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第163話:反乱の狼煙

 事件は、食堂がごった返す昼時に起きた。


「うめぇぇぇ! 今日のスープは特にキレがあるぞ!」


「ああっ、背脂の甘みが五臓六腑に染み渡る……!」


「午後からの地獄の釜茹で作業も、これなら全力で回せるぜ!」


 閻魔庁の地下食堂は、今日も今日とて大盛況だった。


 換気ダクトから吐き出される濃厚な魔獣骨と特製塩ダレの香りが、食堂内を支配している。


 晶が開発した『地獄ラーメン』は、完全に鬼たちの胃袋を掌握していた。


 列を作る若い鬼たち。


 ポイントを貯めて特製チャーシューをゲットし、涙を流す亡者たち。


 そこにあるのは、かつての陰湿な地獄の風景ではない。


 食という根源的な快楽によって満たされた、活気ある労働者の楽園だった。


「ふむ。今日の出来は85点といったところか」


 厨房の奥、店主専用のカウンター席で、晶は冷静に味のチェックを行っていた。


 隣では、閻魔大王が「全マシマシ」の巨大な一杯と格闘している。


「ズルズルッ! いやぁ、晶殿は厳しすぎじゃよ! ワシには120点満点の味じゃ! このニンニクのパンチ力、まさに地獄の裁き!」


「……大王、スープが跳ねている。法衣がシミだらけだぞ」


 平和だ。


 あまりにも平和すぎる。


 だが、嵐はいつだって、快晴の空の下からやってくる。


 ウゥゥゥゥゥゥン!!


 突如として、鼓膜をつんざくような非常サイレンが鳴り響いた。


 空襲警報のような不吉な音が、食堂の喧騒を一瞬にして凍りつかせる。


「な、なんだ!? 火事か!?」


「釜が爆発したのか!?」


 ざわめく鬼たち。


 その直後、食堂の壁面に設置された大型モニターの画面が、砂嵐と共に乱れ始めた。


 ザザッ……ザザザッ……!


 『緊急放送』『緊急放送』


 『地獄全土へ告ぐ』


 ノイズ混じりの画面が切り替わり、そこに映し出されたのは、武装した数名の鬼たちの姿だった。


 中央に陣取るのは、墨汁のように黒い肌をした老鬼――かつての筆頭幹部、黒鬼だ。


 その脇を、紫鬼や緑鬼といった古参幹部たちが固めている。


 彼らの目は血走り、異様な殺気を放っていた。


『聞け、地獄の者ども! 我々は「地獄正常化委員会」だ!』


 黒鬼が、刺々しい鉄の金棒をカメラに向けて突きつけた。


『嘆かわしい! 実に嘆かわしい! 貴様らがすするその下品な汁物の臭いが、ここまで漂ってきおるわ!』


『そうだそうだ! 地獄の誇りはどこへ行った!』


 モニター越しに、老害鬼たちの怒号が響く。


『魔女による支配は終わりだ! 我々は、軟弱になり下がった現在の閻魔庁を認めない!』


 黒鬼が宣言する。


『即刻、魔女を追放し、IT化だのシフト制だのというふざけた制度を廃止せよ! 我々が再び、恐怖と暴力による「真の地獄」を取り戻す! これより、閻魔庁を武力で制圧する!』


 プツン。


 放送が途切れた。


 一瞬の静寂の後、食堂内はパニックに陥った。


「お、おい! モニターの映像が……外の監視カメラに切り替わったぞ!」


 誰かの叫び声に、全員が再び画面を注視する。


 そこには、信じられない光景が広がっていた。


 ズシン、ズシン、ズシン……!


 地響きと共に、閻魔庁を取り囲むように展開していたのは、数千、いや数万にも及ぶ鬼の軍勢だった。


 彼らは皆、カビの生えたような古めかしい甲冑を身にまとい、錆びついた槍や金棒を手にしている。


 その多くは、時代の変化についていけず、閑職に追いやられていた「保守派」の鬼たちや、黒鬼が私財を投じて雇い入れた荒くれ者たちだ。


「な、なんということじゃ……! 反乱じゃと!?」


 閻魔大王が、ガシャンと手からレンゲを取り落とした。


 顔色が青ざめている。


「まさか、黒鬼たちがここまで大規模な私兵を隠し持っていたとは……!」


「ど、どうするんだ顧問! 奴ら、本気ですよ!」


 若い鬼の職員が、晶に詰め寄る。


「庁舎のゲートの警備システムは、奴らが持っていた古いマスターキーで無効化されています! 正面突破されました! このままじゃ、ここが戦場になります!」


「数が多い……。こっちの警備兵だけじゃ止められない! 正面から戦っては被害甚大です!」


 悲鳴が上がる。


 せっかくホワイト化が進み、平和になりつつあった職場が、再び暴力の嵐に飲み込まれようとしているのだ。


 誰もが絶望した。


 ラーメンのスープが冷めていくように、希望が失われていく。


 だが。


 ただ一人。


 この状況下で、全く動じていない者がいた。


 ズルッ……ズルズルッ。


「……ん。麺のコシは悪くない」


 晶である。


 彼女は非常事態の真っ只中で、平然と箸を動かし、ラーメンをすすっていたのだ。


「あ、晶殿!? 何を呑気に食事しておるんじゃ! 包囲されておるんじゃぞ!?」


「食事がまだ途中だ。……それに、フードロスは私の流儀に反する」


 晶は最後の一滴までスープを飲み干すと、コトッとドンブリを置いた。


 そしてナプキンでゆっくりと口元を拭い、鋭い視線を上げる。


「……ふん。想定の範囲内だ」


 その声は、驚くほど冷徹だった。


「えっ……? そ、想定内?」


「急激な改革を行えば、必ず抵抗勢力が生まれる。……歴史の必然だ。彼らがいつか蜂起することは、最初から織り込み済みだ」


 晶は懐からPDAを取り出し、画面をタップした。


 そこには、閻魔庁の周辺地図と、敵軍の配置、そして「ある数値」のグラフが表示されていた。


「黒鬼たちは、一つだけ致命的なミスを犯している」


「ミス……じゃと?」


「ああ。彼らは『古き良き精神論』に固執するあまり、現代の戦争において最も重要な要素を軽視しすぎている」


 晶がニヤリと笑った。


 それは、科学者が実験の成功を確信した時の、悪魔的な笑みだった。


「戦術? 簡単だ。……兵糧攻めにする」


「ひょ、兵糧攻め? しかし奴らは数千人おるんじゃぞ? 備蓄食料だって持っているはずじゃが……」


「持っているだろうな。干からびた肉や、泥のようなスープを」


 晶は立ち上がり、厨房の奥にある「メインバルブ」に手をかけた。


 それは、強力な換気ファンを制御し、ラーメンの匂いを外部へ排出するためのダクトのスイッチだ。


「人間も鬼も、一度『美食』を知ってしまった体は、もう元の粗食には戻れない。……特に、この中毒性マシマシのラーメンを知ってしまった後はな」


 晶の目がギラリと光った。


「見せてやろう。……剣よりも、魔法よりも強い、『空腹』という名の地獄を」


 晶がスイッチを最大出力に回した。


 ブォォォォォォォンッ!!


 巨大な換気ファンが唸りを上げ、厨房に充満していた「暴力的なまでに食欲をそそる香り」を、一気に吸い込み始めた。


 その排気口の先は――敵軍が布陣している、閻魔庁の正面広場に向けられていた。


 反乱軍に対する、晶の残酷すぎる「飯テロ」作戦が、今まさに幕を開けようとしていた。


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