(3-2)
◇
月影町は祭りの二日目で、今朝も早くから笛や太鼓の音が聞こえてくる。
朝食を片付けて月光堂に行くと、文乃はちょうど出窓のカーテンを開けたところで、中から手を振ってくれた。
「おはようございます」
「瑠璃ちゃん、昨日は大変だったんでしょう。無事に帰ってきてくれて良かったわ」
店の奥から出してきた着物をテーブルの上に置いて、文乃はそれを丁寧に撫でた。
「これ、小林さんから預かってたわよ」
「ありがとうございます」
「昨日は妹さんが着て大変なことが起きたんでしょう?」
小林から神楽殿の出来事を聞いたらしく、文乃は心配そうに瑠璃の肩に手を置く。
「神聖な物を粗末に扱うと報いを受けることになる。この町に暮らしている人なら、分かりそうなものなのにね」
神楽殿で彩花に助けを求められたとき、ほんの一瞬でも反省したのかと思ったのに、あっさりと手のひらを返したあの態度にはあきれるしかない。
だが、もう一度同じことが起きたら、また自分は助けようとしてしまうだろう。
そんな自分の甘さも乗り越えていかなければならないのかもしれない。
いつもならため息をついてしまうところだが、瑠璃は胸の勾玉を握りしめて顔を上げた。
文乃も、そんな瑠璃の目をのぞき込んで微笑む。
「この衣装は瑠璃ちゃんのために誂えられた物なんだから、大切にしなくちゃね」
「はい」
「瑠璃ちゃんはやっぱり如月の旦那に似てるのかも」
「父と……ですか?」
「この町のために自分を犠牲にする人。この町の光みたいな人」
――この町の光。
それは悠真の言葉――瑠璃は俺の光だ――と重なっていた。
「でも、小林さんが言うには、町の人は私を疫病神だと思ってるって」
「まあ、そんなこと言ってたの」と、文乃は口をとがらせた。「まったくあの新米記者、今度来たら叩き出してやるわよ」
「昨日の出来事で鬼と関係があると思われても仕方がないので」
「私にはよく分からないけど」と、文乃は腕組みをしながら続けた。「神聖な着物を穢したから神罰が下ったんでしょう。だったら、それは鬼じゃなくて、神様がなさったことよね」
――そうだ。
黒い霧の軍団と戦う悠真は決して悪い鬼ではないはずだ。
「本当は、小林さんが、そういう記事を書けばいいのよね。でも、あの人じゃ、期待できないか。帝都の大学なんか出ると、頭でっかちで神話なんか信じないでしょうし」
笑い事ではないが、文乃のあきれ顔に、つい口元が緩んでしまう。
小林から聞いた催眠術の話をすると、文乃はしきりにうなずきながら聞いていた。
「そういう考え方もあるでしょうね。でも、もっと単純でもいいんじゃないのかな。この町では神話と現実は一つになっている。ここはそういう場所なの」
文乃も帝都で学んだ知識人だ。
それでも、この町で暮らし、感じることがあったのだろう。
この町で生まれ育ち、この町に尽くした親に育てられ、そして、不思議な光を放つ勾玉を受け継いだ瑠璃にとって、その考えは日が昇って沈み、潮が満ちては引くのと同じくらい肌になじむものだった。
「文乃さん、お願いがあるんですけども」
はっきりとした口調でそう言うと、瑠璃はまっすぐに文乃を見つめた。
初めて見せる瑠璃の瞳の輝きにたじろぎながらも、文乃はうなずいた。
「何、なんでも言って」
「この衣装を着るときに、そばにいてほしいんです」
「もちろんいいけど、どうして?」
「この衣装、不思議な力があるみたいで、着ると自分が自分でなくなってしまうんです」
「気を失っちゃうとか?」
「ええ、それに、空を飛んでいるというか、体の奥が破裂するみたいな」
「分かった。瑠璃ちゃんが耐えられなくなったら、支えてあげる」
「ありがとうございます」
いつも引っ込み思案だった瑠璃がはっきりと頼ってきたことがうれしいのか、文乃は朗らかに手をたたいて、瑠璃に前掛けを渡した。
「さて、じゃあ、お店を開けましょうか」
「はい」と、瑠璃も笑みを浮かべる。「私、表の掃き掃除してきますね」
「お願いね。お祭りでいろいろ落ちてるから」
――なんだか急に頼もしくなったわね。
掃除の支度を調え、ガラス戸を開けて出て行く瑠璃の背中を、文乃は帝都に出ようと汽車に飛び乗った娘時代の自分と重ね合わせていた。




