第23話 青の結び直し
D級昇格の審査は、もはや形式だった。
大蛙二十匹。下水路の異常水位の報告(ガストン経由で対策班が組まれ、地下に巣食っていた泥蟹の群れが駆除された)。岩山の救助。実技の相手を務めたC級は、開始前から半笑いで「手短に頼むわ」と言った。手短に済ませた。
「D級昇格、レイン! 登録から半年、支部最速記録更新!」
読み上げるリゼの声は、今回は裏返らなかった。代わりに、誰よりも長く拍手をしていた。
「なあ坊主」ガストンが杯越しに言った。「お前さん、もう気づいてるか? 依頼板の右下、最近きれいだろ」
言われて、見た。誰も取らない低報酬依頼の吹き溜まりだった右下に、今日は三枚しか残っていない。
「お前の真似だとよ。新入りども、右下から取るようになった。『あそこはD級最速の育った畑だ』つってな。……畑、増えたな」
フィノが今朝、素振り三百回を超えた。ノエルは崖の依頼を受ける時、必ず経路図を二重に確認するようになった。俺の積み方が、俺の外側で勝手に増殖している。損得で言えば、得だ。街の依頼達成率が上がる。ただ、この胸の状態は「得」という札だけでは、少し足りない気もした。
*
夕方、受付が閉まったあと、リゼが「ちょっと来て」と俺を裏庭に呼び出した。
切り株の食卓の上に、小さな包みが置いてあった。彼女はそれを開けて、両手で持ち上げてみせた。
青いリボンだった。
ほつれていた端は丁寧にかがり直され、色褪せた部分には、あの補修用の飾り紐が細く編み込まれている。古い青と新しい青が、互い違いに一本の織りになっていた。
「……なおした。時間かかっちゃったけど」
「約束どおり、見せに来たわけか」
「うん。『直ったらちゃんと見てよね』って言ったの、覚えてる?」
「覚えてる。市場の糸屋の前。四ヶ月と六日前だ」
「日数まで!? ……ふふ、あんたらしい」
リゼはリボンを結び直そうとして、髪をほどいた。亜麻色の髪が、夕陽の中で肩に広がる。ほどいた髪の彼女を見るのは、思えば初めてだった。
――そして、妙なことが起きた。
リボンを外している間、リゼはふ、と目を細めて、俺の顔ではなく、俺の胸のあたりを見た。眩しいものを見る時の目だった。
「……リゼ?」
「……え? あ、ううん! なんでも! ちょっと、目がちかちかしただけ」
彼女は慌ててリボンを結び直した。結び終わると、その目はいつもの目に戻っていた。
目がちかちかした。リボンを外している間だけ。俺の胸のあたりを見て。
帳面の頁が、頭の中で音を立てて繋がりかけた。「着けてないと目の奥がざわざわする」。「誰かを見つけたら外していい」。腕紐を着けた夜は夢を見ない。――データは揃いつつある。だが仮説を立てるには、まだ変数が多い。保留の棚へ。
「はい! 完成! ……どう、かな」
結び直された青が、夕陽を受けて揺れた。古い青は母親の。新しい青は、彼女がくれた腕紐と同じ。二つの青が、一本になっている。
「どう、の回答例を、実は昼のうちにガストンに聞いた」
「え!? な、なんて言われたの!?」
「『世辞は言うな、事実だけ言え。お前はそれがいちばん強い』と」
「……う、うん。それで?」
俺は事実を言った。
「よく似合う。前より、いい。直すと言った日のお前の判断は、正しかった」
リゼは、両手で顔を覆った。指の隙間から見える耳が、リボンより赤かった。
「~~~っ、じじ、事実って、強い……!」
*
――その温度は、翌朝、一通の書状で終わった。
朝一番のギルドに、蝋封の書状が届いた。封蝋の紋は、双頭の蛇。ヴァルディア子爵家。
受け取ったマスターは、その場で封を切り、読み進めるうちに顔から表情を消した。読み終えると、彼は書状を折り畳み、低い声で言った。
「……全員、通常業務に戻れ。レイン、お前は残れ」
執務室の扉が閉まる。マスターは書状を机に放り、椅子に深く沈み込んだ。
「ヴァルディア子爵家から、正式な申し入れだ。内容は二つ。一つ、当支部の運営について本部に監査請求を出した。狙いはうちの『規定の抜け道』――お前の護衛任務や、特例昇格のあら探しだ」
「二つ目は」
マスターは、しばらく俺を見た。それから、吐き捨てるように言った。
「……『灰色区出身の冒険者レインについて、出自の再調査を要請する』だ。孤児のお前の、出生記録のな」
出生記録。俺自身、知らないものだ。老婆が死に、記録は何もない。ないはずの記録を、子爵家がわざわざ「再調査」する。
「妙だと思わねえか」マスターは声を落とした。「監査請求は嫌がらせで説明がつく。だが二つ目は違う。ガキ一人の出自なんぞ、貴族が調べて何の得もねえ。……誰かが、子爵家を動かして、お前の『前』を掘ろうとしてる」
フードの使い。前払いの刺客。俺の対処を観察していた何者か。点が、線になり始めていた。しかも線は、俺の過去に向かって伸びている。
「レイン。心当たりは」
「ない。……ないが、心当たりの『在り処』なら、見当がつき始めている」
「……そうか。なら、こっちも準備をしておこう」
マスターは立ち上がり、窓の外を見た。裏庭で、フィノの素振りの声がしている。その向こうの二階の窓は、今朝も定位置だ。
「言っておくがな、レイン。うちのギルドは、身内を売って通る監査なら、落ちた方がマシって流儀だ。……全面戦争なら、受けて立つ」
(次話:本部から来た監査官と、名簿にいない「書記官」。)




