「記録の代償」
戦闘が終わった瞬間、世界は何事もなかったように戻った。
白い円形空間は消え、視界は元の教室へと切り替わる。
「……は?」
佐倉 恒一は机に手をついたまま、荒い呼吸を繰り返していた。
胸の痛みも、床に叩きつけられた感覚も、まだ残っている。
だが周囲の生徒たちは誰一人として彼を見ていない。
まるで、何も起きていないかのように。
(夢……じゃない)
手のひらを見下ろす。そこに、黒いカードはもうない。
代わりに、視界の端にだけ表示されていた。
《戦闘結果:敗北未確定》
《記録保存:完了》
「……記録?」
その単語を口にした瞬間、頭の奥で何かが“開く”。
殴られた角度。
相手の重心移動。
次に来る攻撃の“癖”。
全部が、映像ではなく“理解”として残っている。
(思い出してるんじゃない)
(最初から知ってたみたいに“分かる”)
気味が悪かった。
放課後。
教室を出た瞬間、再び視界が揺れた。
《戦闘権限:再付与》
「またかよ……!」
抗議する間もなく、足元が消える。
落下ではない。転送。
再びあの白い空間。
そして、同じように立っている仮面の人物。
「二回目戦闘。開始」
「ちょっと待てって言ってるだろ!」
返事はない。
相手は一切の無駄なく踏み込んでくる。
——速い。
だが今度は違う。
(見える)
攻撃の“起点”が分かる。
一度体験した情報が、体を勝手に動かす。
紙一重で避ける。
仮面の男が小さく息を吐いた。
「記録保持者か」
「は……?」
その言葉に反応するより早く、次の攻撃。
しかし今度は当たらない。
全部、知っている。
だが——
(……これ、きついな)
回避はできる。
理解もできる。
けれど身体が追いつかない。
1回目の戦闘では“情報不足”だった。
2回目では“肉体不足”が問題になる。
そして気づく。
(この戦闘、勝つために設計されてるんじゃない)
(“負けるように設計されてる”)
仮面の男が距離を取った。
「初回適応率……想定以上」
「何だよそれ……!」
男は答えない。
代わりに、空間に文字が浮かぶ。
《リミット更新》
《条件変更:視覚制限追加》
その瞬間、世界が暗くなる。
「……見えない!」
完全な暗闇ではない。
だが“輪郭”だけが曖昧になる。
情報が削られている。
(やばい……これ、記録があっても意味が——)
その考えが終わる前に、衝撃。
腹部に一撃。
息が止まる。
地面に膝をつく。
《戦闘データ更新》
(まただ……)
倒れながら、理解する。
この戦いは「覚えれば勝てる」構造じゃない。
覚えた瞬間、それを上回る“制限”が追加される。
まるで、機構そのものが学習しているように。
仮面の男が静かに言った。
「記録保持者は危険因子だ」
「だから最初に壊す」
次の瞬間、視界が完全に閉じた。
《戦闘終了》
再び教室。
椅子から転げ落ちるようにして目を覚ます。
息が荒い。
全身が重い。
だが頭の中だけが、異様に冷静だった。
(これ……詰みじゃないか?)
記録は残る。
でも戦闘はその上を行く。
勝てるように学習するたび、相手も“ルールごと変えてくる”。
そのときだった。
視界の端に、新しい表示。
《観測者アクセス許可》
「……観測者?」
その言葉を見た瞬間、教室の窓の外が一瞬だけ歪んだ。
誰かが、こちらを見ている。




