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文乃が窓のカーテンを閉めていると、ガラス扉の鈴を鳴らして月光堂に若い男が入ってきた。
「すみませんねえ。閉店なんですけど」
「買い物に来たんじゃないんですよ」と、若い男は丸眼鏡を押し上げて名刺を差し出した。
「へえ、帝都新聞の記者さんが何かご用?」
「町の噂に詳しいとうかがいましてね」
「うちの売り物じゃないですけど」と文乃は肩をすくめる。
「如月家のことについてなんですがね」
窓辺の電灯を消した文乃が記者にたずねた。
「こんな時間だけど、あなた珈琲はお好き?」
「ええ、いただきます」
サイフォンで支度をしている間、文乃は蓄音機にレコードを置いた。
「夜想曲か」と、小林記者が椅子に腰掛ける。「ショパンですね」
英国製のテーブルに珈琲とビスケットを置いて文乃も腰掛ける。
「これ、売り物なんじゃないんですか?」と、恐縮しながら小林がテーブルを眺める。
「家具なんて、使うほど味が出るのよ」
珈琲の香りを楽しみながら文乃から切り出す。
「で、何を聞きたいの?」
「まずはこの店のことからでいいですか?」
「こんな町には似合わない店だって?」
「女学校を出てらっしゃるそうで」
「帝都の師範学校」と、文乃はカップを置いた。「家が貧しかったからね」
「授業料はかからないし、学資も支給されますからね」
「母親とうまくいってなくてね。実の親だけど、ぶたれてばかり。早く家を出たかったの。支給金を仕送りするって条件で逃げ出せたってわけ」
「教員にはならなかったんですか?」
「やってたわよ。台湾にも行ってたし。そこで旦那と知り合って結婚したの。この町出身の医者でね」
「それで、月影町に来たんですか」
「そういうこと」と、うなずくと、文乃はレコードをシャンソンに換えた。「で、如月家のことって、何を調べてるの?」
「如月家は代々銀山総元締めとして町の顔役だったんですよね。でも、鉱毒事件で解任された」
テーブルに戻った文乃は残りの珈琲を飲み干してうなずいた。
「押しつけられたのよ。銀山は御上のものだったのに、役人どもはさ、誰も責任なんかとらないでぜーんぶ如月の旦那に押しつけて、自分たちはさっさと帝都に引き上げたってわけ」
「なるほど」
「この町で如月家の悪口を言う人なんていないわよ。十年前の流行病では、私財をなげうって療養所を作ってね。町の人々を救ったの。ただ、それで如月の旦那も、うちの亭主も亡くなっちゃったんだけどね。それから私はこの店を始めたのよ」
「そうだったんですか」
「如月家は財産をなくして没落。会社は坂巻七三郎っていう番頭に乗っ取られて、今じゃあ、飛ぶ鳥を落とす勢いってわけね」
「その男について、もっと詳しく教えてもらえませんか」
「話すと長くなるわよ」
壁にかかった鳩時計に目をやった文乃は、ガラス扉を横切った人影に気づいて立ち上がった。
「ちょっと、ごめんなさい」
扉を開けて、とぼとぼ歩く背中に声をかける。
「瑠璃ちゃん、さっき帰ったのに、これからどこに行くの?」
うつむきながら振り向いた瑠璃が涙声で答えた。
「月神様にお参りに」
「こんな時間に?」と、声を潜める。「また嫌がらせ?」
「い、いえ、違います」と、瑠璃はおどおどと首を振る。「彩花さんがお見合いをするそうで、うまくいくようにお祈りをしに」
文乃は察したようにため息をつく。
「ちょっと待って」
店の奥に引っ込んだ文乃は提灯を持って戻ってきた。
「これを持っていきなさい」
「すみません」
「あと、これも」と、文乃はビスケットを二枚握らせた。
「こんなにしてもらっては」
恐縮する瑠璃に優しく微笑みかける。
「お客さんに出した余り物だから、遠慮しないで」
「本当にすみません」
「気をつけるのよ」
背中を丸めながら去って行く瑠璃を見送って中に入ると、小林がカーテンの隙間から外の様子を眺めていた。
「あれが如月家の娘さんですか」
「ええ、本当はあんな格好してていい子じゃないのよ。継母のせいでね」
自分の境遇と重ね合わせるように文乃は顔をしかめた。
「ひどい話だ」と、腕組みをして記者がうなる。「私のペンで世の理不尽を暴いてやりましょう。あの娘さんが気の毒だ」
「あのねえ」と、文乃があきれ顔で腕を広げる。「人目を引く記事で一発当てて帝都に返り咲こうとしてるんでしょうけど、それがあなたの正義なの?」
「これは手厳しいなあ」
「人様の家のことをおおっぴらに暴いたって何も解決しないでしょう。そんなことをしたら、強欲な継母が瑠璃ちゃんにどんな仕打ちをするか分からないの」
「じゃあ、どうしたらいいんですか」と、若い記者はテーブルに手をついて身を乗り出した。
「今はただ見守るしかないんじゃない」と、文乃はビスケットをつまんで一口かじった。「この町のことは月神様にお任せするしかないわよ。昔も今も、ずっとそうしてきたんだから」
小林記者も一枚口に放り込むと、ボリボリと頬を膨らませながら天井を見上げていた。




