第18話 千回のわけまえ
「ぜっ……はっ……ひゃ、ひゃくよんじゅう……なな……」
フィノが棒きれと一緒に崩れ落ちたのは、素振り百四十七回目だった。
初日は八十二回。二日目は百十回。三日目の今日で百四十七。伸び方は悪くない。むしろ異常に良い。獣人の身体能力は、噂以上だった。
「むりぃ……せんかいとか、おにいさん、ぜったいへん……」
「最初から千回やる必要はない。昨日の自分より一回多ければいい」
「……? それだと、せんかいになるの、すっごくさきだよ?」
「なる日は来る。来た日には、お前の体は千回に耐える体になってる。順番が逆なんだ。回数が先で、体が後だ」
フィノは芝生に転がったまま、しばらく考えて、がばっと起き上がった。
「わかった! つまり、きょうのフィノは、きのうのフィノに勝てばいい!」
「そういうことだ」
「それなら、かんたん! きのうのフィノ、よわいから!」
いい理解だ。俺が十年かけて言語化しなかったものを、この獣人は三日で標語にした。帳面に書いておく。
*
その日の昼、フィノの初依頼に同行した。薬草採取。俺の初依頼と同じ内容を、マスターが意図的に選んだらしい。
森に入った途端、フィノは水を得た魚だった。
「おにいさん! こっち! においがこい!」
嗅覚で薬草の群生を探し当て、足音ひとつ立てずに斜面を駆け、規定量を俺の半分の時間で摘み終えた。索敵も動きも、粗削りだが天性のものがある。
「はやい! フィノ、はやい! ほめて!」
「ああ。速かった」
「えへへー」
尻尾が揺れる。だが俺は、採取された薬草の束を検分して、半分を選り分けた。
「ただし、この半分は使えない。根ごと抜いてる。根を残さないと、来年ここに薬草は生えない。依頼書の注意書きにあった」
「う……じ、字、よめない……」
「なら、覚えろ。葉の下から二節目を、爪で摘む。こうだ」
実演して見せると、フィノは真剣な目で三度確かめて、四度目から完璧にやった。目で見たものを体に写す速さは、俺よりずっと上だ。
「ね、おにいさん。なんでそんなに、なんでも知ってるの?」
「知ってるんじゃない。全部、一度失敗して、記録しただけだ。俺も最初の採取で、根ごと抜いた」
「おにいさんでも、しっぱいするの!?」
「する。だから帳面をつけてる。失敗は、記録すれば材料になる。しなければ、ただの損だ」
フィノは目を丸くして、それから、ぽつりと言った。
「……フィノの村のおばあも、おなじこと言ってた。『しっぱいは、干しておけば食べものになる』って」
「食べ物になるのか」
「きのこの話とまざってるかも」
帰り道、フィノは俺の隣を、半歩遅れてついて歩いた。歩幅を俺に合わせようとして、時々小走りになる。
「あのね、おにいさん。フィノが強くなりたいの、わけがあるの」
「聞こう」
「村をね、さがしたいの」
フィノの尻尾が、静かに垂れた。
「フィノの村、三年まえに、なくなっちゃった。フィノ、そのとき町に出稼ぎで、いなくて。もどったら、だれもいなくて。家もぜんぶ、なくなってて。……大人はみんな『山くずれだ』って言うけど、フィノの鼻は、ちがうって言ってる」
「違う、とは」
「山くずれのあとって、土のにおいがするの。でも村のあとは――こげたにおいと、しろい石みたいなにおいがした。かいだことのないにおい。……ひとつだけ、にてるのがある」
フィノは足を止めて、俺を見上げた。
「おにいさんの、おくのほうのにおい。あれと、にてるの」
森の中で、風が止んだ。
俺の奥の匂いと、消えた村の匂いが、同じ。フィノの祠の話と合わせて、点が三つ、同じ線上に並んだ気がした。線の先はまだ見えない。だが、方角だけは、示された気がした。
「……フィノ。その話、他の誰かにしたか」
「してない。だって、へんな話だもん。……おにいさんは、わらわない?」
「笑わない。鼻の記録は、目の記録と同じだ。お前の鼻は、お前の帳面だ」
「ちょうめん……! フィノの鼻、ちょうめん!」
尻尾が復活した。単純さは、美徳だ。
「強くなれ、フィノ。俺の千回で良ければ、分けてやる。毎朝、昨日のお前に勝ち続けろ。いつか、お前の鼻が示す場所まで、自分の足で行けるように」
フィノは目を潤ませて、大きく頷いた。
「……! うん! フィノ、かちつづける!」
*
「――というわけで、正式に『いもうとでし』になりました!」
夕食の席で、フィノが高らかに宣言し、リゼが持っていた匙を落とした。
「い、いもうとでし!? 何それ!? ちょっとレイン、説明!」
「俺は認めていない。だが訂正しても三秒で復活する。効率を考えて放置している」
「ふふん! リゼおねえちゃんは、なんのやくめ?」
「や、役目?」
「フィノは、いもうとでし。ノエルおにいちゃんは、こぶん。じゃあ、おねえちゃんは、おにいさんの、なに?」
食堂が、しん、とした。ガストンが杯を置き、ノエルが身を乗り出し、マスターまで新聞から目を上げた。
リゼは真っ赤になって、口をぱくぱくさせて、絞り出した。
「あ、あたしは……あたしは、その……け、警報! 警報係!」
「けいほう……?」
フィノが小首を傾げて、俺を見た。答える義務はなかったが、事実の説明だけはしておくことにした。
「あいつの警報は、俺の計算より正確だ。一番、替えが利かない」
食堂が沸き、リゼは湯気が出そうな顔で厨房へ逃げ込んだ。逃げ込む寸前、口元がにやけていたのを、俺の目は記録した。前髪も触っていた。帳面の記録どおりだった。
(次話・幕間:フィノ、字をおぼえる。)




