ep2-5.生まれた場所
王都でのパーティーのあと。ヴォルフは、リナリアを自分の領地に呼び寄せる理由に頭を悩ませていた。
リナリアは、他の婚約が成立したばかりだったのだ。
かねてより国王から“魔女殺しの報酬“を選ぶように言われていたことを思い出し、ヴォルフは、迷いなくリナリアとの結婚を口にした。
国王だけでなくゼーンズフト公爵も目を丸くしたが、ヴォルフがしどろもどろにリナリアへの愛の言葉を並べれば、最後はあたたかな祝福と共に認めてくれた。
しかし問題はその後だったのだ。
リナリアを迎え入れる準備を整えたヴォルフが、ソレイユ侯爵家を訪ねた時、ヴォルフの前に立ち塞がる者がいた。
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ソレイユ侯爵家の門をくぐり、屋敷の大きな入り口の前にたどり着いたヴォルフは、その入り口に蜂蜜色の髪を揺らす幼い少女がいることに気がついた。
「あなたがエーデルハイント子爵!?」
腕を組み、精一杯に背伸びをする少女に、ヴォルフは目を丸めた。
それは、まるで小動物が毛を逆立てるような。
しかし少女の威嚇も、ヴォルフたちにとっては愛らしい姿にしか映らない。
「はい。ヴォルフ•エーデルハイントと申します。リナリア様を迎えに参りました」
少女がヴォルフの頭の先から爪先までじろじろと睨みつけた。そして、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「いやです」
予想外の様子に、ヴォルフは思わずたじろいだ。
ヴォルフの後ろに並び立った副官も、苦笑いを浮かべていた。
「リーリエ侯爵令嬢ですね。まずは、ご両親にご挨拶を。令嬢も一緒に行ってくださいますか?」
すると突然、リーリエは小さな身体を震わせた。
「う、がー!」
愛らしい姿に似合わない雄叫びをあげ、リーリエがヴォルフに飛びかかろうとするのを、そばに控えたメイドたちが慌てて止めた。
「止めないでよ!もう!私は侯爵令嬢なの!今日は何しても許されるの!」
リーリエはメイドたちに抱き止められたまま地団駄を踏む。そして声にならない唸りをあげたあと、ヴォルフをぎろりと睨みつけた。
しかしどうにも、愛らしい。
幼い少女の癇癪に、ヴォルフも苦笑いを浮かべた。
メイドから逃れられないことを悟ったリーリエは、そのままヴォルフに噛み付くように告げた。
「お父様はいません!王都でお仕事!お母様もいません!どこかでティーパーティー!」
ヴォルフは副官たちと顔を見合わせた。
娘の門出の日、まさか両親がいないなどと、到底考えてはいなかったからだ。
「だから、今日の家長は私なのです。どうぞこちらへ!?」
怒りながらも、丁寧に。リーリエに案内され、ようやくヴォルフたちはソレイユ侯爵家へ足を踏み入れた。
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客間に案内されたヴォルフは、未だ不機嫌さの消えないリーリエと向かい合ってソファに腰掛けていた。
「あなたがロクでもない理由でお姉様を娶ろうとしていることは、容易に想像がついています!」
幼い見た目にそぐわない大人びた物言いにヴォルフは思わず面食らった。
「リナリア侯爵令嬢とは、同意の上です」
「開き直るとは、いい度胸ですこと」
リーリエの瞳が冷たく光った。
「彼女のことは、大切にします。不自由なく、穏やかに暮らせるように」
「不自由なくってどうやって?」
「私に与えられるものならば、彼女が求めるものをすべて捧げるつもりです」
リーリエは、その丸い瞳をさらに丸くした。
「子爵は、本当にお姉様を愛しているのですか?」
ヴォルフは、自分が発した言葉が、愛を囁く言葉だという自覚はなかった。
しばし考え込んで、慎重に言葉を選ぶ。
「私たちの結婚は、愛とは違います。ただ、お互いに支え合うという点では、同意があるのです」
リーリエは、しばらく黙り込み、そして弱々しく口を開いた。
「子爵。私は見てのとおりまだまだ子供です。でも、子爵が私をあしらったり、蔑ろにするようなことがあれば、難癖をつけて追い返そうと思いました」
リーリエの口から出る言葉は、子供らしかぬ発言だった。しかしそれが本来のリーリエの姿なのだと、ヴォルフは思い直した。
「ひとまず追い返すことはしません。でも、教えてください」
ヴォルフの喉がごくりと鳴る。
「私が聞きたいことは、ひとつです。お姉様が好きなものを言ってください」
ヴォルフは内心で胸を撫で下ろした。
それは唯一ヴォルフが知っているリナリアのことだったからだ。
「もちろん、リーリエ侯爵令嬢ですよね」
ヴォルフの言葉に、リーリエの顔が曇った。
「……それは、誰に聞いたのですか」
「彼女の口から直接聞きました」
「直接?」
ヴォルフは頷いた。
「私たちの両親のことはなんと?」
「何も聞いていません」
「どう思っていると思いますか?」
「聞いていないのでなんとも」
リーリエは、質問を続けた。
「他に好きなものは?」
「他にですか。……花、でしょうか」
なんとかヴォルフが絞り出した答えに、リーリエが頷いた。
「はい。分かりました」
リーリエの反応に、ヴォルフは何のことかと内心で首を傾げた。
「あなたは、思いの外お姉様のことを分かっているのですね。それに、とても誠実に見えます」
リーリエが指先で合図をすると、そばに控えたメイドがヴォルフに分厚い紙束を手渡した。
「これは?」
「お姉様とこれから暮らすにあたってお願いしたいことです」
紙束をめくると、それはすべて丸みを帯びた可愛らしい文字で書かれていた。
(これを全部、この子が書いたのか)
感心するヴォルフをよそに、リーリエが続けた。
「お姉様は、私と植物以外のほとんどのことに興味がありません。自分のことも。放っておくと、食事を摂らなかったり、最悪眠りません。だから、お姉様の生活を見守るなかで気をつけてほしいことや、お姉様のために用意してほしいものが書いてあります」
「わかりました。感謝します」
即答するヴォルフを見て、リーリエがなんとも言えない顔をした。
そしてすぐに顔を上げ、そばのメイドに声をかけた。
「お姉様の準備はできた?」
「確認してまいります」
メイドが部屋を出ていき、そしてすぐに戻ってきた。
「お荷物の積み込みも終わったようです」
「そう。じゃあ、お姉様を子爵の馬車まで案内して。私も子爵と馬車へ向かうわ」
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屋敷を出ると、道を挟むようにずらりと使用人が整列していた。その先には、ヴォルフがリナリアのために用意した豪奢な馬車と、ヴォルフの部下たちが整列していた。
馬車の前でリーリエと一緒にリナリアを待つ。
「子爵、私はあなたに感謝しています」
「感謝、ですか?」
「はい。両親は姉を年老いた、地位しか持たないような男に嫁がせようとしていました。かたやあなたはこの国の英雄です。社交界にも出ていない私ですら、あなたの素晴らしい活躍を知っています」
リーリエに出会った時の勇ましさや、客間での張り詰めた様子はない。
眉を下げ、伏し目がちに呟いた。
「お姉様は、蔑ろにされていい人ではないのです。子爵が、お姉様を選んだことは、喜ばしいことです」
「あなたのお姉さんが、穏やかに過ごせるよう善処します」
ヴォルフの力強い眼差しに、リーリエの頬が僅かに緩んだ。
「私が家督を継いだ時、お姉様が不幸だと分かったら、お姉様を連れ戻しますから!」
「わかりました」
その時、屋敷の扉が開いて待ち人が現れた。
春の暖かい日差し、心地よいそよ風。
リナリアは、リーリエの姿を見て微笑んでいた。馬車に向かって歩き出すと、使用人たちが恭しく頭を下げていく。
リーリエがそばのメイドから、色とりどりの花で造られた花束を受け取り、それをリナリアに手渡した。
子供らしい、満面の笑みを浮かべて。
「お姉様、結婚おめでとう!」
リナリアは、花束を受け取ると、腰を屈めてリーリエの額に優しく口付けた。
「リーリエ。私はいつも、あなたを見守っているわ」
「うん。お姉様……」
言いかけて、リーリエの笑顔が固まる。
そしてその顔を、くしゃりと歪めると、大きな瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「お姉様。しあ、幸せになってね」
リーリエは、手のひらで目を擦り、なんとか涙を止めようとするが、一度溢れた涙を止めることができない。
リナリアが、そっと抱きしめた。
「本当は、そばにいたいけど」
「だめよ。お姉様は、お姉様は……」
涙を瞳いっぱいに浮かべたリーリエは、嗚咽混じりに精一杯の言葉を紡いでいく。
「お姉様は、誰かを愛して、愛される練習をしないといけないの。私、以外のひとと」
「愛される?」
「そうよ。子爵はとても誠実な人に見えたわ。だからお姉様も、子爵や、その周りの人をよく見て。どんな人がいて、どんなことが好きなのか。お姉様が知ろうとしないと何もわからないままなのよ」
リナリアは、困ったように微笑んでいた。
「分かったわ」
今度こそ、リーリエが涙で赤くなった瞳のまま、目一杯の笑みを浮かべていた。そしてヴォルフに向き直る。
「子爵、お姉様はわかっていませんから。お姉様をよろしくお願いしますね」
幼い令嬢は、ただただ姉を案じていた。
「任せてください」
それに応えるヴォルフの言葉にも、力がこもった。
リーリエに押し込まれるように、リナリアが馬車に乗りこむ。そしてヴォルフもそれに続いた。
窓からリナリアが手を振ると、ガタガタと馬車が進みだした。
それは、どこにでもある幸せな家族の一幕だった。
⭐︎
ヴォルフがリナリアのために準備させた別邸は、ヴォルフが育った田舎の屋敷の造りに近かった。
ほとんど仕切りのない広々とした一階には、キッチンとダイニングテーブル、そしてくつろぐためのソファが全て1つの空間に収まっている。
その別邸のキッチンに立ったヴォルフは、ぐつぐつと煮立つ鍋からシチューを皿によそっていた。
リナリアは、部屋の隅に置かれた鉢のそばでスコップを持ちしゃがみ込んでいた。
「リナリア、夕飯の準備ができたよ。手を洗っておいで」
ヴォルフがダイニングに食事を並べながら声をかけるが、反応がない。
ため息をつきながら、リナリアの手元を覗き込むと、リナリアは菫色の結晶を土の中に混ぜ込んでいた。
「なんだそれは。君は大切なものを土に埋める習慣でもあったのか」
リナリアは顔もあげず、飄々と答えた。
「肥料に栄養を足してるの」
「そうか。飯が冷める」
ヴォルフが手で合図すると、メイドの人形が濡れたタオルを持ってきた。ヴォルフはそれを受け取るとリナリアの面前に差し出した。
「ほら。手を拭って」
しばし逡巡したリナリアは、渋々と言った様子でそれを受け取り、ヴォルフを見上げた。
「貴方が来るとやりたいことができないわ」
「俺がいないとまともに生活できない、の間違いだろ」
リナリアが濡れたタオルで手を拭うのを見ながら、ヴォルフはさっさと席についた。
リナリアもわざとらしくため息をついて席につく。
「君は面倒がっているが。俺はリーリエ嬢から受け取った、君の取り扱い説明書の通りにやっているんだからな」
フォークを持ったリナリアの手が、ピタリと止まった。
「リーリエの?」
「そうだよ。君との付き合い方が全部書かれている」
「そう。なんて書いてあるのか気になるわ」
ヴォルフは、その内容を思い返す。
——眠らなければ、添い寝をすること。
——食事を摂らなければ、一緒に食卓を囲むこと。
——自分の気持ちをはっきり伝えること(お姉様は気持ちを察するだとかはできません)
伝えるべきか逡巡し、そして止めた。
「また機会があれば見せよう」
「気になるのだけど」
「いつかな。ところで……」
ヴォルフは、ダイニングの上に置かれたピカピカと光る丸い石に視線を移した。
「それはなんだい?宝石にも見えないが。そもそも君が宝石といった類に興味があるとも思えないんだが」
リナリアがサラダを口に運びながら答えた。
「ガルガに貰ったのよ」
予想外の名前にヴォルフは驚いた。
「村長の孫か。君は妹以外に興味がないと思っていたけど。やはり子供は可愛いのか?」
「リーリエの手紙に書かないといけないから。名前を覚えていないと怒られるのよ」
「リーリエ嬢が……」
ヴォルフは、リナリアが屋敷を出る日のリーリエの言葉をぼんやりと思い返していた。
リナリアは、そんなヴォルフをちらりと一瞥した。
「ヴォルフ・エーデルハイント」
突然呼ばれたヴォルフはギョッとした表情を浮かべた。
「なんだ急に」
しかしリナリアは、ヴォルフの様子を気にしたふうもなくつらつらと続けていく。
「マリル、ヨアン、ハンナ、ノラ」
「使用人たちの名前か。ん?何故君が使用人の名前を知っているんだ。接点がないだろう」
「庭にいると、ご飯を食べろと言って食堂に連れてかれるの」
「ああ、庭師だと思っているのか」
ヴォルフは納得しつつもその意外な交友関係にただ驚いていた。
「フィン、ローエン、レオニール」
「俺の副官たちまで……」
ヴォルフは思わず感嘆の声をもらした。
「そうか。君が人に関心を持つのは喜ばしいことなのだろう。君が望むなら、本邸で過ごしてもいいし、子爵夫人として誰かと会うのもいいんだよ」
ヴォルフの言葉にリナリアが顔を顰めた。
「面倒だわ」
「そうか。君がしたいようにしてくれたらいい」
「別に、あなたの周りの人だから覚えているだけ。今の私は、リーリエとあなた以外に特段関わる必要性を感じないもの」
ヴォルフは小さく微笑んだ。
リナリアが自ら人を知ろうとしていることに気が付いて。
リナリアが黙々とシチューを食べ進める姿を眺めながら、ヴォルフが水を口に含む。
するとリナリアが小さく息をついた。
「ところであなた、もっとよく噛んで食べた方がいいんじゃない」
リナリアの言葉に、ヴォルフは苦虫を噛み潰したような顔をして答えた。
「やめてくれ。急にまともな人らしいことを言うのは。心臓に悪い」
リナリアがふっと微笑んだ。
「知ってるわ。あなたみたいな人を無神経と言うのよ」
魔女と魔女殺しの、穏やかな夜が更けていくのだった。




