(3-3)
◇
日が暮れて店を閉めた月光堂の奥で文乃に付き添われながら、瑠璃は光の衣装に着替えることにした。
昼間この衣装を着て外に出れば、注目を浴びてしまい、どんな誤解を招くか分からない。
だから、暗くなってから人目を避けて悠真に会いに行こうと考えたのだった。
奥社への道は暗いが、この衣装があれば無事にたどり着けるような予感があった。
「私がついてるから」
文乃に励まされ、羽織ってみる。
軽くなめらかな生地がふわりと体を包み込み、さっそく浮遊感にとらわれたかと思うと、勾玉が光を放ち、鼓動と共鳴を始める。
「こんなことってあるのねえ」
瑠璃の背中に手を回しながら文乃は不思議な現象を眺めている。
――そなたは闇を照らす光。
あの声だ。
その声に耳を澄ますと、次第に視界がぼやけていき、ほんのりと体が熱を帯び始める。
また同じだ。
自らが放つ光で自分自身を焼き尽くす悪夢。
それに重ねて恐ろしい鬼の面が迫ってくる。
「大丈夫、顔色が悪いわよ」
――ハッ!
文乃の声で意識を取り戻す。
「めまいが……」
膝から崩れそうになる瑠璃を文乃が抱き留める。
「しっかり。ちゃんと私が支えてるからね」
「ありがとうございます」
瑠璃はかろうじて踏みとどまると、ゆっくりと深く息を吸った。
いったん息を止め、鼓動を意識する。
駆け足だった脈が落ち着きを取り戻したところで、ゆっくりと息を吐く。
めまいが消えて、体の火照りも収まっていく。
「瑠璃ちゃん?」
心配そうに顔をのぞき込む文乃の手を握り、瑠璃は笑みを返した。
「落ち着きました。もう大丈夫です」
「よかった。心配したわよ。どこかに行っちゃったような目をしてたから」
「そうだったんですか?」
声が聞こえたときだろうか。
現実と幻想の境界が曖昧になって悪夢を見たせいかもしれない。
だが、それを乗り越えた今、着物は体になじみ、浮遊感も子供の頃に野原を駆け回ったような心弾む感覚になっていた。
何よりも、力がわいてくる。
山の一つや二つ軽く踏み越えていけそうな気がする。
準備を整えた瑠璃は朗らかに頭を下げた。
「文乃さん、行ってきます」
「行ってらっしゃい」と、文乃がガラス扉を開けてくれる。「いい、忘れちゃだめよ。ちゃんと帰ってくる場所があるってことをね」
「はい。必ず帰ってきますから」
闇に飲み込まれる不安はない。
人通りも少なくなった目抜き通りを外れて、瑠璃は奥社へ続く山道の入り口に急いだ。
光の衣は勾玉と呼応しながら淡い光を放ち、足下もはっきりと見える。
山道に入ると、森の奥から梟の鳴き声が聞こえてきた。
ホウ、ホホウ……ホウホウ。
ホホウ、ホウ……。
鳴き声が重なっていき、近づいてくる。
この前のような恐れはまったく感じない。
闇の中から白い光の球が現れ、山道を示すように整列を始める。
それは梟の群れだった。
宙を漂う白い光に瑠璃は声をかけた。
「こんばんは」
すると、白い球がはにかむように翼を広げ、光が広がる。
「道を照らしてくれてありがとう」
次の光に話しかけると、うなずくように上下に揺れて、思わず笑みがこぼれる。
「優しいのね、あなたたち」
照れているのか、闇の中で舞踏会でも行われているかのように居並ぶ白い球が一斉にくるりと回り出す。
そんな梟の群れも、昨夜の危機では、白い刃となって黒い霧を切り裂いてくれたのだ。
強い味方に見守られている安心感で、瑠璃の足取りは軽かった。
森の木々に頭を覆われた山道の先に、ふだんは誰も立ち入らない奥社への石段が現れた。
冷たい風が頬を撫で、森の木々がざわめく。
振り向くと、さっきまで並んでいた白い光の球が消えている。
それでも、光の衣が放つ自らの輝きで石段ははっきりと見える。
瑠璃はためらうことなく、苔むした石灯籠が並ぶ石段を登り始めた。
上がるにつれて鈴が澄んだ音を響かせ、勾玉が脈打ち、灯籠に一つ、また一つと明かりが灯っていく。
月影山の闇が一層深まっていくが、頂上へ導く光のおかげで瑠璃の心は星空の静けさに似た安らぎに満ちていた。
「瑠璃」
低く響く声に、瑠璃はハッと顔を上げる。
石段の頂点、奥社の鳥居の下に、黒い三つ揃いのスーツに身を包んだ長身の男の姿があった。
背後に炎の角が揺らめき、深淵のような瞳が瑠璃を見つめる。
その瞳には池に映る月のような柔らかな輝きが宿っていた。
「よく来てくれた」
「悠真さん……」
瑠璃の声は震え、勾玉が白く瞬く。
悠真は一歩踏み出し、瑠璃の手を取った。
その手は冷たく、だが芯は熱を帯び、そのぬくもりが瑠璃の心を静かに解きほぐす。
「俺の手が冷たいのは氷血を受け継いでいるからだ」
氷の血……?
「そしてそなたは月下の血を受け継ぐ光の化身。二人は一つ」
瑠璃は彼の手を握り返し、胸の鼓動が勾玉と共鳴するのを感じた。
「俺を呼び起こし、そして俺が待っていたのは、そなたなのだ」
瑠璃の視界が白く霞む。
あの浮遊感にとらわれるが、悠真の手に支えられ、不安は感じない。
むしろ、天空を悠然と舞う鷲のような万能感がみなぎってくる。
気がつけば、瑠璃は月影山を見下ろす空中に浮かんでいた。
眼下には、太古の月影町が広がり、瑠璃は神話の主人公となってその光景に溶け込んでいた。
太陽の兄弟だった月神がこの世に舞い降りたときに怪我をし、流れ出た血から魑魅魍魎が生まれ、鬼の一族に率いられ、闇を支配する。
血を失い弱った月神は氷の血を持つ娘から血を分け与えられ、光を取り戻す。
光の槍を手に闇を氷結させ魑魅魍魎を粉砕し、銀の鉱脈に封じる。
「我が血は、闇を清める氷血。そなたに、闇を照らす光を託す」
月神は娘に勾玉を託し、天へと帰っていった。
夜を照らす月の光が冷たいのは氷の血と入れ替わったからなのだ。
「ここまではそなたも知っているであろう」
傍らに浮かぶ悠真に、瑠璃はうなずいた。
「はい。でも、たしかまだ続きがありましたよね」
「それが我が鬼の一族の神話だ」
月影大社の由緒によれば、光の槍から逃れ闇に逃げ込んだ鬼の一族が復讐をたくらみ、森に娘をさらったことになっている。
怒った月神が氷血と光の魂で協力し合い、鬼を成敗したというのだ。
だが、瑠璃が目にしている神話は違っていた。
鬼は娘に惚れ、自分たちの住む森へ連れていったのだ。
そこで契りを交わし合って生まれたのが鬼の子孫だった。
月神は二人の愛を認め、その子を月神を守護する鬼士に命じて闇の世界を任せることにした。
こうして鬼も闇も月影山の奥に封印され、いつしか神話は風化し、町は長らく平和が保たれてきたのだった。
「つまり我々は闇の一族であると同時に、月神の守護でもある」
「だから、黒い霧の勢力から裏切り者と言われていたんですね」
そういうことだ、と悠真はうなずいた。
「今になって闇の勢力は封印された銀山を採掘して魑魅魍魎を復活させ、町を黒い霧で覆い始めたのだ」
瑠璃は息をのんだ。
知らないところで、そんな危機が迫っていたなんて。
「闇の勢力は町を守ってきたそなたの家族を陥れ、力を蓄え始めた。それがまもなく目的を遂げる段階まで来ている」
夜空に浮いていた二人は静かに森に降りてきて、月影山の頂上に立った。
そこは奥社の神域で、古い祠に丸鏡が安置されている。
「鬼の力には弱点がある」と、悠真は手を引いて祠の前に瑠璃をつれていく。「月は自らの光を持たない鏡に過ぎない。そこに映る光によって善にも悪にもなる。善なる力を使いすぎると、悪の闇へと引っ張られてしまう。光が強いほど影は濃くなるように、鬼の力の発現は破滅的な反動を招くのだ」
「では、いったい……」
「そこでそなたの力が必要なのだ。月神の氷血と月下の血が交わるとき、闇を打ち破る光の魂が解き放たれる」
「私にそんな力など、あるのでしょうか」
不安で手に力を込めた瑠璃に、悠真は涼やかな目で微笑みかける。
「瑠璃、そなたは無力ではない」
「でも……」
「今まで、そう思わされてきただけだ」
貧しい家庭、継母と義妹の虐待、自尊心を削られる毎日。
「そなたの母が産後になくなってしまったことで、勾玉の伝承が途切れてしまった。そこに闇の勢力がつけ込む隙があったのだ。だが、もうおびえる必要はない。俺がそばにいるのだから」
悠真が手を重ねると、勾玉が白い光を放ち、氷の結晶が瑠璃の周囲を舞う。
髪に霜の花が咲き、光の衣が天の川のようにきらめく。
「神聖な花嫁衣装。そなたこそ、この衣装にふさわしい」
神話で森へ連れ去られたと思われた娘と鬼は本当は愛し合っていた。
そして、今夜、それは神話ではなく再び愛の物語として紡がれる。
白い光の球となった梟の群れが天から舞い降り、瑠璃の頭にかぶさる。
白無垢と綿帽子の花嫁衣装だ。
「梟は我が鬼の一族の眷属。皆がそなたを歓迎している」
祠の丸鏡が光を放ち、吸い寄せるように二人を招く。
それは瑠璃の勾玉と衣装が放つ輝きを反射して惹かれ合っているのだった。
「行こう。今宵は神聖な一夜となるだろう」
悠真に手を引かれ、瑠璃は光の花道へと足を踏み入れた。
正面の丸鏡に瑠璃の白無垢と悠真の黒いスーツが映る。
勾玉が光を放ち、衣装に織り込まれた銀糸が天の川のように輝く。
瑠璃の心にもはや恐怖や不安はなく、未知の運命への期待で胸が高鳴っていた。
鏡面に波紋が浮かび、二人は光の中へと引き込まれていた。
梟の群れは白い光の球となって宙を舞い、瑠璃と悠真を取り巻くように円を描く。
その光は祝福の歌を奏でるかのように、かすかな鈴の音と共鳴していた。
悠真が瑠璃と向かい合い、あらためて手を重ねる。
「瑠璃、そなたは美しい」
悠真の声は低く、しかし優しく耳をくすぐる。
瑠璃は彼の深淵のような瞳を見つめ返す。
そこには、鬼の怒りと孤独が宿りながらも、愛する女を求める熱い光が揺らめいていた。
「今宵、そなたと我は月下の誓いを交わす。光と闇、氷血と月下の血が一つになる神聖な儀式だ」
「はい」
瑠璃の返事は震えていたが、それはおびえからではなく、神に選ばれた運命に対する緊張からであった。
「月神の前で、そなたに誓う」と悠真は静かに口を開いた。「我が氷血は、そなたの光を映す鏡となる。闇に飲まれようとも、そなたの輝きを守り抜く。そなたは我が魂の半身、月下の花嫁だ」
瑠璃の心臓が激しく鼓動し、勾玉の光が彼女の意識を優しく包み込む。
遠い神話の記憶が呼び起こされるかのように、体の奥から力が湧き上がる。
彼女は目を閉じ、深く息を吸った。
「私も誓います」と、瑠璃は声を絞り出す。「私はあなたの光になります。どんな闇が迫ろうとも、悠真さんと共に、この町を守ります。勾玉の光を受け継ぐ者として、あなたのそばにいます」
その言葉を合図に、二人をまばゆい光が包み込み、瑠璃は思わず悠真の胸に飛び込み目を閉じた。
彼の熱い鼓動を感じながらどれくらいの時がたっただろうか。
「瑠璃、目を開けて」
「あっ」
いつのまにか二人は祠の前に戻っていた。
次の瞬間、祠の周囲に白銀の光柱が立ち上り、森に隠れていた梟の群れが一斉に翼を広げ、二人を祝福するかのように、光の粒が夜空に舞い上がる。
風が鈴を鳴らし神聖な調べを奏でる。
悠真は瑠璃に顔を近づけ、頬をそっと触れ合わせた。
「そなたの光は、俺の闇を清める。そなたがそばにいる限り、俺は鬼の呪縛に飲まれることはない」
「悠真さん、私はここにいます」
瑠璃は悠真の胸にそっと寄り添う。
彼女の白無垢と彼の黒いスーツは光と闇が溶け合うように寄り添い、二人の周囲を梟の群れが最後の祝福として純白の翼を広げ、夜空に無数の光の尾を引いて消えていく。
孤独だったお互いの魂が融合した儀式が終わると、瑠璃の体は軽やかで、まるで新しい自分に生まれ変わったかのようだった。
悠真は彼女の手を引き、奥社の鳥居の下で夜空を見上げた。
「これから、闇の勢力との戦いが待っている。だが、そなたがそばにいれば、俺は恐れることはない」
瑠璃はうなずき、胸の勾玉をそっと握りしめる。
「私も、悠真さんと一緒なら、どんな闇も怖くありません。この町を守るために、私の光を使います」
「闇の謀略が暴かれれば、そなたの家族の名誉も回復されるだろう」
月影山の頂に立つ二人の背後で、細い月が静かに輝いていた。
光と闇の誓いが交わされた今宵、瑠璃は自分の運命を受け入れ、悠真と共に新たな一歩を踏み出していた。




