ep3-4.幼子の目に映るもの
ヴォルフたちは食事を終えると、仕事のために本邸へと戻って行った。
それを見送る頃、リナリアはいつもの庭作業の格好に着替えていた。
玄関から出て行こうとするリナリアを見て、ノラは驚きで目を丸くした。
(庭師は、奥様本人だったの?)
一度はノラの横を素通りしたリナリアだったが、突然立ち止まり、振り返った。
「ノラ」
リナリアに呼びかけられ、ノラは思わず背筋を伸ばした。
「は、はい」
緊張で声が強張っていた。
「夜、眠るときだけこの屋敷に来てくれたらいいわ。それ以外は本邸にいてもいいし、好きなように過ごしてね。夜着で本邸に戻るのは嫌でしょうけど、ごめんね」
リナリアの言葉にハッとして、ノラは自分の姿を見た。
「困ったことがあったらあれに聞いて」
リナリアが指差した方に視線を向けると、メイドの人形がこちらに近づいてきた。
「ありがとう、ございます」
なんとか返事をしたノラだったが、大変なことに気がついて心臓が跳ねた。
「あっ。私、今日の朝当番が……」
思わず口に出た言葉にリナリアが首を傾げた。
「仕事のこと?」
「あ、あ。はい、そうです」
慌てながらも、どうしていいか分からずただオロオロしているノラを見て、リナリアがその手をノラの頭に乗せた。
「えっ」
突然の出来事に、ノラが固まる。
「大丈夫よ。あの人がどうにかしているでしょう。あなたは私のところで傷を治すことだけ考えていればいいの」
ノラがリナリアを見上げると、リナリアは穏やかに微笑んでいた。
「私は夜には戻るわ。遅くなるかもしれないけど、先に休んでいてね」
そう言うと、リナリアはノラを残して出て行ったのだった。
1人になった途端、静寂が屋敷を包む。
(私、どうしたらいいの……)
ノラは玄関の前で立ち尽くした。振り返ると、メイド服を着た人形が立っていた。
(この子、どうなっているのかしら)
ノラが恐る恐る人形に手を伸ばした。
人形は、ただじっとノラの手を受け入れていた。
冷たくて、硬い感触がノラの指先に伝わる。
「ねぇ。あ、あなた。喋れる?」
ノラが問いかけると、人形が首を振った。
思わず肩を揺らして驚いた。
「あっ、ごめんなさい……」
咄嗟に悪いことをしたような気になって、謝罪の言葉が口に出る。
人形は、首を傾げていた。
ノラの言葉に反応する人形に、気がつけば興味が湧いた。
「私も、あなたと同じ、メイドなのよ」
ぽつり、ぽつりと口に出せば、人形が両手でメイド服の裾をつまみ、左右に揺らした。
「うん、そう。同じよ」
ノラの頬が緩んだ。
無意識に人を避けていたノラにとって、無言の人形との会話は心地の良いものだった。
「私も、お屋敷に戻った方がいいかしら」
人形が首を傾げた。
「お仕事、は、しなくてもいいのかしら。でも着替えとか、そういうのは、取りに行かないといけないよね」
まるで自分に言い聞かせるようにノラは呟いていた。
しかし本邸に戻るということも、今のノラにとっては不安の1つだったのだ。
(マリルと顔を合わせるのが怖いわ。あの子はきっと、私が奥様を魔女なんて言ったから、旦那様に言ったのよね)
それが善意だったのか、悪意だったのか。
それはノラには分からない。
しかし心を許していた友達が、悪意で告げ口したのかもしれないと考えると、ノラの気持ちはどうしようもなく深く沈んでいった。
ノラが俯いていると、人形の指先がノラの肩にふれた。
「なあに?」
ノラが顔を上げる。
人形がメイド服の裾を広げていた。
「ん?うん。そうよ、私もメイドなの」
そう告げると、人形はどこかに歩き出した。そして途中で振り返ると、ノラに手招きをした。
(付いてきてってこと?)
ノラは、人形のあとを小走りで追いかけた。
⭐︎
階段を上がり、廊下を歩く。
屋敷の中には、箒や雑巾を持った人形たちがせっせと掃除をしていた。
目の前の人形のあとに続いて歩きながら、ふいに窓の外を見ると、外には洗濯物を干している人形までいた。
「ねぇ、あなたたちはこの屋敷に何人いるの?」
人形の横に並んで問い掛ければ、人形が指を伸ばし、折り曲げてを繰り返していた。
いつまで立っても指の動きは止まらない。
「そんなにたくさんいるの?」
ノラが問いかけると、人形の首がノラの方に向く。そしてそのまま片手を頬にあてた。
「ああ。分からないのね」
ノラの言葉に人形が頷いた。
そして人形は、ある部屋の前で立ち止まった。
人形が扉を開けると、その中は真っ暗だった。
人形が部屋の中に入っていくが、ノラはその暗い部屋に入ることができず、扉の前で立ちすくんでいた。
「中がよく見えないし、怖いわ。どうしたらいいの?」
人形の歩く音と、布の擦れる音がして部屋の中に光が差した。
人形が分厚いカーテンを開けたことで、ようやくそこが、木箱や樽が雑多に積み重ねられた物置だと分かった。
「入ってもいいの?」
人形が頷く。
そして積み重ねられた木箱を幾つか下ろし、その中の一つを開けた。
「何が入ってるの?」
ノラが箱の中を覗き込むと、中には見慣れた黒い布が入っていた。
「あ、これ!」
布を取り出すと、それが普段着ている仕着せだと分かった。同じ箱の中には、エプロンもあった。
「メイド服、あるんだ」
ノラから安堵の声が漏れた。しかしメイド服だけでは生活できない。
「下着とか、そういうのもあるのかな」
人形が他の木箱を開ける。そこには、使用人に支給される生活用品が入った鞄があった。
「よかった……」
ノラが人形に渡された鞄を受け取ると、そのまま人形は床に下ろした木箱を持ち上げ、積み上げ直そうとした。
「手伝うよ」
手を差し出すが、思いのほか重たかった木箱が傾いてしまい、中からガチャンと音が鳴った。
「これは、重いよ。重いものは下においた方がいいよ」
人形は、しばらく考えた後、物置の空いているところにその木箱を置き直した。
「何が入ってるのか、見てもいいかな」
もしかして中の物が割れてしまったかもしれない。
そう不安に思って人形に問いかけると、人形が木箱の蓋を開けた。
「ああ。食器が入っていたのね」
食器が割れていないか、手に取って確認していく。そしてあることに気がつき手が止まった。
「どれもお花の柄だわ」
屋敷の中は、至る所に花瓶が置かれ、花が生けられていた。
ノラは、このカトラリーがヴォルフの好みではなく、リナリアの好みに合わせて準備されたものだと気がついたのだ。
「旦那様、奥様のこと、大切にしてるんだね」
ノラの言葉に、隣の人形はただ首を傾げていた。
「魔女殺しの英雄なのに。でも……」
ノラは言葉に詰まっていた。
「でも、奥様は、魔女……」
ノラの言葉が静寂に溶けて消えていく。
(魔女は怖い。魔女は嫌い。村を焼いた魔女は、許せない。……でも奥様は?)
ノラはしばらく、その物置から動けなかった。
最後の文に誤記がありました。
訂正しました。2026/07/16 19:40




