ep3-1.黄金の炎が燃やすのは
強い雨と風が屋敷を揺らす。激しい雨音をかき消すような雷鳴が遠くで轟いた。
魔女殺しの英雄と名高いヴォルフ・エーデルハイント子爵の屋敷の中。使用人に割り当てられた部屋の中で、1人の少女がベッドの中で呻いていた。
――やめて、やめて
少女は夢の中で、あの日の絶望を繰り返していた。
森が燃えた。畑が燃えた。家が燃えて、最後に人が燃えた。
轟々と音を立てて燃え盛る炎、煙で黒く染まる視界と、焦げた匂い。
少女は、倒れて動かなくなった母のそばで泣き叫んでいた。
家の中には家族がまだ残っている。炎が燃え盛る家の中に、まだ父と兄がいるはずなのだ。
――助けて、誰か助けて
村の至る所で、絶望の叫びが聞こえていた。
ふと影がかかる。
顔を上げると、優しい微笑みを浮かべた美しい女がいた。
その黄金色の瞳は、妖しくて、底知れない不気味さがあった。
女の手が少女に伸びる。
その手は、禍々しい黄金の炎を纏っていて、少女の視界を覆った。
――魔女
人ならざるもの。人間の敵。
恐ろしい存在が、村を、家族を、全て燃やし尽くしたのだ。
⭐︎
少女は衝動的に目を覚ました。
鼓動が痛いほど激しく鳴っている。
村が魔女に襲われて、何故か奇跡的に生き残ってしまったあの日から、夢の中で地獄を繰り返していた。
呼吸を整えながら、胸を押さえた。
日に日に鮮明さを増していく夢を見たくなくて、眠りを避けるようになった。
それでも体は眠りを求めていて。
疲労が限界に近かった。
――コンコン
突然のノック音に、少女は小さな悲鳴と共に飛び上がった。
また心臓がバクバクと鳴る。
夜も更けたこんな時間に誰かが起こしにくることなんて、この屋敷に来て初めてだった。
そろりとベッドから降り、扉に近づいた。
「マリル?」
唯一心当たりがあった名前を呼んだ。使用人の中で数少ない年の近い少女だった。気立てがよく、初めて貴族の屋敷で奉公する少女を気にかけてくれる性根の優しい娘だった。
「あー、ごめん。俺、フィン」
間延びした男の声が聞こえた。
それはマリルの兄だった。
平民でありながら、最近当主の副官になった男である。
しかし、数回顔を合わせたことがあるくらいで、部屋まで訪ねてこられるような関係ではない。
(隣の部屋ではマリルも寝てるし、変なことはされないよね)
少女は恐る恐る扉を開けた。
「何か御用ですか」
警戒心を滲ませる少女をよそに、フィンはへらりとした笑顔を見せた。
「隊長が呼んでる」
少女は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
(隊長って旦那様のこと?こんな時間に呼ぶわけないじゃない)
そうは分かっていても、目の前の男は実際に当主の副官である。身寄りがなくこの屋敷に来ることになった少女は、逆らうことはできない。
(マリルのお兄さんだから、いい人かと思っていたのに)
目頭が熱くなる。
下を向いて誤魔化しながら、寝着のまま突然の訪問者について部屋を出た。
⭐︎
夕暮れ時から続いていた雨が上がり、ぬかるんだ地面を月が照らしていた。
ヴォルフは、ひとり、リナリアが管理する豊かな庭園の中にいた。公爵領の視察を終えて数日経った頃、副官のフィンから神妙な面持ちで相談されたことが理由だった。
『妹から、使用人の中に体調が悪そうな子がいるって言われまして。ノラっていうんですけど』
それだけ聞けば、執事長に伝えて休みを取らせてやればいいか、と考えて終わりだった。
しかし、問題はそのあとだった。
『夜も眠れてないみたいで。奥様のことを魔女だと言うほど弱っているようだって言ってました』
間違ってはいない。
しかしそれを知るのは、ヴォルフとその副官たちだけだ。使用人が知っているなどとはあり得ない。
その使用人の生い立ちを知るヴォルフは、彼女が精神的にひどく弱っていることが原因だと思った。
使用人の処遇を決める前にリナリアにそのことを伝えれば。
『連れてきて』
などと言われたのがつい先刻のことで、こんな夜更けに若いメイドを呼びつけることとなってしまった。
フィンが朗らかに“俺顔見知りだから呼んできまーす“と言って向かったものの、ヴォルフは心配でならなかった。
(こんな夜更けに顔見知り程度の男が訪ねてきて、素直に来るわけがないだろうが)
そうは思っているものの、ヴォルフが直々に呼びに行き、他の使用人に見られればそれこそ人目を引いてしまう。
期待せずに待っていると、2人分の足音が聞こえてきた。
ヴォルフが視線を向けると、月明かりに照らされながら、こちらに向かって歩いてくる2人を見つけた。
いつもどおり気の抜けた顔で歩いてくるフィンと、その後ろ。暗い顔で俯く少女がいた。しかも寝着のまま。
ヴォルフは内心で頭を抱えた。
「隊長、連れてきましたー」
フィンと少女がヴォルフの前に立つ。少女の手は小刻みに震えていた。
「ノラ。君が恐れているようなことは何も起こらない。付いてきてくれ」
しかしヴォルフも気が付かなかった。
元々人前で表情を出さないようにしているせいで、さも冷たい男だと萎縮させてしまうことがあることを。
ノラと呼ばれた少女は、淡々と告げた当主の様子にまた顔を青くし、俯いていた。
⭐︎
広い庭園の奥の奥、背よりも高い庭木を剪定して作られた小道の先。ヴォルフ・エーデルハイントが愛しい妻を囲うために作った別荘。
使用人たちにそう囁かれる屋敷を目の前にして、ノラの手はまた強く震えた。
本来咲くはずのない花が咲き乱れる、薄気味悪い屋敷。
それに何故か気が付かない他の使用人たち。
魔女の呪い以外に考えられないと、ノラは考えていた。
(マリルに言っちゃったから、こんなことになったんだ。マリルが私のこと旦那様に言いつけたんだわ)
ヴォルフが扉を開けると、明るい光が見えた。
扉の前でノラが立ちすくんでいることに気がついたフィンが、遠慮がちにノラの肩に手を回し、屋敷の中へと誘った。
まるで庶民が暮らす家と言われてもおかしくないほど簡素な屋敷の中。ほとんど仕切りのない部屋には、キッチンとダイニングテーブル、そしてひと組のソファがあった。
部屋の至る所で色とりどりの花が花瓶に生けられ、甘い花の香りが来訪者たちの鼻腔をくすぐった。
コツン、コツンと足音が聞こえて、3人が視線を音の方向へ向けると、屋敷の女主人が階段から降りてくるところだった。
銀の髪を靡かせ、菫色の瞳を持つ女。
ノラは、村を燃やされたあの日のことを思い出していた。
あの魔女とは姿が違う。髪の色も、目も、体も、全部違う。分かっているのだ。
それでも、ノラの本能が、リナリアを魔女と告げていた。
咄嗟にフィンの背に、縋るようにして隠れた。
リナリアの足音が近づいてくればくるほど、ノラの心臓がうるさく鳴る。
「こっ、来ないで!」
思わずノラが叫ぶと、足音が止まった。
まず口を開いたのはヴォルフだった。
「リナリア、何故この子を連れてくる必要があったんだ」
ノラだけでなく、ヴォルフやフィンですら、その理由を知らなかった。
「まさかこの子が……」
ヴォルフが言いかけるのを、ノラが遮った。
「やめて下さい!私は、魔女なんかじゃない!」
屋敷が静寂に包まれる。
ノラは、恐怖で震えながら、訳もわからず叫んだ。
「私が唯一の生き残りだから、魔女だって言いたいんですか!私は、あなたとは違う!魔女じゃない!」
村の惨事があってから、密かにノラを邪推する者がいることは知っていた。だんだん居場所がなくなり途方に暮れていたところ、この屋敷での奉公の話が出たのだ。
魔女殺しの英雄の屋敷でなら、不用意な噂に振り回されることもないのでは、とノラは信じていた。
(もしかして、私も殺されちゃうの)
ノラの体は限界だった。まともに眠れず、心を休めることもできない。
不意に体の力が抜けて、へたりと座り込んでしまった。
「そうね。この中で、魔女は私だけだわ」
飄々とリナリアが告げた。
「おい、リナリア」
ヴォルフの訝しげな視線をよそに、リナリアはノラに歩み寄り、しゃがみこんだ。
そして虚になったノラの顔を覗き込む。
「まさか私の領域でここまで大きくなるとは思わなかったの。ごめんね」
焦点が合わないノラの瞳が、ゆっくりとリナリアに向く。そしてわなわなと青白い唇が動いた。
「魔女は、き、きらい。きえ、キエテ」
不穏な言葉と共に、ノラが瞬きをする。すると、小さな火花がパチパチと音を立てて舞う。
「ア、ア、ア。ーー!」
ノラは、声にならない絶叫をして頭を抱えた。そしてその体が突然黄金の炎に包まれた。
ヴォルフとフィンが動くよりも先に、リナリアが燃えるノラを抱きしめていた。
「リナリア!」
ヴォルフがリナリアを引き離そうとするが、リナリアは動かなかった。そのまま片腕をノラの胸元に押し込むと、その手の先は、ノラの体の中に消えていた。
「私の領域で、これ以上のことは許さないわ」
いつもと変わらないリナリアの飄々とした声。リナリアが腕を引き抜くと、ノラは苦悶に顔を歪ませてのけぞり、倒れ込んだ。
黄金の炎が消えていく。
リナリアの肩を抱きながら、ヴォルフは呆然と倒れ込んだノラを見ていた。
同じく呆けていたフィンがハッとして、慌ててノラを抱き起こした。
「お、おい。大丈夫か?」
ノラはぐったりと目を閉じて動かない。しかしその胸が規則的に揺れていた。
「リナリア、どういうことか説明を……」
言いかけてヴォルフが止まる。リナリアがノラの中に差し込んでいた腕が、黒く染まっていたからだ。
ヴォルフが息を飲んだ。
しかしリナリアは、普段と変わらぬ表情のままだった。反対の手で、なぞるように黒ずんだ腕に触れると、黒い痕はまるで幻の様に消えた。
「何が起こっているんだ……」
「彼女、魔女のシルシをつけられたみたい」
ヴォルフは聞きなれない言葉に眉を顰めた。
「シルシ?」
「そうよ。何故こんなことをしたのか分からないけど」
リナリアが握り込んでいた手を開くと、黒い粉が舞った。
「ここはもう私の領域だから。他の魔女が力を使うことは難しい」
リナリアの説明に、ヴォルフは黙って耳を傾けた。
「だからこの子の中にあった小さなシルシは、これ以上大きくならないと思っていたのよ」
リナリアがノラに視線を向ける。フィンの腕の中で気を失っているノラの表情には、先ほどまでの苦悶はない。
ヴォルフは低く唸った。
「考えたくもない、が。君の領域にも関わらず力が使えるほどの、強い力を持った魔女の仕業ということか」
ヴォルフの言葉にリナリアは首を傾げた。
「それは、分からない。でも……」
リナリアは再びノラに視線を向けた。
「もう二度と、こんなことは起こらないわ」




