表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
24/40

第24話 監査官来訪

 監査官の一行は、書状から十日後の朝に到着した。


「本部監査室のコルネリア=ハウゼンです。監査は三日間。帳簿、依頼記録、規定運用の全件を確認します。隠し立ては互いの時間の無駄ですので、なさらないように」


 先頭の女は、鋼のような髪をきっちり束ね、一分の隙もない制服姿だった。声に私情がない。いい声だ、と俺は思った。事実だけでできている声は、聞き取りに雑音が混ざらない。


「――そして、こちらは王都から同行の書記官殿だ」


 マスターの声が、僅かに硬くなった。


 監査官の後ろに、その男は立っていた。


 歳は読めない。四十にも六十にも見える。仕立てのいい灰色の外套に、灰色の目。柔らかい物腰で、彼は帽子を取って一礼した。


「ヴェルナーと申します。いやいや、私はただの記録係でしてね。監査はハウゼン殿の領分。私は王都への報告書に、地方ギルドの実情を少しばかり書き添えるだけの、しがない書記でございますよ」


 しがない書記、と男は言った。


 だが、俺の目は別のものを見ていた。男の外套の留め金。銀細工の、小さな意匠――等間隔の円弧で象られた、目。


 素材買い取りの書式の上端に刷られていた、あの紋章と同じだった。


(……来たか)


 ヴォルフの忠告が、帳面の頁から浮かび上がる。その目を、王都から来る人間の前で晒すな。


 俺は視線を留め金から外し、下働きの新人がやるように、ただぼんやりと監査の列を眺めた。


    *


 監査は、拍子抜けするほど公正だった。


 コルネリアは帳簿の数字を端から検分し、依頼記録と報酬の突き合わせを一件ずつ行い、昼食の差し入れを「収賄に当たる可能性がある」と断り、自費で酒場の定食を頼んだ。


「……規定第十二項の適用。住み込み下働きの住所要件」


 フィノの登録書類を検めた彼女は、眉ひとつ動かさずに言った。


「適用は正当。むしろ本部に、孤児の登録要件の見直しを具申すべき事例です。次」


「規定外のE級派遣。岩山の夜間救助」


「応援要請第七項、地理精通者の随行。記録上、当該人物は事前に三度の経路実績あり。適用は……正当。よくこの条文を知っていましたね。次」


 あら探しに来たはずの監査が、一件また一件と「正当」を積んでいく。マスターの肩から、少しずつ力が抜けていくのが分かった。


 ――ただし。


 俺は、監査の間じゅう、別のものを観察していた。


 ヴェルナーだ。


 書記のはずの男は、帳簿をほとんど見ていなかった。彼が見ていたのは、人だった。ギルドの職員、冒険者、そして――俺。視線そのものは柔らかい。だが向けられる頻度が、他の人間の三倍あった。数えていたから、確かだ。


 さらに言えば、男の観察には型があった。俺が依頼票を取る時の指の順。食事の時の咀嚼の回数。ノエルに絡まれた時の応答の間。男が見ているのは俺の行動ではなく、行動の「揺らぎ」だった。


 測定水晶と、同じものを測っている。


(観察者を、観察する)


 俺は帳面の頭の中の頁に、男の記録を書き始めた。留め金。視線の頻度。歩幅は常に一定。酒場の椅子は必ず壁を背にする席。左利きを右利きに矯正した箸使い。


 向こうが俺の揺らぎを測るなら、こちらは向こうの輪郭を測る。十年、観察だけは積んできた。


    *


「――ね、レイン」


 初日の監査が終わった夜、受付の片付けをしながら、リゼが声を落とした。


「あの書記官の人……ヴェルナーさん、だっけ。あたし、あの人だめ」


「だめ、とは」


「うまく言えないんだけど……」


 リゼは自分の二の腕を、両手でさすった。


「あの人ね、ずっとにこにこしてるでしょ。でも、あの人の周りだけ、なんにもないの。ほんとに、なんにも。……あんたのとは違う『なんにも』。あんたのは、静かななんにも。あの人のは――」


 彼女は言葉を探して、結局、こう言った。


「――塗りつぶした、なんにも」


 俺は彼女の証言を、一言も削らずに記録した。俺の観察が「揺らぎの測定」なら、彼女の警報は「色の検知」だ。センサーの種類が違う。そして彼女のセンサーは、俺のより深いところを測る。


「リゼ。監査の間、あの男と二人きりになるな。書類を求められたら、必ず誰かを介せ」


「……! う、うん。分かった。あんたがそう言うなら、そうする」


 素直に頷いてから、彼女は俺の袖を、くい、と引いた。


「あんたも。あんたもだよ? あの人、あんたのこと見てた。ずっと。……気をつけて、じゃ足りないな。ええと――」


 リゼはしばし考え、それから俺の左手首の腕紐に、指で触れた。


「これ、外さないこと。監査の間は、お守り強化期間です」


「腕紐に防諜機能はない」


「あります。受付権限で、今つけました」


 真顔で言い切る彼女に、俺は頷いた。理屈はない。だが、彼女の「権限」が今まで外れたことも、ない。


 三日間の監査の、これが初日だった。


 灰色の目は、まだ二日ぶん残っている。


(次話:裏庭に来た書記官の、三つの質問。)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ