(4-2)
◇
――ここは……?
気がつけば、瑠璃は冷たい石段に横たわっていた。
周囲は見上げるほどに天井が高い地下洞窟で、篝火が焚かれた巨大な石柱が並び、壁面に露出した銀の鉱脈が鈍く輝く。
遙かな天井付近をコウモリが飛び交い、甲高い鳴き声とともに滴る水音が不気味な音楽を奏でている。
黒い霧が光の衣を覆い尽くし、瑠璃は手足を縛られ身動きが取れない。
「ようこそ我らの神殿へ」
天井のコウモリが黒い霧となって舞い降り、霧島沙夜が現れた。
石段に右足を乗せた沙夜は、冷たい指先で瑠璃の顎を持ち上げその顔をのぞき込んだ。
「無様だねえ、光の化身さん」
暗闇に慣れた目に赤く脈打つ勾玉の光がまぶしく、瑠璃は顔をしかめた。
沙夜はそんな瑠璃に勾玉を突きつける。
「光を失ったあんたよりも、あたしの勾玉の方がよっぽど輝いてるだろ」
ぼんやりとした視界にステンドグラスで描かれた巨大な壁画がそびえ、神紋が篝火の炎に揺らめいている。
だが、どこかに違和感がある。
逆さの神紋?
沙夜が瑠璃を起き上がらせ、祭壇へと引っ立てる。
「月神を打倒し、我ら闇の勢力がこの世を覆い尽くす。これはそのための生け贄を捧げる祭壇さ」
祭壇の上にはすでに何かが供えられている。
「ほら、ごらん。あんたはこいつを探していたんだろう?」
祭壇の中央に横たわる物が目に入った瞬間、瑠璃は息をのんだ。
「小林さん……!」
それはぐったりと横たわる小林圭介の姿だった。
丸眼鏡がずり落ち、鳥打ち帽は青白く生気を失った顔の下で潰れている。
だが、胸がかすかに上下し、かすかな息づかいが聞こえる。
まだ生きている――しかし、意識は遠く深い闇に閉ざされているようだった。
「小林さん、目を覚まして!」
瑠璃の叫びは広大な洞窟に虚しく響いて拡散するばかりだった。
沙夜がそんな瑠璃の動揺を罵り、コウモリの群れがキキキィと嘲笑を浴びせる。
「無駄よ。あの男は闇の力に飲まれ、魑魅魍魎を復活させるための供物となった。あんたも同じ運命をたどるのよ」
「なんてことを」
「探してる相手の居場所を教えてやったんだ。感謝してもらいたいね」
沙夜は瑠璃を突き飛ばすと、指先から黒い針を飛ばし、白い衣ごと祭壇に縫い付けた。
ついでと言わんばかりに、腕にも針を飛ばす。
――っ!
「そいつは毒針だよ。体が痺れるだろう」
体中の力が抜け、感覚もなくなり、石から伝わる冷たさも感じなくなっていく。
「大丈夫、死にはしないよ。そこの新聞記者と同じさ。死んだら生け贄にならないからねぇ」
アッハッハと高笑いが洞窟内に響きわたり、コウモリが一斉に渦を巻いて飛び交う。
黒い霧の中から声がする。
「沙夜、よくぞ光の化身を連れて参ったな」
沙夜は祭壇の前にひざまずいた。
「造作もないことでございます、黒崎様」
三つ揃いの黒スーツをまとった男が壇上に現れた。
ぼんやりとした瑠璃の目には、一瞬、悠真に見えたが、顔は黒い仮面に覆われている。
「光の化身よ。そなたの輝きも、この記者の命も、闇の復活のための供物となるのだ」
神殿を震わす低く威圧的な声の主は闇月一族の宗主――黒崎蓮だ。
仮面からのぞく彼の鋭い眼光が瑠璃の心を凍りつかせた。
黒崎の手が宙を切ると、祭壇の紋章が一層赤く燃え上がり、銀の鉱脈が激しく脈動する。
「月影町を闇で満たし、魑魅魍魎をこの世に解き放つ。そなたの光は、その最後の鍵だ」
黒崎はより一層低い声で蠱毒の呪文を唱え、儀式を始めた。
「光と闇、両方を捧げることで、銀の鉱脈は目覚め、月影町は我々のものとなる」
銀の鉱脈から血の臭いが立ち上り、興奮したコウモリの群れがキキチキと叫びながら旋回し、闇の儀式を祝福している。
「鈍く輝く我ら一族の血の結晶よ。今こそ、よみがえるのだ」
地面が揺れ、岩盤に過ぎないはずの壁面すべてが怪しく蠢く。
さわさわと音を立て、祭壇に向かってくるのはムカデや蜘蛛の大群だ。
迫り来る虫に怯え震える瑠璃の脳裏に幻覚が浮かんだ。
魑魅魍魎が覆い尽くし、光の消えた町で飢えに苦しむ人々が幽霊のようにさまよう。
彩花の罵声が蘇る。
『あんたこそ、正真正銘の疫病神じゃないの?』
町の人々の怒号、月光堂の割れたガラス、文乃の沈痛な表情。
この町を、みんなを、こんな目に……?
記憶と幻覚の境界が曖昧になり、瑠璃を押し潰し、彼女の心を闇へと引きずり込もうとする。
だが、瑠璃は心の中で叫んだ。
――違う!
私は疫病神なんかじゃない。
私は……負けない……絶対に……あきらめない。
黒崎は両腕を広げ、地を這う黒い群れに命じた。
「復活した悪霊どもよ、町を闇で覆い尽くせ」
瑠璃はかすかな意識の中で抵抗を示した。
「そんなことをしたら、あなたたちだって、何も得られないでしょう」
「かまわぬ」と、黒崎は吐き捨てる。「町一つ消えたところでどうということはない。むしろ我々にとって、虚無の暗黒こそが正義なのだ」
「そんな……」
最後のあがきも力尽き、瑠璃は冷たい石に頬をつけて涙を流した。
「ほらほら、町の心配をする前に、あんた自身のことを心配した方がいいんじゃないのかい」
沙夜に髪をつかまれ、無理矢理顔を向けさせられると、祭壇のすぐ下には地を這う魔物たちが迫っていた。
ふと目をやると、かたわらに横たわる小林の足にはすでにムカデが這い上がり始めていた。
「小林さん、逃げて!」
叫んでもその声はむなしく洞窟内に反響するだけだ。
「ほらほら、あんたも逃げた方がいいんじゃないのかい」
沙夜の挑発に、瑠璃はただ唇を噛むことしかできずにいた。
だが、その時だった。
洞窟の奥に白い光を見た気がした。
その光は弱々しくも、蛍のように揺らぎながら近づいてくる。
――瑠璃。
悠真の声まで聞こえる気がする。
だが、もちろん、そんなはずはない。
ああ、やっぱり……まだ毒針のせいで幻を見ているだけなのね。
期待もむなしく、ただ落胆に変わるしかなかった。
「さあ、食われちまいな!」
沙夜が祭壇を飛び降りると、這い上がってきた魑魅魍魎が瑠璃に群がり、白い衣が黒に染まっていく。
「ふっはっはっはっは! 光は今、闇に呑み込まれた!」
黒崎の勝ち誇った声が洞窟内に響き渡り、天井に張りついていたコウモリが一斉に瑠璃に襲いかかる。
キキキ……キキッ!
キイ、チキキ……。
やめて!
来ないで!
――?
痛っ……くない。
え?
いったい……これは?
不思議なことに、黒い群れは咬むことも爪を立てることもなく、むしろ逆に布団をかぶせるかのごとく瑠璃を守ろうとしているようだった。
しかも、それだけでなく、自由を奪っていた綱は切れ、縫い付けられていた針もいつの間にか抜けている。
――どうして?
いったい何が起きているの?
「瑠璃、聞こえるか?」
悠真の声が、遠い神話の記憶のように脳裏に響く。
「そなたは光だ。町の人々が見上げる青空の光だ。闇になど屈してはいけない」
声は耳元でささやきかけているかのように優しく、安心を与えてくれる。
「瑠璃、そなたの父の想いを忘れてはいけない。見返りを求めず、自らの信念ですべてを投げ出し町を守った父の志を、そなたは受け継いでいるのだ」
――そうだ。
私が闇に屈したら、すべてが台無しになってしまう。
私は光の化身、負けるわけにはいかない。
と、そのときだった。
黒いコウモリが瑠璃の胸に張りついた。
思わず払い落とそうとした瑠璃の手が止まる。
それは白く輝く勾玉だった。
あなたは……。
ホウ、ホホウ……。
ホホウ、ホウ……ホウホウ。
覆い尽くしていた黒い群れが白い光を帯び始め、闇の中に膨張していく。
沙夜の目が驚きに揺らぎ、黒い霧とともに後ずさる。
「な、なんなの、これは……いったい、どうしたというの!?」
「おのれ、敵が紛れ込んでおったか」
黒崎が叫ぶと同時に、暗い洞窟に光の輪が広がり、コウモリの群れはすべて白い梟に姿を変えて飛び立った。
空間を埋め尽くす勢いで飛び回る梟から白い羽がひらひらと舞い落ち、それは雪となって地を這う物を覆い尽くす。
雪に覆われた魔物たちは氷血の力によって凍りつき、梟の羽ばたきによって巻き起こされた吹雪となって飛散してしまった。
「ええい、何をしておる! コウモリどもよ、光を潰せ、闇で覆い尽くすのだ!」
新たな黒い霧が渦を巻いて白い光を攻撃するが、白い光はステンドグラスを照らし、洞窟内が日の出を迎えたように鮮やかな色彩が広がっていく。
コウモリの群れは鳴くことすらやめ、洞窟の奥に隠れてしまった。
「ええい、馬鹿者どもが」
黒崎は杖を握りしめ、沙夜に命じた。
「その女にとどめを刺せ」
「はっ!」
沙夜は毒針を発射するが、光の繭に包まれた瑠璃の体には届かない。
胸元で輝く勾玉の光で体内の毒素が浄化され、痺れていた体に感覚が戻り、力がみなぎっていく。
白い光の中で瑠璃は起き上がった。
「よく耐えた。もう大丈夫だ」
低く、熱を帯びた声が地下神殿を震わせ、黒い三つ揃いのスーツに身を包んだ長身の男が、ステンドグラスの神話から抜け出したように姿を現した。
――来てくれた。
九条悠真は背後に炎の角を揺らめかせながら祭壇へ歩み寄ると、瑠璃を抱きしめ、深淵のような瞳でじっと見つめた。
「恐ろしい目にあわせて済まなかった。だけど、ずっと見守っていたんだよ」
「悠真さん……!」
瑠璃の声が震え、勾玉が白く輝く。
黒崎が杖を振り上げ、祭壇をたたきつけた。
「九条悠真! 貴様、なぜこの場所が分かった!?」
悠真がかすかに笑みを漏らす。
「策に溺れたな、黒崎」
「なんだと」
「黒崎蓮、おまえは我が眷属の姿で欺き、瑠璃を陥れたつもりだっただろうが、瑠璃の勾玉と俺の氷血は月下の誓いで結ばれている。瑠璃の光が危機に瀕すれば、俺の血を呼び、導くのだ」
悠真の強い言葉に呼応して、瑠璃の胸の勾玉が熱く脈打ち、光の衣が天の川のようにきらめきを放つ。
「おまえたちが瑠璃を連れ去ったとき、我らが梟たちもまた黒い霧に化けて瑠璃を護衛していたのだ。おまえたちが弄した策をお返ししたまでだ」
「カッハッハッ、さすがは月神の鬼士団長。たいしたものだ」と、黒崎は杖を突きつけ余裕の高笑いを浴びせる。「だが、遅すぎた。すでに儀式は終わり、光と闇の生け贄が揃い、銀の鉱脈は目覚めた。そなたの氷血も、月神の呪縛に縛られた力に過ぎん。闇の前では無力だ!」
黒崎が手を振ると黒い霧が再び渦を巻き、隠れていたコウモリの群れが悠真に向かって襲いかかった。
甲高い鳴き声が反響し、祭壇の逆神紋が赤く燃え上がり、激しく脈動する銀の鉱脈から魑魅魍魎が降り注ぐ。
「無駄なあがきだ」
悠真は瑠璃をかばいながら手を突き出す。
迫り来るコウモリに氷の結晶を浴びせ凍てつかせると、梟が巻き起こす旋風に乗せて黒崎へぶつける。
「くっ……生意気な」
黒崎は杖で黒い雪を払いのけ、祭壇の壁画をたたいた。
「よみがえるのだ、巨人よ。潰せ! 二人を踏み潰せ!」
描かれていた鬼神が壁画を抜け出し、巨人となって二人へ迫ってくる。
「小林さんを!」
反響する地鳴りの中で瑠璃が叫び、祭壇に駆け寄る。
「心配するな」
悠真は梟を呼び寄せ、赤ん坊のように眠る小林を白い繭で包んだ。
「瑠璃、俺に力を! 共にこの闇を清めよう」
「はいっ」
二人は手を取り合って祭壇から離れ、巨人の脚の間を駆け抜ける。
「追え! やつは鬼の裏切り者だ! 光の化身とともに神殿に封じるのだ!」
黒崎蓮の威圧的な声が神殿を震わせ、杖の握りに仕込まれた逆さ神紋が血の色に変わると、呼応して巨人の目が赤く輝く。
悠真が叫ぶ。
「月光の刃よ、闇を断て!」
燃えさかる炎の角が光の刃へと変形し、白銀の輝きが闇に交差し、巨人を切り裂く。
だが、一瞬動きが固まるだけで傷口はすぐに闇で埋まり、勢いを止めることはできない。
梟の群れも巨人にまとわりつくが、肩に掛かる粉雪を払うかのようにはじかれてしまう。
巨人が足を振り上げ、二人に迫る。
「フッハッハッ、おまえの無力を悟るがいい」
黒崎の高笑いに悠真は炎をたたえた瞳で睨み返すが、石柱の間を逃げ惑うばかりで反撃の手はなかった。
「潰せ、踏み潰せ、神殿ごと潰してしまえ」
沙夜が黒崎に詰め寄る。
「黒崎様、それでは……」
「構わん。我々は地上を闇で支配するのだ。月影大社を乗っ取り、新たな拠点とすればよい。この神殿ごとやつらを封じ込めるのだ」
巨人が命令通りに体当たりし、祭壇を支える石柱が軋んで音を響かせ、危険を察知したコウモリが飛び立ち、地下神殿の闇が震える。
と、次の瞬間、巨人の重みで岩盤が砕けたかと思うと、洞窟全体が地響きとともに崩れ落ち、足場を失った瑠璃と悠真は巨人とともに奈落の底へと吸い込まれた。
眼下の深淵に瑠璃は目をつむった。
だが、そのとき、瑠璃の体が熱を帯び、光の衣が輝きを放つ。
天へ腕を突き出すと、指先から無数の光の糸が拡散する。
目を見開き、両手を振り、糸をたぐりながら瑠璃は叫んだ。
「光の糸よ、闇を縛って!」
声とともに光の糸は網となって広がり、洞窟の壁に引っかかる。
「つかまって!」
「瑠璃!」
宙を舞う悠真を網が包み込み、その横を崩れた岩がいくつも虚無の底へと落ちていく。
助かったかに思われたが、悠真の叫びが闇にこだまする。
「うぉっ!」
見ると、網にぶら下がる悠真の足を巨人がつかんでいた。
「悠真さん!」
瑠璃は網を下りて悠真の手をつかんだ。
「しっかり」
「だめだ。二人とも落ちる。手を離すんだ」
「絶対に離しません」
「俺は大丈夫だ、信じろ」
悠真が目を閉じる。
つかんだ手が急激に熱を失っていく。
悠真の体が氷血の力で凍りつき、巨人の手まで氷で覆われていく。
「だめ、悠真さん、やめて!」
角の炎は消え、完全に凍ってしまった悠真からの返事はない。
霜で覆われた巨人の体も動きが止まり、虚空にぶら下がっている。
「氷血の鬼が凍りつくとは、なんとも滑稽だこと!」
沙夜の嘲笑が、洞窟内にこだまする。
「そのまま落ちれば、どうなるかねえ」
沙夜は黒い霧を呼び、コウモリの群れを操り、網を切り裂いていく。
網が破れ、凍りついたまま地の底に落ちれば、氷は粉々に割れてしまう。
だが、冷気に手は痺れ、限界だ。
「悠真さん、もういいの。凍らないで」
――瑠璃。
心の中に声が聞こえる。
――離せ。
「だめ、絶対に離さない。私に言ってくれたじゃないですか。『瑠璃は俺の光だ』って」
「あはは、こんなときに甘くとろけそうなお二人さん。お望み通り、二人とも地獄へ送ってあげるよ。月神の裏切り者よ、光もろとも闇に沈め!」
沙夜の嘲笑にコウモリが興奮し、網だけでなく瑠璃の衣装や手足まで切り裂き始める。
血が噴き出し、白い衣装が赤く染まっていく。
――離すんだ、瑠璃。
凍りついた悠真からの声に瑠璃は手に力を込めた。
「私が、あなたを、必ず助ける――私はあなたの光だから!」
胸で勾玉が熱を帯び、闇の中で一筋の光を放つと、天井の岩盤を砕き、崩れた岩がコウモリの群れめがけて無数に降ってきた。
「おのれ、捨て身の技を使うとは」
黒崎が杖を振ると、岩は炎を上げて流星のように燃え尽きてしまった。
「ふん、甘いよ。全然効かないね」
沙夜がもう一度黒い霧を呼び寄せる。
キィ、キキィ……チキキ。
コウモリの刃に光の網もズタズタにされ、後数本でちぎれ落ちそうになっていた。
――持ちこたえられない。
瑠璃は悠真の手を握りしめたまま、網をつかむ手を離した。
氷の巨人もろとも虚空へ投げ出された刹那、勾玉が白く燃え上がり、爆発的な光と熱を放出した。
血に染まっていた光の衣もあっという間に白さを取り戻し、銀糸が光をまとい闇に広がる銀河となって洞窟の天井に伸びていく。
星空は一枚の布となって織り上がり、それ自体が天の川をさかのぼる船となって巻き取るように二人を受け止め、凍ったままの巨人は静かに暗黒の穴へと落ちていった。
ゆりかごのような船の中で勾玉の熱が悠真の胸に流れ込み、氷の結晶にひびを入れる。
瑠璃は彼の手を握り、そっと額を寄せた。
「悠真さん、私の光はあなたのためにある。あなたの血と私の光は、月下の誓いで一つになった。私はあなたを離さない」
その言葉に呼応するように、悠真の胸がわずかに動き、炎の角が再び燃え上がる。
霜で固まったまつげがかすかに震えたかと思うとまぶたがゆっくりと開き、光をたたえた瞳が瑠璃を見つめた。
「瑠璃……そなたの光が、俺を呼び戻した」
瑠璃の手を強く握る悠真の手は冷たかったが、彼女の温もりが氷血を再び脈打たせていた。
「よかった……」
瑠璃の目から涙がこぼれ、重ねた手にしたたり落ちる。
「泣くな、瑠璃」
悠真の指先が頬を拭い、二人は微笑みあった。
と、そのときだった。
遙か地下深くから無数の氷の結晶が吹き上がり、まるで星屑のように洞窟内を舞った。
地の底で巨人の体が粉々に砕けて舞い上がったのだ。
光の船から降り立った悠真が、瑠璃に力強く手を差し伸べた。
「よし、これで終わりにするぞ」
「はいっ!」
瑠璃の声は、決意と希望に満ちていた。
悠真の背後で炎の角が燃え盛ると、火炎は鋭い刃と化し、黒崎蓮めがけて乱舞する。
瑠璃の勾玉の光はステンドグラスの神紋を照らし、舞い降る氷の結晶と乱反射して、地下洞窟に虹の橋が架かった。
「なんだ、この光は!」
黒崎の仮面の下から動揺の声が漏れる。
雨上がりに青空が広がるように地下洞窟が鮮やかに彩られ、白い梟の群れが雲となって漂い、闇を押し退ける。
――私が町を守る。
そこに帰る場所がある限り。
文乃との約束が、瑠璃の光を一層強く燃え上がらせた。
銀の鉱脈に亀裂が走り、激しく軋んで洞窟全体を震わせる。
衝撃でステンドグラスが砕けた瞬間、その一欠片がきらりと輝きを放ち、空中に弧を描いた。
飛び上がった悠真はそれをしっかりと握りしめる。
「瑠璃、光の槍だ!」
それは神話の壁画から解き放たれた太古の武器だった。
光の槍は、月神の力を宿し、瑠璃の勾玉と共鳴して白銀の輝きを放つ。
「黒崎蓮、おまえの野望はここで終わる。月影大社と町の平和は、瑠璃の光と俺の氷血で守られるのだ」
渾身の力で放たれた槍は闇の宗主を貫いた。
「ぐあああっ!」
最後の力を振り絞り、黒崎は槍に手をかけるが、先端は亀裂を走らせるほど岩盤に食い込んでいる。
「黒崎様!」
崩れ落ちる岩を避け、霧島沙夜が祭壇に駆け寄るが、黒崎はすでに膝をついていた。
「おのれ……月神の狗どもめ……!」
顔に張りついた仮面が割れ、血まみれの表情が苦痛で歪んでいる。
「この私が……闇月一族の宗主たるこの私が……!」
闇の抵抗はそこまでだった。
「ふん、情けない」と、沙夜は黒崎を見下ろしながら、冷酷な笑みを浮かべた。「こうなった以上、おまえはすでに敗軍の将。用はないよ」
「おのれ、裏切るのか、沙夜!」
黒崎の絶望的な叫びが虚しく響く。
「おやおや」と、沙夜が肩をすくめる。「闇を率いた御方が甘いですこと」
「我ら闇月一族の恩を忘れたか」
沙夜は唇をゆがめる。
「恩は押しつけられるものじゃない」
そして、瑠璃に妖艶な笑みを向けた。
「あんたもそう思うだろ?」
――えっ?
瑠璃の脳裏に、美津子や彩花から受けた虐待や侮蔑の日々が浮かぶ。
育ててくれていると思い込み、恩を感じていた毎日。
それに報いなければとすべてを捧げていた自分。
それがどれほど歪んだ関係だったか、沙夜の言葉は瑠璃の心に鋭く突き刺さる。
「心に空いた穴には光も差せば、闇も宿る。あんたも夜の闇に飲み込まれないように気をつけな」
沙夜の言葉は、敵のものとは思えないほど瑠璃の胸にすっと入り込み、彼女を一瞬うつむかせた。
だが、瑠璃はすぐに顔を上げ、沙夜をまっすぐに見つめた。
「私は闇には飲み込まれない。私の光は、町と大切な人たちを守るためにあるから!」
「ご立派」と、沙夜が手をたたく。「ここはまぶしすぎる。私は消えるとしようか」
「待て!」
悠真が手を振り梟を呼ぶが、沙夜の姿は赤い勾玉に吸収され、黒い霧に巻かれて消えてしまった。
かすかに沙夜の声だけが残された。
「月が輝けば暗闇にも影ができる。この世に光がある限り、我らは消えたりはしない」
次の瞬間、地鳴りとともに祭壇が崩れ、見捨てられた黒崎の体が岩とともに巨人の落ちた穴へと転がり落ちていく。
「瑠璃、もうここはもたない。行くぞ」
「小林さんを!」
「大丈夫だ」
小林を包んでいた白い繭が浮上し、瑠璃と悠真もそれに飛び乗った。
崩れ落ちた天井から、光が差し込む。
「もう、朝になっていたんですね」
「新しい夜明けだ。この町に、新しい朝がやってきたのだ。それをもたらしたのは、瑠璃、そなただ」
光の繭が洞窟を脱出すると、朝日を浴びてその光に吸収され、梟に戻って森へと帰っていく。
瑠璃と悠真は山の谷間へ降り立った。
小林はまだ意識を取り戻してはいないが、瞼がかすかに震えている。
「そのうち目覚める。心配はない」
悠真はスーツの内ポケットから書類を取り出し、小林の手に握らせた。
「悠真さん、それは?」
「隠し銀山と坂巻家の関係を示す資料だ。この記者も力を尽くしたのだ。これが役に立つであろう」
小林の記事が新聞に載れば、不正が暴かれ、如月家の名誉も回復されるはずだ。
悠真が瑠璃の肩に手を置き、深淵のような瞳で彼女を見つめる。
「瑠璃、俺はいったん、本来の場所へ戻らなければならない」
「どちらへ?」
悠真はそれには答えずに微笑んだ。
「必ずそなたを迎えに参る。少しの間だ。待っていてほしい」
「はい」
朝日を浴びて輝く瑠璃の微笑みを悠真が両手で包み込む。
「月下の花嫁よ、そなたの光がある限り、俺の氷血は決して凍りつかぬ」
「私も、くじけません。光になり続けます」
悠真は瑠璃を抱き上げると、空へと舞い上がった。
瑠璃はしっかりと悠真にしがみつく。
その朝、鈍い地震で起こされた町の人々が月影山を見上げると、奥社のあたりに虹が架かっていたという。
ただ、誰もその理由を知る者はいなかった。




