第9話 青いリボン
「というわけで! 今日は、あたしの買い物に付き合うこと! これは、受付命令です!」
休養日の朝、素振りを終えた俺を待ち構えていたリゼが、腰に手を当てて、宣言した。
「受付に、そんな権限はない」
「じゃあ、護衛の予行演習! 来月から、隣町まで送ってくれるんでしょ? 人混みでの練習! ね!」
理屈は通っていた。人混みでの、護衛対象の追跡と、周辺警戒は、確かに、予行の価値がある。俺は頷いた。リゼは「よしっ」と、小さく拳を握った。今の理屈が後付けであることは、拳の握り方で分かったが、指摘する理由もない。
*
市場通りは、休養日の人出で、混み合っていた。
リゼは、布屋で端切れを吟味し、金物屋で鍋を眺め、香辛料の露店で、店主と値切り合戦を繰り広げた。俺は、その半歩後ろで、周囲の導線と、人の流れを、観察し続けた。掏摸が二人、通りの奥にいたが、こちらの視線に気づくと、消えた。
「ん、レイン、これどう?」
「どう、とは」
「似合うかって、聞いてるの」
リゼが髪に当てているのは、白いリボンだった。彼女の定位置――亜麻色の髪のひとつ結びには、いつもの青ではなく。
「お前のは、青だろう」
「そうなんだけどね」
リゼは、白いリボンを戻し、自分の頭の、青いリボンの端を、指でそっとつまんだ。よく見れば、その布地は、あちこちが色褪せ、端が細かく、ほつれていた。
「これ、お母さんの形見なの。あたしが五つの時に、もらった」
「知らなかった」
「言ってないもん。……ね、変なこと言っていい? このリボン、着けてるとね、あたし、安心するの。着けてないと、なんだか――目の奥が、ざわざわする」
「目の奥」
「うん。うまく言えないんだけど。人混みとか、特に、着けてないと、疲れちゃうの。だから、ずっとこれ。でも、もう、ボロボロでしょ。だから、新しいのにした方がいいのかなって、最近、思ってて」
俺は、彼女のリボンを見た。色褪せた青。ただの古布に見える。だが「着けていないと、目の奥がざわつく」という証言は、装飾品の説明としては、妙だ。帳面に書くべき記録として、頭の隅に置いた。
「新調の必要はない。補修すればいい」
「補修?」
「布は縫える。ほつれは処置できる。形見の本体を、替える理由がない」
リゼは、目を丸くして、それから、じわじわと、耳まで赤くなった。
「……あんたさ、そういうこと、真顔で言うよね」
「事実を言った」
「そういうとこだぞって、言ってるの! もー!」
彼女は、俺の袖をぱしぱし叩き、それから、糸屋に駆け込んで、青い絹糸と、補修用の細い飾り紐を買った。同じ青の。
「はい、これでよし! レインが直してって言ったんだから、直ったら、ちゃんと見てよね」
「見る」
「即答……ふ、ふーん。そう。なら、いいけど」
リゼは、リボンの端を撫でながら、少しだけ、声を落とした。
「お母さんね、これをくれた時、変なこと言ったの。『あなたが、誰かを、本当に見つけたら、その時は、これを外していい』って」
「誰かを見つけたら、外していい」
「意味わかんないよね? 形見なのに、外していいって。……ま、あたしは、一生着けてるけどね!」
俺は、文言を正確に記録した。誰かを見つけたら、外していい。それは、装身具の話というより、何かの――解除条件の言い方に、聞こえた。
*
帰り道、夕暮れの橋の上で、リゼは、ふと立ち止まった。
「今日、楽しかった?」
「有意義だった。掏摸の索敵と、人流の中の護衛導線が、確認できた」
「……うん、まあ、あんたは、そう言うと思った」
リゼは笑って、それから、橋の欄干に頬杖をついて、俺を見上げた。夕陽で、彼女の輪郭が、金色に縁取られていた。
「じゃあ、質問を変えます。――また、来たい?」
俺は、答えようとして、止まった。
有意義かどうかなら、即答できた。損得なら、計算できる。だが「また来たいか」は、損得の問いでは、なかった。空洞のはずの場所に向かって、投げられた問いだった。
沈黙は、たぶん、十秒に満たなかったと思う。
「……また、来てもいい」
自分の声が、自分の知らない答えを、出した。
リゼは、夕陽よりも、明るく笑った。
「うん! 決まりね! 次の休みも、予行演習!」
帰ってから、俺は、帳面に、今日の記録をつけた。リボンの証言。母親の言葉。掏摸二名。そして最後に、少し迷ってから、一行、書き足した。
『「また来てもいい」と答えた。計算の過程が、自分で追えない。要観察』
観察対象が、他人ではなく、自分になったのは、この日が初めてだった。
(次話:夢に出てくる「白い部屋」。あの匂いは、どこの匂いだ。)




