ep1-2.異変の前兆
馬車を走らせて数刻。
たどり着いたのは青々とした畑が広がるのどかな農村だった。
田舎道を馬車でゆっくりと進む中、リナリアは外の景色に目を輝かせた。
「素敵な場所ね。植えてあるのは、野菜かしら」
「ああ。ここはゼーンズフト公爵領の中でも有数の出荷量を誇るんだよ」
「瑞々しくて、良い土地だわ」
「もう少し走れば集落がある。そこで降りよう」
ヴォルフの言葉通り、畑を抜けるとレンガ作りの民家が現れ始めた。さらに進むと一段と立派な屋敷が現れ、ようやく馬車が止まった。
ヴォルフのエスコートでリナリアが馬車を降りる。
そしてリナリアの足が豊かな畑に向かおうとしたところを、ヴォルフが腰に腕を回して引き寄せた。
身動きがとれないリナリアは、ヴォルフに非難の目を向ける。
しかしヴォルフの視線は別の方へ向いていた。
リナリアがヴォルフの視線の先を追いかけると、2人の目の前に整った身なりの老齢の男がいることに気がついた。
「ようこそ、エーデルハイント子爵。本日はその、視察と伺っとりますが何かありましたでしょうか」
深いシワのある顔に困惑を滲ませる老齢の男に、ヴォルフが首を振った。
「いや、今回は視察というより休暇に近いんだ。せっかくゼーンズフト領に来たのであれば、この豊かな場所を妻に見せないでいるのはもったいないだろう」
その言葉に、老齢の男の顔に宿った不安が和らいだ。
「ふぉっふぉっ。そうでございましたか。確かに子爵は新婚でいらっしゃいましたな」
「ああ。私も立場上、視察という形でしか彼女を連れ出してあげられなくてね。短い間だがよろしく頼む。リナリア、こちらは村長のゲーテ殿だ」
ヴォルフに促され、リナリアが薄く微笑んだ。
「リナリア・エーデルハイントです」
村長が人の良さそうな笑みを浮かべた。
そしてその足元から、ひょこりと幼子が顔を覗かせた。ヴォルフとリナリアを見て恥ずかしそうに村長の後ろに隠れる。
「これは私の孫でして。客人がお見えになるのが珍しいので出てきたのですが。これ、挨拶せんか」
村長に促され、幼子がおずおずと顔を出す。
リナリアが幼子に微笑みかけると、幼子は顔を赤らめて引っ込んでしまった。
「ふぉふぉ。すみませんなぁ、人見知りなもので。ささ、中に部屋を用意しております。今宵は慎ましいものではありますが宴を予定しておりますので、準備ができるまでお寛ぎください」
村長に促され、屋敷の中に進む。
まだ外の様子を満足に見ていないリナリアが後ろ髪を引かれる思いで立ち止まろうとするが、ヴォルフの腕がそれを許さない。
ヴォルフがリナリアにひそかに囁いた。
「ひとりでどこかにいくのは、やめてくれよ」
「大丈夫なのに。もう」
リナリアは小さくため息をつき、そのままヴォルフと屋敷の中へ入っていくのだった。
⭐︎
夕暮れの光が差し込む応接間で、ヴォルフと村長はソファに腰掛け紅茶を囲んでいた。
そしてヴォルフの後ろには、2人の騎士が端然と佇んでいた。
「それにしても子爵。今日は突然で驚きました。まさか文が届いた翌日にいらっしゃるとは」
「すまない。こちらも急に予定が空いたんだ」
「そうでございましたか。護衛の方もかなり少ないようで。騎士の皆様それぞれにお部屋がご準備できるかと思いますよ」
村長の計らいに、ヴォルフは首を振った。
「いや、彼らはできれば私の隣の部屋で待機してほしい」
ヴォルフの言葉に村長が目をぱちくりさせた。
「確か、騎士の皆様は3名でしたかな?ですとお部屋は少し手狭かと」
「大丈夫だ。お気遣い感謝する」
ヴォルフの有無を言わせぬ様子に、村長は思わず苦笑いを浮かべた。
「それよりも、最近何か変わったことはないか」
「変わったこと、ですか……」
村長は一瞬考え込む。
まもなく穏やかな表情に影がさした。
「強いていうなら、近くの村の畑が死んじまったことでしょうか。しかも、原因がわからんのです」
「それは、畑が枯れたということか」
村長はヴォルフの剣幕に気圧されるように、目を瞬かせた。
「はい。一月くらい前からでしょうか。小さな村からぽつぽつと。この辺りはみんな仲間みたいなもんですから、儂も見に行ってきましたが…」
ヴォルフは静かに村長の言葉を待った。
「ありゃあ“畑が死んだ“としかいいようがないんです。儂も自分の畑を持っとる立場だから分かります。土が腐って、根が弱って、あんな病気は見たことがない」
「病気?」
「はい。畑は生きとりますから。野菜の病気はよくありますよ。人間みたいに薬もないし、今年は運が悪かった」
ヴォルフが息を呑んだ。
畑が枯れたことが、魔女の仕業と考えるものなどほとんどいないだろう。現にヴォルフもそうだった。
だからこそ、未来のヴォルフたちが異変に気がつくのが、あれほどまで遅れたのだ。
ヴォルフが、乾いた喉でなんとか言葉を絞り出した。
「その原因が、魔女の呪いだとしたら?」
村長が顔を引きつらせた。その顔には恐怖が浮かんでいた。
「なんと、なんと。そりゃあ恐ろしいことです。ですがそんなことを何故するんですか」
「それは分からない」
あまりに怯える村長を前に、思わずヴォルフは言葉を取り繕った。
「あくまで、仮定の話だ」
村長が胸を撫で下ろした。
「なるほど。そういうことですな。子爵、貴方の名声はこんな田舎にも届いておりますよ。“魔女殺しの英雄“と」
その言葉に、ヴォルフがぴくりと反応した。
「こんな田舎のことですら、魔女の仕業ではないかと心配してくださる。その優しさこそ、あなたが“魔女殺しの英雄“と呼ばれる所以なのでしょうな」
「英雄などではないよ。ただ私の騎士団が、多くの魔女を殺しただけなんだから」
「ご謙遜を。あなたの名を知らぬ国民などいないでしょうに」
村長は顔の皺をさらに深くして笑った。
「貴方が名だたる魔女を幾人も殺してくださったおかげで、公爵領どころか王国に平和が訪れたのです。しがない田舎のもてなしでは限りがありますが、ぜひ楽しんでいってください。村民たちも、子爵様がいらっしゃると聞いて浮き足だっとりますから」
「……もてなしに、感謝する」
過大な評価だとヴォルフは思った。
それでもこの好意を無下にするほど愚かでは無い。
言葉に詰まるヴォルフを見て、村長はさらに目の皺を深めた。
「しかし子爵も、幸せが訪れたようで何よりです」
「幸せ?」
ヴォルフが思わず聞き返す。
「ふぉふぉ。奥様ですよ。お美しい方ですね」
「ああ、彼女は……」
ヴォルフが躊躇う様子を見て、村長はまた穏やかに微笑んだ。
「いやいや。すみませんな、ジジイの戯言でございます」
「いや、ああ。すまない」
ヴォルフは、ただ苦々しい顔で頷くことしかできなかった。
一見して和やかな会話に割り込むように、外から楽しそうな子供の笑い声が聞こえた。
村長が立ち上がり窓から外を見下ろす。
「そろそろ宴の準備ができたようです。子供達もはしゃいどるようで。ふぉふぉ。私はこの屋敷から見える畑と村の景色が宝物なんですよ。今日は一段と活気がありますな」
村長の言葉につられ、ヴォルフも立ち上がり窓に近づく。
遠くに広がる緑一面の畑は、作物の花が咲き、赤い夕日に照らされていた。
屋敷の前の広場では、村民たちが机に料理を並べ、楽しそうに談笑していた。
その時、ヴォルフは、活気のある広間で人の間を縫うように駆け出す子供に気がついた。
子供の後ろには、夕暮れの寒空の中上着も着ないで、真白な腕をさらけだした女が一緒にいる。
さらに遅れて、ヴォルフが見慣れた濃紺の制服に身を包んだ騎士が、何か叫びながら2人を追いかけていた。
村長が穏やかに微笑んでいた。
「そうそう。この景色が……。ん?今駆け出して行ったのは。ん?」
「すまない。連れ戻してくる」
ヴォルフが村長の言葉を遮り、踵を返して応接間を飛び出した。騎士たちもあわててそれに続く。
「ありゃあ奥様か。おんやまあ。ずいぶんわんぱくなことで」
思わず村長の笑みが深まり、窓の外の捕縛劇を見守る。
人波をあっという間に駆け抜けたヴォルフとその護衛の騎士たちは、すぐに美しい妻を捕まえた。
しかしこちらに戻ってくる彼らの中、騎士の1人に抱き上げられた幼子の姿を見て今度は村長が慌てて踵を返す番だった。
「いかん!わしの孫が原因じゃ!」




