ep5-1.新たな影
薄暗い神殿の中、狼たちは互いを支えながら去って行った。彼らを見送ったあと、ヴォルフたちは、魔女の死体があった場所に立っていた。
「死体が消えたか。しかし……」
ヴォルフが見下ろす先には、真っ赤な結晶が落ちていた。真二つに割れた、歪な結晶だった。
「なんだこれは」
ヴォルフがリナリアに視線を移す。その問いに、リナリアは首を傾げた。
「分からない。この結晶からは何も感じないわ」
リナリアがその結晶に手を伸ばそうとするのを、ヴォルフが慌てて止めた。
「危険かもしれない。魔女の残した物なんだろう。フィン。レオニールたちを呼べ。ここを調査する。……フィン?」
ヴォルフが振り返ると、未だフィンは神殿の中央に立ち、地面に広がった菫色の花びらを見下ろしていた。
「フィン!レオニールたちを呼んで……」
「ヴォルフ!」
遮るようにリナリアが声を上げた。滅多にない切羽詰まった様子にヴォルフが慌てて振り返る。
気がつけば、割れた結晶がまたひとつになっていた。
黄金の炎が結晶を包み、ふわりと浮き上がる。
声を上げる間もなかった。
リナリアがヴォルフに腕を伸ばし、その身体を庇おうとした。僅かに遅れて、ヴォルフもまた、リナリアに手を伸ばす。
しかし2人の腕の隙間を抜け、黄金の炎が、勢いよくリナリアの胸の中に飛び込んだ。
「リナリア!」
リナリアの中に黄金の炎が消えたと同時に、リナリアが崩れ落ちた。
すぐさまそれを抱き止めたヴォルフは、その様子に愕然とした。
どれだけ名前を呼んでも、リナリアは意識を失ったまま動かない。
それはヴォルフにとって、受け入れ難い光景だった。
⭐︎
甘い花の香りが広がる屋敷の中、ノラはシーツを積み上げた洗濯カゴを持って、階段を上がっていた。
ノラが歩く少し先には、赤い花飾りを頭に乗せた球体関節の人形が、同じく洗濯物を抱えていた。
「ねぇ。奥様どこにいっちゃったんだろう」
ノラが問いかけると、人形が頭を揺らした。
「お庭に出る格好じゃなかったわ。お散歩かしら。こんなこと初めてだから……ん?」
ぐらり、ぐらりと、目の前の人形の足取りがおぼつかなくなったかと思うと、人形が崩れ落ちた。
咄嗟にノラはカゴを放り、その人形の体を抱き止めようとする。階段を一緒に転がり落ちそうになるところを、尻餅をついてなんとか堪えた。
「えっ。えっ。どうしたの?」
人形の身体を揺らしても、まるで生気を失ったかのように動かなかった。
——ガシャン
屋敷のそこかしこで、重たい何かが倒れる音がした。
「みんな、倒れちゃったの?あぁ。あぁ、どうしよう」
ノラは人形を震える腕で抱きしめた。
「奥様に、何か、あったの?」
静寂に包まれる屋敷の中、ノラは突如訪れた異変に肩を震わせた。
⭐︎
レオニールとローエンは、小隊を引き連れ、木陰に身を潜めていた。
レオニールが、先頭の騎士に声をかけた。
「報告しろ」
「はっ。複数の狼たちが神殿の中に入っていくのを確認しました」
騎士が示したその先には、土砂に飲まれた神殿の跡地があった。
ローエンが低く唸る。
「ついに見つけたな。魔女は目と鼻の先だ」
「視察部隊を先行させましょう。その後……」
レオニールの言葉が止まる。神殿の入り口から、次々と狼たちが現れたのだ。足を引きずるものから身重のものまで、一つの群れがそこにいた。
レオニールたちが剣の柄に手を当てる。
先頭に立った若い狼が、立ち止まった。
レオニールたちを見つめるその目に、敵意はない。
狼は身体を逸らし、そのまま山間に去って行った。
「なんだぁ、あいつら。ボロボロだったぞ」
ローエンが怪訝そうにその狼たちを見据える横で、レオニールが顔を顰めた。
「狼煙をあげましょう。すでに隊長が、魔女を討ち終えたか、またはその逆か。全隊を集めます。そのあと」
「副隊長!あ、あれを!」
レオニールの言葉を遮るように若い騎士が声を上げた。神殿の入り口に目を向けると、見慣れた騎士服に身を包んだ2人がいた。
安堵のざわめきのあと、ヴォルフが抱える存在に気がついて、騎士たちが息を呑んだ。
「隊長!」
レオニールとローエンがヴォルフに駆け寄った。ヴォルフの腕に抱かれているのは、花のように美しい魔女だった。
その顔には僅かな苦悶と、脂汗が浮かんでいた。
レオニールがヴォルフを見上げると、ヴォルフの瞳が小刻みに揺れていた。
肩口には抉れるほどの深い傷があり、その腕を赤く染めているにも関わらず、力強くリナリアを抱きしめていた。
ヴォルフの気が動転していることは、火を見るより明らかだった。普段の泰然とした姿からは想像もできないほど。
——獣の魔女は、どうなったのか。なぜここに花の魔女が。
レオニールは、その言葉を飲み込み、代わりの言葉を吐き出した。
「獣の魔女が、奥様を攫ったのですね」
騎士たちがどよめく。
ローエンは、レオニールの考えを察して吠えた。
「なんと姑息な!許せんぞ、魔女め!」
ようやくヴォルフがハッと顔を上げた。
それは、意識的か、無意識か。
ヴォルフはリナリアを守るように、その身体を自分に抱き寄せた。
「……レオニール」
ヴォルフの目配せに、レオニールが頷いた。
「獣の魔女は死んだのですね」
「ああ、殺した。俺はすぐに屋敷戻りたい。リナリアが心配だ」
「分かりました」
「頼む。それと、そうだな。それと……」
ヴォルフは混乱する頭をなんとか整理しながら指揮を取ろうとする。しかしその言葉がまとまる前、レオニールが口を開いた。
「事後処理はお任せください。私の小隊を護衛に、隊長は奥様とお屋敷へ」
「……すまない。レオニール、頼んだ」
ヴォルフがリナリアを抱きしめたまま駆け出していく。その後ろ、共に駆け出そうとするフィンの肩を掴んで引き留めた。
「うわっ。レオニールさん、俺も行かせてください!」
フィンの目が真っ赤に染まっていた。何が起きたのか、レオニールは想像もつかない。ただ、よからぬことが起きてしまったということだけは、すぐに理解できた。
「お前は、現状報告をしてからだ」
「でも、俺の、俺のせいなのに……」
顔を歪めるフィンの鼻をレオニールが摘んだ。
「うぇっ」
「ガキめ。優先順位を考えろ」
その言葉に、みるみるフィンが肩を落としていく。レオニールは、その若い騎士を毅然とした声で諭していく。
「報告を終えたら早馬を使って戻れ。奥様のそばにいることが許される人間は限られてるんだ。戻ってから、お前にできることをしろ」
フィンの背筋が伸びた。
「は、はい!」
そしてレオニールは声を張り上げ、騎士たちに指示を飛ばしていくのだった。
⭐︎
揺れる荷馬車の中、ヴォルフはリナリアを膝の上に乗せて抱きしめていた。
浅い呼吸。燃えるように熱い身体。
時折苦しそうに呻くリナリアの背中を、ヴォルフはたださすることしかできない。
(リナリア、一体どうしたんだ)
ヴォルフの肩口には、固く包帯が巻かれていた。リナリアを離さないヴォルフを、なんとか騎士たちが説得して手当てしたあとだった。
ヴォルフの血で汚れてしまったリナリアの姿に気がついた時、ヴォルフは胸が締め付けられるようだった。
リナリアの中に消えた、黄金の炎。
それが何をもたらすのか、ヴォルフには理解ができなかった。
しかし、獣の魔女の中にあったそれが、今はリナリアの中にある。
ヴォルフにとって、それはとても恐ろしいことだった。
(君が死んだら……。目覚めた時、君が君でなくなったら……。俺は……)
最悪の結末を想像し、リナリアを抱きしめる腕に力が入る。
ヴォルフにはもう、リナリアを失った未来など、考えられなかったのだ。




