第28話 剣楽祭の招待状
監査の嵐が去って半月、ギルドに一枚の布告が張り出された。
『グランヴェルの剣楽祭、開催。優勝者にはB級推薦、ならびに王都・御前試合への招待を授与する』
剣楽祭。三年に一度、地方の腕自慢が集う武術大会だ。ギルド対抗ではなく個人戦。年齢制限も身分の別もない。灰色区の孤児だろうが、剣一本で勝ち上がれば名が残る。
「出るでしょ、レイン。ね、出るでしょ!?」
布告の前で、リゼが目を輝かせて俺の袖を引いた。フィノは既に「フィノも応援団長やる!」と尻尾を振り回している。
俺は布告の一点を見ていた。優勝者への褒賞――王都・御前試合への招待。
(王都)
ヴォルフの忠告が浮かぶ。その目を、王都から来る人間の前で晒すな。ヴェルナーの灰色の目も、王都から来た。俺の過去を掘ろうとする者たちは、みな王都にいる。
だとすれば、王都は避けるべき場所だ。普通の判断なら、そうなる。
だが、俺の判断は逆だった。
(情報が、向こうから来る場所だ)
隠れて逃げ続ければ、俺は永遠に「なぜ観察されているのか」を知れない。だが王都に踏み込めば、点は線になるかもしれない。魔物の焼印。旧王国流。三十年前。白い部屋。全部の糸が、あの都に集まっている気がした。
「出る」
俺が答えると、リゼは飛び上がって喜び――それから、ぴたりと止まった。
「……あれ。優勝したら、王都に行くの?」
「そうなる」
彼女の顔から、少しだけ光が引いた。俺は帳面の記録を検索した。この表情は「嬉しい」と「不安」が同時に出た時のものだ。分類番号は、ある。
「レイン。あんた……王都に、行きたいの?」
「行きたい、ではない。行く必要がある。理由は――まだ言えない」
「言えない、か」
リゼは俯いて、それから、無理に笑った。
「……ま、いっか。優勝してから考えればいいことだもんね! まずは目の前の試合! ね!」
無理をしている、と俺には分かった。分かったが、まだ話せることがない。俺の過去の話は、点が線になってからでないと、彼女を不安にさせるだけだ。
だから俺は、別のことを言った。事実を。
「リゼ」
「ん?」
「王都に行くとしても、お前を置いていくとは言っていない」
リゼが、ぽかんと口を開けた。
「……え」
「護衛対象が離れた土地に移動するなら、警報係も同行するのが合理だ。……お前は、俺の一番替えの利かない警報だと、前に言った」
「~~~っ!!」
リゼは真っ赤になって、俺の胸を両手で押した。押しながら、その手はちっとも力が入っていなかった。
「そ、そういうこと、勝負の前に言わないでよ! あたしの心臓が先に負けるでしょ!!」
「心臓の勝敗は、大会の対象外だ」
「あんたのそういうとこ!! もー!!」
だが、彼女の顔からは、さっきの陰りが消えていた。俺は目的を達成した。事実は時々、剣より効く。慰めより効く。
*
その夜、俺は手記の最後の頁を、久しぶりに検めた。
相変わらず、開かない。だが――指の腹に、微かな違和感があった。頁の端。ほんの少しだけ、糊が緩んだような、めくれかけの感触。
以前は、鉄板のように一体だった。今は、爪の先が入るか入らないか、という僅かな隙間がある。
(変化している)
何が変わった。俺の生活で変わったものといえば――リゼ。フィノ。エルシア。セツ。ギルドの日々。他人の感情を記録する帳面。味がするようになった飯。
俺の中の空洞に、少しずつ「何か」が積もっている。それと連動して、この頁が緩み始めている。仮説としては、そう立てられる。証明はできない。
俺は頁を無理に開こうとはしなかった。開く時が来れば、開く。素振りと同じだ。積めば、いつか形になる。
「――レイン? まだ起きてるの?」
裏庭に、リゼの声がした。夜番の見回りついでらしい。彼女は俺の隣に座り、俺の手の中の手記を覗き込んだ。
「それ、いつも大事にしてる本だよね。何が書いてあるの?」
「剣の型と、魔力の基礎だ。……あと、開かない頁が一枚ある」
「開かない頁?」
「糊付けでもないのに、開かない。理由は不明だ」
リゼは手記を受け取り、最後の頁を指でなぞった。そして――
「あ」
彼女の指が触れた瞬間、頁の端が、ほんの少し、ぴくりと反応した気がした。俺の見間違いかもしれない。だが、リゼも同じものを見たらしい。
「……今、動かなかった? このページ」
「お前も見たか」
「うん。なんか……このページ、あったかい」
リゼは頁に手のひらを当てて、目を細めた。
「変なの。紙なのに、あんたの素振りを見てる時と、同じ感じがする。……ほわほわしてて、奥のほうに、ちっちゃい光がある感じ」
俺は彼女の言葉を、一言も削らず記録した。
奥のほうの、ちっちゃい光。フィノが俺の匂いに言ったのと、同じ言い回しだ。そしてリゼは、俺の胸にも同じものを見ると言った。
手記と、俺。同じ光が、宿っている。
点が、また一つ、近づいた。
「……大事にしなよ、その本」リゼは手記を返して、微笑んだ。「きっと、あんたに何か伝えたいことがあるんだよ。開く時が来たら、教えてね。一番に」
「約束の項目が、また増えたな」
「ふふ。増やすもん。あんたの『一番』、どんどん予約してくんだから」
夜風が、二人の間を抜けていった。手記の頁は、もう動かなかった。だが確かに、少しだけ、めくれかけていた。
(次話:予選開幕。四戦目の相手は、傭兵上がりの喧嘩剣法。)




