第11話 白い部屋
夢を見た。
白い部屋だ。壁も床も天井も白い。窓はない。薬草を煮詰めたような匂いが、鼻の奥に貼りついている。
どこかで子供が泣いている。一人ではない。何人もの泣き声が、壁の向こうから薄く聞こえる。
『――十七番。次、十七番』
声が呼ぶ。抑揚のない、事務的な男の声。
夢の中の俺は、たぶんとても小さくて、白い椅子に座っている。怖くはない。夢の中でも、俺は淡々とその部屋を観察している。壁の白さ。匂い。泣き声の数は、六。昨日より、ひとつ減った――
そこで、目が覚めた。
*
夜明け前の裏庭で、俺はいつも通り木剣を握った。
夢の内容を反芻する。白い部屋の夢は、これが初めてではない。年に数回、思い出したように見る。前世の記憶の断片だろうと処理してきた。病院か、施設か。前世の俺が世話になりそうな場所は、いくらでもある。
ただ、今朝は一点だけ、引っかかりが残った。
(――薬草を、煮詰めた匂い)
前世の病院の匂いは、あんな匂いではなかったはずだ。あれは、この世界の薬師の作業場の匂いだ。下働き時代に、何度も嗅いだ。
前世の夢に、今世の匂いが混ざるものだろうか。
「考えても、答えは出ない」
俺は素振りを始めた。百回目で夢は思考の棚に仕舞われ、三百回目には呼吸だけになった。積むべきものを積む。それが俺の朝だ。
*
「――レイン! 朝ごはん!」
千回目を終えた俺に、裏口からリゼが呼びかけた。手には湯気の立つ椀がふたつ。最近、彼女は時々こうして朝食を持ってくる。
「毎回言うが――」
「金はいらない、まで言ったら怒るからね。ほら、座る!」
裏庭の切り株が、いつの間にか俺たちの食卓になっていた。今朝は麦の粥に、干し肉と香草が入っている。
「……ね、レイン。今朝、なんかあった?」
匙を持ったまま、リゼが俺の顔を覗き込んだ。
「なぜそう思う」
「んー……なんとなく? 今朝のあんた、ちょっとだけ、遠くにいる感じがした」
俺は自分の観察記録を検索した。今朝の俺の挙動に、いつもとの差分はないはずだ。素振りの回数も配分も同じ。表情は、そもそも動かない。それでも彼女は差分を検知する。毎回だ。彼女のその検知能力は、俺の帳面の中で最も説明のつかない項目として、頁の一番上に書いてある。
「……夢を見た。白い部屋の夢だ。昔から、たまに見る」
言ってから、俺は軽い違和感を覚えた。夢の話など、誰かにしたのは初めてだった。話す必要のない情報を、俺は今、自分から開示した。
リゼは匙を置いて、真剣な顔をした。
「こわい夢?」
「怖くはない。俺は怖いという機能が――」
「じゃあ、さみしい夢?」
言葉に詰まった。
白い部屋。壁越しの泣き声。ひとつずつ減っていく、泣き声の数。あの光景に貼るべき札を、俺は持っていなかった。恐怖ではない。では何か。さみしい、という語を当てはめてみると――収まりが、妙に良かった。
「……分類は、保留する」
「ふうん。じゃあさ」
リゼは自分の椀を持ったまま、切り株の上を少し詰めて、俺との距離を拳ひとつぶん縮めた。肩が、触れるか触れないかの位置。
「今度その夢見たら、朝ごはんの時に話すこと。はい決定。約束!」
「話してどうなる」
「どうにもならなくても話すの! いい? 夢って、話すと薄まるんだから。おばあちゃんの知恵袋! ……あたしのは、お母さんの知恵袋だけど」
彼女の母親。リボンの人。俺の帳面で、登場回数が静かに増えていく人物だ。
「分かった。約束する」
「ん。よろしい」
リゼは満足そうに粥をすくって、それから、思い出したように付け足した。
「――大丈夫。夢の中のあんたがどこにいても、朝になったら、ここにあたしがいるから」
俺はその言葉を、帳面に書くために正確に記憶した。記憶して、気づいた。
今朝の粥は、いつもより温かい気がした。気温と粥の温度は昨日と同条件のはずだ。つまりこれは、測定誤差ではない。
要観察、と俺は頭の中の頁に書いた。観察対象は、また俺自身だった。
(次話:昇格祝いは、青い腕紐。)




