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文乃のもくろみ通り、瑠璃の持ち帰った香水瓶を月光堂からのお祝いの品として受け取った彩花は、「ふうん、こんなものかしらね」と、特に疑うことなく見合いの席につけていった。
対面は坂巻の屋敷で行われた。
元々如月一家が住んでいた家だ。
鉱毒事件で地位を剥奪され、罰金を科せられた如月家は屋敷を退去し、今の小さな家に移転し、さらに流行病で瑠璃の父は残った財産すべてを町の人々の治療に充てて亡くなった。
それ以来貧しい生活を続けてきた美津子は、本来ならばすべてを乗っ取った坂巻家に対して恨みを抱くべきなのだが、ゆがんだ性格のはけ口は弱い瑠璃へと向けられてきたのだった。
そして今、応接間に通された美津子と彩花の前には札束の山が積まれていた。
「こ、こんなによろしいんですか」
美津子の声は興奮で震えている。
七三郎は鷹揚にうなずいた。
「これはほんの支度金です。必要であれば、遠慮なくおっしゃってください」
「うふふ、じゃあ」と、ひったくるように札束をつかむと美津子は懐に押し込んだ。
そんな様子を苦い表情で眺める将一郎に、彩花は上目遣いに視線を送っている。
少尉の軍服をまとった将一郎と三つ揃いスーツの七三郎に対し、彩花はフリルで飾ったワンピース、美津子は一番良い生地の和服だ。
七三郎は緑茶を一口含んでから静かに切り出した。
「ところで、奥さん、あなたは帝都にいらっしゃったそうですね」
「ええ、まあ」と、美津子の頬が引きつる。「よくご存じで」
「いろいろ調べさせてもらいましてね」と、七三郎は口ひげをなでる。「帝都ではさるお屋敷で女中をなさっていたそうですな」
美津子は唇をかんで答えず、その様子を彩花が不安そうに眺めている。
「いやなに、隠すことはありませんよ」と、七三郎が軽く手を振った。「その際、樺島男爵のお手つきがあった。私が知りたかったのはそれだけですから」
腹を探り合うような沈黙が流れる。
「あなたは樺島男爵の子を身ごもった。認知をしない代わりに生活費をもらう約束で帝都を追いやられた。この町に来たあなたは一人で娘さんを産み、そして、如月家に後妻として入った」
美津子が鼻で笑う。
「そこまで調べて、それがどうしたって言うのよ」
「この縁談の条件なんですがね」と、七三郎は身を乗り出した。「娘さんに樺島家の名を継いでいただきたいんですよ」
「はあ」と、美津子の眉が上がる。「そんなの無理に決まってるでしょう」
彩花が母の袖を引く。
「お母様、私は華族の血を引いていたのですか」
「あんたは黙ってなさい」と、母は娘の手を振りほどいて七三郎とにらみ合う。「何を企んでいるんだか知らないけど、いまさら名乗り出たところで、そんな話、誰に信じてもらえるっていうのよ」
「優秀な弁護士をつけますよ。それに」と、七三郎は落ち着いた調子で続けた。「受け継いでもらいたいのは名前だけでね。財産までよこせと言わなければ、それほど揉めることもないでしょう。逆に、今のお手当も放棄すると申し出れば、先方もむしろ歓迎するかもしれません」
「それじゃあ、逆に損じゃありませんか……」
露骨に不満顔を浮かべる美津子を七三郎は押しとどめた。
「なあに、金ならご心配はいりません。私どもがいくらでも差し上げますよ。このご時世、どちらにしろ男爵などと名誉だけでは食っていけません。それは奥様だって、如月家に嫁いで思い知ったことではありませんか」
「それは、まあ」
口ごもる美津子を七三郎は追い込む。
「ですがね、それはまた金だけではたどり着けない場所でもあるんですよ。さらに、この世には表があれば裏もある。その手に入らないはずのものも、やり方次第では金の力でねじ伏せることができる。そして、地位や名誉というものは、一度手に入れてさえしまえばかなり使える武器になるのですよ」
「ふふん」と、美津子はこわばった表情を崩した。「そういうことね。分かりました」
「さすが、話が早い」
見たこともない満面の笑みを浮かべる父の様子を将一郎はただ呆然と眺めているしかないまま、若い二人はほとんど会話を交わすことなく縁談がまとまった。
母娘が退去した後、将一郎は父に詰め寄って不満を述べた。
「私は納得がいきません。いくらなんでもあんな見栄っ張りの貧乏人と結婚など……」
「腐っても華族。寂れた銀山の総元締めなどと古くさい役職よりもこれからの時代は遙かに使える」
「しかし、父上」
言いかけた息子に父がかぶせる。
「あの娘は樺島男爵の子ではない」
「な、なんですって。だったら、先ほどの話はいったい……」
唖然とした表情の息子に父はニヤリと笑みを浮かべた。
「あの女は、使用人仲間の男とできていたんだ」
「じゃあ、なぜ」
「男爵のお手つきがあったのは事実だ。むしろ、あの女が誘ったんだが、男爵としても、表沙汰になるくらいなら、口止め料を払って追い払った方がいいと判断したんだろう」
将一郎は首をかしげた。
「承知の上で飲み込んだ、と。ただ、それなら、なおさら男爵はあの娘に樺島の名を名乗らせるなど、承知なさらないのでは」
「おまえも一緒なら体面は保てるだろう。なにしろ帝都首席の少尉殿だからな。こういうところで名声が役に立つのだ」
「そのために父上が尽力を」
将一郎は、かろうじて『裏で』という言葉は飲み込んでいた。
「そうだ、財力のおかげだ」と、七三郎が拳を握りしめた。「金と知恵があればなんでもできる。後ろ指をさされようとも、金で買える武器は手に入れておくべきなのだ」
父の強い言葉に気圧されて将一郎は黙り込んだ。
「おまえは若い。まだまだ世の裏と表を知らなければ出世などできんぞ」
力なくうなずく息子に父が耳打ちした。
「浮かぬ顔をしておるが、結婚など形式にすぎん。名前にしか価値のない母娘だ。おまえが華族の一員となったら、あとは帝都に愛人でも作って好きなようにすればいい。ならば妻など愚かであるほど都合がいいであろう」
「ああ、なるほど」と、将一郎は口元にゆがんだ笑みを浮かべた。「父上の教え、肝に銘じます」
「それでいい。これでようやく次の段階へ進めるというものだ」
息子の肩をがっちりとつかむと、七三郎は風に揺らぐ月影山の深い森を鋭い目で見上げていた。




