第8話 買い取れない素材
角兎の駆除依頼の最中に、そいつは出た。
兎を追って、山の浅層に入った俺の前に現れたのは、一角狼。E級相当の魔物で、本来、この高さまで降りてくる種ではない。ガストンの言葉を思い出す。山の浅層に、何かが増えている。
狼は、俺と目が合った瞬間、怯んだ。ゴブリンと同じ反応だ。だが、飢えが恐怖に勝ったらしく、牙を剥いて跳んだ。
第三「払い流し」から、第七の変形。二合で終わった。
死体を検分して、俺は、手を止めた。
狼の左耳の裏。毛を掻き分けた皮膚に、焼印があった。
等間隔の直線と円弧。あの日、ヴォルフが焼き捨てた鎧熊の胸にあったものと、同じ紋様だった。
(変異はしていない。だが、印は同じ)
角と、印のある耳を切り取り、俺は、山を降りた。
*
「一角狼の角ね。買い取り金額は――」
受付の職員は、算盤を弾きかけて、俺が並べた、もう一方の素材で、手を止めた。耳の焼印を見た瞬間、その顔から、営業の柔らかさが消えた。
「……これは、買い取れません」
「傷物だからか」
「そうではなく」職員は、声を落とした。「王国の、回収対象です。この紋様のある魔物素材は、発見次第、全て、国が引き取る決まりで。……報奨金は出ます。ただし」
彼女は、帳場の下から、一枚の書式を出した。
「発見場所と状況を、記入していただきます。それと――このことは、口外なさらないように」
書式の上端には、ギルドのものではない紋章が、刷られていた。王家の獅子でもない。見たことのない、目を模した意匠だった。
「この紋章は、どこの部署だ」
「……存じません。私たちは、ただ、規定に従うだけですので」
職員の目が、泳いだ。嘘をつく時、人は、視線を右上へ逃がす。帳面に書いた記録の通りだった。彼女は、知らないのではない。知っているが、言えないのだ。
俺は、書式に事実だけを書き、報奨金を受け取った。買い取り相場の、三倍の額だった。口止め料の相場、として記録した。
*
ギルドを出たところで、足が止まった。
壁に、ヴォルフ=グランデールが、寄りかかっていた。
「……坊主。今の届け出、耳の焼印か」
「なぜ知っている」
「報奨金の額と、受付の顔でわかる」
剣聖は、壁から背を離し、俺の正面に立った。そして、何の前触れもなく――殺気を放った。
比喩ではない。物理的な圧として、大気が重くなった。通りの野良犬が悲鳴を上げて逃げ、離れた場所の酔漢が、理由も分からず尻餅をついた。並の冒険者なら、膝から崩れる、本物の殺気。
俺の心拍は、一つも、上がらなかった。
「……剣を抜く事案か、これは」
「いや。すまん、確かめただけだ」
殺気が、霧のように消えた。ヴォルフは、深く息を吐き、初めて見る、疲れたような顔をした。
「揺れんのだな、やっぱり。……坊主、忠告だ。ひとつめ、あの焼印を見ても、もう届け出るな。角だけ売れ。ふたつめ――」
剣聖は、俺の目を、まっすぐに指差した。
「その目を、あまり人前で晒すな。特に、王都から来る人間の前ではな」
「理由を聞いても」
「言えん。言えんが……」
ヴォルフは、一瞬、言葉を探すように黙った。
「昔、お前と同じ目をした連中を、何人か知ってた。ろくな死に方をしなかった。それだけの話だ」
また、その言葉だ。それだけの話、と人が言う時、それは、それだけでは済まない。
「あんたは、俺の何を知っている」
「何も知らんさ。知らんが――」
去り際、剣聖は、背中越しに言った。
「お前の朝の素振り、あれはいい。何があっても、やめるな。一日も欠かすなよ」
手記と、同じことを言われた。千回。欠かすな。理由は問うな。
偶然、という語で処理するには、引っかかりが多すぎた。俺は、帳面の新しい頁に、今日の記録を書いた。
『焼印の魔物(二例目)。目の紋章の書式。口止め料。ヴォルフの忠告、二件。手記との一致、一件』
書き終えて、頁を眺める。点がいくつも並んでいるのに、線にならない。情報が足りない。
(急ぐ理由はない。記録は、いつか必ず線になる)
十年の素振りが、俺に教えたのは、剣の振り方だけではない。積み上げたものは、ある日突然、形になるということだ。
その日が来るまで、俺は、淡々と積む。それだけの話だ。
(次話:リゼの青いリボンに隠された、母の言葉。)




