第22話 収穫祭の夜
灰色区の、年に一度の、収穫祭。
普段は、くすんだ街並みが、この日だけは、色とりどりの、灯りで、飾られる。屋台が並び、楽師が奏で、貧民街の子供たちも、この夜だけは、腹いっぱい、食べられる。
「レイン! 行こう! 収穫祭!」
その夜、リゼは、いつもの受付の制服ではなく、藍色の、可愛らしいワンピースを、着ていた。青いリボンも、少し、念入りに、結んである。
「祭りに、警戒すべき対象は」
「もー! 今日は、依頼じゃないの! 遊びに行くの! ……あたしと!」
最後の一言が、少し、小さかった。俺は、それを、記録して――そして、頷いた。
「……分かった。行く」
「! ……やった!」
*
祭りの、人混みは、依頼の時とは、違う匂いがした。
焼き菓子。串焼き。果実酒。楽師の、陽気な音楽。子供たちの、はしゃぐ声。
リゼは、屋台を、片っ端から、覗いた。焼き林檎を、頬張り、飴細工に、目を輝かせ、射的で、景品を、狙って、盛大に、外した。
「うぅ……あの熊のぬいぐるみ、欲しかったのに……」
「貸せ」
俺は、射的の、木の銃を、受け取った。景品までの距離、コルク弾の初速、風の影響。全部、計算する。毎朝の素振りで鍛えた、動体視力と、手の安定。
三発。三発とも、熊のぬいぐるみの、土台の、同じ一点に、当てた。ぬいぐるみが、ぐらりと、傾いて――落ちた。
「……嘘!? 全部、同じところ!?」
「景品の重心の、真下を、狙った。効率がいい」
「あんた、こういう時まで、効率……!」リゼは、呆れて、それから、熊のぬいぐるみを、抱きしめて、笑った。「でも……ありがと。大事にする」
その、嬉しそうな顔を、俺は、記録した。最近、記録するだけでは、済まない顔が、増えている。この顔も、そうだった。
*
祭りの、一番の見せ場は、夜空に上がる、火の花だった。
貧民街の、高台。人々が、集まって、空を、見上げる。俺とリゼも、その、人波の中に、いた。
ぱん、と、音がして。夜空に、大きな、火の花が、咲いた。赤。金。青。
「わぁ……! きれい……!」
リゼが、空を、見上げていた。火の花の光が、彼女の、頬を、照らす。
俺は――空ではなく、彼女を、見ていた。
火の花が、咲くたびに、彼女の目に、その光が、映る。その、きらきらした目を、見ていると、俺の胸の、空洞のあたりが、じんわりと、温かくなる。
これは、何という、記録だろう。帳面の、どの項にも、当てはまらない。
「――あ」
その時、人波が、どっと、動いた。火の花を、よく見ようと、後ろの人々が、押し寄せてきたのだ。
リゼの体が、俺から、離れそうになる。
俺は、とっさに、彼女の、手を、掴んだ。
「……っ」
人混みの中で、俺とリゼの手が、繋がった。彼女の手は、小さくて、温かくて、少し、震えていた。
「……はぐれると、面倒だ」俺は、言った。「手を、離すな」
「……う、うん」
火の花が、次々と、夜空に、咲いた。
その光の下で、俺たちは、手を、繋いだまま、空を、見上げていた。人波が引いても、俺は、手を、離さなかった。リゼも、離さなかった。
「……レイン」
「なんだ」
「今日……楽しい?」
俺は、少し、考えた。「有意義」でも「効率的」でもない、その問いに。
「……ああ」俺は、答えた。「楽しい。……この感覚は、たぶん、そう呼ぶんだと、思う」
リゼの、手が、きゅっと、俺の手を、握り返した。
「……! そっか。楽しい、か。……よかった」
彼女は、火の花に、負けないくらい、明るく、笑った。
*
帰り道。
リゼは、熊のぬいぐるみを、抱えて、鼻歌を、歌っていた。上機嫌の、鼻歌だった。
「ね、レイン。来年も、来ようね。収穫祭」
「一年後の、予定は、まだ立てられない」
「もー、そこは『来る』でいいの!」
「……分かった。来る」
「! ……えへへ。約束、ね」
俺は、彼女の「約束」の項目が、また一つ、増えたことを、記録した。
繋いだ手の、温かさは、家に着くまで、消えなかった。
その夜、俺は、帳面に、書いた。
『収穫祭。射的の熊。火の花。手を繋いだ。……「楽しい」を、初めて、自分で、名付けた。要観察――いや』
俺は、少し、迷ってから、「要観察」を、消して、こう、書き直した。
『……いや。観察は、もう、いい。ただ、覚えておく。この夜を』
観察対象ではなく、思い出として、記録した、初めての夜だった。
(次話:リボン、結び直し。そして子爵家から届く一通の書状。)




