第7話 記録係
F級冒険者の仕事は、九割が雑用だ。
下水路の掃除。荷馬車の護衛補助。畑を荒らす角兎の駆除。迷子の猫探し。ギルドの依頼板の右下、誰も取りたがらない低報酬の紙切れを、俺は毎朝、端から順に、剥がしていった。
「なあ、あいつ、また下水路行ったぞ」「昨日は猫探しだろ。よくやるわ」
酒場の隅の声は、聞こえていたが、反応する理由がない。俺の目的は、金でも名声でもなく、依頼という形の、反復訓練だからだ。
下水路は、暗所での索敵と、足場の悪い場所での体捌きが積める。角兎は、動体視力の的として上等だ。猫探しは意外だったが、屋根伝いの移動と、気配の消し方が身についた。あの猫は、三日粘って、屋根裏で確保した。飼い主の老婦人は、泣いて礼を言い、俺は「猫は高所で音のしない場所を好む」という記録を、持ち帰った。
無駄な依頼は、ひとつもない。
*
変化があったのは、依頼を始めて、半月ほど経った頃だ。
「――よう、坊主。ちょっといいか」
酒場の主のような顔で、カウンターの端に居座っている、ガストンという古株のC級冒険者だった。昼から麦酒を舐めているが、ギルドで一番、依頼の目利きがうまいと、下働き仲間が言っていた。
「お前さん、下水路の三番坑道、先週も潜ったろ。あすこの水位、どうだった」
「先週より、指二本ぶん高い。壁の苔の色が変わる境目も、上がっていた」
「……ほう。雨も降ってねえのにか」
ガストンは、髭の奥で目を細め、懐から地図を出した。
「坊主、覚えとけ。水位ってのは、地下で何かが動いてる時に、変わる。魔物の巣が広がってるか、誰かが掘ってるか、だ。次に潜る時は、音を聞け」
「音。反響の間隔か」
「話が早えな」
それから、ガストンは、時々、俺に、依頼の裏側を教えるようになった。角兎が畑に出る年は、山の餌が減っている年で、つまり、山の浅層に、何かが増えているということ。猫が屋根から降りない家は、床下に、何かがいる家だということ。
依頼は、ただの反復訓練では、なかった。一枚一枚が、この街の、観測記録だった。
(世界は、記録でできている)
その理解は、俺の性分と、噛み合った。噛み合う、という感覚を、俺が自覚したのは、思えば、これが初めてだった。
*
「はい、お弁当」
昼、依頼から戻った俺のテーブルに、リゼが包みを置いた。もう何度目かになる、彼女の手製の弁当だ。
「毎回言うが、金は払う」
「毎回言うけど、いらないの。あたしの練習台なんだから、あんたは。文句は、食べてから言いなさい」
包みを開けると、今日は、パンに肉と菜が挟んであった。片方の端だけ、焦げ目が濃い。
「……こっちの端、焼きが強い」
「うっ。ば、ばれた? 火加減、むずかしくて」
「批判じゃない。焦げた部分は、香りが強くて、こちらの方が――」
俺は、そこで、適切な語を探して、三秒止まった。うまい、という語を、俺は久しく、使った記憶がなかった。味は、栄養と効率の情報としてしか、処理してこなかったからだ。
「――こちらの方が、いい」
「…………そ、そう? そっちのほうが、いい? ふーん……」
リゼは、前髪をいじりながら、口元がにやけるのを、必死に隠して、隠しきれていなかった。俺は、その表情を、いつもの癖で、頭の中に記録しようとして――ふと、思った。
最近、記録の量が、多すぎる。
彼女の表情は、種類が多い。怒った顔だけで四通り、笑った顔は、数え切れない。頭の中の記録は、正確さに限界がある。
その夜、俺は、雑貨屋で、一番安い帳面を買った。
一頁目に、こう書いた。
『観察記録。人の感情と、その表出について』
怒りが沸点を超えると、顔が白くなる(ギルベルト)。押さえつけた平坦な声。事実の確認で笑う(同)。にやけを隠す時、人は前髪を触る(リゼ)。
書き終えて、読み返して、俺は、妙なことに気づいた。
感情のない俺の帳面が、感情の記録で、埋まっていく。
空洞に物を積むように、俺は、他人の心の動きを、ひとつずつ、書き溜めていた。それが、何のためになるのかは、分からない。分からないが、この帳面を書いている時間は、素振りの千回に、少しだけ似ていた。
それだけの話だ。
――この帳面が、ずっと先の日に、何を成すのか。この時の俺は、当然、まだ知らない。
(次話:国が「買い取れない」と言った、謎の焼印。)




