ep3-5.花の屋敷
リナリアが屋敷に戻ってきたのは、夜も更けた頃だった。玄関の扉が開く音がして、キッチンでうとうとしていたノラは、慌てて飛び起きた。
「あ、奥様。お帰りなさいませ」
玄関に駆けていくと、身体中泥や草の葉で汚れたリナリアがいた。
「ノラ、起きていたの」
リナリアは、そばに寄ってきた球体関節の人形に持っていたカゴを手渡した。
「はい。あの、旦那様からのお手紙を預かってます」
「手紙?」
リナリアが分厚い手袋を外して、ノラから手紙を受け取った。
その場で無造作に封を切り、ダイニングに腰掛けて手紙を読み始める。
その間、ノラはせっせとキッチンとダイニングを往復していた。
リナリアが手紙を読み終えて顔を上げると、机の上には野菜のポタージュやサラダが並べられていた。
「まあ、準備してくれたの?」
リナリアの言葉に、ノラが躊躇いがちに答えた。
「はい。旦那様が私にも手紙をくださって。今日は屋敷に行けないから奥様の食事を準備してほしいと」
ノラの言葉に、リナリアは柔らかく微笑んだ。
「そう」
その穏やかな眼差しに、ノラはたじろぎながら目を逸らしてしまう。
「あの、お人形に聞いたら、お庭の野菜を使っていいと教えてくれたので、とってきてしまいましたが……」
しどろもどろにノラが伝える。
「ありがとう。大丈夫よ。さわれるものは好きにしてくれたらいいからね」
その言葉の意味が分からず、思わず聞き返しそうになった。しかしそれも無礼かと思い、ノラは言葉を飲み込んだ。
「あの、キッチンにおりますので。食事が終わりましたらお呼びください」
そのまま立ち去ろうとしたノラをリナリアが引き留めた。
「ノラ、あなたはもう食べたの?」
リナリアの問いに、またノラは戸惑った。
「えっと、その」
ノラは、貴族と同じものを食べてはいけないと思っていた。
料理の時に出た野菜くずを使った料理を食べてはいたものの、しっかり食べたかと言われればそうでもない。
現にノラの腹の虫は時折うるさく鳴っていた。
「あなたはまだ子供だからね。たくさん食べないとだめよ」
「あ、ありがとうございます」
リナリアが柔らかく微笑んだ。
「一緒に食べる?」
ノラが慌てて後ずさった。
「いえ!そんな!奥様と同じ食卓を囲むのは、恐れ多いです」
それがリナリアが貴族だからか、魔女だからか。
ノラにもそれは分かっていなかった。
しかし、彼女と二人で取る食事は、きっと喉を通らないだろう。
「そう。なら食事は自分の部屋で取る?好きなようにしてくれたらいいからね」
「ありがとうございます」
その優しさをどこまで受け取ってよいのか分からず、ノラはたじろいだ。
その時、ふと大切なことを思い出した。
「あっ」
「ん?どうしたの?」
恐る恐るノラはリナリアに尋ねた。
「あの、私が休んでもいいお部屋は……」
「ああ、あなたの部屋はね」
リナリアが一瞬口籠る。
そして柔らかく微笑んだ。
「ごめんなさい、今から作るわね」
ノラはその言葉に、ただキョトンとすることしかできなかった。
⭐︎
リナリアにどの部屋がいいか尋ねられたノラは、首を傾げることしかできなかった。
屋敷のことは、よく分からない。
だが今日人形が案内してくれた物置がちょうどいいと答えれば、今度はリナリアが考え込んでしまった。
そして2人で2階に上がり、物置へと進む。
物置の前を通り過ぎ、さらに奥。
何もない壁をリナリアが指の背でノックした。
すると足元から菫色の光が線になって伸び、壁の四方を囲んだ。
そしてその中から柔らかい色の花々が咲き乱れていく。
光を帯びた花々は幻想的で、ノラは見惚れてしまったのだった。
リナリアがそっと手を払うと、花びらが次々と舞い、やがて光の流砂となって消えていった。
ノラは目を疑った。
花が消えた後、そこにはそれまでなかったはずの扉があったのだ。
「えっ……」
ノラの驚愕をよそに、リナリアが扉を開けた。中は物置と同じくらいの、使用人が使うには十分過ぎるほど広い部屋があった。
ベッドや棚など、家具も並んでいる。
リナリアは扉の前から下がり、部屋の中に向かって手を差し出した。
「これでいいかしら。同じくらいの大きさだけど」
リナリアが悩んでいたのは、部屋の広さのことだったのだと、ノラはようやく気がついた。
「いえ、こんな広いお部屋。その、ありがとうございます」
リナリアは、柔らかく微笑んだ。
「ゆっくり休んでね」
「は、はい」
ノラが部屋に入ろうとすると、廊下の奥で、かちゃりと食器の揺れる音がした。音の方を見ると、球体関節の人形が、一人分の食事をトレーに並べて持ってきていた。
「あなたの食事。しっかり食べて、たくさん寝るのよ」
リナリアは微笑んで、そのまま部屋をあとにした。
食事を持った人形からトレーを受け取る。
するとその人形がジッとノラを見つめているような気がした。
(表情がないから、分からないけど)
ノラは、人形を見つめ返した。
「あなた、今日ずっと私と一緒にいてくれた子?」
ノラの言葉に、人形はメイド服の裾を摘んでひらひらと揺らした。
「やっぱり」
ノラの顔が和らいだ。
言葉を話さない人形は、ノラを傷つけない。
その安心感が、無意識に胸の内に広がっていた。
人形が振り返って去ろうとするのを、ノラは遠慮がちに声をかけた。
「ねえ、ご飯を食べる間、一緒におしゃべりしよう」
ノラの言葉に、人形がまるで喜ぶかのように、両手を胸に当てたのだった。




