第32話 兄弟弟子
準決勝。カイム=対=レイン。
闘技場の空気は、予選とは違っていた。この一戦の勝者が、決勝に進む。観客の期待が、熱として降ってくる。
「よう、坊主。……昨日、屋台で話してから、ずっと考えててな」
対峙したカイムが、無骨な片手剣を担いで、笑った。
「お前の型と、俺の型。骨格が同じだ。ってことは、俺たちの剣の先生は――同じ爺さんかもしれねえ。そう思ったら、俺は今、無性に嬉しいんだ」
「片目の、老傭兵」
「ああ。俺に飯と剣をくれた、あの爺さん。……お前も、あの人の何かを、継いだんだろ? だったらこの一戦は、兄弟弟子の手合わせだ。手加減はなしだぜ、弟弟子」
俺は頷いた。手加減する理由がない。それが、積んだ剣への礼儀だ。
合図が、鳴った。
*
カイムは、昨日より強かった。
昨日の予選で、奴は俺の「型」を見た。そして一晩で、その型に対する「生き汚さ」の当て方を、練り直してきた。傭兵の学習速度だ。実戦で死線を越えてきた者の、剣。
「どうした坊主! 昨日の四分の一歩、もう読んでるぜ!」
カイムの体当たりが、俺の踏み込みの内側に、先回りしてくる。昨日勝った手が、今日は通じない。俺は初めて、闘技場の場外際まで追い込まれた。
(この男は、剣そのものより、"人間"がうまい)
俺には、その部分が欠けている。恐怖がないから、生存本能に根ざした「生き汚さ」が、俺には育たなかった。カイムは、それを死線で育てた。
だから俺は、また型を捨てた。
カイムの生き汚さを、観察する。奴の体当たりは、どこから来るか。膝の角度。息を吸う瞬間。目の動き――そこだ。カイムは、体当たりの直前、必ず一度、俺の足を見る。踏み込む先を、確認するために。
俺は、その視線を利用した。
わざと、右足に体重を乗せた素振りを見せる。カイムの目が、俺の右足を見る。奴の体は、俺が右に動くと読んで、体当たりの軌道を右に補正する。
その瞬間、俺は左足だけで、地面を「置いた」。
半歩でも、四分の一歩でもない。ヴォルフの流水の足を、極限まで削った、八分の一歩。カイムの補正した体当たりが、俺の消えた右側を突き抜けた瞬間、俺の切っ先は、奴の首筋にあった。
「――一本! 勝者、レイン! 決勝進出!」
闘技場が、爆発したように沸いた。
カイムは、突き抜けた勢いのまま数歩泳いで、それから、膝に手をついて、荒い息の下で笑った。
「……はっ。ははっ。俺の視線の癖、盗みやがったな。あの一瞬で。……化物め」
「あんたの生き汚さから、拾わせてもらった」
「拾った、か。……あの爺さんも、よく言ってたよ。『剣は、拾うもんだ。教わるもんじゃねえ』ってな」
カイムは立ち上がり、俺の前まで歩いてきて、大きな手を差し出した。
「いい試合だった、弟弟子。……なあ。ひとつ、頼みがある」
「聞こう」
「お前、王都に行くんだろ。優勝して、御前試合に。……もし、あの爺さんのことで、何か分かったら――教えてくれねえか。あの人が、どこの誰で、何者だったのか。俺は、ずっと知りたかったんだ。飯と剣をくれた、あの人のことを」
俺は、差し出された手を握った。握手という所作を、俺はこの時、初めて自分の意思でやった。帳面の引用ではなく。
「約束する。……あんたは、俺の兄弟子だ。師の正体を知る権利がある」
「……っ、はは。じんとくるじゃねえか、無表情のくせに」
カイムは目元を乱暴に拭って、豪快に笑った。
*
その夜、俺は帳面に、一日の記録を書いた。
焼印の三例目。セツの告白。失敗作と完成形。片目の老傭兵の、もう一人の弟子。八分の一歩。
そして、最後に、一行。
『カイムと握手した。帳面の引用ではなく、自分の意思で。……この行為に、名前をつけられない。だが、悪くなかった』
書き終えて、俺は気づいた。
最近、「名前をつけられないが、悪くなかった」という記録が、増えている。空洞に積もる「何か」の、正体不明の断片たち。
それらに共通の名前があるとすれば、それは何なのか。
俺は、まだ、その語を持っていない。だが――持つ日が、近い気がした。手記の最後の頁が、めくれかけているように。
「レイン! 決勝進出おめでとう!!」
裏庭に、リゼの声が響いた。手には、いつもの蜂蜜入りの山羊の乳。祝いの杯だ。
「明日は、いよいよ決勝だね。相手、他の支部のB級だって。強敵だよ」
「ああ」
「……ね、レイン。ひとつ、お願いしていい?」
リゼは杯を渡しながら、少しだけ、恥ずかしそうに俯いた。
「決勝が終わったら――勝っても負けても、明後日、あたしと二人で、隣町にお使い行かない? マスターが、剣楽祭の報告書を商業ギルドに届けろって。……その、二人で」
「護衛任務か」
「う、うん。護衛任務。……でも、ちょっとだけ、それだけじゃない、っていうか」
彼女の耳が、赤い。俺は帳面を引かなくても、この表情の意味が、最近は少し分かるようになってきた。
「受ける。二人で行く」
「……! ほんと!? やった!」
リゼが、飛び上がった。青いリボンが、月明かりに揺れる。
明日は決勝。明後日は、二人で、隣町へ。
積んだものが、また一つ、形になろうとしていた。剣のことだけでは、ないのかもしれない。
(次話:決勝、そして――闘技場の地下から、"それ"は現れた。)




