ep1-1.英雄の屋敷に住まうのは
草花が咲き誇る華やかな庭園。花壇には色とりどりの花が咲き、通路に置かれたアーチには瑞々しい植物のツルが覆う。
ヴォルフ・エーデルハイント子爵が、妻のために用意した華やかな庭園。
――パチン、パチン。
鋏が小気味よく音を立てる。
鋏の持ち主は、つばの長い帽子をすっぽりと被っていた。服は土や草が所々についており、その腰には重たそうな手入れ道具がぶら下がっていた。
――パチン、パチン。
花壇の傷んだ葉を刈り、そばの籠に放り込んでいく。
日が出る前から外に出て、たった1人で庭を守る庭師が、ただ黙々と作業をこなしていた。
庭師の菫色の瞳が、真剣な面持ちでその花々を見つめていた。
「あ、いたいた!」
軽快な女の声に庭師が視線を向けると、メイド服におさげをぶらさげた少女が満面の笑みで駆け寄ってきていた。
「あら。マリル」
呼びかけられた庭師は作業の手を止めた。
「昼ごはん!行こ!」
息を乱して近づいてきたマリルの姿に、庭師は穏やかな笑みを浮かべた。
⭐︎
2人は屋敷の中にある使用人用の食堂に向かった。
すでに使用人たちがそれぞれ食事を始めており、庭師とマリルも、机の上に置かれた食事を皿によそった。
2人が空いている席に腰掛けると、庭師の正面に座っていた中年のハウスメイドが、庭師に声をかけた。
「お前さん、また食事を忘れていたのかい?」
「ええ、そうみたい」
庭師が苦笑いを浮かべた。するとハウスメイドの隣に座る壮年の馬丁が、そっと野菜の盛られた皿を庭師の前に置いた。
「飯くらいしっかり食え。この屋敷は使用人にも手厚い。こんな好待遇な屋敷そうそうないんだから」
馬丁の言葉にハウスメイドが頷く。
「そうさねぇ。旦那様がお優しいまま大きくなってくれて良かったよ」
マリルがキョトンとハウスメイドと馬丁を見つめた。
「あ、そっか。2人は旦那様が小さい頃から仕えてるんでしたよね」
ハウスメイドが得意げに頷いた。
「ああそうさ。元々大旦那様も爵位はお持ちの方だっけどね。次男だった旦那様は公爵様のところで名を挙げて、今の爵位を賜ったのさ」
馬丁が懐かしむように目を細めた。
「まさか騎士団の団長になるとは思わなんだな」
「そうねぇ。無事結婚もできたし、これで旦那様も安泰さ」
2人の会話を聞きながら、マリルがぴくりと反応した。
「わたし、まだ奥様を見たことないんです」
ハウスメイドが相槌を打って答えた。
「奥様は、ほとんど庭園の中の別邸に篭り切りだからねぇ。身の回りのお世話は、奥様が連れてきた侍女だけで賄っているそうさ」
マリルは目を輝かせていた。
まだ見ぬ夫人の存在が、好奇心を刺激したのだ。
「奥様は魔性の美しさとか!旦那様が美しすぎて別邸に閉じ込めてしまったって聞きました!本当ですか?」
静かに話を聞いていた庭師がむせ込む。マリルがそっと水を庭師に手渡し、ハウスメイドに話の続きをせがんでいた。
「間違ってないね。そりゃあ大層お美しい方だったよ」
ハウスメイドと馬丁が頷きあう。
マリルがまだ目を輝かせる中、黙々と食事を済ませた庭師が先に席を立った。
マリルが慌ててそれを見上げた。
「えっ。もう行っちゃうの?」
「今日はもう、戻らなきゃ」
にこりと微笑んだ庭師は食器をまとめ、早々に食堂を出て行った。
その後ろ姿をぼんやりと眺めながら、マリルがぽつりと零した。
「そういえば、あの子はいつからここで働いてるのかな」
ハウスメイドが視線を上げた。
「うーん。どうだったかねぇ。確か前の庭師が腰を痛めて引退したあとだったね?」
「いやいや。その前から居たじゃねぇか」
すぐさま否定した馬丁を見て、マリルも首を傾げた。
「そうなの?最近来たのかと思ってた。お屋敷のことなんにも知らないし」
彼らが口々にした言葉に、横で静かに食事をしていたキッチンメイドが口を挟んだ。
「奥様が連れてきたのよ。きっと」
マリルはキッチンメイドの表情が暗いことに気がつき、怪訝な表情を浮かべた。
キッチンメイドは、陰鬱な表情で続けた。
「だってこの庭園があんなふうになったの、奥様が来てからだもの。奥様が来てから、魔獣が増えて、旦那様たちも出征が増えたわ。色々おかしいのよ」
その言葉にハウスメイドと馬丁は青い顔をした。
馬丁が厳しい顔をしてキッチンメイドを諫める。
「お前さん、滅多なことを言うもんじゃ...」
その時、唐突に食堂の扉が開いた。
「旦那様が戻られるぞ!迎えの準備はいいか?」
下男の1人が慌ただしく伝えると、食堂に残ったまばらな使用人たちは慌てて食器を片付け始める。
マリルも急いで食事の残りを口に含み、水で流し込んだ。
「急がなきゃ」
マリルが部屋を出ようとする前、キッチンメイドが暗い目で窓の外を眺めていることに気がついた。
マリルは慌てて彼女の手を取り持ち場に戻ろうとするが、キッチンメイドは動かなかった。
「ほら、遅れちゃうよ」
「......あなたはここの出身だから分からないのかしら」
キッチンメイドの声は、冷め切っていた。
「ここには、この冷たい土地では育たないはずの花がたくさん咲いてる。春の花も、夏の花も」
マリルの表情に不安が滲む。
キッチンメイドは、暗い表情のままマリルに向き合った。
「奥様は、魔女なのよ。奥様が連れてきたあの庭師も。不用意に近づくべきじゃないわ」
今度こそマリルの血の気が引いた。
「魔女なんて!」
とっさにマリルは周囲を見渡す。
食堂の中にはもう2人しか残っていなかった。
すぐにマリルは、声を潜めてキッチンメイドを諫めた。
「奥様が魔女なんて。誰かに聞かれたら私たちもただじゃいられないわ」
その言葉にキッチンメイドは苦々しい顔をした。
「ほら、行こう」
キッチンメイドの手を引きながら、マリルの胸がざわついていた。
(魔女なんて、恐ろしい。そんなものがこんなところにいるはずないわ)
そのざわつきは、仕事の慌ただしさにかき消されていくのであった。
⭐︎
庭師は、花でいっぱいになった籠を両手で持ち上げ、庭園の中を歩いていた。
腰高ほどの低木が並ぶ花道を抜け、ツル科の草花に覆われたアーチを潜る。すると人の背をゆうに超える高さの草木に覆われた小道が現れた。
魔性の女が住まうとされる屋敷には、この入り組んだ小道を越える必要がある。
女主人が認めたものだけが目的地に辿り着くことができるその道を進むと、二階建ての小さな屋敷が現れた。
庭師、もとい屋敷の女主人が扉の前に立つと、重たい扉がひとりでに開いたのだった。
女主人の元に幼いメイドが近づいてきた。
ただしそれは、生きている人間ではない。
陶器で作られ、女主人の胸元くらいの背丈をした球体関節の人形だった。
メイド服を身に纏った人形は、顔の輪郭はあるものの、瞳や口がない。
無機質な人形が、まるで生き物のようにそっと両手を差し出すと、女主人が花いっぱいの籠を手渡した。
女主人は階段を上がり、自分の部屋へと向かう。
彼女の私室は簡素な部屋だった。ベッドとクローゼット、そして壁際に置かれた机と一組のイスだけ。
女主人が帽子を外すと、艶のある長い銀髪があらわとなる。
扉のそばでインテリアのように立っていた人形が女主人のもとへ歩み寄ってきた。
女主人が帽子を人形の頭に被せ、シャツのボタンを外そうとしたところで、扉からノック音が鳴った。
「どうぞ」
女主人が声をかける。この屋敷で、女主人の部屋を訪ねる生き物は、ただ1人だけだった。
「リナリア、頼み事が。……すまない、着替え中だったか」
扉から現れたのは、端正な黒髪をさらりとまとめた男だった。騎士の制服に身を包み、その胸には金銀様々な勲章がぶら下がっていた。
女主人リナリアの、その夫であるヴォルフ・エーデルハイントだ。
「今日は帰ってくる予定の日では無かったでしょう。何かあったの?」
リナリアがそのままシャツの胸ボタンを外そうとすると、ヴォルフが当たり前のように彼女のそばに近づき、彼女に代わってボタンを外した。
「君に今から同行してもらいたい場所がある」
リナリアは、ヴォルフにされるがまま口を開いた。
「屋敷の外?」
「そうだ。ここからそう遠くない、ある農村だ」
ヴォルフは、リナリアのシャツのボタンを外し終えると、白い肌が顕になった。
リナリアは、ヴォルフが差し出した椅子に腰掛けた。
「それは、あなたがよく言う“未来視“の関係かしら」
ヴォルフが小さく頷く。
「そうだ。未来視というと語弊があるが。俺にとっては、死に戻ったような感覚が強いから」
部屋の扉が開き、人形が浅い木桶を持って現れた。
僅かに湯気が立つぬるま湯が張られたそれを、リナリアの足元に置く。
「まあ、それはいいんだ。俺の記憶では、未来でその村の作物が突然枯れ果てた」
ヴォルフは話しながら、人形から受け取ったタオルを木桶に浸し固く絞る。そのまま椅子に腰掛けた彼女の四肢をタオルで優しくぬぐった。
リナリアはされるがまま、その様子を目で追っていた。
「それが“魔女“の仕業だったと言いたいの?」
「ああ。不作の地はだんだんと広がっていったよ。そして魔獣が増え始めて。……たくさん人が死んだ」
ヴォルフの指先に、かすかに力が入った。
「あの光景は、明らかな異常だった。魔女の仕業以外に考えられない」
「そう。それなら、私も行かなくてはいけないわね」
リナリアの言葉に、ヴォルフが苦笑いを浮かべた。
「君はあまり外出が好きじゃないんだったな。すまない」
「そうね。でも、あなたの頼みだから」
「ありがとう」
リナリアの全身を拭き終えたヴォルフは、クローゼットに手を伸ばした。クローゼットの中を探り、手頃なドレスに手をかけた時、リナリアが声を上げた。
「ねえ。その服は好きじゃないわ。袖のない服がいい」
リナリアの言葉にヴォルフが呆れた顔を浮かべた。
「君は、このゼーンズフトの土地をいつになったら分かってくれるんだい。一年中冷たい風が吹くこの土地では、薄着でいたら凍えてしまうよ」
「凍えないから大丈夫よ。動きやすい方がいいわ」
リナリアの言葉に、ヴォルフが唸った。そして諦め交じりの視線を向けたあと、手際よくリナリアに肩を露出したシンプルなドレスを着せた。
最後にドレッサーから獣の毛皮で作られた暖かな上着を取り出して、リナリアの肩にそっとかける。
「慌ただしくて申し訳ないが、行こうか」
「ええ。……ところで」
ヴォルフに手を引かれ部屋を出ながら、リナリアは怪訝そうな顔でヴォルフを見上げた。
「どうして貴方はそんなに甲斐甲斐しく私の世話をするの?私、1人で着替えくらいできるわ」
リナリアの言葉にヴォルフがわざとらしく肩をすくめた。
「俺が手伝えばすぐだが、君1人なら何時間かかることか」
「そうかしら」
「そうだよ。君は俺たちとはまるで違う時間を生きているようだから」
リナリアは思わず首を傾げた。
そんな彼女の様子に、またヴォルフは小さくため息をついたのだった。




