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第29話 崩れた型

 グランヴェルの闘技場は、街ひとつ分の熱気で膨らんでいた。


 剣楽祭の予選は、勝ち抜き式のトーナメント。俺の初戦から三戦は、語ることがない。相手はいずれも腕自慢だったが、緊張で最初の三手が硬い。俺には緊張がない。積んだ型で、淡々と刈るだけだった。


「レイン、危なげなさすぎ! 逆に心配になるんだけど!」


 観客席から、リゼの声が飛ぶ。隣でフィノが手製の応援旗を振り回し、エルシアが「フォームが雑になってきているわよ、四戦目は集中なさい」と的確な指摘を投げてくる。セツは相変わらず暗い席から、無言で見ている。


 にぎやかな観客席だ。俺の周りは、いつからこうなったのか。記録を遡っても、明確な起点がない。気づいたら、そうなっていた。


 四戦目の相手が、俺の「気づいたら」を、初めて止めた。


    *


「カイム。よろしくな、坊主」


 対戦相手は、俺より二回り年上の大男だった。傭兵上がりのC級。剣は使い込まれた無骨な片手剣。構えに流派の匂いはない。喧嘩剣法だ。


 だが――俺は、開始の合図の前に、違和感を覚えた。


(あの構え。崩れてはいるが)


 カイムの自然な立ち方。重心の置き方。剣を下げた時の、右足の角度。


 旧王国流だった。


 正確には、旧王国流の「なれの果て」。基礎を独学で崩し、実戦で歪め、原型をほとんど失っている。だが、骨格の部分にだけ、あの型の痕跡が残っていた。俺が手記で覚えたものと、同じ骨格が。


 合図が鳴った。


 カイムの剣は、荒かった。型もなく、予備動作も大きい。だが、速い。そして――生き汚い。


 俺の払い流しを、奴は正面から受けなかった。受け流されると分かるや、剣を手放して体当たりに切り替えた。傭兵の戦い方だ。ルールより生存を優先する動き。俺は一歩下がってかわしたが、その一歩を、奴は読んでいた。


「甘えな、坊主! 綺麗な剣は、綺麗な相手にしか効かねえぞ!」


 拾い直した剣が、俺の脇腹すれすれを掠めた。初めて、俺の型が「間に合わない」場面だった。


(面白い)


 面白い、という感想が、思考の中に浮かんだ。かつての俺には出なかった語だ。だが今は、それが正確だった。この男は、俺の知らない変数を持っている。


 俺は型を一度捨てた。手記の第三でも第七でもなく、この男の「生き汚さ」を観察し、その隙間に自分を差し込む。半歩ではなく、四分の一歩。攻めではなく、奴の体当たりの軌道の内側へ。


 三合。四合。五合目で、俺はカイムの剣を、柄頭で弾き上げた。


 からん、と剣が落ちる。同時に、俺の切っ先はカイムの喉元、拳ひとつ手前で止まっていた。


「――一本! 勝者、レイン!」


 闘技場が沸いた。観客席でリゼが飛び跳ね、フィノの旗が空を舞った。


 カイムは落ちた剣を見て、それから、豪快に笑った。


「はっはっは! 参った! 綺麗な剣に、こっちの汚さが上書きされたぜ! ……坊主、お前、強えな。だが、それ以上に――」


 彼は俺の目を覗き込み、笑いを収めた。


「その型。どこで覚えた」


    *


 試合後、カイムは俺を屋台に誘った。奢りだと言うので、断る理由がなかった。


「お前の払い流しと、あの断ち割りの変形。……ありゃ、旧王国流だ。三十年前に潰れた、幻の流派」


「あんたも、その骨格を持っていた」


「気づいたか。さすがだな」カイムは串焼きを頬張り、遠い目をした。「俺のは、見様見真似のなれの果てさ。……ガキの頃、王都の裏町で野垂れ死にかけてた俺を、拾って食わせてくれた爺さんがいてな。その爺さんが、たまに剣を教えてくれた。それが、これだ」


 串を持つ手が、止まった。


「片目の、老いた傭兵だった。左目に、古い火傷の痕があってな。無口で、無愛想で……だが、俺みたいなクズガキに、飯と剣をくれた」


 片目の老傭兵。左目の火傷。


 俺は帳面の頁を、猛烈な速度でめくった。手記の主。旧王国流の使い手。三十年前。王都。子供を拾う老傭兵――


「その爺さんの、名は」


「知らねえ。名乗らなかった。ただ……」


 カイムは串を置いて、記憶を辿るように目を閉じた。


「妙な癖があった。薬草を煮る時な、いつも鼻歌を歌ってやがった。音程の外れた、下手くそな鼻歌をよ。飯ができる合図だった。あれだけは、今でも覚えてる」


 ――婆さんは、薬草を煮る時、必ず鼻歌を歌った。音程は不安定だった。


 俺がリゼに話した、育ての老婆の記憶と、寸分違わなかった。


 屋台の喧騒が、遠のいた。


 片目の老傭兵。俺の育ての老婆。二人とも、薬草を煮ながら、下手な鼻歌を歌った。二人とも、行き倒れの子供を拾い、飯を与えた。二人とも、旧王国流に――手記に、繋がっている。


 偶然ではない。この二人は、知り合いだった。あるいは、同じ「何か」から、子供を拾い集めていた。


「……坊主? どうした、顔が――いや、顔は動いてねえが。なんか、様子が」


「カイム」俺は問うた。「その爺さんは、今どこに」


「死んださ。俺が十五の時に。眠るように、あっさりとな」カイムは寂しそうに笑った。「最期に一言だけ言い残した。今でも意味が分からねえ。『次の子を、頼む』ってな。次の子って、誰だよ。俺は一人っ子みたいなもんだったのに」


 次の子を、頼む。


 俺は、串焼きの串を、そっと置いた。


 その「次の子」が、誰なのか。今、屋台の向かいで、この話を聞いている人間に、心当たりが一人だけあった。


「……ありがとう、カイム。いい話だった」


「おう。……なあ坊主、決勝まで行くんだろ? 応援してるぜ。あの爺さんの剣を継いだガキが、二人もいたと思うと――なんだか、悪くねえ」


 俺は頷いて、屋台を後にした。


 観客席のほうから、リゼが手を振っているのが見えた。青いリボンが、夕陽に光っている。


 点が、線になり始めていた。そしてその線は、俺と、この街と、あの手記と、王都の全てを――静かに、繋ごうとしていた。


(急ぐな。積め。線は、必ず形になる)


 だが、この日初めて、俺はほんの少しだけ、その先を早く知りたいと思った。


 その感情の名前を、俺はまだ、帳面に書けずにいる。


(次話:本戦一回戦、剣友エルシアとの真剣勝負。)

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