第4話 : 唐揚げ定食
日が昇り、間もなく訪れる昼時に向け、あばら屋の厨房では哲が使い古しの牛刀を手に黙々とまな板に向き合っていた。
トントントン、と心地よいよい音が店内に心地よく響く。
この世界で手に入れた生姜に似た薬味根『ジル生姜』と、ニンニクによく似た強烈な芳香を放つ球根『ガルニ』。すりおろされたふたつの薬味が混ざり合い、ツンと鼻腔をくすぐる鮮烈な香りがふわりと立ち上った。
「……あんなに必死になって平らげていったんだ。今日も顔を出してくれりゃいいがな」
昨日の昼、高慢な物言いのくせに最後は夢中で茶碗を空にし、「新しい料理を食べに来る」と言い残していったあの風変わりな客を思い出し、哲はふっと口元を緩めた。
昨日の生姜焼きで確かな手応えは掴んだ。だが、これで満足するつもりはない。生姜焼きはほんの始まりだ。この世界の粗削りな食材を相手に、これから幾つもの美味い料理を作り続けてこそ料理人だろう。
たくさんの人に食べてもらいたい。どんな食材であっても、美味しく仕上げてみせる。
持てる技術をすべて注ぎ込み、この世界の常識を変えてやる――。
決意を新たに、哲はコカトリスの大きな胸肉の塊をまな板の上にドンと据えた。
この世界の市場に出回るのは、硬くて獣臭い魔物の肉ばかりだ。そのまま焼くだけではパサついて臭みも残る厄介な代物だが、下処理で肉質をほぐし、薬味の効いた下味を深く染み込ませて油で一気に揚げれば化ける。
「……よし、仕込むか」
哲は牛刀の背を使い、格子状にリズミカルに叩いて肉の繊維をほぐしていく。十分に柔らかくなったところで、一口大のゴロゴロとした大きさに切り分けた。
ボウルに入れた肉に、すりおろした大量のジル生姜とガルニ、香ばしい醤油、そして隠し味として、単体では苦いが肉の臭み消しに重宝する黄色いスパイス『ターマ粉』を惜しみなく揉み込む。強烈な獣臭さを完全に消し去り、旨味だけを内部に閉じ込めるための、料理人の執念がこもった仕込みだ。
タレを吸い込んで飴色に染まった肉の塊に、さらに小麦粉と片栗粉を絶妙な比率で合わせ、表面に薄くまとわせる。油に入れた時に衣が剥がれず、カリッとした歯ざわりを生み出すための大切な工程だ。
ふう、と額の汗を拭いながら、哲はかまどの脇に置いた鉄鍋にたっぷりと澄んだ油を注ぎ、じっくりと火を入れていく。
看板すらない湿気たあばら屋だが、確実に何かが変わり始めていた。
◇
その頃、帝都のギルドの片隅――。
「お前ら、ちょっとこっち来いよ!」
昨日、哲の店で生姜焼き定食を文字通り「体験」してきた冒険者の男が、仲間たちを捕まえて興奮した面持ちで捲し立てていた。
「なんだよ、朝っぱらから大声出しやがって」
「いいから聞いてくれ! 俺は昨日、北端にあるボロっちいあばら屋の店に入ったんだ。そこで出された『生姜焼き』って料理が……もう、頭がおかしくなるほど美味かったんだよ!」
「は? あの辺りに店なんてあったか?」
「そうだよ、あんな寂れたとこで食えるもんといえば、硬い干し肉のクズくらいだろ。お前、騙されてんじゃねぇのか?」
「それがだな、ひと口食った瞬間に肉の概念が変わるんだって! 旨味が暴れ出すというか、あれはもう人間業とは思えねぇ奇跡のメシだったんだよ! おい、信じねぇなら今から行ってみろってマジで!」
あまりの熱量に、周囲にいた他の冒険者たちも「そこまで言うか?」「怪しいけど、どんなもんかちょっと気にはなるな……」と顔を見合わせる。
そして、お昼時。
今まで誰も寄り付かなかったはずの湿気た路地裏に、その男の熱弁に当てられた仲間や、好奇心を抑えきれなくなった数人の冒険者たちが、半信半疑の足取りでやってきていた。
「おい、着いたぞ! ここが昨日言ってた店だ!」
先頭に立って暖簾をくぐったのは、昨日の男だった。後ろには噂を聞きつけてやってきた屈強な連中がズラリと続いている。
「おいおい、本当にここであってるのか……?」
「本当に美味いもんが出てくるんだろうな?」
戸惑いながら見回す男たちを前に、哲はカラリと笑って迎えた。
「おっ、昨日のあんたか! ……しかも、なんだか仲間をいっぱい連れてきてくれたじゃねぇか」
「へへっ、店主! 昨日の美味さが頭から離れなくってよ、仲間に自慢したら全員で押し掛けちまったってわけだ!」
「そいつはありがたい。いいところに来てくれたな。ちょうど今、新しい料理を用意してるところだ。食っていくか?」
――新しい料理。聞いたこともないその響きに、店内の男たちが固唾をのむ。
「新しいって……昨日とは違うのか? 一体どんな美味いもんが出るんだよ」
「ああ。コカトリスの肉を使った『唐揚げ定食』って揚げ物だ。待ってな、すぐ揚がるからよ」
あっという間に手製のカウンター席が埋まり、店内は男たちの緊張と期待感が入り混じった空気に包まれる。
哲はタレをしっかり吸い込んだ肉のボウルに、小麦粉と片栗粉を絶妙な比率で合わせた粉をサッとまぶした。表面に薄く粉をまとわせることで、肉汁を閉じ込め、カリッとした歯ざわりを生み出すのだ。
鉄鍋にたっぷりと注いだ油はパチパチと小さな気泡を立て、ちょうどいい熱を帯びている。
準備の整った肉の塊を、次々と油の中へ滑り込ませていく。
じゅわああああっ!
激しい揚げ音が店全体に響き渡り、直後にガルニと醤油の爆発的な芳香が、煙突から路地裏へと一気に吹き出した。
「なっ……んだこの匂いは……っ!」
「たまらん……さっきから胃袋が勝手に暴れやがる……!」
外にまで漂い出たあまりに兇悪な旨味の暴力に、男たちの喉がゴクリと鳴る。
肉が揚がる心地よい音を響かせながら、哲は無駄のない手際でカウンターへ木のお盆を並べていく。山盛りの千切りキャベリを添えた皿、湯気を上げる熱々のスープ、箸休めの小鉢、そして丼にこれでもかと盛られた炊きたての白飯。
準備万端でメインの唐揚げの引き上げを待つ中、哲は鉄鍋の様子を気にしつつ、ふと外の通りへ目をやった。
(……あのお客さん、今日も真っ先に来るって言ってたはずだが)
開店と同時に一番乗りしてくるはずだった、昨日のあの客の姿がまだ見当たらない。これだけ屈強な男たちに囲まれていては、気圧されて引き返してしまったのではないか――そう懸念した、その時だった。
「そこ、退きなさいっ!」
凛とした、しかしどこか必死さを隠し切れない声が路地裏に響き渡った。
物珍しそうに群がる冒険者たちを、小柄な身体でなりふり構わずかき分け、彼女が怒涛の勢いで暖簾をバサッと跳ね飛ばして店内に飛び込んできたのだった。




