表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
21/40

第21話 受付戦争

 事の発端は、エルシアの何気ない一手だった。


「レイン、来週の稽古の件だけれど」


 昼下がりのギルド。依頼帰りの俺に歩み寄ったエルシアが、ごく自然に、俺の腕に手を添えた。貴族の社交では標準の距離感なのだろう。


「うちの屋敷の鍛錬場を使いましょう。書庫の旧王国流の図解も見せたいし、なんなら夕食も――」


「――レイン! 次の依頼書、確認してほしいんだけど!!」


 受付から音速で割り込んできたリゼが、俺とエルシアの間に、体ごとねじ込まれた。物理的に。


「あら、リゼちゃん。今、お話し中よ?」


「業務です! 業務優先です! ギルド規定第三項!」


「その規定、依頼の話をしている私にも適用されると思うのだけれど」


「こっちは指名依頼です!」


「あら奇遇ね。私のも指名の稽古よ」


 二人の間に、目に見えない火花が散った。俺は依頼書を受け取ろうとしたが、依頼書は存在しなかった。リゼの手にあったのは、白紙の綴りだった。


「リゼ。依頼書がない」


「あっ」


「ふうん? 白紙?」エルシアの口角が上がった。「業務、ですって?」


「う、うるさいですね!? これから書くんです!」


 そこへ、匂いにつられたのか、フィノが尻尾を振って合流した。


「あ! おにいさん、おかえり! きょうのごはん、フィノがとなりにすわる!」


「あーっ!! それはだめ! 隣はだめ!」「あら、じゃあ私が反対側に」「おねえちゃんたち、ずるい!」


 三方向から袖と腕を確保され、俺は物理的に移動不能になった。酒場の全員がこちらを見ている。ガストンに至っては、また賭け札を作り始めている。


「……全員、離せ。飯は全員で食えば解決する」


「「「解決しない!!」」」


 唯一の三人の合意が、俺の却下だった。


    *


 騒動の収拾は、意外な人物がつけた。


「――騒がしい」


 暗い席から立ち上がったセツが、無表情のまま俺の襟首を掴み、三人の包囲から猫の子のように引き抜いたのだ。


「この男は今日、北の沼地で泥まみれになって大蛙を二十匹駆除してきた。まず洗わせて、食わせて、寝かせなさい。取り合いはそれから」


 正論だった。三人はしゅんとなり、俺は解放され、酒場は笑いに包まれた。


 ――ただし、セツはその去り際、俺にだけ聞こえる声量で、一言足した。


「……賑やかね、あなたの周り。三百年ぶりに見た、いい騒がしさ」


 擦り切れた平坦な声の、一番奥。ほんの僅かに、何かが動いた音がした。俺の耳は、そういう音を拾い慣れている。毎朝、自分の中の似た音を探しているからだ。


    *


 その晩、俺は宿舎の屋根の上にいた。


 星の観測は、夜間依頼の経路記憶に役立つ。というのは建前で、単に静かだからだ。千回の素振りと同じで、屋根の上の時間は、思考の整理に向いている。


「――やっぱりここにいた」


 屋根の縁から、リゼがひょこりと顔を出した。手には湯気の立つ杯がふたつ。彼女は慣れた足取りで俺の隣に座り、杯のひとつを押し付けてきた。蜂蜜入りの山羊の乳。俺の帳面の「リゼの得意なもの」の項の、三番目だ。


「昼間は、その。……ごめん。騒ぎすぎた」


「実害はなかった。飯もうまかった」


「うん。……あのさ、レイン。あたし、自分でもやんなっちゃうんだけど」


 リゼは杯を両手で包んで、膝を抱えた。


「エルシアさんが来ても、フィノちゃんが来ても、ほんとはちょっとだけ、こわいの。あんたの周りに、あんたを分かる人がどんどん増えてくのが。……あたしだけの役目が、なくなっちゃう気がして」


 星明かりの下で、彼女の声は昼間よりずっと小さかった。


 俺は帳面の話をすることにした。誰にも見せたことのない、あの帳面の。


「リゼ。俺は帳面をつけてる。人の感情の観察記録だ」


「え? う、うん。知ってる。よく何か書いてるよね」


「あの帳面の一頁目に、何が書いてあるか教える。――『リゼは、俺の差分を検知する。原理不明。要観察』だ」


「な、なにそれ。あたし、観察対象一号なの?」


「そうだ。二年前からずっと、一頁目のままだ」


 俺は杯を置いて、言葉を続けた。今日は、言葉が出てくる日だった。


「エルシアは剣の相手だ。フィノは弟子で、セツは同類だ。全員、帳面のそれぞれの頁に記録がある。だが、お前だけは分類が終わらない。二年観察して、まだ終わらない。だからお前は、ずっと一頁目だ。……役目がなくなる心配は、計算上、成立しない」


 リゼはしばらく黙っていた。それから、膝を抱えたまま、ことん、と俺の肩に頭を預けてきた。


「……ねえ。それって、つまりさ」


「なんだ」


「あんたの帳面、あたしから始まってるんだ?」


「……そうなるな」


「ふ、ふふ。そっか。あたしから始まってるのか。……ん。合格」


 また合格が出た。何の試験かは、やはり聞かないでおく。


 肩に乗った頭の重さと、蜂蜜の匂いと、星。今夜の記録は、帳面に書ききれない気がした。書ききれない記録が増えていくことを、最近の俺は、損失として計上しなくなっている。


 ――要観察。ただし、急がなくていい。


(次話:灰色区の収穫祭。火の花の下で。)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ