(3-6)
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一夜明け、瑠璃と文乃は月光堂の奥の間でパンを食べていたが、小林は姿を見せなかった。
「小林さんが来ないなんて珍しいわね。一日に一度は珈琲くらいごちそうしてくれって立ち寄るのに。ま、ちゃんと仕事してるんだろうから文句は言わないけど」
瑠璃は小林が自分の家に行っているのではないかと思ったが、いないと分かればここへ来るだろうし、文乃に話せばからかわれそうなので、黙っていた。
実際、文乃は思案している瑠璃の表情を眺めながら、思わせぶりな笑みを浮かべているのだ。
「このあんパン、おいしいでしょ」
「はい。初めて食べました」
「私、どっちかっていうと朝はパンが食べたいのよね。帝都にいた頃、学校のまわりにパン屋さんが何軒かあってね。パンが食べたくて、売り子をやらせてもらったこともあるのよ」
「へえ、そうだったんですか」
「最近はようやくこの町にもパン屋さんができてね。味も悪くないでしょ。小林さんの分も買ってあったけど、食べていいわよ。」
「でも、もう少ししたら、来るかもしれないじゃないですか」
「固くなっておいしくないから、いいのよ」と、文乃はあまった一つを半分に割って瑠璃に差し出すと、残りをひょいっと口に放り込んだ。
それから午前中は文乃に針と糸を貸してもらって着物を縫い上げていた。
「仕事は心配しなくていいからね」
「わがまま言ってすみません」
「いいのよ。私もさすがに頭にきてるから。そんな素敵な着物、洋服に替えるなんて、何がおしゃれよ、ねえ」
昨夜は布団を二つ並べて寝て、少しの間、彩花たちの悪行を聞いてもらっていたのだ。
明かりを消してからの文乃との会話は、歳は離れていてもまるで幼なじみのように心が弾んで、同世代の友人との気の置けない会話とはこのようなものだろうかと、瑠璃は自分が経験できなかった女学校の生活をうらやんだりもした。
異変が起きたのは閉店間際だった。
ちょうど仕立て直しが終わろうとしている時だった。
目抜き通りが騒がしくなり、文乃が出窓から様子をうかがうと、町の人々が新聞を片手に月光堂へ向かってきているのだった。
「あそこだ!」
「鬼の手先め!」
ただならぬ雰囲気に、文乃がガラス扉に反射的に鍵をかけた。
押し寄せた群衆は月光堂の前で拳を突き上げたり、ドアノブをガチャガチャとひねったり、しまいには、体当たりまでする輩も出る始末だった。
パリン!
ついに、窓に向かって石が投げられ、ガラスが割れた。
石は店内の飾り棚に当たって、香水の瓶が床に落ちる。
「瑠璃ちゃん、危ない。奥に行って」
文乃に押されて隠れていると、胸の勾玉が光り始めた。
――何が起きているんだろう?
みんなが鬼と叫んでいた。
瑠璃は急いで光の衣に着替えた。
店の扉や出窓には飾り格子がはまっていて、ガラスは割れても人は中に押し入ることはできない。
「瑠璃ちゃん、大変!」と、文乃が新聞紙を持ってきた。
石と一緒にくるんで、群衆が投げ込んできた物らしい。
《新聞記者失踪、鬼の仕業か》
記事には、小林圭介が取材中に消息を絶ったと書かれていた。
地元の猟師が月影山に入って行く姿を目撃していたが、本人の行方は不明。
「小林さんが……」
「大丈夫、きっと無事よ」
だが、そうつぶやく文乃の声は震え、顔は青ざめている。
胸の勾玉が冷たく脈打ち、悠真から聞かされた話が脳裏に蘇る。
闇の勢力が銀山を掘り起こし、魑魅魍魎を復活させようとしているという言葉。
まさか、小林がその闇に飲み込まれたのだろうか。
外の罵声はどんどんひどくなる一方だ。
「出てこい、疫病神!」
「鬼の女め、町から出て行け!」
「如月家の呪いが町を滅ぼすんだ!」
瑠璃の胸に、彩花の罵声がのしかかる。
『あんたこそ、正真正銘の疫病神じゃないの?』
その言葉が、今、町全体の声と重なって追い詰めてくる。
しかし、瑠璃はこみ上げてくる涙を必死になってこらえた。
――違う、そうじゃない。
私は疫病神なんかじゃない。
泣いたら駄目。
泣いたらそれを認めてしまう。
負けたらいけないんだ。
誰にも理解されなくても、悪者にされようとも、私は私の役割を果たす。
「瑠璃ちゃん、裏口から逃げなさい!」
文乃が瑠璃の肩を強く掴み、店の奥へと押しやる。
一瞬ためらうと、文乃が両手で瑠璃の手を強く握った。
「いいから、行きなさい。私はあなたの味方だから。ガラスなんか、入れ替えてもらえばいいのよ。あなたには帰ってくる場所があるってことを忘れないでね」
文乃の強い眼差しに、瑠璃はこらえていた涙が溢れそうになる。
今までの恩、彼女の優しさ、月光堂の温もりが、こんな形で壊されてしまうなんて。
だが、瑠璃は唇を噛み、文乃の手を握り返した。
「必ず帰ってきますから」
裏口の戸を開けると、瑠璃は振り返らず、夕暮れ時の路地を駆け出した。
町の人々の怒号が遠ざかっていく。
瑠璃の心は、ただ一つの場所へと向かっていた。
月影山の奥社、悠真が待つ神聖な場所。
――悠真さん。
力を貸してください。
私は光になりますから。
もう迷いはなかった。
小林を助け、この町も守る。
自分の光を信じる――その覚悟が瑠璃を突き動かしていた。
森の入り口まで来ると、目の前にふわりと一つ白い光がともった。
――ようこそ、お待ちしておりました。
梟が肩に止まって闇を照らす。
瑠璃は勾玉を握りしめ、奥社への石段を登り始めた。




