(2-2)
◇
小林と瑠璃を大社に送り出して軽い作業を済ませた文乃は早めに店じまいするつもりで窓のカーテンに手を伸ばした。
と、そこへドアの鈴を鳴らして客が入ってきた。
「すみませんけど、今日は終わりにしようと……」
目をやった文乃は思わず息をのんだ。
長身で身幅の大きい体を黒い三つ揃いのスーツに収めた男が、壁となって入り口を塞いでいた。
「な、何かご用かしら?」
鋭い目で周囲を見回しながら商品の間を縫って男が迫ってくる。
「ここで働いている娘に会いに来たのだが」
「る……」
名前を言いかけて文乃は口を塞いだ。
男の全身から、ただならぬ妖気を感じる。
迷信に惑うようでは女手一つで店などやっていけないし、多少の教養も身につけているつもりだが、男の背後に黒い霧のような、だが、不吉とも思えない不思議な影が見えるのだ。
「今日はもう、帰りましたよ」
心の中も見透かされているように思えたが、あえて名前は出さずに答える。
「そうか」と、男は表情を変えずに風呂敷包みを差し出した。
――え?
いったいどこから?
手ぶらで入ってきたはずなのに、手品というよりは魔法だ。
「頼みたいことがある。これを娘に渡してくれ」
「いったい何ですか?」
「娘に渡せば分かる」
強引に持たされた包みは軽く柔らかで、何かの衣装らしい。
――神紋?
風呂敷に月影大社の御印が染め抜かれている。
もちろん、無関係の者が勝手に使うことなど許されない神聖なものだ。
「あなたはいったい……」と、文乃は瑠璃の話を思い出していた。「もしかして、山で瑠璃を助けてくださった方ですか?」
思わず名前を出してしまい、ハッとした表情の文乃に、男は初めて笑みを見せた。
意外なほどに人なつこく無防備な笑顔に、緊張が一気に和らぐ。
と、そこへ小林記者が一人で戻ってきた。
「あら、瑠璃ちゃんは?」
「大社の門前で別れました。お母さんたちが帰ってきたんですよ。今日はここには戻らないと伝えてくれって」
「あら、そうだったの」
チラと男に視線を向けた文乃に小林がたずねた。
「こちらのお客さんは?」
「ちょっと前に瑠璃ちゃんを助けてくださった方ですって」
「ああ、あの……」と、噂は聞いていた小林は窓際を迂回して男と向かい合った。
小林記者よりも頭一つ大きく、生徒と教師に見えてしまうが、男もほぼ同じくらいの若さらしい。
「では、よろしく頼む」
会話を避けるように男はすぐに店を出ていってしまった。
「なんでしょうね、あの男」
置き去りにされた小林は不満げな顔で風呂敷包みに手を伸ばす。
「だめっ!」
文乃が覆い被さる勢いで包みを引っ込めた。
「どうしたんですか?」
「開けたらだめよ。封印がされてるでしょ」
風呂敷の結び目に御札が差し込まれ、銀糸を織り込んだ飾り紐で固定されている。
「封印を解くのは、その資格がある者だけ。でないと、大変なことになるわ」
「橘さんでも、意外と迷信深いんですね」
「あなたは何も感じなかったの?」と、文乃はあくまでも真剣だ。「あの人の背後に漂う黒い霧のような影」
「霧ですか……」と、小林は肩をすくめる。「私は何も」
「少なくとも、この町では、この封印を軽々しく解こうとする者はいないわよ。それは時代が変わろうとも、尊重されるべきものなのよ」
重苦しい空気を振り払うように手をたたいて小林がつぶやく。
「この町に来てから三つ揃いの男は信用できなくて」
「坂巻の旦那と格好が似てるから?」
「ええ、まあ」
ようやく文乃に笑顔が戻る。
「あなたこそ、根本的に新聞記者に向いてないんじゃないの。根拠のない思い込みで記事をでっち上げたりしないでよ」
小林は男が出て行ったガラス扉を見つめながら、曖昧にうなずいていた。




