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ep4-7.守りたいもの

 薄暗い神殿に、菫色の花びらが舞い上がっていた。

 ヴォルフは、その光景から目を逸らすことができず、喉を震わせた。

 身体が熱い。心臓が痛いほど、強く鳴っていた。


(俺が、守らなくてはいけないのに)


 獣の魔女の高笑いも、フィンの慟哭も、ヴォルフの耳には届かない。

 浅い呼吸を繰り返す。

 ドクドクと打ち付けるように脈打つ鼓動だけが、耳に響いていた。


 その時、一枚の花びらがヴォルフの目の前を掠めた。

 花びらがヴォルフの心臓の場所に落ちる。

 黒い泥に触れた途端、その瑞々しい花びらは水気を失い、枯れ果ててしまった。


 花の魔女の生命の証。


 初めてそれが枯れる様を目の当たりして、ヴォルフの心臓が激しく締め付けられた。


(……魔女を殺すのは、俺の役目だ)


 諦めるわけには、いかなかった。

 その瞳に、強い光が差す。


(考えろ、考えろ!獣の魔女を殺す方法を!)


 固く握りしめた手から、血が溢れた。

 ヴォルフの想いが、昂りが、生命の炎を激しく燃やす。


(何故魔女は死なない、首を落としても!)


 燃える、燃える。獣の魔女を殺すそのためだけに。

 ヴォルフの中の炎が強く、高く、燃え上がっていた。


 その気配に、獣の魔女が弾かれたように顔を上げた。

 それは魔女を焼く炎。魔女が恐れる、人間の聖なる炎だった。


「魔女殺し!お前まだ、そんな、あぁ!」


 獣の魔女が心臓に手を押し当て、苦悶の表情を浮かべた。

 その手の隙間から、黄金の炎が一瞬吹き上がった。


「ぐぅ、う。分かってるよ!あいつは殺す、絶対殺す。だから、邪魔すんなぁ!」


 うわごとのように獣の魔女が叫ぶ。


「人間!さっさとその魔女を殺せ!!!」


 獣の魔女の焦りが、ヴォルフの頭に上った血を押し下げるようだった。


(あの反応は、なんだ。あいつは、何に痛みを感じた?)


 ヴォルフは、自分の心臓を見下ろした。

 リナリアの花びらが落ちたその場所。


 リナリアは、無駄なことをしない。


 ならばこれには、意味があるのだと、そう気が付いたヴォルフの目が、力強く獣の魔女を見据えた。

 蠢く泥の塊、金の目たちに向かってヴォルフは告げた。


「お前たち。俺があの魔女を殺す。ここで、終わらせてやる」


 ギョロギョロと金の目が動き回る。


「だからお前たちも、抗え。俺に、託せ」


 突如動きを止めた金の目。

 それが泥の中に沈み込んでいくと、ヴォルフを包んでいた塊が、力を失ったかのようにどろりと剥がれ落ちていく。

 泥と共に地面に降り立ったヴォルフが、鬼気迫る声で叫んだ。


「フィン!!!寄越せ!!!」


 獣の魔女が動きを止めた。


 フィンの身体にまとわりついた黒い泥がどろりと落ちていく。

 フィンは迷うことなく、その両手に握りしめた剣をヴォルフに向かって投げつけた。

 剣が石床の上を回転しながら滑っていくのを見て、ヴォルフが駆け出した。


 その時、地に広がっていた菫色の花びらが勢いよく舞い上がった。

 


⭐︎



 それは、獣の魔女にとってありえない光景だった。自分の身体が、獣たちが、自分に逆らったのだ。

 ひとつだと思っていたのに。

 ばらばらに身体が剥がれ落ちていくような感覚。

 獣の声が、聞こえない。


「なんで?どうして?」


 魔女には理解できなかった。

 自分の身体を喰らった獣たち。

 獣の魔女が、これ以上人の手におかされぬように。

 そう願い、魔女を喰らった獣たち。

 そうして魔女と獣は、一つになったのに。 


「やだ、お前たち!どこにいるの!」


 突然足元が崩れるような焦燥感に苛まれ、魔女は震える手で頭を掻きむしった。


 その時、菫色の花びらが獣の魔女へ吹きつけた。

 獣の魔女が、思わず両腕で顔を覆う。


「ああ!鬱陶しい!それどころじゃ!」


 力任せに花びらを振り払うと、その隙間から魔女の恐れた光が見えた。

 身体が粟立つ。本能が、恐ろしいと震えている。


 それは幾分も昔、魔女が最期にみた光景。


 真白の炎を携えた人間が、真っ直ぐに魔女の胸に、その光を突き刺そうとする。

 黄金の炎に守られていた心臓が跳ねる。


 獣の魔女の、絶叫がこだました。


 

 ⭐︎



 ヴォルフの剣が、魔女の心臓に沈む。

 しかしその切先が、それ以上の侵入を阻むかのように止まってしまった。

 足を踏み込み、力を込める。

 猛った雄叫びと共に、ヴォルフは獣の魔女の身体にその剣を押し込んだ。


 絶叫する魔女の胸元から、黄金の炎が漏れ出た。


 何か固いものを壊した感触の後、剣がずぶりとその胸元を貫通していった。

 魔女の目がぐるりと回り、その全身が強張った。


(殺した、今度こそ)


 確信とともに剣を勢いよく抜くと、魔女はそのまま仰向けに倒れ込んだ。

 ヴォルフの鼓動と、荒い息遣いが響いていた。


「……ああ、そんな」


 獣の魔女が、か細い声で空を見上げていた。その視線は、壁面で様子を伺っていた狼たちのもとへ。

 震える腕が、すがるように狼たちへ伸びた。


「ごめんね、みんな。もっと、強く……してあげたかった」


 魔女の思いは、狼たちに届かない。

 そしてまた、狼たちの中に渦巻く黒い感情も、獣の魔女に届くことはなかった。


 魔女の身体が黒い流砂となって崩れていく様を、後退りながらヴォルフは眺めていた。

 そしてその身体の半分が消えかけた時、ヴォルフはすぐさま反転して駆け出した。

 跪くリナリアのそばで、フィンがしゃがみ込み必死に頭を下げていた。


「リナリア!フィン!」


 ヴォルフもリナリアの目の前に屈み、その様子を窺った。

 リナリアは、穏やかな眼差しでヴォルフを見つめていた。


「リナリア、怪我は……」


「ないわ」


 死を覚悟していた。

 自分だけじゃなく、目の前の魔女でさえも、失ってしまうのではないかと。

 ヴォルフの口角が、意図せず緩んだ。


「よかった、本当に……」


「うっ、うぅ。奥様、すみません。俺は、なんてことを」


 その横で、目を真っ赤にして声を震わせるフィンを見て、今度そのヴォルフの顔に笑顔が浮かんだ。


「ーっ!フィン!よくやった!」


 肩を組み、その癖毛の頭を力一杯撫でた。


「えらいぞ、フィン。お前じゃなかったら、間違いなくリナリアは殺されていた!」


 高揚と安堵がない混ぜになっていた。

 声を上げて笑うヴォルフにつられ、フィンも力無く笑った。


「はははっ。それ、笑って、いいんすか?」


 フィンの笑い声には嗚咽が混じり、その目には涙が浮かんでいた。


「でも、奥様。すみません。俺、奥様を傷つけちゃって」


「くどいわ。傷なんてないって何度言えばわかるの。ほら」


 リナリアが破れた服をめくろうとして、咄嗟にヴォルフがもう片方の手で抱き寄せた。


「こら、リナリア。気安く肌を見せるんじゃない」


 その高揚が収まることはない。

 2人を抱きしめる腕は、ヴォルフの精一杯の力だった。

 温もりが、安心が、張り詰めていたヴォルフの緊張の糸をぷつりと切ったのだった。


「……あら」


 リナリアの声に、ヴォルフが顔を上げる。

 ヴォルフたちのそばを、幼い狼が駆け抜けていった。

 そして神殿のの中央、雲の薄明かりで照らされるその場所で、幼い狼が不安そうに鼻を鳴らして彷徨っていた。


「なんだ?」


 ヴォルフが2人から腕を離し、その様子を見守った。

 足を引きずった狼が暗がりから現れ、必死に幼い狼の元へ近づこうとしていた。

 甲高い鳴き声と共に、幼い狼がその狼のもとへ駆け寄った。


 ヴォルフたちの横から、また別の幼い狼が、身重の狼が、次々と神殿に集まりだす。

 それに応えるように、暗がりから怪我をした狼たちが姿を現した。

 顔を擦り寄せたり、じゃれあったり。


 若い狼たちが、獣の魔女から守ろうとしていた生命が、そこにあった。


「……ヴォルフ」


「どうした?」


 ヴォルフがリナリアに視線を向ける。彼女の瞳は、真っ直ぐとその光景を見つめていた。


「ありがとう。あなたの選択は、正しかった」


 ヴォルフはただそっと、リナリアの肩を抱き寄せた。


「リナリア、君のおかげだよ。君のおかげで、狼たちも、人も、守れたんだ」


 2人は視線が交わる。そしてどちらともなく、穏やかに微笑んだのだった。

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