第25話 【影契】
王都イスニアの夜の静けさの中、銀髪のポニーテールを揺らすカイは、ひとり屋敷の屋上で冷ややかな夜風に当たっていた。
彼女の【探索】の視界には、数日前からオメガ商会の敷地周辺を密かに徘徊する不審な影が捉えられていた。
相手は気配を完全に殺し、夜闇に溶け込む極めて高度な【隠密】の技術を持っている。
だが、探索士として領域を支配するカイの網をすり抜けることは不可能だった。
カイは屋根の縁に立ち、静かに夜闇を見下ろした。
(気配の殺し方は一級品。ですが……私から逃げ切れると思ったら大間違いですよ)
カイはフッと姿を消し、【転移】で影の真後へと出現した。
「そろそろ尾行ごっこはおしまいにしましょうか」
「ッ!?」
耳元で囁かれた冷徹な声に、影――ヒューの全身の毛髪が跳ね上がった。
即座に振り返りざま、手に握った鋭い短剣でカイの喉元を正確に薙ぎ払う。
しかし、カイは微動だにせず小太刀の柄でその一撃を弾き返した。
硬質な金属音が夜の静寂に響く。
月光の下に浮かび上がったのは、白髪に黒のアッシュが入ったショートカットの少女だった。
鋭い眼光、しなやかで目を奪われるほど抜群のプロポーション、そして獣人族豹科特有のしなやかな身のこなし。
彼女こそ、他国の勢力からオメガファミリアの動向を探るために送り込まれた潜入員だった。
「ほう……あたしの気配を完璧に見破って、後ろを取るなんてね。大したもんだよ、姉さん」
ヒューは不敵にニヤリと八重歯を覗かせると、獣特有のバネを活かして低く沈み込み、瞬時に間合いを詰めた。
(速い……! だけど、このお堅いお姉さんを仕留めなきゃあたしの未来はない!)
ヒューは持てる暗殺術の全てを解放し、目にも留まらぬ連続斬撃を繰り出した。
左右からの交差斬り、足元を狙う滑り込みからの切り上げ、そして目くらましの投げナイフ。
暗殺と諜報に特化した圧倒的な手数とスピードは、通常の戦闘員であれば一瞬で肉塊に変えるほど洗練されていた。
しかし、カイの表情には微小な揺らぎすら浮かばない。
ヒューの筋肉の動きと視線を予知し、完璧な無駄のない最小限の動作で全ての刃を捌いていく。
刃と刃がぶつかり合い、夜空に火花が散る。
「くっ……なんなのよこの人、全部読まれてる……!?」
焦りを募らせたヒューが勝負を賭けて大きく踏み込んだ瞬間、カイの瞳が静かに光った。
「動きに無駄が多いですね。……能力測定は終わりました」
カイは間合いを一気に制すると、ヒューの短剣を小太刀で上方へ弾き飛ばし、そのまま体術で彼女の手首を捻り上げて背後に組み伏せた。
冷たい小太刀の刃が、ヒューの首筋にピタリと押し当てられる。
「ッあ……う……っ!」
「動きを止めなさい。これ以上暴れるなら、容赦はしません」
冷徹だが透き通ったカイの声。
ヒューは天を仰ぎ、はぁはぁと荒い息を吐きながら降参するように身体の力を抜いた。
「ちっ……手も足も出ないなんてね。参ったよ……強いね、お姉さん」
ヒューは苦笑いを浮かべ、参謀カイの圧倒的な実力と圧倒的な手腕の前に捕縛されたのだった。
屋敷の取り調べ室。
手枷をはめられ、拘束された少女の前に、カイは静かに一本の書類を広げた。
「あなたの名前はヒュー。年齢は十六歳。出身はハイエス共和国の都市エルシード……違いますか?」
カイの【鑑定】と緻密な情報網の前に、ヒューは驚きで目を丸くした。
「へえ、あたしの身元まで一瞬で調べ上げたわけ? 恐ろしいお姉さんだね」
ヒューは悪びれる様子もなく、椅子に深く背をもたれかけながら軽薄な調子で言った。
性格は極めて大雑把で奔放、几帳面で理知的なカイとは完全に正反対だった。
「あなたがどこの勢力に雇われ、何を狙っていたかは概ね把握しています。ですが……なぜハイエス共和国の裏の組織から抜けて、このような捨て身の依頼を受けたのですか?」
カイの問いに、ヒューはふっと不敵な笑みを消し、自嘲気味に肩をすくめた。
「ハイエスの闇組織なんて、人間を道具みたいに使い捨てるだけの腐った場所さ。あたしはあそこを抜け出したが、追手から逃げるための金も立場もなかった。だから一発逆転を狙って、オメガ商会を探る高額な依頼を受けたのさ。……けど、見事に返り討ちってわけ」
ヒューは溜め息をつき、投げやりに吐き捨てた。
「さあ、用が済んだなら殺すなりなんなり好きにしなよ。命乞いなんてガラじゃないんでね」
だが、カイは命を差し出すヒューを前にしても顔色ひとつ変えず、手元にあるヒューの身体能力データと暗殺の手順が記された羊皮紙へ静かに視線を落とした。
「……あなたの暗殺術と潜入能力、そして先ほどの戦闘で見せた判断力。独学や生半可な訓練で身につくレベルではありませんね。死線を超えてきた者だけが持つ鋭さです」
「……は? なにを買いかぶってんのさ。あたしは負けたんだよ? あんたに手も足も出ずにね」
「私が特殊なだけです」
カイは淡々と言い放ち、取り調べ室の椅子から立ち上がった。
ヒューの前までゆっくりと歩み寄ると、手枷につながれた彼女の前に視線を合わせるようにかがみ込む。
「私は【探索】や【鑑定】、情報分析によって物事を把握することに長けています。しかし、表に出て動けない場面……たとえば、裏社会の深層への潜行や、泥に塗れるような極秘の暗殺・防衛任務において、私自身の能力だけでは限界があるのも事実です。私には、私の目となり手足となって影を動かせる『有能な右腕』が必要なのです」
ヒューは目を丸くし、目の前のお堅い参謀の顔見つめた。
「ちょっと待ちなよ……それって、あたしを買ってるってこと?」
「ええ。命を捨てる覚悟で引き受けた一発逆転の依頼……その度胸と執念、そして裏社会で生き抜いてきた技術。どれも使い捨てにするにはあまりにも惜しい価値があります」
カイは冷徹な眼差しの中に、確かな熱を宿らせて告げた。
「ヒュー。私の従者になりなさい。あなたの刃と技術を私のために振るうと誓うなら、あなたが抱えるハイエスの闇組織も追手も、私がオメガファミリアの全情報網と力を使って完全に叩き潰し、揉み消してあげます。あなたは二度と追われる恐怖に怯えることなく、本当の自由と誇りを得ることができる」
命を諦めていたヒューの胸に、カイの言葉が激しく突き刺さった。
敵であった自分を処分するどころか、その能力を正当に評価し、過去の呪縛ごと引き受けると断言してみせたのだ。
「……ハッ、参ったな。お堅い顔して、言うことはめちゃくちゃ豪快で格好いいじゃないか」
ヒューは観念したように笑みを浮かべ、くつくつと喉を鳴らした。
「いいよ。その提案、乗った! あたしを道具じゃなく、一人の人間として買ってくれたんだ……今日からあたしの刃も命も、全部あんた……カイの姉さんに預けるよ!」
その夜遅く。カイはヒューを連れて、私の執務室へとやってきた。
「アルファ様。潜入者の取り調べが完了いたしました。彼女の持つ能力と背景を考慮し、私の直属の従者として登用したく存じます」
カイの報告を受け、私はヒューへと視線を向けた。
ヒューは緊張した様子もなく、しなやかな体躯を揺らしながら不敵に微笑んでいる。
「ハイエス共和国エルシード出身のヒューです、アルファ様。姉さんに命を拾われました。あたしの諜報と暗殺の腕、ファミリアのために好きに使ってください」
「いい目ですね、ヒュー。カイが認めた人材であれば、私から言うことは何もありません。歓迎しますよ、オメガファミリアへ」
私が穏やかに微笑んで頷くと、ヒューは少し意外そうに目を丸くしたあと、嬉しそうにニッと八重歯を見せた。
「カイ、素晴らしい従者を得たね。今後の諜報網の拡張はあなたたち二人に任せるよ」
「はい、アルファ様。ご期待に添えるよう、完璧に任務を遂行いたします」
カイが整った礼を執る横で、ヒューはカイの肩に馴々しく腕を回した。
「よろしくね、姉さん! あたしたち、最高のコンビになれそうじゃない?」
「……馴々しく抱きつかないでください。それと、公の場では『姉さん』ではなく『カイ様』とお呼びなさい」
「えー、いいじゃない固いこと言わずにさー!」
正反対な二人のやり取りに、私は静かに微笑んだ。
そして後日、ヒューに対し【基本能力向上】の加護を発動しAランク相当まで引き上げ、諜報活動に必要な加護を与えていった。
こうして参謀カイの足回りとなる最強の影、ヒューがオメガファミリアに加わったのだった。




