第13話 はじめての護衛
「本日はよろしくお願いします、護衛さん!」
週に一度の隣町行き。その第一回の朝、リゼは書類鞄を抱えて、芝居がかったお辞儀をした。
「荷物運びの補助だ。書式上は」
「あたしの中では護衛なの。はい、これ依頼票。『大切なものを、ちゃんと届けること』って書いてあります」
「書いてない。『商業ギルドへの書類搬送補助』と書いてある」
「意訳です!」
隣町までは、街道を歩いて二刻半。荷馬車に相乗りする手もあったが、リゼが「歩きたい」と言った。街道の人通りは多く、天候も安定している。リスク計算の許容範囲内だったので、俺は頷いた。
……計算は、していた。したはずだ。ただ、計算結果より先に頷いていた気もする。要観察。
*
街道は、初夏の草の匂いがした。
リゼはよく喋った。受付研修の愚痴。ノエルが酒場で語る「兄貴武勇伝」が三割増しで盛られていること。ガストンの若い頃の伝説。話題が尽きると鼻歌になり、鼻歌に飽きると、俺に質問を投げてきた。
「ね、レインの小さい頃ってどんなだった? 婆ちゃんに拾われてた頃」
「働いて、食って、寝てた。以上だ」
「以上、じゃなくて! なんかあるでしょ、思い出とか」
思い出。俺は記憶の棚を検索した。灰色区の日々は記録として全部残っているが、「思い出」の札が貼られた箱は、ほとんどない。
「……婆さんは、薬草を煮る時、必ず鼻歌を歌った」
検索結果は、自分でも予想外の棚から出てきた。
「音程は不安定だった。だが、あの鼻歌が聞こえている間は、その日の飯があるという意味だった。だから俺はあの鼻歌を、たぶん、嫌いではなかった」
リゼは黙って聞いていた。それから、少しだけ潤んだ目で笑った。
「……いい思い出じゃん。ちゃんとあるじゃん、思い出」
「今のは、思い出に分類されるのか」
「されます。受付権限で認定します」
彼女はそう言って、それから前を向いて、さっきとは違う鼻歌を歌い始めた。音程は、婆さんよりずっと正確だった。
*
途中、雨上がりの小川が街道を横切っていた。飛び石は濡れて光っている。
「リゼ。手を」
「ふえ?」
「石が濡れてる。お前は荷物で足元が見えない。落ちると書類が濡れる」
「……っ、は、はい」
差し出した俺の手に、リゼの手が重なった。小さくて、思ったより熱い。俺は歩幅を彼女に合わせて、飛び石をひとつずつ渡った。渡り終えても、手はすぐには離れなかった。
「……書類、もう安全だぞ」
「もうちょっと! ……もうちょっとだけ、このまま」
俺の手の中で、彼女の指が、きゅ、と小さく縮こまった。振り払う理由は、特になかった。街道の先まで、俺たちはそのまま歩いた。手袋越しでも分かる体温を、俺は帳面に書けない種類の記録として、ただ保持した。
*
商業ギルドでの手続きは滞りなく済み、俺たちは日暮れ前に街へ戻った。
――そして、ギルドの扉をくぐった瞬間、空気が変わっているのが分かった。
受付の前に、ギルベルト=ヴァルディアが取り巻きと立っていた。手にした依頼票を、これ見よがしに振っている。
「おお、灰色区の犬か。聞いたぞ、E級昇格だそうだな。それでこの依頼票に、貴様の指名が入っていたわけだが――」
俺宛の指名依頼。西の岩山での、ワイバーン級の巣の調査。E級には破格の大仕事だ。ギルベルトはその票を、ひらりと裏返した。担当者の欄が、書き換えられていた。
「ヴァルディア家からギルド本部に少々口を利いてな。この依頼、我がパーティーが引き受けることになった。E級の犬には荷が重かろうという、親切心だ」
「そう」
「……それだけか?」
「手続きが本部を通っているなら、俺に言うことはない。調査地点の岩山は西壁が脆い。東から入ることを勧める」
事実と、有用な情報。俺はそれだけ言って、依頼板へ向かった。背後でギルベルトの顔が白くなっていく気配がしたが、振り返る理由はない。
「――ちょっと、レイン!」
食い下がったのはリゼだった。カウンターの内側に回るなり、記録簿を引っ張り出す。
「指名依頼の変更には依頼主の同意がいるの! 本部決裁だけじゃ規定違反! あたし、異議申請を――」
「リゼ」
俺はカウンター越しに、彼女の手を上から押さえた。今日、小川で握った手だ。
「申請すれば、お前とマスターに子爵家の圧が向く。俺の損失は依頼一件。お前たちの損失は、その比ではない。計算が合わない」
「でも! あんたが正当に評価されるはずだったのに……! 悔しくないの!?」
悔しい。その語を、俺は帳面の目次から探した。該当なし。だが――目の前で唇を噛んでいるこの顔を見ている今の状態に、一番近い札を探すなら。
「……俺の分の悔しさは、もうお前が使ってる」
「へ?」
「だから俺は、次の依頼を取る。お前は悔しがる係。俺は積む係だ。分担だな」
リゼはぽかんとして、それから、泣き笑いのような顔になった。
「……なにそれ。分担て。……ばか」
彼女は俺の手の下で、そっと拳を開いた。悔しさを、手放したのが分かった。
――ワイバーンの巣の調査に、練度の低いパーティーが西から入れば何が起きるか。俺の計算は、その先を静かに予測していた。忠告はした。あとは、彼らの選択だ。
三日後。その予測は、最悪に近い形で当たることになる。
(次話:夜の岩山、単独救助行。)




