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ep4-6.その選択は

 地面が大きく揺れた。

 石床から現れたその土人形は、飛びかかる狼たちを掴み、投げ、押しつぶす。

 狼たちが呻きをあげ、後ずさると、獣の魔女が激昂した。


「逃げんじゃねぇ!何のために力を分けたと思ってんだ!!」


 その光景に、ヴォルフの腹の底が冷えた。


——妹以外の、一族を殺した魔女


 そう呼ばれた光景が、目の前で広がっている。

 妹を守るためではない。

 今、リナリアが守ろうとしているのはヴォルフなのだ。


 魔女に魔女は殺せない。


 それならば、この光景は。

 ヴォルフの中から、熱く、どろりとした感情が湧き上がった。

 リナリアは、ヴォルフを守るため、狼たちを殺そうとしているのだ。


「やめてくれ!リナリア!!!」


 喉が裂けるほどの声で、ヴォルフは叫んでいた。

 土人形が暴れ、獣たちが唸っている。

 リナリアがヴォルフを見据え、何かを呟く。しかしその声は、獣たちとの争いの音に阻まれ、ヴォルフには届かない。

 それでも、リナリアの告げた言葉がヴォルフには理解できた。 


——どうして


 リナリアは、ヴォルフの言葉に、戸惑い、迷っていた。

 ヴォルフは切実に叫んだ。


「駄目なんだ!リナリア!この狼たちは、生きている!」


 その言葉に反応するように、ヴォルフにまとわりついた黒い泥が蠢いた。

 金の目が、じっとヴォルフを見つめていた。


「誰かを守るために、傷つけてはいけない!それは“魔女の選択“だ!」


 それはリナリアが後悔した未来の過ち。

 ヴォルフが止めたかった“最悪の未来“。


 土人形の動きが止まる。

 獣の魔女が舌打ちをしてヴォルフを睨みつけた。


「うるせぇなぁ!」


 獣の魔女が指で合図をすると、1匹の狼がヴォルフに向かって駆け出した。

 そして勢いよくヴォルフの肩口に噛みついた。

 肉が裂ける痛みに、ヴォルフの額に脂汗が浮かんだ。

 リナリアが目を見開く。

 すると、土人形が再び動き出し、目の前に群がる狼たちに、手をを振り上げようとした。


「やめてくれ!!!」


 その時、リナリアの顔が歪んだ。


 何かを堪えるような。苦しむような。

 それは、リナリアがヴォルフに見せた、初めての表情だった。


「なぜ止めるの!このままでは、あなたが死んでしまう!この狼たちは、死を望んでる!」


「死ぬために生きる者なんて、いないんだ!」


 獣の牙が、より深くヴォルフに突き刺さる。

 2人の言葉を割くように、獣の魔女が唸った。


「あー!あー!うるさい!お前は黙ってろ!」


 ヴォルフの身体にまとわりついた泥が腕の形となって、ヴォルフを掴んだまま伸び上がった。

 ヴォルフの肩口から離れた獣が地面に落ち、泥の中に取り込まれていく。

 溺れまいともがく狼の金の目は、明確に死を拒否していた。


 ヴォルフを掴んだ腕はそのまま勢いよく壁に伸び、ヴォルフを壁に打ち付けた。

 その衝撃に、ヴォルフは息を吐き出した。

 動くこともままならず呻くヴォルフを見て、獣の魔女が満足そうに笑った。

 ヴォルフが朦朧とする意識でリナリアの方を見れば、土人形が音を立てて崩れ落ちていた。


「あーあ、つまんない。弱くて、情けない」


 獣の魔女が舌打ちをすると、狼たちが身体を引き摺りながら下がっていった。

 獣の魔女の冷めた声が響く。


「魔女殺し。花の魔女。お前ら全員殺す。それを喰らって、私たちはもっと強くなる。それしかない」


 獣の魔女が手をかざすと、リナリアの足元から泥が湧き上がった。

 足を取られるようにしてリナリアが跪く。

 そのまま泥がリナリアの腕を取り、地面に身体を縫い付けた。


 頭を無理矢理下げられたリナリアが身を捩っても、その泥の塊はびくりとも動かなかった。


「まずは花の魔女、お前からね」


 獣の魔女が腕を払うと、リナリアの後ろから新たな泥が吹き上がった。


 その中から現れたのは、ヴォルフの若い副官、フィンだった。


 ⭐︎



 ヴォルフを追って黒い泥に飛び込んだ後、脳を焼くほどの強烈な匂いの中でフィンは意識を失った。

 次に目を覚ました時、その光景は目を疑うものだった。

 目の前で、艶やかな銀の髪を靡かせた女性が、黒い泥に囚われていた。

 顔を上げれば、獣の魔女が歪な笑みでこちらを見ている。


「フィン!!」


 呼びかけに視線を向ければ、泥に磔られるように壁にぶら下げられたヴォルフがいた。


「隊長!」


 フィンには、状況が理解できなかった。

 身体にまとわりついた泥がフィンの自由を奪う。

 その両手は、剣を握りしめていた。

 正しくは、黒い泥に無理矢理、握り込まされていた剣だった。


「ねえ人間。その魔女を殺してよ。そうしたら魔女殺しは助けてあげる。あなたと一緒に、ここから逃してあげるわ」


「フィン!耳を傾けるな!」


 フィンの目の前に跪く女は、間違いなくリナリアだった。

 獣の魔女は、目の前の魔女の首を落とせと囁いている。


(そんなこと、絶対にしたくない!)


 しかしフィンにまとわりついた泥が、その意志に反してフィンの身体を操ろうとする。


「う、やめ、ろ!」


 フィンが必死にもがいても、剣が振り上げられてしまう。

 どれだけ抵抗しても、足掻いても、その泥はまるでフィンの身体を我が物のように扱おうとするのだ。 


「いいのよ、フィン」


 場にそぐわぬほど落ち着いた声色で、リナリアがフィンに語りかけた。


「奥様、逃げて、ください」


「大丈夫。私の生命を使えば、少しは獣の魔女を無力化できるわ。あとは、あの人がなんとかするでしょう」


 フィンは、乾いた喉でなんとか唾を飲み込んだ。


「なにを、言ってるんですか。そんなのだめに決まってます」


「大丈夫よ」


「全然、大丈夫じゃないっす!」


 フィンは、全身の血管が浮き上がるほど、力を込めて泥に抗っていた。

 黒い泥に囚われたリナリアの、真白のうなじが見えていた。

 

 まるでその首を差し出すように。


「奥様を傷つけることは!隊長を傷つけるのと一緒です!」


 声が震える。

 それでも必死に叫んだ。


 フィンは知っていたのだ。


 ヴォルフに、目の前の女性にだけ見せる表情があることを。

 魔女殺しの英雄と呼ばれるほどの、堅物。

 それでもその英雄が、女性の一挙一動に振り回され、悩み、笑っていることを。

 その感情の名前が、まさしく◼︎であることを。

 そして、その感情を、目の前の魔女が正しく理解していないことを。


「いや、だああああああ!」


 振り上げた剣がリナリアの身体を貫く。

 肉を割く感触が、フィンの身体を粟立たせた。


 リナリアから小さな吐息が漏れた。


「だめよ、フィン。これじゃあ魔女は殺せない。あなたたちの生命の炎でしか、私たちを燃やせない」


 いつも通り、淡々と。

 フィンは目を真っ赤に染めながら、身体を震わせた。


「奥様!なんで、なんで!そんな!」


 その様子を見て、獣の魔女が神殿にこだまするほどの高笑いを上げた。


「ははは。ひどいわ!むごいわ!すぐには殺してあげないのね。何度でも痛めつけようなんて、さすが人間だわ!」


 フィンを覆う泥が蠢いた。

 そしてまた無理矢理フィンの身体を操り、リナリアから剣を引き抜く。


 その時リナリアの身体から、無数の菫色の花びらが吹き上がった。


 フィンその光景に耐えきれず、固く目を閉じた。

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