第5話 初依頼
F級冒険者の初依頼は、東の森での、薬草採取だった。
「ちゃんと、日暮れ前に戻ってくること! 水は持った? 地図は? 非常食は?」
「全部ある。お前は、俺の親か」
「ちちち違うもん! 受付として、当然の確認だもん!」
真っ赤になったリゼに送り出され、俺は、東の森へ入った。
薬草の群生地は、事前に調べてある。採取のコツは、下働き時代に、薬師から聞いた。手順が分かっている仕事は、手順どおりにやるだけだ。昼を回る前に、規定量の倍を、採り終えた。
予定外が起きたのは、帰り道だった。
*
「……誰か、いるのか」
崖下から、微かな呻き声がした。
覗き込むと、若い冒険者が、斜面の途中の岩棚に、転がっていた。足首が、変な方向に曲がっている。装備からして、俺と同じF級。単独で、崖沿いの近道でも、試みたのだろう。
「た、助け……! 足が、動かなくて……!」
「動くな。余計に落ちる」
俺はロープを木に固定し、岩棚まで降りた。少年は、泥と涙で、ぐしゃぐしゃの顔をしていた。
「ぼ、僕、ノエルっていいます、先週登録したばかりで、その、近道しようとして……うう、死ぬかと思った……」
「死んでいない。喋れるなら、肺は無事だ。掴まれ」
背負って崖を登り切ったところで、二つ目の予定外が来た。
茂みから、ゴブリンが、五体。
手負いの獲物を、追ってきたのだろう。棍棒を持った小鬼どもが、じり、と半円に広がる。背中で、ノエルが悲鳴を上げた。
「ゴ、ゴブリンの群れ……!! お、終わりだ、僕たち死ぬんだ……!!」
「静かにしろ。舌を噛む」
俺は、ノエルを木の根元に下ろし、剣を抜いた。
初めての実戦。心拍は、平常のままだった。恐怖は、湧かない。武者震いもない。あるのはただ、毎朝千回、積み上げた型の記憶と、目の前の的だけだ。
(相手は五。武器は棍棒。連携の練度は低い。手記の型で足りる)
最初の一体が、跳びかかってくる。手記の型・第三「払い流し」。棍棒を受けずに逸らし、返す刃で、峰を首筋へ。一体、沈黙。
二体目、三体目は、同時に来た。半歩。ヴォルフの半歩で、二体の間へ滑り込み、第七「断ち割り」の変形を、左右へ。二体、沈黙。
四体目は、背後から来たが、足音で分かっていた。振り向きざまの、第二「水返し」。沈黙。
四体を倒すのに、十秒とかかっていない。派手な技は、ひとつもない。全部、手記に書いてあった、型どおりの、地味な剣だ。ただし、それを、俺は、一万日近く、毎日千回、振ってきた。
そして――五体目が、動かなかった。
最後の一体は、棍棒を取り落とし、俺と目が合ったまま、凍りついたように、固まっていた。醜い顔が、恐怖に歪んでいる。仲間がやられたから、ではない気がした。ゴブリンは、仲間の死程度で怯む生き物ではないと、手記にも書いてある。
そいつは、俺の「目」を、見ていた。
やがて、ゴブリンは、喉の奥から怯えた音を漏らし、一目散に、森の奥へ逃げていった。まるで、もっと恐ろしい何かから、逃げるように。
「……なんだったんだ、今のゴブリン」背後で、ノエルが呆然と呟いた。「ゴブリンが、獲物を前に、逃げるなんて……」
「知らん。追う理由もない」
獣は、時々、俺を見て、ああいう反応をする。貧民街の野犬も、そうだった。理由は、分からない。分からないことは、記録して、先へ進む。それだけの話だ。
*
ノエルを門まで送り届けると、彼は、涙目で、何度も頭を下げた。
「このご恩は、一生忘れません! 僕、レインさんに、ついていきます! 舎弟にしてください!」
「いらん。足を治せ。それと、崖の近道はやめろ」
「はいっ! 兄貴!」
「兄貴もやめろ」
*
ギルドに戻ると、門の前に、リゼが立っていた。
日は、まだ暮れていない。約束の刻限より、早いくらいだ。なのに彼女は、俺の顔を見るなり、駆け寄ってきて、俺の体のあちこちを、忙しなく確かめ始めた。
「怪我は!? 血! 袖に血がついてる!」
「ゴブリンのだ。俺のじゃない」
「ゴブリン!? 出たの!? 初依頼で!?」
「五体。四体は倒した。一体は逃げた。依頼の薬草は、規定の倍。怪我人を、一人回収した。以上が、報告だ」
淡々と事実を並べた俺の前で、リゼは、目を潤ませて、それから、堪えるように、唇を噛んだ。
「……無事で、よかった」
絞り出すような、声だった。
「あたしね、ずっとここで、待ってる間、考えてたの。あんたは、強いし、冷静だし、大丈夫だって、分かってる。でも、あんたは――怖くないから、無茶と冷静の区別が、つかないんじゃないかって」
その指摘は、正確だった。
恐怖は、生存本能の警報だ。俺には、その警報が、鳴らない。つまり、俺は、危険の計算を、全て「知識」で、やるしかない。知識にない危険は、計算から漏れる。
「……一理ある。次から、判断基準に、お前の警報を、借りよう」
「へ?」
「出発前に、お前が『危ない』と思うかどうか、聞く。お前は、俺より、警報が正確だ」
リゼは、ぽかんと口を開けて、みるみる、顔を赤くした。
「な、なにそれ……それって、毎回、あたしに相談してから、行くってこと?」
「そう言った」
「~~~っ、しょうがないなあ! いいよ! あたしが、あんたの警報に、なったげる!」
胸を張るリゼの後ろで、夕陽が、ギルドの看板を照らしていた。灰色の鷲の紋章の下に、今日から、俺の冒険者票が、掛かっている。
強くなる以外に、やることのない男の、これが、一歩目だった。空洞を埋める作業は、まだ、始まったばかりだ。
――そして、この時の俺は、知らなかった。
この空洞が「何によって開けられた穴」なのかを。毎朝の千回が、本当は、何から俺を守っていたのかを。そして、隣で、警報になると胸を張る、この少女の目に、いったい、何が視えていたのかを。
全部、ずっと先の話だ。今はただ、明日も千回、振るだけでいい。
(次話:ギルドマスターが、俺に明かせない“約束”とは。)




