ep4-1.祝福
ヴォルフは執務室で膨大な報告書に目を通していた。
陽が落ちてからしばらく経つ。
朝からずっと、公爵内の各地から届く報告書を読み耽っていたのだ。
ふいに目が霞み、ヴォルフはうんざりと眉間を押さえた。
「隊長、腹に何かいれませんか?」
声をかけてきたのは、顔に傷のある無骨な副官、ローエンだった。
手渡された包みを開ければ、これでもかというほど肉の詰め込まれたサンドイッチが入っていた。
「ああ、ありがとう」
「ほれ、お前さんも」
ローエンは手に持った包みをもう1人の副官に放り投げた。
ソファに腰掛けたレオニールが、それを慌てて手で受け止めた。
「ちょっと、がさつすぎます」
「はは。うまけりゃなんでもいいだろう」
ローエンが、レオニールと向かい合うソファに腰掛けた。
そしてそのままサンドイッチにがぶりと噛み付く。
ヴォルフもサンドイッチを口に運ぶと、塩気の濃い肉の旨みが口いっぱいに広がった。
(美味いな。今度リナリアにも作ってみようか。もう少し塩を抑えて......)
ふと、自分がリナリアのことを浮かべていたことに驚いた。
そんなことを考えている場合ではないと拳を額に当てる。
「ん、どうしました隊長。お口にあわんかったですか?」
「いや、美味すぎて、だな。そういえば昼もまともに食ってなかったよ」
「ははは、そりゃいかん。飯を食わなくては」
豪快に笑うローエンは、最後に重たい息を吐いた。
「あの魔女の居所さえ分かれば、もう少し気も軽くなりましょうが」
ローエンの視線の先。壁のボードには大きな地図が貼られ、至る所にメモ書きがされていた。
その中で、特に古びた羊皮紙が一枚あった。
獣の魔女。その文字と共に、無造作に伸ばした髪と目つきの悪い女の肖像画が描かれていた。
「しっかしまぁ。分からんことばかりだ。確かにわしらがあの村で見た魔女はこいつに違いないんだろうが、どうにもこうにも」
ローエンがぽりぽりと頭を掻く。
「もう討伐された魔女と言われちゃあな」
死んだ者は生き返らない、それは絶対のルールであるはずだった。
ヴォルフが低く唸り、口を開いた。
「俺も死に戻った身だ。俺たちには想像も付かない何かがあるのかもしれない。あの魔女が生み出した魔獣は、俺が未来で殺された時に見た魔獣と同じだった。元凶は、獣の魔女としか考えられない」
ローエンが顎に手を当て考え込んだ。
「ふむ。なあレオニール。文献探しはお前さんの得意分野だろう?何か見つかったか?」
レオニールが首を振った。
「成果はありません。なんせ記録が古すぎるので。魔女の討伐時の記録が残っていたのが幸いと言えるほどです」
「記録と言ってもなぁ。“魔女の首を切り落として、その首を聖なる炎で焼いた“だろう。そんな当たり前のことが書いてあるだけじゃあな」
レオニールが険しい顔で頷いた。
「気になるのは、そのあとのことです。魔女の四肢は獣に食い荒らされ、回収できなかったとか」
魔女の死骸を、獣が食らった。
しかしそれだけでこの謎が解けることはない。
ヴォルフはため息をついた。
「リナリアにも聞いてみよう」
ローエンが、サンドイッチの包み紙をくしゃりとまとめた。
「隊長、奥様にもこの魔女の居場所は分からんのでしょうか」
「ああ。ただ、俺につけられた傷が相当深く見えたらしい。しばらくは自分の領域で回復に専念するはずだと言っていたが。それが数日か、数週間か、それは分からないようだ」
重たい沈黙が部屋を包んだ。
手が届きそうで、遠い。その歯痒さにヴォルフの額に深い皺が刻まれる。
レオニールが静かに呟いた。
「……結局、あの晩の出来事はなんだったのでしょうか。あの村で、獣の魔女がしようとしたことが分かりません」
ローエンが腕を組みながら答えた。
「自然の源とやらから、力を横取りしようとしたのだろう?自己強化以外にありえんて」
当然ヴォルフにもその疑問があった。
リナリアに問いかけた時の記憶を辿る。
「リナリア曰く、“源の力は強すぎる。魔女が直接干渉すれば、身体が耐えきれない“だ、そうだ」
「それはつまり、強化であり、弱体でもあるということですか?」
レオニールの問いに、ヴォルフの眉間の皺が深くなった。
「そうだな。そして獣の魔女には、それを耐えることができる何かがあるんだろう」
まるで出口のない迷路の中にいるような。
花の魔女の力を持ってしても、ヴォルフは答えに辿り着けなかった。
沈黙を破るように、ローエンが拳を膝に叩きつけた。
「んん。まだるっこしいな。これだから魔女は、忌々しい」
勇ましく吐き捨てたものの、すぐに視線が泳いだ。
猛々しい副官の、見慣れない姿に気がついたヴォルフが声をかける。
「どうしたローエン」
「いや、どうにも。これまで魔女といえば思わず悪態をついていましたが」
どうにも歯切れの悪いローエンの考えていることが、ヴォルフは手に取るように分かってしまった。
「リナリアか」
「どうにも毒気を抜かれるのです。魔女と分かっていても」
リナリアは、敵が味方か。
副官たちの中には未だ葛藤があった。
揺れるローエンの横で、レオニールが固い声で告げた。
「隊長が目を光らせてくれるうちはいいのでしょう。でも私たちは、隊長ありきの騎士団です。隊長なくしては成り立ちません」
「......分かっているさ」
魔女と魔女殺し。
当事者たるヴォルフですら、リナリアとの距離感を見失いそうになる。
(俺たちは、ただの協力者。そうであるべきなんだろうな)
ヴォルフは固く目を閉じた。
「ひとまず、魔女の目星はついた。引き続き捜索しよう。ことが大きくなる前に、魔女を見つけなければ。俺たちに与えられた時間は少ないぞ」
勇ましい副官たちの返事が、ヴォルフの執務室に響いた。
⭐︎
夜も更けた頃、ヴォルフは月明かりの照らす暗い庭園を歩いていた。背の高い庭木を抜ければ、そこには見慣れた小さな屋敷があった。
重たい玄関扉を押し開けると、温かな明かりが広がる。
「旦那様、お帰りなさいませ」
出迎えたのは、リナリアではない。以前よりもだいぶ顔色の良くなったノラが立っていた。
「ノラか、こんな時間まで起きていていいのか?」
「はい。今日はまだ、奥様がお戻りでないので」
「何?」
怪訝そうな顔を浮かべたヴォルフは、そのままダイニングに腰掛けた。
「もう日付も変わったというのに」
「はい。旦那様がいらっしゃらない日は、いつももう少し遅いです」
「そうか」
ヴォルフは、椅子の背もたれに深くもたれかかった。ここ最近はゆっくり眠れず、体に濃い疲労が溜まっていた。
「ノラ、体調はどうだ」
「はい。夜も眠れるようになりました。旦那様と、奥様のおかげです」
たどたどしい幼いメイドの言葉に、ヴォルフの顔がわずかに緩んだ。
「俺は何もしてないよ。それより、本当に本邸に戻らなくていいのか?無理してここに残る必要はないんだぞ」
「えっと、はい。今は、その。人と関わるのも、少し、怖くて。ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
ノラは、まるで叱られているかのように覇気を失っていった。
結局ノラの処遇がヴォルフの中でまとまる前に、ノラ自身が別邸で働くことを選んだのだ。
「助かるよ。俺が遠征でいない日、リナリアはこの屋敷で1人だったから。君が世話をしてくれると思うと俺も幾分か安心だ」
「わがままをお許し頂き、ありがとうございます」
ノラは深く頭を下げ、そしておずおずと口を開いた。
「あの、旦那様。奥様をこちらでお待ちになりますか?それとも寝室に向かわれますか」
「ここで待つよ。すぐに戻るだろうから」
「分かりました。では、お茶をお淹れしますね」
ノラがキッチンに向かっていく。
ヴォルフがその後ろ姿を目で追いかけていくと、キッチンに見慣れない姿があることに気がついた。
メイド服を着て機械的に働く屋敷の侍従。
もはや当たり前のように存在していたその人形が、見慣れない姿をしていた。
つるりとした陶器の頭の上に、鮮やかな赤色の何かが乗っていたのだ。
屋敷内を見渡すと、インテリアのように立っている他の人形たちの頭にも、それぞれ違う色の、花の形をした物が乗っていた。
よくよく見ると、本物の花ではなく、それが布を編んで作られた物だと分かった。
(リナリアがつけたのか?それにしては……)
そう思い人形を眺めていると、ノラがヴォルフの前に湯気の立つティーカップを置いた。
「ノラ、人形の頭に乗っているものはなんだい?」
「は、はい」
ノラは落ち着きなくメイド服の裾を握った。
「お花のヘッドドレスを作りました。みんな性格が違うのに、見た目が同じで、分からなくなってしまったので」
「性格が違うのか」
「はい。勝手なことだとは思いましたが……」
それはヴォルフですら気が付かなかった差異だった。
幼い少女の心が、リナリアの屋敷で快復していく。
ヴォルフにとって、それは喜ばしいことに思えた。
「いや、いいんじゃないかな。リナリアは何と?」
「奥様は、特に何もおっしゃっていませんでした。もしお目汚しになってしまうなら、外そうと思っていたのですが」
ノラの自信の無い声に、ヴォルフは苦笑いをした。
「もしかしたら彼女は気付いていないかもしれないな。俺はとても良いと思うよ。今度リナリアに直接聞いてみると良い」
ノラは一瞬目を見開き、そして視線を泳がせたあとにようやく頷いた。
「はい。聞いてみます」
ガチャリと音がして、玄関のドアノブが回った。
扉がひとりでに開き、屋敷の女主人が泥だらけの服と、カゴいっぱいの鮮やかな花を抱えて戻ってきたのだ。
「リナリア」
ヴォルフが呼びかける。
「あなた。今日は来ないと思っていたわ」
リナリアが飄々と告げながら、近づいてきた人形にカゴを手渡し、帽子を取った。
「君が遅いとノラが心配するだろう。こんな時間まで外に出るのは控えた方がいい」
「そう。ごめんね、ノラ」
リナリアがノラを見つめると、ノラは慌てて頭を下げた。
「いえ、めっそうもありません」
そしてノラが頭を上げた時、リナリアが手袋を外してその頭を撫でた。
「おやすみ。良い夜を」
ノラは、それを当たり前のように受け入れていた。
「はい。おやすみなさいませ。旦那様、お先に失礼します」
ぺこりと頭を下げてノラが2階に上がっていく姿を、ヴォルフは静かに見守った。
「そうか。君はだいぶあの子を気に入ったようだな」
「気に入った?」
「頭を撫でていたじゃないか。リーリエ嬢を思い出すか?」
ヴォルフの言葉に、リナリアは淡々と答えた。
「リーリエとノラは別人じゃない。同じ子供ではあるけれど」
リナリアは、そう言いながらヴォルフの隣に立った。
何事かとヴォルフが見上げると、視界に影ができる。
リナリアが、ゆっくりとヴォルフの頭に手を乗せていた。
「なんだ?」
そのままリナリアの手が髪を滑り、頬を包んだ。
ヴォルフは目を細めて、その何を考えているか分からない菫色の瞳を見つめた。
「君は俺も子供だと言いたいのかい?」
温かな手が、あっという間に離れていく。
「思ってないわ。魔女のシルシで汚れてしまったから、消したの。ノラの場合、長い間刻まれていたから完全に消すのに時間がかかるのよ」
ヴォルフは、無意識に自分の頬に触れた。
「つまり君は、こうやって触れることでノラの中に残ったシルシを消していると」
そう呟きながら、ふと違和感に気付く。
「待て。君が今俺を撫でたのは……」
ヴォルフは言葉に詰まった。
夫婦の戯れなどではない。その動作は、リナリアにとって必要な行為だったのだ。
「君は今、俺のシルシも消したと言うことか。俺にもシルシが付いていたということか?」
ヴォルフが愕然とした顔でリナリアを見上げた。
「そうよ」
「いつ付けられたんだ。俺は君と獣の魔女に会ってから、魔女と遭遇した記憶はないぞ」
ヴォルフは額に手を当て、ぶつぶつと呟きながら記憶を辿った。
その横でリナリアが口を開く。
「あなた、この前帰ってこなかったじゃない。手紙まで寄越して」
「確かにあの日は、急きょ魔獣の目撃情報があったから出ていったんだ。でも単なる狼だった」
ヴォルフは、その日の記憶を思い返した。
魔獣被害と聞いて、ある村に立ち寄れば、すでに村民が応戦したあとだった。
そこには、獣の死体が残っていた。
魔獣の死体は残らない。
獣害であるならばと、別の部隊に引き継いだのが数日前のことである。
獣の魔女、魔獣、狼。
靄のかかった頭の中が、鮮明に晴れ渡っていく。
「そういうことか」
全ての点と線が繋がった。
ヴォルフが勢いよく立ち上がり、本邸に戻ろうとしたところで、リナリアの手がヴォルフの服の裾を引っ張った。
強い力で引き留められたわけではない。
ただ、はやる気持ちから我に返ったヴォルフは、それを振り払うことなくリナリアを見つめ返した。
「リナリア?」
「シルシは消したわ。あなたは眠るべきよ」
「いや、少しでも早く行動したい」
ヴォルフがリナリアに向き合う。
「でもあなた。人は、眠らないといけないんでしょう」
「そうだが、後悔したくない」
「手伝いは?」
「いらない」
リナリアの問いに、ヴォルフが即答した。
そして静かに口を開いた。
「魔女を殺すのは、俺の仕事だ」
その言葉を目の前の魔女に告げた時、僅かにヴォルフの瞳が揺れた。
しかしリナリアも、引くことなく続けた。
「あなた、しばらく私の屋敷に来なかったわ」
「ん?遠征だったからな」
「眠れてないんでしょう。疲れているんでしょう。あなたの生命は、強くて大きいわ。それでも身体は人だもの」
「大丈夫さ。僕は騎士だから、人よりも頑丈だ」
リナリアが小さく息をついた。
「私はまだ、人のことがよく分からないわ。だからあなたがいないと、私はきっと“魔女の選択“をしてしまう」
それは、突然の告白だった。
リナリアの真剣な眼差しに、ヴォルフがたじろぐ。何を考えているのか分からない魔女は、その胸の内にヴォルフの知らない葛藤を秘めていたのだ。
「それだけは分かるのよ。もうあなたは、未来で殺せなかった魔女を殺せるでしょう。私がいなくても、あなたはもう選択を間違えない」
「何を言うんだ。君が死んだら、」
——悲しいのか。
ヴォルフは言葉に詰まった。
魔女が死んで悲しいと思うことが、人の自分に許されるのか。
その疑問は、ヴォルフの胸を押しつぶすようだった。
ヴォルフは、絞り出すように答えた。
「俺は、まだ……。獣の魔女を殺していない。君がいなくなってしまっては、困る」
「困らないのよ、ヴォルフ。あなたを失いたくないと思うのは、もう私だけの都合なの」
「やめてくれ。そんなことを言うのは……」
リナリアの両手が、壊れ物に触れるように、ゆっくりとヴォルフの頬を包んだ。
「だから、あなたには、生きていてほしい。今は生き急いでいるように見えるわ。そんなに焦らなくていいじゃない」
2人の視線が、静かに交わった。
「死なないよ。僕はそのために戻ったんだ。全部守るさ。仲間も、領地も。そして君の未来も」
リナリアの菫色の瞳には、ヴォルフの瞳の奥に、純白の、煌々と輝く生命の炎が見えていた。
「……そう」
リナリアは、ゆっくりとヴォルフの頬を引き寄せる。
ヴォルフは、抗うことなくゆっくりと彼女に体を寄せた。目を閉じると、甘い香りが、ヴォルフの胸に広がった。
そして2人の額がふれ合う。鼻先がふれるほどの距離で、リナリアは目を閉じた。
「純白の炎、無垢な光。貴方に、花の魔女の祝福を」
祈りの声が、静かな屋敷に溶けて消えていった。




