第172話:破られた扉
工場の正門前広場は、異様な静寂と冷気に包まれていた。
パリ……パリン……。
乾いた音が響く。自重にすら耐えきれなくなった聖騎士たちが、次々と崩れ落ちていく。
「最強」と謳われた聖騎士団が、低温脆性によって文字通り「粉砕」され、無数の氷の礫となって風に舞う音だった。
テオの放った『液体窒素』による熱力学的な一撃は、絶対防御を誇る光の壁ごと彼らを凍てつかせ、物理的に崩壊させたのだ。
「……はぁ、はぁ……」
その光景を睨みながら、地面に手をついて荒い息を吐くテオ。
「テオ! よくやった、本当に大丈夫か!」
前に立ち塞がっていたボルスが振り返り、テオの体を抱き起こす。
テオの顔色は死人のように青白く、眼鏡は白く凍りついていたが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「……やり、ましたよ……ボルスさん。……科学の、勝ち、です……」
「ああ、大金星だ! お前のおかげで助かった!」
ボルスが震える声で称える。
リナもへたり込みながら、親指を立てた。
「すげぇよテオ……。あの聖騎士団を撃破しちまうなんて……」
彼らの周囲には、まだ数百の敵兵が残っている。
だが、誰も動けなかった。
目の前で起きた「未知の惨劇」――魔法防御を貫通し、人間をガラス細工のように砕いた現象への根源的な恐怖が、彼らの足を縫い止めていたのだ。
「ば、化け物だ……」
「あんなのに勝てるわけがない……!」
剣を取り落とす兵士たち。
戦意は完全に折れていた。
このまま膠着状態が続けば、あるいは撤退させられるかもしれない。
誰もがそう一縷の望みを抱いた、その時だった。
「……退くなッ!!」
戦場の空気を切り裂く、狂気を孕んだ絶叫が響き渡った。
敵陣が割れ、豪奢な法衣を泥と脂汗で汚した男が進み出てくる。
枢機卿ベルナンドだ。
その目は血走り、口端からは泡を飛ばしている。
「退くな! 進め! 相手は満身創痍だ! 魔力切れの雑魚に何を怯えている!」
ベルナンドが杖で自軍の兵士を殴りつける。
だが、兵士たちは動かない。恐怖が、命令を上回っているのだ。
「ええい、役立たずどもめ! 聖騎士団まで失って、おめおめと帰れるわけがなかろう! ……こうなれば、私が直々に引導を渡してくれる!」
ベルナンドは懐から、布に包まれた「ある物」を取り出した。
厳重に封印された布が解かれると、そこから黄金の輝きが溢れ出す。
現れたのは、全長50センチほどの、装飾過多な黄金の槌だった。
柄にはびっしりと古代ルーン文字が刻まれ、槌頭には赤黒く脈打つ巨大な魔石が埋め込まれている。
「な、なんだあれは……?」
ボルスが警戒して戦斧を構える。
魔力切れで意識が朦朧としているテオが、その輝きを見てうわ言のように呟いた。
「……嫌な、予感……。あの魔石……周囲のマナを、強制的に『捕食』して……」
テオの目には見えていた。
大気中に漂うマナが、あの槌に向かって渦を巻き、ブラックホールのように吸い込まれていく様が。
否、マナだけではない。
槌を握るベルナンドの腕が、見る見るうちに干からび、生命力を吸い上げられている。
「あれは……禁断のアーティファクト――『神の槌』!?」
テオが最後の力を振り絞って警告を発した。
神話の時代、たった一振りで城塞都市の城壁を粉砕したとされる、物理破壊に特化した聖遺物。
使用者の寿命を燃料とし、対象を原子レベルで分解・破砕する衝撃波を放つ、使い捨ての戦略兵器だ。
「ひれ伏せ、異端者ども! これを使うことになるとは計算外だったが……貴様らを消し飛ばせるなら安いものだ!」
ベルナンドが高らかに槌を掲げた。
埋め込まれた魔石が、ドクンと赤く脈打ち、臨界点に達する。
彼の顔色は土気色になり、頬が痩せこけたが、その表情は法悦に歪んでいた。
「神罰であるッ! 砕け散れッ!!」
「まずいッ! 全員、伏せろぉぉぉッ!!」
ボルスが叫び、テオとリナを自身の巨体で庇うように覆いかぶさった。
だが、遅かった。
ズドォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
ベルナンドが虚空に向かって槌を振り下ろした、その瞬間。
世界が歪んだ。
音よりも早く、目に見えない「衝撃の壁」が一直線に放たれたのだ。
バキバキバキバキッ!!
ボルスたちが必死に積み上げ、数々の猛攻を耐え抜いてきたバリケードが、まるで積み木のように粉砕された。
鋼鉄が飴細工のようにねじ切れ、コンクリートが砂のように崩れ去る。
圧倒的な質量を持った破壊の波が、防衛ラインを飲み込んだ。
「ぐわぁぁぁぁっ!?」
「きゃあぁぁぁっ!?」
ボルスとリナの体が、木の葉のように空中に舞った。
地面に叩きつけられ、何度も転がる。
視界が白く明滅し、耳鳴りが止まない。
「が、はっ……」
ボルスは血の味を噛み締めながら、霞む目で前方を見た。
そこにあったはずのバリケードは消滅していた。
それだけではない。
その後ろにあった工場の分厚い外壁――重機軍団の格納庫でもあった頑丈な鉄筋コンクリートの壁に、直径10メートルほどの大穴が開いていたのだ。
パラパラと瓦礫が落ちる音が、静寂の中に響く。
工場の内部が、外の空気に晒されている。
最終防衛ラインが、突破された。
物理的にも、精神的にも、彼らを守るべき壁が消え失せたのだ。
「……見たか! これぞ神の御力!」
ベルナンドが狂喜の声を上げる。
彼もまた、反動で血を吐き、膝をついていた。
右腕は炭のように黒く変色し、二度と使い物にならないだろう。
だが、その代償に見合うだけの「穴」を空けた。
「道は開かれた! 見よ、あの奥を!」
ベルナンドが指差した大穴の奥。
そこには、さらに厳重な扉で閉ざされた『第零格納庫』への通路が見えている。
あそこには、無防備な晶の肉体が眠っている。
「突撃せよ! 聖女の遺体を……いや、聖なる器を奪還するのだ! 邪魔する者は皆殺しにしろ!」
『ウオオオオオオオッ!!』
その号令を合図に、恐怖で凍りついていた兵士たちが、堰を切ったように動き出した。
神の奇跡に見える破壊を目の当たりにし、狂信的な士気が蘇ったのだ。
我先にと大穴へ殺到する。
その光景は、獲物に群がる蟻の群れのようであり、あるいは死体に群がるハイエナのようでもあった。
「……くそ、ったれ……」
ボルスは震える手で地面を掴んだ。
体中が痛い。左腕の感覚がない。折れているかもしれない。
隣ではリナが衝撃による気絶で倒れている。テオは意識がない。
弾薬はない。罠もない。重機も動かない。
残っているのは、ボロボロの肉体と、意地だけだ。
「……通すかよ……」
ボルスはよろめきながら立ち上がった。
右手だけで戦斧を握りしめ、瓦礫の山の上に仁王立ちする。
「社長が……社長が帰ってくる場所は、俺が守るんだよぉぉッ!」
ボルスが咆哮した。
だが、押し寄せる数百の兵士たちに対し、彼はあまりにも孤独だった。




