えるような赤い西陽が差し込む部屋の中。ヴォルフはベッドに横たわるリナリアのそばにいた。
水で濡らした布巾で汗を拭っても、その熱は冷めることなく、今もリナリアを蝕んでいた。
ベッドのそばに置いた椅子に腰掛け、小刻みに膝を揺らしながら、拳を額に押し当てる。
(変われるものなら、変わってやりたい)
屋敷に戻れば、少しでも良くなると思っていた。
だが、動かなくなったリナリアの球体関節の人形たちを見た時、ヴォルフは崩れ落ちそうなほどの衝撃を受けた。
その光景は、まるでリナリアもそうなってしまうのではないかと、現実を突きつけるようだった。
リナリアから呻くように漏れる息にハッと顔を上げるが、その目が開くことはない。
その時、けたたましく扉を叩く音がした。
『旦那様!旦那様!ノラです、開けてください!』
ヴォルフがふらりと立ち上がり、扉を開ける。
そこには、花いっぱいのカゴを持った幼いメイドがいた。
「ノラ?どうし……」
ヴォルフが言い終える前、ノラがそのカゴを持って部屋の中へと滑り込んだ。とっさのことでヴォルフは止めることもできず、力無く伸ばした手が空を切った。
ノラが一目散にリナリアに近寄り、カゴをひっくり返すと、色とりどりの花がベッドの上に広がっていった。
「こら、急に何をするんだ」
ヴォルフがベッドに駆け寄ると、ノラが勢いよく顔を上げた。
「奥様の中にはお花の血が流れてるって聞きました。お花があれば、奥様は元気になりますよね?」
ヴォルフがベッドを見下ろすと、そこには茎を切り落とした花が広がっていた。
「これ、奥様が剪定してたお花です。ずっと枯れないで、きれいなままだから。きっと、奥様の力になってくれます!」
ヴォルフがノラからリナリアに視線を移した。
その時、リナリアの上に広がる花が小さく揺れた。
リナリアの生命の証が、黒く、焦げつき始めたのだ。
その光景に、ヴォルフが目を見開いた。
ノラが慌てて扉に駆けて行く。
扉のそばにはいくつものカゴが置かれ、中は瑞々しい花で満たされていた。
カゴを手に取ったノラは、リナリアのもとへ花を運び続けた。
花が増えるほど、焦げる速度が落ちていく。
「俺も運ぼう」
ヴォルフが振り返ろうとすると、ノラがその前に立ち塞がった。
「だめです!」
ノラの澄んだ声が響く。
「フィンくんと私がいます。旦那様は、奥様の手を握ってあげてください。旦那様が手を握ってあげたら、きっと奥様も嬉しいと思います。私も、嬉しかったから......」
ヴォルフはふらりと椅子に座り直した。
そしてリナリアの手を取ると、熱を帯びたその指先が僅かに動いたような気がした。
花の甘い香りが、部屋を満たしていく。
「ああ……」
思わずヴォルフは声を漏らす。
そして、祈るようにその手に額を当てたのだった。




